第10話 一時帰還(5)

 なんとなく心にわだかまりを感じながら、夕食を摂り、体を清める。
 風呂は身を清めるもの――としていたが、優花が使用しているのは彼女個人のものと言っていい。そのため、浴室で体を洗って湯船に浸る。
 宮の外でも衛生面に気を付けているのか、ある程度の宿になれば、宿に泊まる客が入れる大浴場がある。そのため、お風呂に入りたい――という希望は叶っているが、人の出入りがあるためのんびりした気持ちになれないのだ。

(ここで一番いいのは、お風呂にゆっくり入れることだよね)

 おかげで優花の中で、もやもやしていた部分が薄れていく。
 ゆっくり湯船に浸かった後、夜着を着てから、その上にもう一枚薄い上着を羽織った。
 それからファーディナンドの部屋へ向かう。
 テティスはもう下がっていたし、ファーディナンドの部屋には何度も行ったことがあるので、優花は躊躇うことなく足を進めた。
 見た目も重厚そうな木の扉を叩くと、小さな声で「どうぞ」と返事が返ってくる。小さな声になってしまうのは、見た目通り扉の厚さのせいだ。

「失礼します」

 部屋に入るときについそう言ってしまうのは、今までの癖だろう。かといって何も言わずに入る気にもなれないので、いつも通り部屋に入ろうとして――

「ななななな……なんでいるのおぉぉぉっ!?」

 ファーディナンドは分かる。この部屋の主なのだから。
 ベルディータも分かる。夜に話をすると言われていたのだから。
 けれど、第三の人物は――

「あ、ユウカ、昨日ぶりだね」

 片手をひらひらさせながら、気軽な口調で声をかけてきたのは、亡くなったはずの元神――ヴァレンティーネだった。
 優花が叫んでしまうのは仕方ないだろう。
 とはいえ、うっかり名前を出さなかっただけ、マシだろう。

「あはは、驚いてる驚いてる」
「まあ、当然の反応でしょうね」

 軽い口調のヴァレンティーネに、さも当然だと真面目な表情で言うファーディナンド。
 ベルディータは黙ったままだ。

「でもねぇ、これはユウカのおかげなんだよ?」
「はい?」

 軽い口調に眩暈を感じながら返事をすると、ベルディータはしかめっ面をしているし、ファーディナンドは苦笑していた。
 そして、当のヴァレンティーネは、「ユウカの力のおかげで元に戻っちゃったんだよ。僕は死んだはずなのに、困るよねぇ。いくらイクシオン一族でも、こんなの前代未聞だよ?」とのんきに答えていた。
 いろいろ突っ込みたい気分である。
 結局、頭の中でぐるぐると色々な考えが一巡した後、出てきたのは、「………………そうですか」という、考えることを放棄した感情のこもらない声だった。

「おや、意外の塊でもあるユウカ様でもびっくりされましたか?」
「……ファーディナンドさん……わたしが動じない人だと思ってるんですか?」
「いえ、思いませんが? 当たり前でしょう」
「……」

 そんな人物なら、ここへ来た当初、ファーディナンドと幾度もしたやり取りなどせず、適当に神様業を続けていただろう。
 分かって言っているあたりに、ファーディナンドの性格の悪さも窺える。

(……なんか……わたしみたいなのが、超長命な人たち相手にするのが間違ってるよねー……)

 三人に対して、昼間感じた憤りを顕わにし、問いただす気にもなれなくなった。
 それほどまでの脱力感をいきなり感じ、勧められた席に何も言わず座った。小さな丸テーブルに四人で囲む。
 今、座ったばかりの優花、ベルディータ、ヴァレンティーネ、ファーディナンド――優花は視線を一巡して、はあ、とため息をついた。
『場違い』という言葉が脳裏をかすめる。そう思うほど、優花と三人は見た目が違いすぎた。

「で、話とはなんですか? もしかして、ヴァールさんが戻ったから、神様復帰祝い! ってことですかね? となると、わたしはもう神様やらなくてもいいんですよね? いいんですよね!?」

 現実逃避に本日の会合の目的を聞いていたら、いつの間にか自分の希望を叫んでいたのは仕方ないだろう。
 美形三人衆(?)に一般人はキツイのですよー……などと、バカなことを考えている優花に。

「ざーんねん。ユウカはお役目御免はできないよ」

 妙に明るい声でヴァレンティーネが応えた。
 他の二人も「そうだな」「まあそうですね」と頷いている。
 神でも人でも一度亡くなった存在を、色々あって生き返りました、とするのは難しいらしい。甦るということ自体が、この世界で考えつかないものらしい。
 それにしても、「ざーんねん」という軽い声には、千年の重みを感じないのは気のせいか――優花はツッコミたい気分だったが、何か言えばもっと疲れるような気がして、不毛なツッコミは控えることにする。

「じゃあ、ヴァールさんの存在はどうするんですか?」

 一応存在しない状態としているヴァレンティーネは、一体どうするのだろうか。
 けれど力のある彼をそのままにしておけるほど、この世界に余裕はないはずだ。

「うん、まあ、とりあえずはまだユウカの中に戻るかな」
「はい?」
「僕はユウカの中に居たから、こうして存在できるようになったんだよ」
「意味が分かりません」

 優花は感情のこもらない丁寧語で即答した。
 実際に、どうしてそうなったのかわからない。説明が欲しいとじっと見てると、ヴァレンティーネが肩をすくめた。
 結局、表立って存在はできないし、優花の中に居れば、ベルディータが力をくれる。優花はいらないと捨てるので、勿体ないからヴァレンティーネが拾う。そのためにも、優花の中に居た方がいいと言う。

「それにね、敵をあざむくにはまず味方から――って言うんだっけ? ユウカの故郷の言葉を借りると」
「まあ、ことわざにそういうのがあるけど……敵ってどういうこと?」

 この世界の魔物を静かに眠らせてあげれば済むのではなかったのか――と尋ねると、そうでもないらしいと曖昧な答えが返ってきた。

「それがどうも違うみたいなんだよね」
「違う?」
「うん。それについては兄さんに聞いて」

 と、ヴァレンティーネは隣にいるベルディータに視線を向けた。
 ベルディータはヴァレンティーネを見て頷くと、次に優花の方を向く。

「あまり言いたくはないのだが……どうやら、魔物を消せば終わりということではないらしい」
「ベルさん?」
「今日、久しぶりに北の森に戻った。術式はかなり少なくなっていたが、逆にその隙間から、核になっている力の周囲に良くないものを感じた」
「良くないもの?」

 首を傾げながら、優花は考える。
 そういえば、この世界の魔物は昔、人が力を得ようとして出来たものだと。そして、その元凶たちは負の感情に飲み込まれそうになる人を利用している、と。
 ベルディータ達でさえ、負の感情に抗えないものがあるらしい。
 もしかしたら、千年前の人の思いが未だに残っているのだろうか? 力に固執した人たち。あまりに強い思いは、そのまま思念体のようなもので残っているのではないかと。

「……ってことしか思い浮かばないんだけど」

 優花は思ったことを口にした。

「私もそれしか考えられない。……が」
「が?」
「人にとっては千年とは長いものだろう?」

 ベルディータの問いに優花はすぐさま頷く。
 人にとっての千年は、おそらく歴史として認識されるくらいの長さだろう。
 自分の血を引く者が何代も重ねたあとに存在する時間。歴史に名を刻むような人物でもない限り、生きた証はどこにも残らないだろう。

「長いというか……もう、歴史、だよね」

 元の世界で勉強した『日本史』も『世界史』も、千年で世界は目まぐるしいほど変わる。それらを思い出して、はーっと息を吐いた。

「そうだが、すでに器を失くしたものにとってはどうだろうか?」
「器をなくしたもの?」
「千年前に暴走した人たちのことです」

 優花が首をかしげると、ファーディナンドが補足説明する。

「この千年、私たちでさえ、この世界を支えながら長いと感じました。ですが、すでに器を失くしたものにしてみれば、『時』というのはどれほどの価値があるのでしょう?」
「うーん……」

 ファーディナンドに問われ、優花はうなった。
 優花にするとそんなに長い間、力に固執して残る方ではない。力が欲しいというのなら、ベルディータの手をすぐさま取っただろう。

「……わからない」

 必要以上に力を欲しない優花には、きっとわからない答えだろう。
 それは、見ている三人も同時に思ったことだった。

 

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