第12話 伝え忘れていた言葉

 複雑な思いを抱えつつ、それでも後ろから抱しめているシュクルに体をあずける。背中に感じる熱が心地よくて自然と目を閉じた。
 シュクルはミアディに対して見返りを求めない。かといって突き放すわけではない。
 ただ、ミアディのあり方を正そうとすることはあっても、何かを強要したりしない。個人として扱ってくれるし、ミアディの意思も尊重してくれる。
 そのような扱いに慣れていないため居心地に悪さはあるものの、大事にしてくれているのだというのは純粋に嬉しい。

(これが、幸せ……なのかな?)

 ミアディは自問していると、鍋から汁が吹きこぼれ、じゅわっという音と少し焦げて香ばしい匂いが漂う。

「あ、ご飯っ」

 鍋の状態を見て、思わず呟いてしまう。シュクルもそれを見て、「すまなかった」と言ってミアディを放した。
 慌てて木の蓋を開けると、いつもより煮詰まって水分が少なくなった雑炊が見える。おたまで雑炊をかき混ぜると、底の方が少々焦げ付いていた。

「ごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だから」
「でも」

 食事の支度中に邪魔をしたのは自分だからと言うシュクルに、ミアディも自分が目を放したから悪いと主張していては平行線だ。
 ミアディは「でも」と言ったものの、しばらくして。

「じゃあ、その、おあいこってことで……」
「そうだな」
「……はい」

 二人とも悪いということで話がつき、それからすぐに雑炊をお椀によそる。
 それから横で沸かしていた焼かんから急須に湯を入れ香草茶を湯呑みに注いだ。すこし香ばしい香りと、爽やかな香草茶の香りが辺りに漂う。

「どうぞ」
「ありがとう」

 いつもどおり、囲炉裏の前に座り、二人の間の角の部分に漬物や野菜の小鉢を置く。それらを摘まみながら、主食の雑炊に箸を付けた。

 食事が終わる頃、シュクルはミアディに話しかけた。

「なあ、今日は母さんの所へ行ってくれるか?」
「エマさんの所へ?」
「……ミア、母さんだ」
「あ、はい。お義母さん、でした」

 エマがミアディのことを本当の娘のように思っていることを知っている。だから、さん付けで呼ばれると悲しいという。
『せっかく本当に娘になったのに』と。
 その後、未だにそう言われるのは、お前が甲斐性なしだからだと責められるのは理不尽だったが、ミアディにそう思われていないのだから仕方ない――と思い、言い返せないのだった。
 という裏事情は置いておき、シュクルはミアディに母の所へ行くようにと言った。エマも父のクトカも、ミアディを安心して預けられる存在だ。
 村の人たちに対しては余りいい印象はない。天つ人を利用しているのが見え見えだからだ。
 結局、シュクルも村の人たちをほとんど信用していない。

「俺は剣を研ぎ直すのに父さんの力を借りるから、しばらくは仕事をしないで向こうの家での作業なんだ。母さんもミアの顔が見たいと言っていたからな。ミアも行けば、家族みんなで過ごせるだろ?」

 シュクルはどうして急にエマの所へ行くようにと言ったのかを言い繕っていたのだが、ミアディはそう受け取らなかったようで……

「かぞく……」

 小さく呟いて口許に手を当てたあと、軽く俯きながら少しずつ頬が赤味を増していく。

「ミア?」
「……あ、えっと……その……」
「どうした? 調子が悪いのか? なら無理にとは言わないが」

 無理をさせた自覚があるため、まずはミアディの体を気遣う。
 無理をしてでも連れて行こうと思わないのが、シュクルの母であるエマに言わせると『甲斐性なし』『押しが足りない』『肝心な時に逃げ腰』と揶揄される原因だ。
 だが、シュクルの心配を余所に、

「家族……って、言っていいんですよね……」
「……え、ああ、当たり前だろう?」
「…………はい。……あ、でも……」

 頬はさらに紅潮し、目尻に涙を溜めている様子を見て、ミアディが本当に喜んでいることに驚いた。
 今まで散々家族なのだからということを言ったはずなのに、なぜかミアディに伝わっていなかったのだろうか。
 それに『でも』という言葉が気になって疑問に思ってつい訊ねてしまう。

「ミア、何度も言ったはずだ。父さんも母さんもミアのことを自分達の娘のように思っている。なのに、どうして遠慮するんだ?」

 シュクルはまっすぐにミアディの目を見る。
 睨んでいるつもりはないのだが、真っ直ぐなシュクルの視線に、ミアディは居心地悪く感じたのか、そっと目を伏せる。

「ミア?」
「家族が……できるのは、嬉しい……です。でも……わたしが傍にいるとみんな居なくなってしまう……気が、して……」

 途切れ途切れに聞えてくる言葉、それに小さく震える体――それを見て、シュクルは改めてミアディの過去を思い出した。

(ああ……、ミアはまだ……)

 幼いながら家族を失うということは、少ないことではない。
 ちょっとしたやまいや、村から出た時に魔に襲われることもあるからだ。そういった事実があると知っても、身内を亡くした者にすれば哀しいものは哀しいし慰めにもならない。時が癒してくれるのを待つしかない。
 ただ、ミアディの場合は、哀しむより先にミアディ自身に色々なことが起こりすぎて、まだ気持ちを整理することが出来ていないのだ。

「ミアが……」

 シュクルが口を開くと、ミアディは伏せかけていた目を開けてシュクルを見上げた。

「ミアが思っているより、俺の家族は頑丈だ」
「……えっ?」
「父さんは未だに俺ひとりに任せておけないって復帰しようとするし、母さんはいつも口うるさいくらいハキハキしてて……はっきり言って、そう簡単にいなくならないと思うぞ」

 図太いからな――と、親に対して失礼な事を言うシュクルに、ミアディは目をぱちぱちとさせた。

「だから、少しくらい何か頼んだり困らせたりしても気にするな。あの二人は逆に喜んで何でもしてくれる」

 両親のミアディへの可愛がりよう――本人に伝わっていないのが残念だが――は、実の息子をほったらかしで猫かわいがりしそうな勢いだ。
 シュクルが家に一人で行くと、何故ミアディも連れてこないと散々文句を言われる程に。

「いい、んですか……?」
「ん?」
「わたし、お義父さんやお義母さんに甘えても……」
「当たり前だろ。あの二人にとって、ミアは大事な『娘』なんだから」

 シュクルはそう言って、ミアディの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 ミアディはその言葉と仕草に顔を真っ赤に染めながら涙目になる。
 そんなミアディをそっと抱きしめて。

「ミア、俺たちはもう夫婦なんだ。だから辛いことを一人で抱え込まないでくれ」
「……しゅ、くる……?」
「俺もミアも、まだまだ未熟で……きっと、誰かの助言が必要な時だってある。その時、父さんや母さんを頼っても何にも問題ないんだ」
「……いい、の?」
「その方が喜ぶ。……俺も――」

 シュクルはそこでいったん言葉を切って、ゆっくりとミアディを放して視線を合わせる。
 ミアディの目には、涙が今にもこぼれ落ちそうなほど溜まっていた。

「俺も、まだミアディを幸せにするって断言できるほどしっかりしていないと思う。でも、大事にしたい気持ちに偽りはない」
「しゅ……」

 シュクルがミアディに対する気持ちを口にしたのは、ミアディが帰ってきてから初めてのことだった。
 そのため、ミアディはシュクルの言葉に目を瞠る。
 ずっと、天つ人だから仕方なく婚姻したのだと思っていた。
 でも、シュクルの言葉は――

「わ、わたし……そんな風に……思われ、て……」
「ごめん。ミアが怯えて俺のことを見ないから……きちんと伝えられなかった。遅くなって悪い。だけど、ミアが、好きだ。ずっと……幼い頃から」
「シュクル……シュクル……」

 とうとう涙は目から溢れ、ミアディの頬を伝わっていく。
 シュクルは丁度いい手巾を持ち合わせていなかったため、もう一度ミアディを抱きしめ直し、自分の胸に埋める。
 ミアディの涙は止まらず、シュクルの着物を少しずつ湿らせていった。
 それでも少しずつ心を開きかけているミアディに対し、今はただ黙って泣かせてあげようと、ミアディの体を抱きしめていた。

 

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