01. 覚めない夢

 久しぶりに女を抱いた。恋人ではない、バーで出会った行きずりの女。
 小柄で童顔でまだあどけなさが残るが、話をしている時に見せる笑みは大人びていて、彼女の年齢はいまいち掴めない女だった。だからまだ十代の少女なのか、それとも幼く見えるだけで実は二十代の女なのか、よく分からない。
 ベッドでのことも、経験がないわけではないらしいが、ところどころに慣れない初々しさが残る。
 その女は自分が想いを寄せる人にどこか似ていていて、黒いおかっぱのストレートの髪、ルビーのような赤い綺麗な瞳。
 どこか知っているような感覚に陥る、不思議な、不思議な女。
 だから声をかけた――

「んあっ……もう……っ! っあっ、ああああぁっ!!」

 軋むベッドの音の中に女の悲鳴が重なる。
 限界が来たのだろう。組み敷いた体が大きくのけぞった。それに合わせて、自分自身も欲望を解き放つ。お互い荒い息を繰り返し、汗ばんだ女の頬にかかった髪を払った。

「重いわ」
「ああ、すまん」

 女は腕に力を入れて重さを感じさせないようにしないと、潰してしまいそうなほど小柄で華奢だった。
 少し余韻に浸りたかったが、女が不満を口にしたため、彼女の中から出て離れると、不要になったそれを外して近くのゴミ箱に放り投げた。
 女は起き上がると、ことの前に羽織っていたバスローブを拾い上げて、ばさりと羽織った。

「どこへ行くんだ?」
「シャワーを浴びるのよ」
「もう、か?」
「二回もすれば充分でしょう?」

 女は振り返って艶やかな笑みを浮かべると、ベッド脇から足を下ろす。
 確かに女のほうからすれば二回もやれば充分かもしれない。けれど久しぶりに火がついた男としてのオレには、なぜか物足りなく感じた。
 なによりこの女は想いを寄せる人に似ていて、過去付き合った女にも似ていた。

「ちょ……」
「まだ足りないって言ったら?」
「その体力と性欲は褒めてあげる。でも何事にもほどほどって言葉があるのよ」
「ほどほど、ね。見知らぬ男にここまでついてきて言うセリフじゃないと思うが?」
「……」

 女は何も言わず抵抗もしなかったので、そのまま引き寄せて再度組み敷いた。
 甘い、この女を貪るために――

 

 ***

 

 それは偶然だった。最近残業続きだったのに、今日はたまたま早く終わり、そのまま帰るのがもったいなくて、そのまま以前よく通っていたバー『リトル・エデン』に向かった。
 カウンターにはこの女がいて、一人でカクテルを飲んでいた。小柄で華奢な体を隠そうとしない体にぴったりと張り付くような黒い服。胸が少々足りない気もしたが、それでも下手に太った女が着たら、この服は台無しだろう。
 オレに対してマスターが「いらっしゃい。久しぶり」というのを聞いて、黒い肩までの髪が揺れたのが見え、次に印象的な大きな赤い瞳と出会う。
 つくづく赤い瞳に縁があるようだ。想いを寄せる人も同じように赤い瞳だったし、昔付き合った女性も赤い瞳だった。この色に、オレは弱いらしい。
 女はオレを見た後、笑みを浮かべてそのまま小さな唇をカクテルグラスにつけた。半分透明の液体が、その小さな口に流れ込んでいく。

「なに飲んでるんだ?」

 不意に出た言葉。
 女も驚いたが、オレのほうも驚いた。
 ナンパをしようと思ってこの『リトル・エデン』に来たわけじゃない。ただのんびり飲みに来ただけだ。
 それなのに、この女に惹かれるものを見つけ、自分の意思よりも先に言葉が出てきたのだった。

「『カジノ』よ」
「ずいぶん危険な名前のカクテルだな」
「そうかしら? スリリングで楽しいと思わない?」
「そうか?」
「じゃあ……これを飲んで賭けていたの。誰かあたしに声をかけるか。または飲み終わるまで誰も声をかけないか」
「へえ」
「……って言えば満足?」

 女は面白そうな顔で言うと、残りのカクテルに口をつけた。
 一気に飲み干す、などという豪快さはない。上品に少し口に含んで嚥下するとオレを見つめた。

「もしそうなら……オレは賭けに勝ったと見ていいのかな?」
「どうかしら? 好きに解釈すればいいわ」
「じゃあ、そうさせてもらう」

 オレは女の隣に腰を下ろし、ウイスキーを注文した。ついでに女のほうもそろそろ終わりそうだったため、奢るといってカルーア・ミルクを一つ追加する。
 どうも女は試しに面白そうな名前のカクテルを頼んでみたが、甘くなかったため少しずつ飲んでいたらしい。本当は甘口が好みだと言った。
 そのまま一時間ほど飲んでから『リトル・エデン』を出ると、女を連れて近くのホテルへと向かった。

 

 ***

 

 女はバスルームから出たときはもう化粧を直していた。
 化粧直しをした割には身支度が早いな、と思いながら、オレも続けてバスルームへと向かう。
 その前に一緒に入らないか? と聞いたのだが、化粧直しをしたいからという理由で断られてしまった。女らしい理由だな、と思いつつ、オレは事後の余韻に浸っていた。
 久しぶりの感覚はいつしか馴染み心地良いものになった。
 けれど、今夜限りでこれが終わってしまうのも寂しい。なければないでいられたのに、下手に目覚めさせると後が厄介だと苦笑するしかなかった。
 バスルームから出ると、女は備え付けのテレビのチャンネルをリモコンで弄っている。画面の向こうでは女が顔をアップにして喘ぎ声を上げている姿が映っている。

「面白いのあったか?」
「ないわ。散々したもの。今更こんなの見ても仕方ないわ」
「まあ……そりゃそうだ」

 先ほど楽しんで満足したせいか、テレビに映る他の女を見てもその気にならないな、とわずかに苦笑する。
 そうこうしていると、女が振り返った。

「もう支度できた?」
「あ、ああ」
「じゃあ出ましょう」

 女はスプリングコートを羽織るとバッグを持って入り口へと向かった。
 女にすると、オレは男を引っ掛けに来て見事にはまった男なんだろうか、と今更ながらに自分を客観視した。
 それほどにこの女はコトの後でも自分のペースを崩さない。淡々としていて、やることをやったからすっきりしたという感じだ。
 それがなんとなく癇に障ったのと、想いを寄せる人にすげなくされた気がして、オレは出ていこうとする女の腕を取った。

「また、会えないか?」
「今夜限りじゃないの?」
「また会いたくなった」
「したくなった、の間違いじゃなくて?」
「どちらでも」

 オレは自分の欲望を抑えずに答えた。どんなに取り繕っても相手の名前さえ分からないのに、下心がないなどという言い訳は通用しない。
 女はオレがはっきり言ったのが気に入ったのか、くすっと笑った。

 ――あ、この女、笑うと幼くなるな。

 小柄で華奢で童顔で――でも瞳には大人びた色が混ざっていて特に気にしなかったのだが、笑うと少女のように幼く可愛らしくなった。

「はっきり言うのね。まあいいわ。来週金曜日夜十時まで『リトル・エデン』にいるわ。会いたかったらそれまでに来るのね」
「金曜夜十時までに『リトル・エデン』……と。もちろん行くさ」

 忘れないように慌てて手帳に書き込んで、女を見て笑う。
 女もその様子に笑い、オレたちはホテルを後にした。

 名も知らない女。
 想い人に似た不思議な女。
 とても印象的な女。

 でも……
 また会いたいと思った。

 あの一夜が夢なのか、または現実が夢なのか。
 その後、オレは何かあるたびにその日のことを思い出し、何とか次の週の金曜日まで過ごした。

 

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