――この女をもっと知りたい。
それが今のオレの願望。
ルビィはルビィなのか、またリナが演じているのか。どちらでもいい。とにかく目の前の女にものすごく惹かれた。
はじめはルナさんに似ているクールなイメージに惹かれた。
でも、彼女の中にルナさんと違う熱い思いや、温かさや、そして悲しみが見え隠れしていて、本当の彼女を知りたくなる。
「また次に会える日を約束してくれないのか?」
また会いたい。ただ行きずりという関係だけでなく。
それにはここで次の約束を取り付けておかなければならない。
「どうして次の約束をするの?」
「どうしてって……また会いたいから」
「前も言ったけど、したいから、じゃないの?」
「違う。ルビィのことをもっと知りたいから」
本当の名前を。心の内に隠れたルビィの本心を。
いきなりは無理だろうが、何度か会えば、少しずつ見えてくるものもあるはずだ。
けれどルビィはそれを聞いて、少し困った表情をした。
「会ってするだけじゃ駄目なの?」
「どうして?」
「どうしてって……」
「さっきルビィは『お互いに自分だけの人に会えればいいね』と言った」
「……確かに言ったわ」
「なら、ルビィにとってオレが、オレにとってルビィが自分だけの人になる可能性だってあるだろう?」
一目見て、すぐに自分だけの人と分かるわけじゃない。付き合ってみて、相手の性格や好みを見てからじゃなければ、分からないことなのだ。
なら、今言ったように、もしかしたらオレにとってルビィが自分だけの人になりえる可能性だってないわけじゃない。
それにオレは今、ルビィに惹かれ初めている。
「あなたが、あたしの自分だけの人になる――と?」
「可能性がないわけじゃないと思う。でもそれが分かるには、もう少し付き合ってみなければ分からないから」
「……」
「だから、今度は普通に会って食事でも行って、普通に話をしてみたい」
明らかにとまどっているルビィに、オレは自分の気持ちを話した。確かに変則的な出会いだったけれど、これ以上進まないと言い切れないこともないと思う。
でもルビィの表情は強張り青ざめてきて――
「駄目。困るわ」
「どうして?」
「どうしても!」
「でもオレは……もっとルビィのことを知りたい」
「……っ!」
何かを怖がるかのようなルビィに近づいて、そっとその柔らかい頬に触れた。いったい何に怖がっているのだろうか。
前の恋の悲しみ?
最初に会った頃のルビィとはまるきり雰囲気の違う彼女。そこまで前の恋は彼女を傷つけたのだろうか?
俯いていて表情はよく分からないが、触れている指先から、かすかに小さく震えているのが分かる。これ以上あまり自分の言い分を通すのはまずいだろうと直感で悟った。
そのためそれ以上説得するのをやめた。
「なら、今日みたいなのならいいのか?」
会ってただ体を重ねる、それならいいのだろうか。
でもそれは、男にとって都合のいい女でしかならないのに。
けれどルビィは小さく頷いた。そして、来週また金曜日に『リトル・エデン』に夜十時までいるわ、と呟いた。
それ以上何も言えず、オレはルビィを促してホテルを後にした。
***
次の日は、昨日の雨が嘘のように青空が広がっていた。
オレは花屋に寄ってカウンタにでも置けるようにと、バスケットに綺麗に飾り付けられた花かごを一つ購入した。
そしてこの辺では美味しいといわれるケーキ屋さんに寄って、ケーキを数種類買った。
五万には足りないが、現金で渡すよりはこの方が見栄えがいいだろう。そう思いながら、『カノン』へと足を向けたが、その後リナはそういったものよりお金が好きだというのを思い出した。
うーん……お祝いに現金も多少包んだほうが良かったんだろうか。
いや、待て待て待て、そんなことをしたら、更に卒業祝いまで取られそうだ。少し甘くするとすぐに次の要求が来る。ここはまず花とケーキで様子を見て――が妥当だろう。頭の中でいろいろ考えながら、リナの店に向かった。
木の扉には『CLOSED』という札がかかっていて、どうしようかと迷ったが、ドアノブを回し引くと開いたため、そっと足を踏み入れた。
「誰?」
「あ、オレオレ」
「なんだ、ガウリイか」
「なんだはないだろう」
「まだ店は開いてないわよ」
「あーすまん。だけど開店祝いを持ってきたんだが……」
開店祝いという言葉を聞いて、「なになに?」と目を輝かせる。
カウンターの奥から出てきて、持っていた花かごを見て、「これ? これなの?」と尋ねる。
オレはその花かごをリナに渡して、それと買ってきたケーキも手渡した。
リナは花に対しては喜んだけど、ケーキに関しては少しふくれっ面で文句を言う。
「うちは喫茶店なんだからね。種類は少ないけど、ケーキくらいあるわよ!」
「あー……すまんすまん」
「ま、いいわ。まだ開店まで時間があるから、それまでに食べて、もし残ったら持って帰りましょっと」
リナはそう言うと、花かごはカウンターの奥に飾って、ケーキの箱をいそいそと開け始めた。
「うひゃー、六個もある♪ 今三個食べてー、帰ってから三個。うん、そうしよう」
ケーキを見て計算しているリナに呆れながら。
「おいおい、オレには一つもくれないのか?」
「あら、だってこれお祝いであたしが貰ったんでしょ?」
「そりゃそうだが……」
「なら、あたしが一人で食べても問題ないわよね?」
「……そういう意味じゃなくて、『せっかく持ってきたんだから、一緒に食べましょう』とか、かわいく言えないのか?」
「どーせあたしはかわいくないですよ! ま、とりあえずコーヒーくらいは淹れてあげるわ。座って」
リナは小さな舌を出してあかんべをすると、ケーキの箱をカウンターのテーブルの上に置いた。
しばらくするとコーヒーの香ばしい香りが室内を満たしていく。
リナはコーヒーを淹れるのに集中して、お互い何も話さず静かなひと時を共有する。付き合っていた頃にはなかった穏やかさがそこにあった。
リナがそれだけ大人になったのだろうか?
目を瞑り、過去を振り返ると、リナに振り回されている自分の姿が目に映る。
けれどそれは決して嫌なものではない。
年下の女の子に振り回されているのに、それでも楽しかったと、今では思える。
「はい」
カチャ、という音とともに現実に引き戻されて視線を上げると、優しい目をしたリナと視線が合う。
ああ、こんな表情もできるようになったのか、と思いながら、ありがとうと言って受け取った。ケーキの話も冗談で、オレの分もちゃんと出してくれる。
確実に時の流れを感じながら、オレはリナに淹れてもらったコーヒーに口をつけた。
今のリナならうまく付き合えるだろうか? でも今は気になる女性ができてしまった。
そう、ルビィが。本当の名前も知らないけど――
「は? ルビーがどうかしたの? もしかして卒業祝いはルビーの指輪とかネックレスとかそういったもの?」
「あ、いや、そうじゃなくて……あ、えと……その……」
気がつくと声に出ていたのか、それを聞いてリナが尋ねるものだから慌ててどもってしまう。
リナは不思議がっていたが、オレは笑って誤魔化すしかなかった。
リナはオレの想いを知っているはずだ。なのに、別の女の名前が出てくるのは、あまりいい気分ではないだろう。
「ま、あんたがくらげだってのは昔からのことだもんね」
「はは……」
「でもちゃんと使わないと老化が激しそうねぇ?」
「あのなあ……」
こういうところはやはりリナだなあと思う。
頭の回転が速くて、ぱっと相手に対してダメージを与えるような効果的な言葉を言えるのは、ある意味すごい。
うん。違う。ルビィはこんなこと言わない。
オレはルビィ、イコール、リナという図式を考えるのをやめた。
「どうしたのよ?」
「いや……そういえば、話を変えるけど、リナは『運命的な出会い』とか信じるか?」
「運命的な出会い……また胡散臭さぷんぷんな話ね」
「おひ。そう言っちゃうと身も蓋もないだろうが」
デリカシーがないなあと思いながら、コーヒーを一口。ほろ苦さが口の中に広がった。
リナはフォークでケーキを一口大にすると、パクッと口に放り込む。もぐもぐと咀嚼し飲み込んだ後、やっと口を開いた。
「そう言われてもねぇ。本人がそう思い込んでいるだけってのもあるし」
「それはとりあえず置いといてさ」
「いや、そう言われても。だって本人が運命だって思っているだけで、実は用意周到に張り巡らされたものだって可能性だってあるんじゃない? 一方的に相手のことを知っていて、劇的な登場を狙っていたりとか。知らないのは運命の出会いだって思い込んでいる本人ばかりのみ――なーんて」
おいおい、そこまで裏を考えなくても……と思うようなところまでリナは口にする。
その内容に辟易しながら、「いや、そこまで言われると、ほんっとうに身も蓋も何もかもないんだけど……」とうなだれながら答えた。
「そりゃそうね。じゃあ、言い方を変えて……、本当に『運命の出会い』なら、運命とか必然とかじゃないって思っても、その人と何回でも出会うんじゃない? 相手も自分も嫌だと思っても」
「運命とか必然とかじゃなくても……か」
リナの言葉はオレよりも現実的で、けれど、なぜか心に響いた言葉だった。