第3章 リナとゼロス、そして創世記-6

「ですが、どうやって行けば……扉は閉められてしまいましたし……」
「そうね。……と、ここからエルメキア城までどれくらいなの?」
「そうですね。ここがランドール家ならそんなに離れてはいません。歩いてもほんの少しで着きます。五聖家の家はエルメキア城を守るように周囲にありますので」
「そう……」

 それなら『翔封界レイ・ウィング』でも飛べる距離。けれどもシルフィールがその魔法を扱えるかどうか分からない。
 『翔封界』は空を高速で移動するものだが、その分制御するのが難しい。付け焼刃では無理だ。

「シルフィールは『翔封界』を使える?」
「いいえ、わたくしが使えるのは『浮遊レビテーション』だけです」
「そう……」

 シルフィールの答えにリナは少し考える。『浮遊』だと時間がかかるし、暗殺者たちに見つかる可能性が高い。
 残るは少々手荒いやり方のみだが、彼女が耐えられるかどうか。

「とにかく、まずはここから出ましょう!」
「はいっ! あ、ですが鍵が……」
「なに言ってるのよ、こんなもん!!」

 リナはふらつく体を気力だけで起こす。辛くてもここにいるよりはマシだ。
 この部屋は人が弱るように作られている。なんとか立ち上がり、ふらふらと出口へと向かう。
 心配するシルフィールを余所に、リナは小声で呪文を紡いだ。

 

 ***

 

 リナが何か言っているのは分かった。
 でもそれを理解する前に、目の前で彼女は手のひらを扉にあてた。

振動弾ダム・ブラス!」

 瞬間、重いはずの鉄の扉が勢いよく吹き飛ぶ。シルフィールはその様子を見て「すごい……」と呟いた。弱った体で、また人を弱らせるこの部屋で、これほどの力が出せるなんて信じられなかった。
 この世界の魔法は使う時の意思の強さによって変わる。気まぐれな精霊たちは、魔法を使う人間の意志や感情に惹かれて力を貸すからだ。

(それほどまでにガウリイ様のことを思って……?)

 もしそうならば、自分など勝ち目はない。
 同じように魔法が使えたとしても、弱っている体でここまでの精神力はない。それに――

(リナさんはわたくしのことを、一人の人として認めてくれた)

 本来なら五聖家の者に対し敬語を使わず呼び捨てにするなど、罪に問われることだろう。
 けれどリナが呼び捨てにしたのは、以前のように五聖家のシルフィールとしてではなく、なんも後ろ楯のないシルフィール個人を、その感情を認めてくれたように思えた。
 もちろん、シルフィールがリナにしてしまったことに対しては償いが必要だとは思う。でもそれは身分など関係なく、シルフィール個人がするものだと素直に思える。
 リナの存在で、シルフィールの心は大きく変わり始めていた。

 あの牢屋は地下ではなく、いくつかあるうちの塔だったらしく、階段は階下に下りるものしかなかった。
 よろめくリナの手をとって肩を貸すと、二人は静かに階段を下りていった。
 普通の部屋のある階にまで下りると、僅かにエルメキア城が見えたため、リナが尋ねた。

「……と、ここからエルメキア城が見えるのね」
「はい。中にはバルコニーから見える所もあります」
「そう……。じゃあ、そこに案内してくれる?」
「はい」

 リナの意図は分からないが、シルフィールは素直にしたがって、エルメキア城が見えるバルコニーがある部屋に向かった。
 もともとこの部屋は主である伯父のデビット以外は使用人しかいない。ここまでの移動も見つかってはいないし、空いている部屋に入っても咎める者もいない。
 シルフィールは一番近い部屋を選んで扉を開ける。もちろん誰もいない。そのままリナを連れてバルコニーへと向かった。

「リナさん大丈夫ですか?」
「ええ、あの部屋から出たから、だいぶ良くなったわ」

 リナは強気にそう言ったが、リナの顔色はまだ青いままだ。
 そういえばあの部屋を出ることだけを考えて、シルフィールはリナを癒すことを忘れていたことに気づいた。

「リナさん、ちょっと待ってくださいね」
「え?」

 シルフィールはきょとんとするリナをおいて、回復の呪文を唱え始める。
 そして、最後に『復活リザレクション』と力ある言葉を解き放ち、リナの弱った体を癒した。

「ありがとう」
「いいえ。遅くなってしまってすみません」
「とにかく助かったわ。確かに体調悪かったし。んじゃ、さくっとシルフィールにはエルメキア城に戻っていただきますか」
「え? リナさんは……?」

 エルメキア城に戻るのは自分だけだといわれて、シルフィールは驚いてリナを見た。
 ガウリイたちが暗殺者に襲われているのなら、リナの力は今こそ必要なのに。

「本当なら、一緒に行きたいところだけど……ゼロスをなんとかしないと、ね」
「ですが……!」
「あいつをなんとかできるのは、たぶん……あたし一人だと思う」
「だから危険です!!」

 シルフィールも感じた、ゼロスの得体の知れない恐ろしさ――そんなのを一人で相手にするなんて無謀すぎる。
 シルフィールはリナの説得を試みようとしたが、その前にリナに説得されてしまう。

「確かに危険なのは分かってる。でも二人で向かっても仕方ないわ。それよりも、この事実をみんなに知らせなきゃいけない」
「リナさん……」
「シルフィールはあたしの心配をしてくれるけど、シルフィールだって危険なの。暗殺者がたくさんいる所に一人で向かうのよ。それに……ある意味、あたしはシルフィールに酷いことを頼んでるわ」

 あ、と今になってシルフィールは気づく。
 ガウリイたちのところには今、デビットが暗殺者とともに向かっている。今から行けば修羅場になっているだろう。
 そこに攻撃魔法も剣術も知らないシルフィールは一番狙われやすいかもしれない。
 それに彼女はデビットが黒幕だと知っている。姪である彼女も何らかの処分を下されるかもしれない。
 それでも、リナはシルフィールに行って欲しいと頼んでいるのだ。

「わたくしのことを……信じてくれるんですか? わたくしが、真実をガウリイ様に語ると」
「ええ」
「わたくしはリナさんを騙したんですよ?」
「それは、さっき聞いたわ。それに、シルフィールはあたしを騙したかもしれない。でも、それならあたしも……あなたを裏切っている……」

 リナは少し眉をひそめながら、苦しそうな表情でシルフィールを見つめた。
 裏切る――確かにそうだろう。
 シルフィールは王であるガウリイの正妃候補。臣下としては主の婚姻の妨げになってはならない。なのに、王と通じてしまった。
 事実だけを見れば、シルフィールが激怒してリナを処罰してもなんらおかしくはない。
 けれど。

「いいえ、今なら分かります」

 シルフィールは首を左右に振った。

「シルフィール?」
「自分の立場に安心して、わたくしは今まで何もしませんでした。それなのに、どうしてガウリイ様が気に入ってくださるでしょうか。確かにエルメキア城に訪れた頃のわたくしでは、リナさんを非難したと思います。けれど……」
「……」
「けれど、わたくしはリナさんという人を知ってしまいました。責める気は起きません」

 なんとなく、分かってしまった。ガウリイがどうしてリナに惹かれたのか。
 セイルーンの王女であるアメリアが姉のように慕っているのか、も。
 リナの性格からして、相手に正面からぶつかっていくのだろう。たとえそれが王族だとしても。
 王族は国民に慕われているが、彼らよりも一段高い所にいるせいか孤独を感じることが多い。
 だから裏表なく、立場を気にしないで接してくれる人に惹かれるのかもしれない。シルフィール自身も、リナに遠慮なくものを言われて嬉しく感じたくらいだ。
 ずっと王族として寂しさを感じていた者なら、この輝きに惹かれるだろう。

「リナさんがそう言うなら、わたくしはエルメキア城に向かいます。けれど……けれど、リナさんも無事に戻ってきてください」

 時は一刻を争う。だから危険だからとリナを諭すのはやめて、自分にできることをすると決める。
 シルフィールの決意を感じたのか、リナは笑みを浮かべて「もちろんよ」と答えた。

 

目次