05 「やはり君でなくては」「そのようで」

 平穏な日常というのはそう続くものではない。平穏に慣れた頃には何かとトラブルが起きるものだ。
 それは例外なくJ.F.カンパニー社長室でも起こった。

「いい加減にしてくださいっ!」

 リナはバンッと思い切り重厚な社長の机を叩いた。手のひらがジンジンと痛む。力を入れ過ぎたらしい。
 手のひらをさすりながら、リナは社長であるガウリイを睨みつけた。

「そうは言うけどな!」

 こちらも珍しく声を荒げている。温和な社長で知られている彼にしては珍しい。他の人が見たらさぞかし驚いて、そしてその成り行きを見物するだろう。
 けれど奇しくもそこは社長室。物見高い見物人もいなければ、二人の間を仲裁に入るものもいなかった。

「いいですか、こっちのほうが絶対いいです。社長が考えたプランよりも!!」
「なっ、何を言う!? オレのほうだってなあ……オレだっていろいろ考えて決めたんだ!」

 互いに持っている書類を相手に向けたまま、睨みあって動かない。
 引いたら負け――と思っているのだろう。しかしなんのことでこれほどまでにいがみ合うのか。

「そう言いますが、社長の話には穴があります! そんなことも分からないんですか!?」
「なんだと!?」
「いいですか、今回の出張先のS社はT市です」
「それは知っている!」

 どうやら仕事で出張に出る時の話のようだ。なるほど、社長自ら出張となればかなりのことだろう。失敗しないよう、念には念を入れているに違いない。
 ――と、思われた。

「いいですか、T市に行くにはR市で新幹線を降りてそこからバスでの移動になります」
「それも知ってる」
「その所要時間はおよそ一時間半!」
「なに!? そんなに遠くないはずだ!」
「いえ、それが少々田舎になるので、時刻表で確認したところ、かなりの待ち時間ができてしまうようなんです。乗り継ぎのタイミングが悪過ぎるんですよ」
「なにぃっ!?」

 ガーン、とショックを受けた顔をするガウリイ。
 その表情を見て、リナはニヤリと笑みを浮かべる。

「バスを一度乗り換えないと行けないんです。タクシーを使うと少々交通費が高くなってしまいますし」
「う……乗り換えは知っていたけど、そこまで考えていなかった……」
「で、バスの乗り換えに平均待ち時間がおよそ五十分以上あるんです。帰り時間も今回の仕事内容を予想して見たんですが――」
「――それで?」

 ゴクリ、とガウリイが喉を上下させる。

「社長はS社から近いL町の名のなんでもありの混沌カオス料理というのを食べたいということでしたが――」
「そうだ。面白そうじゃないか」
「面白い……ですかね。まあそれは置いておきますが」

 リナはそう返しながら見たガイドブックを思い出した。
 なんでもありの混沌カオス料理――名前の通り、というか、言ってしまうと闇鍋に近い。その日その日で入るものが変わり、美味しい!と言うしかない時と、不味くて吐き出しそうになる時と落差が激しいという、まるでロシアンルーレットのようなものらしい。
 そんなものをなぜがガウリイは気にいったようである。
 だが、とリナはそんなものは食べたくなかった。

「そこで問題が、このなんでもありの混沌カオス料理は注文してから出てくるまで、かなりの時間を必要とします」
「なに!?」
「ま、当然ですね。いろんなものを入れて火を通すんですし。で、それを待っていると新幹線の駅へ向かうバスにいつ乗れるか分からなくなってしまうんです」
「う……」
「いくら近くてもL町まで行き、夕食を終えてまたT市へと戻ってくるとなると、バスがなくなってしまう可能性が高いんですよ。なんせ一時間に一本あればいいほうですし、夜は七時が最終らしいですし。計画通りにS社を出たとしても、四時は確実に過ぎますからね。そうなるとタクシーになりますが、その場合、自己負担になります」

 勝ち誇ったリナとは対照的に、悔しそうなガウリイの顔。
 しかし、もめている問題はどうやら仕事のあとの食事の話らしいのがなんとも。二人らしいといえば二人らしいのだが。社長室で睨みあって決めることなのか――疑問に思う。

「なので新幹線の駅まで寄り道せずに戻って、そこでR牛のステーキでも――と考えたんです。R牛もグルメ雑誌に載るほど美味しいとのことですから」
「うう……」
「社長のチャレンジャー精神は尊敬しますが、次の日も仕事ですからね。帰って来られなければ業務に支障がでてしまいますよ?」
「…………分かった。今回はR牛で我慢しよう」

 考えること数秒、ガウリイは仕方なく了承する。
 それにリナは満足した笑みを浮かべた。

「かしこまりました。では駅周辺でいい店を探しておきます」
「ああ、頼む。それにしてもそこまで気付かなかった。やはりリナでなくては駄目なようだな」
「そのようで。こちらも意見を聞いてもらえてなによりです」

 一件落着したようで、漂っていた緊張感が消える。同時にお昼休みを告げるチャイムが鳴った。

「あ、どうやらお昼のようですね」
「だな。今日はなにかなー」

 机の一番下の引き出しを開けながら、大きな包みを取り出すリナ。
 ガウリイはそれを見て目を輝かせた。

「いつもと同じ。あまり変わり映えしませんよ。あ、でも今日はデザート付です!」
「なに、デザート!?」
「ええ、スイートポテトですけど。親がたくさん送ってきたんで作ってみたんです」

 応接用のテーブルに置いて包みを開く。ガウリイの分、自分の分をそれぞれ分けて、向い合せに置く。その後は社長室備え付けのポットでお茶を入れて持ってきた。
 その間、ガウリイは食べたそうな顔をしているけれど、大人しく待っている。こういう時行儀がいいな、とリナは感心する。

「お待たせしました」
「き、今日はピーマンはないんだな?」
「ありません。いい加減こちらも社長に食べさせるのにいろいろ考えるのにネタ尽きました」

 ピーマンは香りがきついため、蓋を開けた時からバレてしまう。それを毎回工夫するのは大変なのだ。
 しかも相手は「犬かい!?」とツッコミを入れたくなるほど嗅覚が優れている。

「もー面倒くさいんで入れません」
「やった♪」
「社長が嬉しいと思うのは癪ですが、朝からいろいろ考えるのは面倒なんです。しかも持ってくるのも大変だし」
「それは……すまないとは思うが、食費も出しているし、迎えに行くって言ったのを断ったのはリナのほうだぞ」
「当たり前です」

 どうもガウリイは毎朝一人暮らしの女性の部屋へと訪れるというのが、周囲にどんな妄想を引き起こさせるか分かっていないようだ。
 さらに自分がどれだけ顔が良くて人目を引く分、人の記憶に残りやすいことも。
 しかし、今さらやめることもできずに作り続けていた。はあ、とリナはため息をつく。

「社長」
「なんだ?」
「早くお嫁さんもらってください」

 肉じゃがのジャガイモに箸を突き刺しながら、仏頂面で小声で言う。

「…………は?」
「だからっ! お嫁さんでもできれば、その人にご飯作ってもらえるじゃないですか。それにどっかに顔出すたびに持ってこられる縁談話だってなくなりますよ!」
「えっと……考えたことなかったなぁ。そっか、そうだよなぁ」

 ガウリイはリナと同じく肉じゃがを一口分箸に取ったところで手が止まった。
 その顔は本当に他人事のような感じで、リナはため息がこぼれた。同時にガウリイの過去を思いだす。
 彼は大学の頃の仲間と一緒に会社を立ち上げる準備をして、間もなく会社設立。そのまま社長の座について、会社が安定するまで彼なりに仕事一筋だったという。

(まあ、仕事のことが優先だったんだろうし、それに、まあ年齢的に見ても、まだ急いで探す必要もなかったんだろうし……)

 とはいえ早く誰かとくっついてくれれば、リナの苦労が減るのは確かだ。結婚した女性がガウリイの面倒を見てくれるだろう。
 そう思ったのだが――

「じゃあ、お前さん結婚してくれないか?」

 ガウリイの言葉にリナはピキっと固まる。
 そして数秒後にやっと解凍し始めて、今度は頭に血が上ったのかそれとも内容を理解して恥ずかしくなったのか、耳まで朱色に染め上げた。

「なななななに言ってんのよ!?」
「だってリナならオレのこと良く知ってて、でもって料理も上手で――いいことづくめじゃないか」

 にこにこと、邪気のない笑顔で返されて、リナはやっぱり五歳児だと再確認した。リナが早く結婚しろといった意味をぜんぜん分かっていない。
 目眩を感じつつも、リナはガウリイに向かって怒鳴りつけた。

「あのねぇ! それじゃあ社長の奥さんってのが付くだけでしょうがっ!!」
「うーん……うーん………そっかぁ?」

 社長ともなれば、多少たりとも会社に有利な話を優先させるというのも分かる。
 でも、そこに少しでも愛情ってモノがなければ、結婚生活は成り立っていかないのではないのか?
 少なくとも、リナには、ガウリイに対してそういう感情はない。ガウリイとて、有能だが口うるさい秘書としか思ってないだろう。
 双方にそういった気持ちがないのに、なぜそういう結論を出すのか。

「そっかぁ、じゃないっ! そもそもそんな理由で結婚しようなんて言うな!」
「そう言われても、リナが最初に結婚しろって言ったんじゃないか」
「話をすりかえるな! あれは……あれはあたしが楽になるようにって意味で言ったの! それじゃあ今と全然変わらないじゃない!!」

 リナの怒りは頂点に達し、その後自分の人生を垣間見て、見る間に青ざめていく。
 ガウリイが呼びかける声も聞こえないほどショックで、リナはガタっと席を立った。

(冗談じゃない、それだと自分は一生くらげの面倒で終わってしまう!)

「リナ?」

 ガウリイの声を背に社長室を飛び出して、駆け込んだ先は総務部の人事を担当している人のところだった。

「い、インバースさん……、なにか? 今は昼休みなんですが……」
「そんなことよりお願いがあります! 今すぐ社長秘書を解任してください!!」

 リナの形相は言葉で語れないほど酷かったらしく、人事担当の人は後ずさりながら慌てて首を縦に振った。
 そしてその日のうちにリナは営業部に配属された。これまた異例の異例の人事である。

 

 ***

 

 社長室でカタカタとキーボードを打つ音が響く。
 その横には、のんきな顔をしてJ.F.カンパニー自慢の生き人形『くらげん』と遊んでいるガウリイの姿があった。

「いやあ、やっぱりリナでなくちゃ駄目なんだなぁ」
「――そのようで」

 爆弾的告白の数日後、リナは営業部でも活躍していた。
 が、社長であるガウリイのほうに問題があった。終始ぼけーっとしていると思えば、思いきりため息をつく。

 新しく配属された社長秘書は頑張ろうとしたが、肝心の社長がまったく話を聞かないのでは仕事にならない。結果、社長の仕事は滞り、総務部も新しい秘書にも泣きつかれ、皆で頭を抱えてしまうという有様に陥った。
 数日後には、総務部総出でリナのところに再度社長秘書に戻ってほしい、と懇願しに来るという異例の出来事などがあり、仕方なくリナは社長秘書に戻った。
 戻ってきた時のガウリイの嬉しそうな顔。そして総務部一同――それらを見て、リナはここから逃げられないことを悟った。

 これは後にJ.F.カンパニーに語り継がれる伝説になったという。
 そして今日も社長室で、二人のやりとりは続くのだった。

 

 

結局、最後の最後まで甘い感じにはなりませんでした。
途中でいれた『五歳児』がどうも効いていたみたいです。
これから二人がどうなっていくのかは想像で。

目次