07. 言えなかったことば

 『運命の出会い』はあるか? という問いに、リナは真面目な顔つきになって、オレにこう答えた。

「でも、本当に『運命の出会い』なら、運命とか必然とかじゃないって思っても、その人と何回でも出会うんでしょうね。相手も自分も嫌だと思っても」
「運命とか必然とかじゃなくても……か」

 リナの言葉はオレよりも現実的で、けれど、なぜか心に響いた言葉だった。
 本当は気安く『運命』などという言葉で片付けてはいけないんだろう。誰しも未来のことなど知る術はないし、運命なんてなおさらだろう。

「あたしは『運命の出会い』なんて今はもう信じてないわ」
「リナ?」

 ふっ、と遠くを見るようなリナの視線。それにもう信じないという言葉が印象的だった。
 だからつい、「どうして?」と尋ねてしまう。

「ガウリイとあたしは過去付き合ってたわよね?」
「あ? ああ」
「そう、付き合っていたし、今も姉ちゃんという繋がりもある」
「……そうだな」
「正直に言うと、まだ高校生だったあたしにとっては、同い年の男の子たちより姉ちゃんに紹介された大人のあんたのほうが新鮮で、『これって運命的な出会いかしら?』って思ったわ。でも、そうじゃなかった。もしそうなら……別れないものね」
「そう言われると痛いんだが……」
「だからね、そこから『本当の運命の出会い』だって、言えるようにするのは本人たちの努力じゃない?」
「努力?」

 リナは人差し指を立てて、少し自慢げにリナの考えを話す。
 けれどリナの言う『努力』というのが分からなくて、オレは鸚鵡返しに呟いた。
 その反面、心の中では、リナが最初の頃オレのことをそう思っていたんだ、というのが聞けて意外というか新鮮な気持ちだった。
 そういえば、オレのほうは制服を着たリナを見て、その頃に戻ったようで懐かしかった。

「そ、努力。側にいたいなら、それなりの努力をしないといけないんじゃないかな。昔を振り返ると、付き合っていた時はまめに連絡とりあってたけど、別れちゃったら連絡一つなかったもんね。そんな風にしたら、接点なんてなくなるのは当然だし、運命なんて言葉もどこかへ吹き飛ぶわねー」
「まあ……そのことについては置いといて」

 思っていても意思表示をしなければ始まらない。少なくとも、オレの想いは自分から口にすることなく終わった。
 それを考えれば、想いを口にして一緒にいられる努力をしなければ、いくら自分が運命の出会いだと思っても、相手は離れていってしまうだろう。

「そう思っちゃうと、結局、運命の出会いなんて思うのは、出会った時に相手に好意を感じた時に起きる現象じゃない? ついでにいえば、本当に運命に相手にしたいなら、その後もそうなるように努力しなければならない――と、まあ、あたしはそう思うわけよ」
「はいはい。それにしてももう少し真面目な顔で真面目な口調で言ってくれると、いい話しとして聞けるんだけどな」
「ふんっ一言余計よ」

 ふくれっ面になったリナは幼い顔立ちが更に幼く見えて、妙に可愛らしく吹きだしたくなる。
 どうにか笑いを堪えているところに、電話のベルが鳴った。リナは「ちょっとごめんね」と言って、立ち上がってカウンタの入り口にある子機を取った。

「もしもし? ああ、ゼルじゃない。どうしたの?」

 ゼル……誰だろうか? 初めて聞く名前だ。

「うんうん……え? ちょっと待って」

 にこやかに話すリナを見て、ゼルという名前を聞いて新しい彼氏なんだろうかという考えに思い当たる。
 途端にちくちくと痛む胸。
 馬鹿な。オレたちはもうとっくの昔に別れたのだから、今リナが誰と付き合ってもおかしくないし、口を出す権利もない。
 もやもやした思いを抱えていると、リナは立ち上がりカウンタの奥に入っていく。備え付けの高い棚に用があるらしく背伸びをして開けるが、中を見れる高さではない。
 受話器を片手にきょろきょろと周りを見回し、踏み台になりそうなものをその棚の下に引き寄せて、それに乗っかって中を確認しようとした。
 けれど背伸びをしても完全ではなくて、しかも片手は受話器を持っているため、ふらふらと危なっかしい。見ていられなくて、オレはカウンタの中に入りリナを抱えた。

「うきゃあ! なにすんのよ、ガウリイ!?」
「こっちのほうが高くて見やすいだろうが」
「そうだけど……」
『おい、何かあったのか?』

 リナを抱えているおかげか、電話の相手の声がオレの耳にまで届いた。
 相手の男の声にオレは記憶がない。誰だろう?
 考え込んでいると、リナからかすかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。これは香水とかじゃなくて、ケーキを作った時に使ったバニラエッセンスの香りだ。リナらしい香りになぜかほんの少し落ち着いた。

「あ、ちょっとね。で、えと……クローバーシリーズのカップだっけ。――は、問題ないわ。ないのはアリスシリーズのよ。この間割っちゃってね」
『そうか。クローバーシリーズのものなら注文しようと思っていたから、リナのことを思い出してな。違うシリーズなら仕方ないな』
「そうね。でもわざわざありがとう」
『いや。ああそうだ。来週の金曜日なんだが、空いているか?』
「空いてるわけないでしょう。お店開けるもの」
『そうだったな。それじゃそのうち飯でも食わせてもらいに行くとするよ』
「ええ、ぜひ来て頂戴。それじゃ」
『じゃあな』

 電話の相手は割りと淡々とした口調でリナに対する甘さはなく、ほぼ用件のみで終わった。そのためリナとどういう関係にあるのか分からない。
 なんとなくもやもやした気持ちを抱えていると、子機の電源を切る音がして、その後はリナの怒った声が上から降り注いだ。

「ちょっと! いきなり何するのよ!? ってぇか、下ろしなさいよ!」
「ああ、すまんすまん。なんか見にくそうだったからな。相変わらずリナはちっこいなー」
「ちっこくて悪かったわね」

 背が低いのが悪いというわけじゃないが、リナからすると平均より低い身長はコンプレックスのもとらしい。見上げると頬を赤くして怒っているリナの顔が見えた。
 こういう時のリナはあまり昔と変わらないな、と懐かしんでいると、頭をごつんと拳で殴られる。うん、凶暴なところもやっぱり変わっていない。
 でもって、やっぱりリナは小柄だよな。ルビィと同じくらいか。そういえばまだ細いけれど、付き合っている時よりは肉付きが良くなった。いや、柔らかく、より女性らしい体つきになったというべきか。
 昔を懐かしみながらも、これ以上殴られるのもたまらないため、リナを床に下ろした。
 その時に、髪をまとめているため首筋が間近で見えた。白い肌に一部分だけ色の違う箇所――それがキスマークであるのは一目瞭然だった。
 なんとなく信じられなくて、その場所を指で触って確認しようとする。もちろん色づいているだけなので、触れても意味などないが――

「うひゃあっ!」
「あ……」
「いきなり何すんのよ!?」
「ここ」
「へ?」
「キスマーク」
「……っ」

 触れたところに手を当てて、慌ててオレから離れるリナ。なぜかその温もりがなくなったのが寂しくて、オレは自分の手を見つめた。
 それと同時に胃がムカムカしているような感じを味わう。
 なんだろう、とても嫌な気分だ。

「なあ、彼氏ができたのか?」
「なによ、いきなり……」
「だってそれ……」
「べっ別にあたしに彼氏がいようがいまいがどうでもいいでしょ!」
「それはそうだけど……」

 分かっている。リナとの関係はもう終わっていることが。
 なのに、なぜこんなに苛つくんだ?

「一体どうしたのよ?」
「え?」
「すごく、怖い顔してるわ」
「……」

 リナに言われて、眉間にしわが寄っているのに気づいた。
 リナに彼氏がいるというのは、それほどショックでまた心をざわつかせたのだ。
 なんでだ? 一時は付き合っていたからか? それとも、いつまでもリナがオレのことを好きだと、どこか心の中で奢っていたのか?
 軽くよろめきながら、それでも真実を知りたい気持ちが勝る。リナの腕をぎゅっと掴んだ。

「そんなことよりいるのかよ!?」
「痛っ……だから! そんなのガウリイには関係ないでしょう!?」
「ある! オレたちは……っ!」
「あたしたちの関係はもう終わってるわ!」

 オレが言い切るよりも早く、リナは今のオレたちの関係を突きつけた。
 そんなの分かってる。
 でも……でも……っ! なぜかその言葉を肯定したくない。

「終わりにさせたのはリナだろう!? オレは……っ!!」

「なによ、それっ!? あたしはっ……あんたがずっと姉ちゃんを……っ!」

 リナはそこまで言いかけてはっとなり、慌てて口を押さえ顔を背けた。

「リナ……?」
「帰って!」
「リナ!」
「帰ってよ!」

 リナはオレを押し出すように小さな手で押した。その力はどこか弱々しい。
 こんな非力な力ではオレは動きはしないと分かるだろうが、それでも、そうせずにはいられなかったんだろう。

「帰ってよ……あんたなんて嫌い、なんだから…………に、なるん、だから……」

 切れ切れに呟きながらオレを叩くリナを見て、オレはどうすることもできずにリナの前から立ち去った。

 

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