第10話 一時帰還(1)

 次の日、優花とベルディータはリグリアの村をあとにした。
 いろいろ思うところはあったが、これ以上二人が何かしてやれることもないと判断したためだ。
 そのあと二人は聖水鏡宮に一時的に戻ってきた。
 とはいえ、ベルディータの存在を知られるわけにはいかず、神官長であるファーディナンドの部屋へと直接移動した。先に連絡していたのか、ファーディナンドは驚くことなく迎えてくれた。

「お久しぶりです、ユウカ様、ベルディータ様」

 腰を折り優雅な姿で一礼するファーディナンドは、最初の頃とまったく態度が違っている。その違いは優花の存在を認めてくれた結果なのだろうが、あまりに違いすぎる態度に、なんとなくむず痒さを感じる。
 その間にベルディータがファーディナンドに近づき、何かを話した後すっと消えてしまう。

「あれ、ベルさん?」
「心配ありませんよ。あの方は北の森へ確認しに行っただけです。夜には戻ってきますよ」
「そうなの?」
「ええ、その間は好きなように。ただ、夜にあの方と少しお話があるので、空けておいて欲しいのですが」
「夜? 眠くならないくらいなら大丈夫だと思うけど。あ、それよりちょっと聞きたいことがあったんだけど……」

 ふとヴァレンティーネとの会話を思い出し、ファーディナンドに逆に尋ねる。

「なんですか?」
「えっと……もしかして、ファーディナンドさんって、わたしがここに居た時にぶちぶち怒っていたの、全部知っていました?」

 いきなり何を、という表情をされて、唐突過ぎたかなと感じる。
 でも気になったので聞いておきたいと思っていた。もし優花の想像通りなら、部屋で行き場のない怒りを口に出していたことを知られていることになる。
 案の定というか、ファーディナンドはしばらくした後、いつもの姿からは想像できないような大笑いを始める。
 予想は当たりのようだった。
 ひとしきり笑った後も、口元を手で覆い手で隠している。まだ笑いが収まりきれていないようだ。

「…………ファーディナンドさん、そんなに笑わなくても……」
「……済みません。……しかし、よく気づきましたね」
「夢の中で、ヴァレンティーネさんから聞いたの」

 ヴァレンティーネは名前がとても大事だと言っていた。それに名前を呼ばれると反応してしまうと。
 前にファーディナンドがヴァレンティーネの名を口にしないようにしたのは、名を呼ぶことで嫌でも彼に何かを望んでいるのが分かってしまうからではないのか――と判断した。
 そして無視できないとしたら、名前を呼ばれないように対策しなければならない。
 そうでないかと問うと、素直にそうだと返ってくる。

「じゃあ、わたしが一人でファーディナンドさんに文句言っていたのも丸聞こえだった……ということ?」
「ええ、ある意味楽しませてもらいました」

 思い出したのか、またくすくすと笑いながら答えられる。
 しかし楽しませてもらったと言われると……かなり微妙な気持ちになる。

「今でこそ言えることですがね。当時は私も複雑な心境でしたし」
「はあ……」
「まあ、ここで貴女に少し名前の説明をしておいたほうがいいですね」
「そうですね、とりあえずお願いします」

 話が長くなると思ったのか、優花は椅子に座るよう勧められた。
 その後ファーディナンドはどこにあったのか、部屋の隅に行って戻ってきた時には手に二つ分のカップを持っていた。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

(うーん……これも力なのかなぁ。だとしたらこれって超能力みたいなもん?)

 何でもありっていうのは卑怯だよなぁ、と心の中でぼやく。
 それほどまでに彼らの力は大きく使い勝手がいいのだろう。
 けれど、決して万能ではないのも確か。

「貴女が知るように、私たちの名前には力があります。それは私たちを縛るものにもなるのは分かりますね?」
「うん。だからヴァレンティーネさんはヴァールって呼んでって言ってた。たぶん、名前を呼ばれることで目が覚めちゃうのかな、って思った」
「そうですね。でも今回に限っては良いことになりましたが」
「いいこと?」

 優花は意味が分からず首を傾げる。
 それに対してファーディナンドは“苦笑”といえる笑いをする。
 ますます分からない、といった気持ちになった。

「本来、私たちにとっての『死』は、自身の存在がなくなることを意味します。けれど、貴女は無意識にあの方をその身に留まらせました」
「そう言われても……別に意識してやったわけじゃないし」
「そうですか? けれど、私にとって貴女は意外の塊ですよ」
「意外の塊って……」

 自分のどこに意外性があるだろうか――と優花は頭の中であれこれ考えるが、どうしても学校での成績が基準になっている優花には、平均レベル――という評価しか出来ない。
 そんな優花の様子を見て、ファーディナンドはくすりと笑みを浮かべた。

 

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