幸福願望

 あたしは小さい頃から物欲が強かったような気がする。
 小さい頃から他の子が嬉しそうに持っているオモチャがあればそれが欲しくなり、また、食欲という点でも、おいしいものを、お腹いっぱい満足し食べ飽きるまで食べた。
 それにお金が好き。お金があれば何でも好きなものは手に入る。
 そうすれば幸せになれる。
 ずっとそう思っていた――

 

 空が高くなっていつもより濃い青、そして薄雲が空を飾るようになった頃、あたしとガウリイはゼフィーリア国内に到着した。ゼフィール・シティまで、のんびり行って二日という距離になった。
 特に急ぐ旅でもなかったし、サイラーグのことを過去の記憶にするためにも、あたし達はあちこち楽しんだり、場合によっては依頼を受けたりして旅をしていた。
 おかげでサイラーグでのことは、少し落ち着いて考えられるまでになった。
 これもガウリイ――自称保護者さんのおかげだろうか。一人なら思考の迷宮に嵌って出られなかったかもしれない。それにガウリイの提案で実家に……というのは、心が寛げる場所を目指しているという安心感があったから。
 そんな思いを抱えて、今日も日が暮れて来たため、国境近くにある町の宿に一泊することにした。
 さすがに国境近くの宿は旅人が多かった。がやがやとうるさい食堂で、ある程度満足できるまで食べると、後はのんびり過ごすため、ガウリイと話をして、ワインを購入して部屋へ戻った。
 ここの宿はお風呂も付いているため、あたし達はそれぞれ風呂に行き、疲れを癒してくる。ほこほこと温まった体で、あたしはガウリイの部屋をノックした。

「入るわよ」
「おー」

 ガウリイがいるのを確認してから扉を開ける。ガウリイはあたしが来るのが分かっているため、あえて鍵はかってない。
「お前さんの魔法よく効いてるぞ。おかげでよく冷えたワインが飲めそうだ」
「ふふ……でしょー。リナちゃん特製『氷の矢氷の矢フレア。アロースペシャルミニミニばーじょん』よ。これなら被害はなかったでしょ?」
 お風呂に行く前に、ガウリイの部屋でバケツ(バケツなのが悲しいけど、それしかなかった)に向かって、極力最小限に抑えた氷の矢フレア・アローを唱えて氷の礫を作ったのだった。おかげでワインは冷え冷え。

「ああ、オレはリナが呪文を唱えだした時はびっくりしたよ。でも、こんな小さな魔法も使えるんだなあ」
「ふっ、天才美少女魔道士に不可能はないわ!」
「びしょうじょって……」

 ガウリイの顔を見れば、自分で言うなよ、とか、美少女って年か? とか、そういうのが窺えるけどこの際無視。せっかくのワインが美味しくなくなってしまう。
 さすがに、ここゼフィーリアは葡萄の産地で、ワインも豊富。なにより安いワインでも外れが少ないのだ。余所に行けば高級品に入るワインが、ここでは少しだけ値を張る、という程度のもの。

「ここのワインは美味しいのよ。うちに帰ったら、あんたにもたくさん飲ませてあげるわ」
「楽しみだな」

 あたしたちは、窓側にあるテーブルセットの椅子にそれぞれ向かい合って座った。窓から覗く星がきらきらと輝いていてきれいだ。
 ワインの栓抜きは手馴れたもので、キュッキュッと音を立てながら、コルクが崩れないようにして抜いていく。抜き終わるとコルクに残る香りを嗅いで香りを楽しむ。ガウリイに手渡すと、「いい匂いだ」と呟いた。
 とくとく……とワイングラスに八分目まで注ぐ。ワインをテーブルに置いて、ワイングラスを持った。

「んー……いい香り。それにしても懐かしいわ」
「香りで分かるものなのか? オレには同じワインの香りとしか思えんが……」

 あたしの言葉にガウリイが不思議そうに尋ねる。あたしは苦笑しながら、「ここで飲むからそう思うのよ」と答えた。
 実家を出てから、もう三年以上経っているんだもの。懐かしんでもおかしくない。

「ガウリイだって久しぶりに郷里の地を踏めば分かるわよ。ガウリイだって数年実家に帰ってないんでしょう?」
「あー……まあ……。でもお前さんち実家のあと、一緒に行ってくれるんだろ?」
「ええ、そういう約束でしょ。それともガウリイはあたしを家族に紹介したくないって言うの?」
「いや、違うって。確認だよ」

 ガウリイは慌てながら答えると、ワインをぐいっと飲み干して、テーブルに置いた。そして荷物をごそごそすると、目当てのものが見つかったのか、何かを取り出し、荷物だけもう一度床に置いた。

「ガウリイ?」
「あのさ……遅くなったけど……。やっぱりちゃんと形にしたほうがいいと思って」

 照れながらガウリイは目の前に差し出した手を開ける。手のひらには小さな小箱が乗っていた。

「これって……」
「んー……なんつうか……婚約指輪って石とか付いててがさばるだろ? だからすっ飛ばして悪いんだけど、結婚指輪……ってことで」

 ガウリイの手から小箱を受け取り中を開けると、紺色のビロードの間に、銀色に輝く大きさの違う丸い指輪が並んでいた。
 あたしは、まさかこんなところで貰えるとは思わなくて、言葉も出ないでいた。
 実は、あたしたちの仲は、サイラーグを出てから急展開したのだ。
 ガウリイはあたしがパニックにならないよう、ゆっくり告白してくれて、でもって、あたしもそれが嬉しくて。気がついたら頷いていた。その後は、旅と同じように、ゆっくりとガウリイと距離を縮めていった。
 今、実家に帰るという目的は、もはや葡萄を食べるためではなく、ガウリイがきちんとうちの家族に挨拶するためだった。

「リナ……? やっぱりまだ気が早かったか?」

 ガウリイの声にはっとして顔を上げると、心配して覗き込むガウリイの顔が近くにあった。それにびっくりして頬が熱くなって……。
 でも、それと同時にとても嬉しくなる。
 なんか思い切り大胆な気分になって、あたしは近くにあるガウリイの口に軽くキスをした。

「違うわ。いきなりだったからびっくりしただけ。でもってそのあとはすごく嬉しかった」
「そうか。良かった……」

 ガウリイは乗り出していた体を戻して、深呼吸をした。

「もし返されたらどうしようかと思った」
「そんなことしないわよ。それにしても、ガウリイがちょこちょこいなくなっていたのってこのせい?」

 あたしが魔道士教会に行くというと、いつも付いてきて、盛大に寝こけてひんしゅくを買っていたのに、ここ数日ガウリイは「町をぶらついているよ」と言って、どこかに行っていたのだ。とはいえ、あたしが出てくる頃には、しっかり外で待っているから、特に変に思わなかったんだけど。
 まさかこんなに嬉しいことをしてくれてるなんて……。やだ、頬が緩んでくるのが分かる。

「ん、ああ。いろんなところ見てみたんだが……やっぱり石の付いてるのは邪魔かなと思ってさ。結局シンプルなプラチナの指輪にしたんだ。それともリナも一緒に選びたかったか?」

 ガウリイは心配そうに言うけど、箱の中の指輪はただ丸いだけじゃなくて、細かいデザインが刻まれている。精巧な細工は、きっと素材と同じくらい値が張るだろう。
 なにより、出会った当初は散々子ども扱いしてくれたガウリイが、今はあたしを一人前の女として認めて、こういうことをしてくれるのが嬉しい。

「ううん。素敵な細工ね。ね、付けてもいい?」
「ああ、ちょっと貸して」
「ん」

 あたしはガウリイに箱を戻すと、ガウリイは小さいほうの指輪を一つ取り出す。そして、真面目な顔をすると、あたしに向かってゆっくり口を開いた。

「汝、リナ=インバース――」
「へ?」

 突然畏まった言い方に、びっくりしてきょとんとする。がウイは少し笑みを浮かべたあと、もう一度真面目な顔になって。

「汝は、ガウリイ=ガブリエフを夫とし、生涯変わらぬ愛を誓いますか?」

 全部言葉を聴いて、なるほど、ガウリイが結婚式の真似事をしたいのだと分かった。
 だけどね、ガウリイ。そんなの誓ってあげない。

「誓いません」

「リナ?」

 あたしの返事に、ガウリイはショックを受けたようで、顔が硬直した。まあ、両思いになって、女の家にまで挨拶に行こうという状態で、きっぱり断られたら、そりゃショックか。
 あたしはガウリイに笑みを浮かべ。

「あのね。あたしは、『生涯変わらぬ愛』なんての、誓いたくないの。思いは変わるわ。今ガウリイを好きな気持ちより、これから先、もっともっと好きになるかもしれない。そう思うと、変わらぬ愛は誓えないのよ」
「リナ……」
「あたしはね、欲張りなの。ガウリイも知ってるでしょ? だから今よりもっともっと幸せになりたいし、ガウリイのことももっともっと好きになりたいし、ガウリイからもっともっと好きだって言われたい」

 うーん……言ってて照れてきた。
 でも、これがあたしの本音なのよね。もっともっと幸せになりたい。だから、いくら真似事の誓いでも誓うことはできない。

「そっか……そうだよな。うん。そうかあ……。うん、オレもそういう意味なら誓えないな」

 ガウリイは納得したのか、うんうん、と頭を何度も頷かせる。
 それにしても、ガウリイもいろいろ考えてるんだ、と改めて思った。けじめとか、今回の指輪も、ガウリイから言ってくれなきゃ、あたしから催促なんてできないし。でも、そういうのをさらりとリードしてくれる。脳みそヨーグルトとばかり思っていたけど、全部溶けちゃってはいないらしい。

「じゃあさ。こういうのはどうだ?」
「ん?」
「指輪を交換しあって……『変わらぬ愛』じゃなくて、これを起点にもっともっと幸せになろうって誓い合うっての」
「それはいいわね。それなら誓えるわ」

 あたしはガウリイの提案に頷いた。
 とはいえ、結局何かに対して誓うのね。ガウリイはこういうのが好きなのかしら? でもこういう誓いならしてもいい。
 ガウリイは改めてあたしの手を取り直す。

「汝、リナ=インバース。汝はガウリイ=ガブリエフと生涯共に生き、共に幸福を追い求めることを誓いますか?」
「誓います」

 ガウリイにしちゃ、まともなこと考えたわね。と思いつつ、ガウリイに指輪を嵌めてもらう。
 それが終わると、今度はあたしがもう一個の指輪を持って、ガウリイの目を見て話し出す。

「汝、ガウリイ=ガブリエフ。汝はリナ=インバースと生涯共に生き、共に幸福を追い求めることを誓いますか?」
「誓います」

 すごく幸せそうなガウリイの笑顔。その笑顔に照れながら、あたしも同じようにガウリイの指に指輪を嵌めた。
 その後は、互いに微笑みあって、暖かい気持ちになる。指輪を見つめて、お互いくすくす笑って。同じ気持ちを共有しあう。
 今まで感じたことのなかった幸せ。
 今まであたしは、自分で欲しいものを勝ち取ってこそ、嬉しくて、またそれが幸せだと思っていた。
 でも今は、こうして好きな人に与えられる幸せがあるのだと、やっと分かった。
 お金とか、高価な物じゃなくても、
 ただ、好きな人が微笑むだけで。
 好きな人に触れるだけで。
 たったそれだけで、幸せになれる。
 そして、そうした幸せを、ガウリイと二人で、もっともっと感じたいと思った。

「……んー……」

 わずかな明かりが揺らめく中でキスを交し合う。唇が離れれば、ガウリイは嬉しそうな顔で、あたしの耳に囁く。

「今日はこっちに泊まっていけよ」

 手があたしの体に回されて、ぐいっと引き寄せられる。

「ダメ」
「なんで? いいじゃないか」
「ダメよ。せっかくもう一部屋取ったんだから……」
「なんで別々に取ったんだよ。一部屋で足りるのに」
「こらっダメってば!」

 遠慮なくパジャマの裾から入ってきた手を、ぱちんとはたく。

「なんでだよー」

 不機嫌そうなガウリイの声。せっかく誓い合ったってのに……とブツブツ言っている。
 でもねえ、だって、もうゼフィーリアに入ったのよ。宿に泊まった時に、部屋が一部屋だなんてことが、家族にばれたら困るじゃないの!
 とにかく、そんなのが姉ちゃんの耳に入ったら、結婚前なのに――とどんなお仕置きが待っているのか……。
 そのために二部屋取ったのに、どこの誰かに朝ガウリイの部屋から出てきた――なんてのを目撃さたら、結局二部屋取った意味ないし。
 そう思うと、身震いして、ガウリイに冷たく言い放つ。

「ダメだってば。結婚前に同じ部屋に泊まった……なんてことがばれたら、ガウリイだってうちの家族にどういう印象持たれるか分からないの?」
「あー……そっか」
「父ちゃんたちに挨拶するまでの間は我慢してよ」
「まあ、言いたいことは分かったけど……そんなに厳格なのか? リナんちは」
「厳格……というかなんていうか……まあ、災いの元になりそうなのは避けたほうがいいわ。しかもこういうのは……。母ちゃんはともかく、父ちゃんと姉ちゃんが怖そうなのよ」

 バレたらガウリイもろとも、姉ちゃん直々の『お仕置きキラキラデラックスごーじゃずバージョン』のフルコースが待っていそうだ。
 実家に着くなりお仕置きは嫌だし、ガウリイを同じ目に遭わせたくないし。

「分かった……」

 ガウリイは面白くなさそうな顔で、仕方なく頷く。
 まあ、それでも時々あたしが姉ちゃんのことを語るのを覚えているのか、一応納得してくれた。
 あたしは苦笑を浮かべると、立ち上がってガウリイに軽くキスをして、ガウリイの部屋から立ち去った。
 後ろでガウリイが「生殺しだ……」と呟いていたのは、この際聞かなかったことにする。

 

 でもね、ガウリイ。あたしたちは、まだこれからだから。
 まだまだ幸せになれるから――

 もっともっと、二人で幸せになろうね。

 

かなり昔、アンソロに参加させてもらった時の話です。

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