紅 22

 朝、小鳥のさえずりによりガウリイがまず目を覚ました。
 そして、目の前にいる小さくて愛しい存在に、ガウリイは嬉しくなって目を細める。

「リナ」

 名を呼んで、彼女の顔に優しく唇を寄せる。
 まずは頬に数回。そして、額、鼻……数回口付けると、くすぐったいのか、浅い眠りにいたリナは薄く目を開けた。

「リナ」
「……ん……ガウリ……?」

 昨日泣きつかれて眠った記憶が飛んでいるリナは、どうして目の前にガウリイがいるのかとまどった。
 しかも今見ているガウリイの表情は、二年前の別れる前に見た優しいガウリイの笑みで、ここ最近見ていないもの。

「おはよう、リナ」
「おはよう……ガウリイ。……ってどうして!?」
「どうしてって……リナが泣きつかれて寝ちまったから、こうしてベッドに運んだわけだけど」
「え!?」
「しかもオレの服握って離さないしー」
「ええっ!?」

 ガウリイはからかうように言うと、リナの頬が一瞬にして朱に染まった。
 おぼろげながら覚えているのは、この部屋でガウリイを待っていたこと。
 そして、ガウリイが入ってきて――その後は、嬉しい気持ちや困惑がごちゃ混ぜになって、気づくと今まで溜めていた想いが溢れた。

(うわああああ! あっあたしなんかすごい大泣きしたようなっ!?)

 ガウリイの温もりが気持ちよくて、久しぶりに見る昔の優しいガウリイで、そんな彼にしがみ付いた。
 一気に昨夜の記憶が甦ると、リナは恥ずかしさから逃げたい心境に駆られた――だけでなく、実行しようとした。
 勢いよく飛び起きて、ベッドから足を下ろす。素足に床が触れると冷やりと冷たくて、足を軽く上げてしまう。そこに昨夜と同じようにガウリイが後ろから抱きしめた。

「ガウリイ?」
「どこにも行かないって約束しただろうが」
「……だったら、からかわないでよ。あたし、そういうの苦手だって知ってるくせに……」
「少しくらいいいだろう。二年間待たされたんだし」
「う……」
「考えてみれば本当に酷いよなぁ。天国から一気に地獄だぜ? あの夜すごく嬉しかったのに。覚えてなくても、次の日の喪失感といったら……昨日まではリナを抱いても、心がないから余計虚しかったし……」

 自然に抱きしめる手に力がこもった。その力を感じて、リナはガウリイの腕に手を添えた。

「……ごめん」
「悪いと思ってるならどこにも行くな」
「ごめん!」

 リナは自分のことばかり考えていて、ガウリイやシルフィールの気持ちを全然考えていなかったことを改めて感じた。
 自分がいいと思ってした行動は、明らかに二人の人間の心を深く傷つけたのだ。

(もうこれ以上、自分のために他の人を傷つけちゃいけない――)

「ごめんね。ガウリイ」

 リナはガウリイの腕の中で何とか反転してガウリイに抱きついた。

「リナ……」
「もう、逃げない。それに、あたし我が儘だから……もう絶対あんたを離さない。あんたが嫌がっても離してなんかやらないんだから……」
「そりゃこっちのセリフだ」

 リナは照れながらガウリイの目を見つめた。

(ああ、久しぶりに逃げずに視線を合わせた気がするわ。自分の体のことを知ってから、どこかガウリイから逃れようとしていたんだ……)

 でもおかしいのが、あれだけそう思って逃げていたのに、面と向かい合ったら照れくさく感じるけど、ガウリイを怖いとは思わなかった。
 それより久しぶりに見るガウリイの瞳は、高い秋の空のように澄んでいて、彼が変わらずにいたということを物語っていた。

「あんたがあんたのままで良かった……」
「リナも本質は変わってないだろ」
「え?」
「照れ屋で意地っ張りで、でも妙なところで優しいんだよな」

 ガウリイの『優しい』の一言でリナの頬がまた朱に染まる。

「う、うっさいよ! 大体なんの根拠があって……」
「リナ、今さっきオレとシルフィールに悪かったって思ったろ?」
「………………なんで分かるのよ?」
「やっぱりな」
「……っ!」

 図星だったため、リナは言葉に詰まる。
 そんなリナを見て、ガウリイはくすっと笑う。

「そういうとこが、だよ」
「うっさい! くらげの癖に妙にカンだけはいいんだからっ!!」
「まあまあ。それよりゼルたちが待ってるだろうから飯食いに行こうぜ」
「ゼルたち?」

 そういえばすっかり忘れてた、とリナは思い出した。
 そのため、ガウリイは彼らに荷物を預けてあることを話した。また、シルフィールが朝食堂で待っていると言ったことも。
 その話を聞いて、リナは青ざめて慌てて食堂へ行こうと促した。ゼルガディスはともかく、アメリアあたりは素直に食堂で待ってくれなさそうだとリナは推測したからだ。

(――少しでも遅くなれば、その分からかわれる率が高くなる!)

 そのため、早く食堂に行くためにと、ガウリイから離れようとしたときだった。
 突然、思い切り開かれた扉。

「リナッ! ガウリイさん! 朝ですよーーっ!!」

 意気揚々と扉を開けたアメリアに、なぜか楽しそうなシルフィール。ゼルガディスだけは、恋人たちの部屋に殴りこむのは忍びないとばかりに目を逸らしていた。
 その様子を見て、リナは遅かったことを知る。
 しかもまだ、ガウリイはリナの背に回した手をそのままにした状態だ。それをアメリアが見逃すはずがない。

「二人が遅いんで来ちゃったわ♪ でも、お邪魔だったかしら? リ・ナ・?」

 分かっている癖に楽しそうに尋ねるアメリアに、リナは内心舌打ちする。
 絶対からかわれる。この後も、ことあるごとにこのことを持ち出し、アメリアは自分をからかうだろう――そう思うと、いまだ自分の背に手を回しているガウリイを恨めしく感じた。
 そしてシルフィールが更に追い討ちを立てる。

「残念ですわ。抱き合っているけれど、服を着たままなんて……」

 手を頬に添えて、本当に残念……といった表情をしながら。
 とても昨日リナに対して、あれだけの思いをぶちまけた同一人物とは思えない。

「し、しるふぃー……る??」
「せっかく記憶球メモリー・オーブまで用意しましたのに」
「本当ですね。でもせっかくだからこれだけでも記録させてもらいましょう」
「そうですわね。あ、ガウリイ様、リナさんを離しては駄目ですよ?」
「あ、ああ。わかった」

 楽しそうな二人の姿に、リナは記憶球に自分のこの状態を記憶させられるのだとやっと理解すると、ちゃっかり返事をしているガウリイを思い切り突き飛ばし、宿の外まで響くほど大きな叫び声をあげた。

「ああああ、あんたら何考えてるのよおおおおおぉぉぉっっ!!」

 宿の壁がビリビリと振動したが、それでも騒ぐだけで呪文を使わなかったのは、宿にとって幸いだったかもしれない。

 

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