第10話 一時帰還(4)

 優花は今の時間を考えてから、談話室に向かった。このくらいの時間なら、宮に訪問する人も減り自然に談話室に人が集まる。
 以前の優花は談話室に行ったことがない。談話室で話をするよりも先にすべきことがあったから。というか、ファーディナンドがあまり人と接しないようにさせていたのもある。
 だから談話室の扉に手をかけた時は少し緊張した。優花は談話室の中がどんな雰囲気なのか知らない。けれど、基本的に談話室は宮にいる人間なら誰でも使えるため、かなり気軽な場所だ。
 軽く息を吐いてから、軽く扉を叩いて開ける。

「あのー、すみませんが……」

 思わず丁寧語で話しかける優花に、一番近くにいた二十代前半の男性が立ちふさがる。

「ああ、すみません。ここは関係者以外は……」

 優花の顔をしっかり覚えていないのか、それとも今着ている服が一般的なこの世界の服装のため、一般人と間違えたのか――どちらか判断できないが、入るのを止められてしまう。

「あの、わたし……」
「参拝でしたらそちらへご案内しますが……現在は神様は体調が悪いとのことで、神官長様がお話をお聞きになっていますが、よろしいでしょうか?」
「いえ、そうじゃなくて……」

 参ったな、どうしよう、と押し出されそうな状態で考える。
 やはり服装が悪かったのか、いやいや、もともと自分自身に神と思われる要素がないのだからしょうがないや、とか、色々なことを考えてしまう。
 そうしているうちに部屋から出されそうになった瞬間。

「ユウカ様!」

 テティスのほうから気づいてくれたのか、慌てて入り口に走ってくるふんわりとした亜麻色の髪の女性が目に入る。

(うわ、テティスってば成長してる!? 十六歳でもまだまだ成長するの? ずるいー!)

 数ヶ月ぶりに見るテティスを見て、まず最初に思ったのがそんなことだった。

「ひ、久しぶり。テティス。もしかしなくても成長……した、よね?」
「ええ、それが?」
「いや、なんでもないけど……」
「ユウカ様はお変わりなく……お元気そうで何よりです」

 お変わりなくも何も、時を止められている状態では、目に見えるような成長はないだろう。でもそれが逆にテティスには嬉しかったらしく、返事とともに優しい笑みが返ってくる。

「テティス? 知り合いなのか?」

 先ほどの男性がテティスに対して尋ねると、テティスは少しきつめの表情で。

「シノン、何を言っているの? 朝の祈りの時にはいつもお顔を拝見していたでしょう?」

 テティスが窘めるように言うと、シノンと呼ばれた男性は急に顔色を変える。
 優花といえば、この人はシノンと言うんだーと思っていただけなのだが、シノンのほうはそうもいかないようで。

「……ああっ、黒髪! たっ大変失礼しました! まさか神様がこのような所へ来られるなど……」
「へ? あの……別にどこに行こうと勝手だと思うけど」
「ですが、神様は体調が優れないとお休みになられていると……」
「あ、それ、たぶん嘘だと思う……」

 いきなり仰々しくなったシノンを何とかするために、優花は適当に返したが、それがファーディナンドの策を台無しにしていることに気づかない。

「ってか、ファーディナンドさんってそんなこと言ってたんだ。うわー、それじゃあ心配するのも当然じゃない。……って、あ、大丈夫だよ、いたって健康」
「は……? あの……なら、なんで……?」
「まあいろいろ事情があって……じゃなくて、久しぶりに戻ったからテティスに会いたくて来ただけだから……お話中に邪魔しちゃってごめんね」

 優花がペラペラと本当のことを喋るのを聞いて、テティスが咳払いを一つする。彼女にしてみれば、優花がこの宮にいないことは知っていたが、ファーディナンドから口止めされていた。
 それなのに、当の本人が台無しにするとは……という気持ちを込めて。

「あ、ごめん。つい……」
「なんか……本当にお分かりなく」
「つい、ね。敬語使われるの苦手だから」
「はあ……とりあえずお部屋のほうへ戻られますか? それならお茶のご用意をいたしますが」
「ううん、それよりここに居てもいい? 考えてみれば、わたし、あまり他の人と話したことないんだもの」

 遠目から見られることはあっても、直接話をしたことはない。シノンと呼ばれた人にしてもそうだ。顔さえも覚えてない。
 そう思ったら、外と同じで直接話をしてみたいと思った。

「…………では、こちらへどうぞ」

 複雑な表情をしながら、それでもテティスは優花を拒否しなかった。
 優花は招かれるまま部屋の中へ入っていく。
 ほかの者は物珍しげに見ているものの、近づくと少し緊張した表情になる。

(うーん……なんか珍獣にでもなったみたい)

 少しだけ複雑な気持ちで、それでもこうして話をできるチャンスは利用するべきだ、と思う。
 椅子に座るとすぐにお茶を用意してくれて、近くにあったお菓子の皿も目の前に置いてくれる。至れり尽くせりだ。

「ありがと」

 お茶はファーディナンドの所でももらったが、その心遣いが嬉しくて口をつける。

「あ、そういえば皆はなんの話をしていたの?」

 自分の登場で話を中断させてしまったことを思い出して、優花はカップを持ったまま尋ねる。
 テティス以下、その質問にどう答えていいのか少し迷う。
 相手が優花――神という立場だからだろうか。

「別に何を話してたかを問い詰めるわけじゃないよ。話が中断しちゃったみたいだから……」

 すぐに答えてもらえず、優花は彼らとの間に見えない壁を感じてしまう。
 そしてヴァレンティーネもこんな感じだったのだろうか、と彼らを見ていて思う。
 それは名前を呼ばれないように気をつけるためだったのだろう。それでも、それは余計に特別な存在という演出になってしまったようだ。

「ああ、すみません。最近魔物が減ったというのを話していたんです」
「そうなの?」

 魔物が減った、という言葉で優花の表情はぱあっと明るくなる。
 自分がやっているんだという主張はしないものの、人がそう思って気持ちが軽くなってくれるのは嬉しいことだ。

「はい、私……あ、ゴートと言いますが――私が久しぶりに実家に戻った時に、そのような話を聞いて……それで皆とどうしてなのか話をしていたんです」

 今度は別の男性が答える。
 宮は基本的に孤児が多いとファーディナンド(これも救済措置の一環らしい)に聞いていたが、家族がいてもここに来る者もいるらしい。

「そうなんだ」
「はい、あの……神様が関わっている……ということはないですよね?」
「…………え?」

 いきなり聞かれて頬が引きつる。
 魔物を消している時は人に見られないようにしていたはず。それなのに、どうして自分がやったとばれるのか。

「違うんですか? 話では黒髪の男性と女性の二人がいなくなった後に魔物もいなくなっている、と聞いたので。神様は黒髪ですし、この辺りではとても珍しい色なので……」

 ゴートと名乗った男性は優花の表情を見ていて段々心配になってきたのか、語尾が弱くなっていくのが分かる。
 けれど素直に「うん」とは言えず、口ごもってしまう。

「あら、でも魔物退治をしている黒髪の集団がいるみたいよ?」
「え、そうなのか? でも聞いたのは二人って言っていたし、それなら集団とは言わないだろう?」

 今度はその隣にいた女性がゴートの話に反応する。
 優花にすると、黒髪って他にもいたのかぁ、と気軽に考えていた。旅をしている間、黒髪に近い色を持つ人はいても、黒髪と言えるような人を見たことはなかった。
 同じ黒髪で仲間意識のようなものを感じて、優花は口を挟んだ女性に尋ねる。

「ねえ、その魔物退治をしている人たちってどんな人か分かる?」
「すみません、私も又聞きなので詳しくは分からないのですが……ただ、名前がかなり変わっていると聞きました。えと……確か……シンなんとかとか、マドゥ……ええと、短いんですが、名前が変わっていてしっかり覚えてなくて」

 女性の言葉に優花はびくっと反応した。

(シン……マドゥ……って……)

 女性が思い出そうとしてぶつぶつ言っているが、それが耳に入らないほど優花は考え込んでいた。
 ここへ来る前、無理やり引っ張られたときのことを思い出す。
 あの時、優花を引っ張るために、慎一もあの白い世界へ上半身が入っていた。その後ろでは右京たちも慎一を引っ張っていて――

(もしかして、あの時一緒に来ちゃったの!?)

 だとしたら自分のせいだ、と優花はなんとも言えない気持ちになった。
 そしてまた、それを知っていただろう――どちらかというと知らないはずがないだろう――ヴァレンティーネたちに対して、ふつふつと怒りを感じ始めていた。

 

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