第11話 朝のひとときと戸惑い

 朝、二人はいつもより遅めに起きた。
 体の疲れから、いつもの時間に起きられなかったためだ。
 それでも、二人はどこか嬉しそうだった。

「すぐご飯の用意しますね」
「ああ。俺は火を熾してから、顔を洗ってくる」
「はい、お願いします」

 囲炉裏の中は僅かに火が残っているくらいで、新たに薪をくべなければならない。シュクルは薪が燃えやすいように小枝をまず燃やして火を大きくした。
 その間に、ミアディは焼かんに水を入れて持ってきて、囲炉裏に掛ける。それから土間に戻ると、鍋に食べ物を入れ始めた。
 基本的に彼らの食事は雑炊が主だ。それから保存食として作られた干し肉などを使ったもの。狩りで獲物を捕らえられた時は肉を食べられるが、毎日というわけにはいかないので、燻製などにして作り置きにすることが多い。それに新鮮な果物があれば、かなり贅沢な食事と言えた。
 今日は干し肉も細かくして雑炊の中に入れて煮込んでいる。それとシュクルがもらってきた新鮮な野菜を食べやすい大きさに切り、それをつける調味料を小鉢に少量出した。

「……っぅ」

 雑炊の入った鉄鍋を囲炉裏に掛けるために手を伸ばせば、昨夜の出来事のせいで体の奥に鈍い痛みが走る。
 それでも鍋を落とさずに囲炉裏に掛け、火加減を見ながら木製のおたまでかき混ぜる。干し肉が柔らかくなる頃に、塩などを入れて味を調え、もうしばらく火を通して煮詰めた。

「いい匂いがするな」
「ぁっ……シュクル……さん」

 後ろから声をかけられて、ミアディは驚いて声を上げた。
 起きてすぐは照れるよりも幸せを感じていたため忘れていたが、シュクルの声と先ほどの体の痛みに昨夜の出来事を思い出して、ミアディの頬は急に熱を帯び始めた。
 が、シュクルは気にすることもなく、「さん付け」を訂正する。

「あ……えと、し、シュクル……」

 名前で呼ぶのを躊躇うミアディに、シュクルは言い直させる。
 ミアディの過去を聞いたせいか、ミアディの態度について直させるより、まず自分との距離をはっきりさせようと思ったシュクルだった。
 そのひとつが名前で呼ぶこと。他人行儀なさん付けなどでなく、親しみを込めて名前で呼ぶ。
 いきなりそれで距離が縮まるわけでもないが、無理矢理体を重ねるよりはミアディに負担がないだろうと思ったからだったのだが、シュクルと呼ばれて箍が外れてしまっては意味がなかった。
 しかし、ミアディもそれほど嫌がっていたわけではないので、シュクルはミアディと床を共に出来た事が嬉しかった。

 それに、拙いながらもミアディが頬を染めながら「シュクル」と呼ぶのに、どうしようもない愛しさを感じる。
 その思いから、後ろからミアディの体を抱きしめた。
 自分より体温の高いミアディの体は、抱いていて気持ちい。首筋に頭を埋めながら、ミアディをしっかりと抱きかかえた。

「し、しゅく、る……?」

 後ろから抱きしめられて、ミアディは身動きが出来なかった。持っていたおたまを持ったまま、どうしていいのか分からない。
 このまま、シュクルに寄りかかってしまっていいのだろうか。でも、食事の支度の途中だし……などと、少々現実的なことを考えてしまうが、それでもミアディを放さないシュクルに対して、抵抗せずにそっと体を凭れかけさせた。
 どきどきする――目を閉じてシュクルのぬくもりを感じると、さらに増す。
 昨夜とはまた違うどきどきで、ミアディはどうしていいのか分からず動けなくなってしまった。

 それでも、逃げようとはいう考えは全くでなかった。
 ここに戻った頃は、シュクルの目を見るのが怖かった。すこし前もそうだっただろう。けれど、何が変わったのか、今は怖いとは思わない。
 ただ、昔のように純粋に好きという気持ちだけで見れないのが、何だか悲しかった。

(シュクル、は……大事に、してくれる。でも、それは……わたしが、天つ人、だから……)

 そう思うと同時に、天つ人でなかったら――とも考える。
 考えても仕方のないことなのに、どうしても考えて比べてしまう。

(天つ人じゃなかったら……父さんも母さんもまだ生きていた? わたしは両親と一緒にいられて幸せだったんじゃ……)

 もし、両親がいなくても他の人との壁を感じることもなかったかもしれない。ただの人であったのなら、村の人たちの中に普通に入れるのでは……?
 それだけミアディの中で『天つ人』というのは、他の人との距離を作るものだった。祖母であるイラの元にいた時に嫌というほど感じていた気持ちが、ミアディの中からなかなか消えない。イラの口からさんざん聞かされた言葉が、今でも耳から離れないでいる。
 ここに戻ってきても、同じようなことを聞かされた。
 その言葉を振り切りたくて、ミアディはシュクルにしがみ付いた。
 そうすることで少しだけ安心できたが、少しでも考え出すと、すぐに言われ続けた言葉が響き始める。

『天つ人だから』

 その言葉が、どこに行ってもミアディを縛った。
『天つ人』だから敬遠され、
『天つ人』だから望まる。
 この矛盾は、まだ若いミアディには理解できなかった。
 それでも。

(放したくない……)

 村に戻ってきた頃なら良かった。感情を捨て――というより、すでに色んなことを考えることすら億劫なほど、力を使う事だけ考えていた――淡々と天つ人として力を使う。
 そして、使えなくなった時が命の終わりさいご

 なのに、ここでシュクルの家族や友達に触れ、少しずつ感情が戻ってきていた。幼い頃、友達だったティニは会うとすぐに話しかけてくれる。
 あまり会わないが、家に行った時には挨拶するときちんと返事を返し、優しい言葉をくれるクトカ。
 常にやさしく接し、気を遣ってくれるエマ。
 そして、ミアディに対する感情はわからないが、ミアディ個人を見て大事なことを言い、大切にしてくれるシュクル。

(わたしにも、大事なものが……できた……の?)

 何かを大事に思う気持ちは、天つ人の力にも直結する。自分以外の何かが大事だと思う気持ちは、それを守りたいという気持ちになるからだ。
 この大事だと思う気持ちが、ミアディを強くするということをまだ理解していない。
 それよりも、ひとつのことに囚われている。

(でも……、わたしは、天つ人、だから……)

 自分が天つ人であるからこそおきた不遇な過去が脳裏をかすめる。
 その存在を疎まれ、隠され、けれどその力はもったいないと使わせる――そんな勝手な“人”たちの顔が頭から離れなかった。

 

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