第3章 リナとゼロス、そして創世記-1

 城で下働きをしている者たちの朝は早い。まだ完全に夜が明けていない頃から動き出す。特に城内の食事を一手に引き受ける厨房は、ピークの時は戦場のようになる。
 今はまだ余裕があるのか、下働きの女性たちはパンを作るために生地を練ったりしている。
 その傍らでは数人がジャガイモの皮をむき、気軽に会話をしていた。

「そういえば、昨日の夜はリナちゃん来なかったねぇ」
「そうだねぇ。そういやバリーさんが荷物持ったリナちゃんを見たってよ。結構夜遅くまで仕事してるんだなーって言ってたよ」
「それじゃあ、夜食をもらいに来れないのも仕方ないねぇ」

 彼女たちはそこでみんな笑った。
 リナはよく厨房に訪れる。そのため彼女たちと顔見知りというか、結構仲がいい。小さいのによく食べるリナは、彼女たちにすると食べさせ甲斐がある。
 それにこの国の頂点に立っている五聖家の者と親しいのに、気安く話しかけてくるリナのことが気に入っていた。

「お偉いさんの下で働くってのは、見た目はいいけど大変なこともありそうだねぇ」
「本当だねぇ。あたしらは自分の仕事さえ終わってしまえば後は楽できるけど、上の人の様子を見ながら仕事ってのは嫌なこともありそうだよ」
「いっそリナちゃんもこっちの仕事ならいいのにぇ」
「そうそう。あの子舌が敏感だから、いつもいいアドバイスしてくれるし」

 あの明るく元気がいいのがいれば、ここはもっと明るくなるに違いない、と厨房で働く人たちは同じように思った。
「こっちに欲しいところだが、なんせ五聖家の方たちが自ら仕事を指示してるくらいだからなぁ」
「あら、デイルったら聞いてたの?」

 横から口を出した人物は中年の男性で、彼女たちをまとめる立場にいる人物だ。
 気さくな人のため、彼女たちも話しに割り込まれても文句が出ない。

「ああ。そういえばあの嬢ちゃん昨日来なかったのはそのせいだったのか」
「そうなのよ。いつも『なんかあるー?』って聞きに来るのにねえ。結構あれが楽しみだったりするんだけど」
「そうねぇ。そういえば、リナちゃんがここに来たのって、陛下が直々に連れて来たのよね?」

 ふと、リナが来た日のことを思い出して、中年の女性が半分懐かしむ口調で言う。
 他の人たちもその時のことを思いだしていた。

「あーそうそう! あの時は大騒ぎだったねえ。『陛下に愛人発覚!?』とか。で、リナちゃんもまだ子どもみたいだし、その後は陛下の趣味とかいろいろ憶測が出て……。でもリナちゃんはいい子だし、すぐに変な噂はなくなったけどねぇ」
「そうだねぇ。そういえばシルフィール様がいらしたこともあるわね。ちゃんとお妃様になる人がいるんだもの」
「そうそう。だからかしらねぇ。でもねぇ……」
「なによ?」

 ふと、一人が何かを思い立ったように言いかけてやめると、他の一人が気になって尋ねた。

「ううん。なんか陛下はリナちゃんと話をしている時のほうが、楽しそうだなーって思ったことがあったのよ」
「リナちゃんと陛下が直接話をしている時ってあるの?」
「あるわよ。まあ、二人きりじゃないけど、陛下ってシルフィール様と話をしているときより、リナちゃんとのほうが表情が出るのよね」
「ふうん。まあ、陛下直々に連れてきたんだから、気に入ってはいるんでしょうけど」
「でもまぁ、あのならいいと思うけどねぇ」
 後から加わったデイルもリナに対して好意的だった。

 彼らは自分たちの国の王のことも好いている。身分などを弁える気持ちはあるが、上流階級のしがらみなどについては関係ない。その人物の人柄のみで判断していた。
 城の中は細かい所まで身分やその人物の素性がついて回る。そんな中で身元がしっかりしないリナは異質だ。
 ただし、身分だけで考えれば――のこと。
 リナは自分たちでは直接話すことができない五聖家の者たちと話をしている。
 けれどそれに奢ることもなく、自分たちのような下働きの者とも気安く話をして、手のあいている時には手伝ってくれるのだ。
 彼らにとって、リナは他のお偉いさんのように雲の上の存在ではない。
 もちろん厨房を手伝うのは、その日の料理を先に味見できるという下心があるのもわかっている。でも舌が肥えてるのか、味がおかしいと指摘して直してくれるし、味見目当てでも、身分のある者が厨房を訪れることなどないに等しい。
 何か口に入れたい時は、侍女を呼び支度をさせるというのが普通だ。でもリナはそんなことを気にしないで気軽に厨房に訪れる。
 このときは口調も軽めで、ここにいても違和感を感じさせないほど溶け込んでいた。
 そんな上流階級の者にはない気安さが彼らは好きだった。

「今日は来てくれるといいねぇ」
「本当にねぇ。最近はそれが楽しみでもあるものね」

 彼女たちはそんな話をした後、次は下拵えに入るため、剥いたジャガイモをまとめたり、パン生地を発酵させるために低温のかまどに放り込んだ。

「あら?」
「どうしたの?」
「なんか……声が聞こえたような気がしたの」
「声?」
「なんか女の人の声で悲鳴みたいなのが……」

 まだ外は薄暗い。ここは厨房だからこの時間人がいるだけで、外には人気などないはずだ。

「そら耳でしょ」
「そうね」
「気のせい、気のせい」

 そして彼女たちは何事もなかったようにまた仕事に戻った。

 

 ***

 

 リナはガウリイの私室から出ると急いで自分の部屋へ向かった。
 あの後もついガウリイと話をしてしまい、気がつくと空が明るくなってきていて、慌ててガウリイの部屋を後にした。
 本当は、ガウリイとの関係はなにも解決していない。分かったのは互いの思いが一致していたということだけ。
 これからゼルガディスの追求もあるだろうし、お互いの気持ちが他の人にばれないように気をつけなければならない。
 そう思うと、リナは少しでも暗いうちに、ガウリイの部屋から離れなければ、と思い、小走りになった。
 途中で庭をつっきったほうが早いと気がついて、リナは渡り廊下から身軽に飛び降りる。そしてまだ夜明け前で花が閉じている植木の合間をすり抜けていく。
 順調に進んでいた時、少し高くなった垣根の所を曲がるときに、横から出てきた影に驚いて、リナは足を止めた。

「リナさんっ!!」
「し、フィール様……?」
「良かったですわ。誰かいてくれて……」
「どうしたんですか?」

 焦ったシルフィールの表情を見て、リナは何かあったことを察した。
 シルフィールは青ざめた顔をしながら一回深呼吸すると、少し震える声で話しだした。

「それが、早くに目が覚めてしまったので、少し気分転換をしようと思ったのですが、途中で怪しい人たちを見つけて……」
「怪しい人……ですか?」
「はい。声が聞こえてきたんですが、話の内容が……その、王暗殺がどうのといったことが……」
「王暗殺!? ……って、まさか!!」

 シルフィールの震える声を聴いて、リナもさっと顔色が変わった。
 昨日の暗殺は失敗した。その前も何回か失敗している。
 けれど、捕まった暗殺者はことごとく自殺し、結局いまだに裏で糸を引いている人物は分からないままだ。
 幾度となく暗殺者を差し向けては失敗しているため、かなり痺れをきたしている頃だろう。こちらとしても、いい加減尻尾くらいは掴みたいところだ。
 そこへ行けば、どんなやつらか分かるかもしれないと思うと、リナはシルフィールに安全な場所に移動するように言い、シルフィールの言った方向へと向かった。

「待ってください! 一人では危険です!!」
「でも早くしないと逃げられてしまうわ!」
「ですが……っ」
「あたしよりシルフィール様のほうが危険です。早く安全な場所へ……っ!?」

 後ろからついてきたシルフィールを危険だからと城内へと戻そうとするが、シルフィールを戻すより早く、相手のほうに気づかれたらしい。いつの間にかに二人を取り巻くようにいくつかの気配がする。
 慌てて立ち止まって、シルフィールを庇うように立つが、直感的にヤバイと思った瞬間、虚脱感が二人を襲った。
 たぶん『烈閃槍エルメキア・ランス』のようなものだと分かるが、どこから発したのか分からなかった。
 どちらにしろ本調子でないリナは、それだけで倒れるのに十分だった。がくんと膝が折れ、力の抜けた体は地面へと倒れこむ。視界の隅に同じく倒れるシルフィールを見えた。
 そして、その後に聞こえてきたシルフィールの言葉に驚愕した。

「な……ぜ……わた、く………まで……」

 

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