今まで自分はきちんとベルディータに向かい合っていなかった。
それなのに、相手の気持ちだけを確認しようとしていた自分を振り返って、ものすごく卑怯だと思えた。
いつの間にかに自分の保身のことばかり考えて、自分本位のずるい考え方になっていた、と。
「人の気持ちをもっと知りたいって思ったのも、ベルさんの気持ちを知りたかったから。それと魔物が望んでいる言葉を言って、魔物を消して――そうして、わたしが必要なんだって思われたかった……」
ベルディータと初めて会った日の夜のことを思い出した。
あの時、優花は怒って、それなら自分でなくてもいいじゃないかと言った。でもベルディータは優花でなければと言い、その言葉のために出来るだけのことをしようと思った。
それが発端だったのに、いつの間にかに考え方が変わってきていた。
「ユウカ。そこまで考えなくても」
「ううん。だって本当のことなんだよ。わたしなんの力もないし、出来ることっていったら偶然だったけど魔物を消すことが出来たことくらい。だから、だからいらないって言われたくなくて、いい人をしてなきゃって、そう思ってた……」
ここに来た当初は押し付けられたものがものだったので、とにかく帰りたい、逃げたいという気持ちのほうが強かった。
それなのに、自分でも役に立てるということが分かってから、いつの間にか、必要だと言って欲しいという気持ちに摩り替わっていた。
でなければ、自分がここに呼ばれた意味がない、と。
でもそれを表には出さないでずっと隠してた。
いや違う。自分さえも騙していたのだ。偽善的な行為に気づかないように。それに気づいて、自己嫌悪と恥ずかしさで消えたくなるほどだった。
手をぎゅっと握りしめて俯いてしまった優花の頭に、温かいものが軽く触れる。
「……ヴァール……さん?」
「それはユウカの考えすぎだよ」
そっと見上げれば、優しい笑みが見える。
彼が命と引き換えに呼んだ人がこんなことを考えているなんて知ったら幻滅しそうなのに、ヴァレンティーネの表情は穏やかな優しさを持ち続けている。
手も未だに優花の頭を優しく撫でている。
「ヴァールさん……」
「ユウカ、それは自分を卑下しすぎてるよ。気になる人の気持ちを知りたいって思うのは悪いこと? 普通誰しも思うことでしょ?」
「でも……」
「でもじゃないよ。普通のことだよ。ユウカだっていつも言ってるじゃない。人はいい面も悪い面もあるって。それが極端だったら困るけど、ユウカの場合は人に迷惑なんてかけてないでしょ?」
迷惑と言われて少し考えてみる。
人の気持ちが分かりやすくはなったけど、心を読むまではいかない。となると、その人のプライバシーを侵害しているとまではいかないだろう。
なら魔物はどうだろう。彼らは優花の手によって消えていっているが、本当にそうなのだろうか。
「迷惑は……かけてないと思うけど……でも、知られたくないことだってあるよね」
「それは、あるだろうね」
「そういう人たちの気持ちを踏みにじっているのかもしれない。勝手に知ったりして……」
ネレウスのこともそうだ。辛い過去など人に知られたくないところもあっただろうに、優花は知ってしまった。
そして、人のプライバシーの領域に踏み込んで、それほど人が出来てないのに、説教のようなことをしてしまった。
そう思うとずんずんと暗くなってくる。
「また一人で悩んで……そうならないように話してるんだよ、わかる?」
俯きはじめた顔を両手で挟まれて強引に上を向かされる。
目が合うと、ベルディータと同じ青色の瞳が優花を凝視していた。
「ヴァールさん……」
「ユウカ、ユウカの気持ちは、自分で思っているよりずっとしっかりしているよ」
「そうかな?」
「生半可な気持ちじゃ、荒れ狂った魔物の前に出るなんて無理だよ。倒せるような力を持っているのなら別だけどね」
「……」
確かにあの時、優花は魔物をかばうように前に出た。
けれど、それは反射的なもので、そこまで魔物のことも他の人のことも考えていたのかは……
「ほらまた暗くなる」
「でも……」
「本当に何でそこまで悲観的になるかなぁ。魔物はちゃんと消えてってるし、ユウカは何も悪いことなんてしてないんだよ」
「でも……」
「でも、じゃない。そうなんだよ。でなければ魔物たちが大人しく眠ってるわけないし」
「眠ってる?」
消したはずじゃあ、と思った後、やっぱり自分では力不足で、魔物をきちんと消すことなんてできないんだと悲観的になった。
それを察したヴァレンティーネが、優花に丁寧に説明してくれた。
「たぶん完全に消えることが出来ないんだと思うよ。感情が元になっているから」
「消えないならどうして?」
「消えないってのは変かな。術式自体は消えてるし。でもそうだね。ユウカはさっきの子に『おやすみ』って言ったよね?」
「あ、うん。それが何か?」
あの時は負の感情を解放してほしいと思った。そしてそれをした場合魔物は消える。この場合の消えるというのは、人で言うなら死に近いのではないかと考えている。
だからこそ、安らかに眠ってほしいという意味で言ったのだが――
「なんて言うのかな、僕もそうだったけど、ユウカの気持ちは偽りなんかじゃないよ。だから僕もこうして意識だけでも残れたし、他の魔物たちもユウカの中でゆっくり微睡んでる」
「……は?」
自分の中に魔物がいると聞いたのは初耳だ。
ヴァレンティーネがいるとは聞いていたが……他にも魔物がいるというのか。
「やっぱり気づいてなかったんだね」
「なにを?」
「ユウカの中には、今までユウカが消してきた魔物の意識が残っているんだよ」
「…………………………うそっ!?」
ヴァレンティーネの話を脳内で何周か回してやっと理解した後、優花は信じられないといった表情で叫んだ。
「でも事実だよ。欠片みたいなもんだけど、彼らは自分のことを認めてもらったから居られるんだと思うよ」
「でもでもそんな大層なことしてないし!」
なんとなくすごいことをしているように言われて、優花は慌てて否定した。
首を横に振りすぎてくらくらしているところに、ヴァレンティーネの笑い声が聞こえて、優花は首を振るのをやめる。
「……って、ヴァールさん?」
「本当にそう思ってるの?」
まだ笑いが止まらない口元を押さえているヴァレンティーネの視線と会う。
口元はまだ笑みが残っているが、視線は真剣なものに変わりつつある。
「ヴァールさん?」
「ユウカは嫌な感情を持っても当たり前だって言ったね」
「う、うん」
「そしてそれから生まれた魔物を否定しない」
「……のかな?」
「してないよ。だから魔物は術式が消えてもユウカの中で存在できる」
「……」
「ユウカはちゃんと彼らのことを認めてるだね。だから術式というものが消えても存在することができるんだ」
優花にはヴァレンティーネの言うことが良く分からない。
確かにそう思っているけど、それは誰しも出来るようなことだ。自分だけが特別じゃない。
「だって……そういう感情は自分だって持ってる。否定できないよ」
「うん。そう、否定してはいけないんだよ」
「うん」
「分かっているなら、なんでさっきはあんなに否定したの?」
「え?」
「ユウカは自分の中のそういった感情を否定したよね。どうして人の感情ならいいけど、自分は駄目って思うの?」
「それは……」
もしかしなくても、こういう風に一人で悩んで悩んで……そして生まれるのが魔物なんだろうか。
「そう風に考えると魔物が生まれるから?」
「……どうしてそういう方向へ行くのかな」
「え? だってそうじゃないの?」
「違うよ。僕はユウカの気持ちを知りたかったから聞いたけど、まさかそんな風に考えちゃうなんて思わなかったよ」
「だって……なんか気づいたらぐるぐるしちゃって」
確かに話のはじめはそんなだったような気がする――と思わないでもなかったが、思わぬところで自分の悪いところに気づいてしまった。
普通の人なら別におかしくもないことなのに、優花はそれに対して罪悪感を感じてしまった。
「ユウカが魔物に対する気持ちは、同情とかそういうものかもしれない。でもその気持ちは偽りなんかじゃない。本当に心からそう思っているから、魔物たちはユウカの言葉を信じられるんだよ?」
「そうかな?」
「魔物に信頼してもらえるなんてすごいよね。それに僕たちだってユウカのことを信じてる。だからファーディナンドも任せたし、兄さんだってユウカのすることを手伝おうって思ってる」
いやいや、そんな大それたことはしてないって、と恥ずかしそうに答える。
「それがしてるんだよねえ……。それに兄さんのことだって、兄さんのことをちゃんと考えているからそうなるんでしょ?」
「ちゃんと、考えてる……?」
応えないのがどうしてちゃんと考えていることに繋がるのか分からず、優花は首を傾げた。
「ちゃんと考えてるから、勢いに流されないようにしてる。気軽に力を求めない。不死を求めない。そういったものに騙されないで、その更に向こうにあるものを見ようとしているでしょ?」
「更に向こう?」
「その先にある永遠のような長い時を、後悔して生きたくないからっていうのは悪いこと?」
「ヴァールさん?」
「違うでしょ? 相手のことも自分のことも考えて、何が一番いいのかを模索しているんじゃないのかな?」
「そう、かな?」
よく分からないけど、一つだけ言えるのは、ベルディータにこれ以上辛い思いをして欲しくないという気持ちがあること。
そして、自分もまた後悔したくないということ。
「だいたいね、女の人を不安にさせるような兄さんが悪い」
「え?」
「だってそうでしょ? 不安要素があるから気になるんだよね?」
「う、うん……」
魔物を消すためには今のほうがいいというのもあるが、どちらかというとその要因のほうが心を占めている。
「なら、はっきりその辺の問題解決をしないままでいる兄さんが悪い」
「ベルさんは悪くないよ!」
きっぱりというヴァレンティーネに、優花はすぐさま否定する。
自分のことを言われるより、ベルディータのことを言われたほうが、なぜか嫌だった。