第2話 セラン-王弟

 後宮といえど中は結構広いもので、探すと一人で居られる所はあちこちにあった。
 特に外。貴族の令嬢たちは自分を磨くことと世間話に夢中で、外に出ることは少ない。
 ベランダから少しくらいなら気晴らしに歩くようだが、それ以上まで歩く酔狂な人物はどうやら私一人のようだ。今もこっそりとベランダから出て、しばらくすると早足で庭の奥を目指した。
 そして、人が完全にいないだろうと判断した頃に。

「あーもうムカつく!! ネチネチネチネチネチネチとうるさいわねっ! 私のどこがあんたたちに劣っているって言うのよ? 歌でも刺繍でも何でも私より上手くできたことなんかない癖に!」

 ここまで言い切ってからいったん息継ぎをして。

「だいたい王に呼ばれないから女として劣ってる? 別にあんなのに選ばれるのが光栄だなんてこれっぽっちも思ってないわよ。そういう意味では、あんたたちなんかと競う気なんて全くもってないわよっ!!」

 もう一度叫ぶと、近くにあった木に八つ当たりをかねて思い切り靴の底をぶつける。ドンッと音がして、数枚の葉がひらひらと舞い落ちた。
 きっと、周りから見ていればドレスの裾から下着のレースが見えているだろう。はしたない、と言われるだろう。
 でもここなら大丈夫。誰もいな――

「……っぶねー、すげえ馬鹿力」

 不意に声が聞こえてピシリと固まる。やややや……ヤバイ、聞かれた!?
 だらだらと冷や汗をかいていると、上からいきなり大きな塊が落ちてくる。いえ違う。誰かが降りてきた。
 その姿を見て更に驚いた。

「お……じゃない、陛下!?」

 目の前に改めて立ち上がった人物は、ここへ来て最初に見た王の姿だった。
 そりゃそうよね、ここは後宮なんだから王以外の男性は入れないはずだもの。男の声なら王以外ないわ。
 ……って、よりにもよって一番聞かれたらマズイ相手じゃないのー!!

「あー違う違う。俺、セランっての。弟ね」

 王とは違う気軽な口調で手をパタパタさせる。

「王、じゃ……ない?」
「ああ、弟」

 お、とうと……王じゃないのね? そっくりだけど、本当に……王じゃないのね?
 それを認識すると、一気に体の力が抜けた。
 それと同時にこの無駄な緊張感はどうしてくれる、と恨めしい気持ちが持ち上がる。
 くぅ、ニヤニヤした顔が気に入らないわ!

「そう……ふふ、王でないのは分かったけど、どうして後宮こんなところにいるのかしら? いくら王弟だからって、ここに入っちゃあいけないわよねぇ?」

 せっかく見つけた一人になれる場所。
 そこを横取りされて、意味もなく命が縮むような思いをして、それで黙っていられるほど大人しく出来ないのよ。

「うわー、話とはまるで違うその性格。あんた、二重人格? ってか、ただ単に裏表が激しいのか」
「あんたに言われたくないわよ! いくら王弟でも、ここにいるのがバレたら問題あるのはそっちじゃないの!?」

 相手に非あり、と気づいた途端、強気になる。
 どうせこちらの性格は相手にはバレバレなんだし、すでに偽る必要なんてこれっぽっちもなくなったもの。
 そう思ったせいか、相手が王弟という立場も忘れて睨みつける。

「すげぇ、いい性格してる。あんた面白いなぁ。なんでこういう面白いの、ほっとくんだろ」
「論点摩り替えないで! 私は、なんで、王以外の男が平然と後宮ここにいるのかを聞いているの!」

 問い詰めながらも、本当に良く似ていると思う。顔つき、体つき、どこをとっても王と間違えても仕方ないほどに。
 ただ、話をすると口調がおおらかでとっつきやすいというのが、唯一の違いみたい。

「あーそれね。ここには母上がいるの」
「母上?」
「聞いてない? 西の一角に近づくなって言われている場所あるだろ?」
「そういえば……」

 ここに来た日にミセス・ムーアからそんな注意を受けた気がするわ。
 理由も言わなかったし、別に関係ないと思って横へ流していたけれど。

「そこに俺の母親がいんのさ。たまに顔を見せないと心配するから」
「……その年になって?」

 見た目がとてもそっくりだから年も近いに違いない。
 となると、弟といっても二十歳以上はいっているはずよね? それなのに母親が心配するからって、こんなところまでわざわざ来るかしら?
 そもそも王に弟がいるなんてことすら聞いたことないわ。
 くるくる頭の中で思考が渦巻いていると、彼は「ん? ああ、ちっとばかし事情があってな」と軽い口調で返す。
 けど、どうもこれは軽そうに見えるけど、これ以上突っ込むなという感じだった。
 どちらにしろ私には関係ないだろうから、「そう」と適当な返事をする。あくまで私の目的は王であって、王弟ではないのだから。
  それよりも、問題は目の前にいる男のことだ。

「それにしてもどうやってここへ入るのよ? 警備のやつらは何をしているのかしら。怠慢もいいところだわ」

 とブチブチ言うと、彼は苦笑しながら。

「仕方ないと思うぜ。こーんな顔して普通に入ってくりゃ、誰も怖くて確認なんてできねーもんな」

 そう言うと今までの軽い雰囲気から一転して、いきなり重苦しいものへと変わる。
 それは、はじめてここに来て、王を間近で見たときに感じたものと同じ――ごくり、と自然にのどが上下した。

「確かに……そっくりね」
「だろ?」

 体に緊張が走るのが自分でも分かる。けれどそれを悟られたくなくて、上擦った声で話を繋げた。
 彼もそれに気づきながら、それでも先程の雰囲気に戻って子供のような笑みを浮かべる。

「んで、あんた……じゃなくて……んー、なんだっけ」
「シェル、よ」
「シェル嬢は何をしていたのかな?」
「シェルで結構。それに聞かなくても分かるでしょう?」

 人が忘れそうになったことを思い出させないで欲しいわ。

「ふーん、じゃあシェルって呼ばせてもらうか。俺もセランでいーから」
「そ、そう。じゃあ、セランって呼ばせてもらうわ。……って、もうそんなこともないでしょうけど」

 気づくとセランの存在で、あのやかましい女たちのことは忘れていた。
 それに、セランの口調はある人を思い出させて懐かしくなる。
 そのことは嬉しかったけど、さすがに場所が問題だわ。王弟といえど、別の男と逢引していました――なんて噂が広まったら、即、処刑が待っている。

「えー、もう会う気なし?」
「会う気って……あなたこそまた会う気なの? というより、いつどうやったら会えるかも分からないのに。それに誰かに見られたら……」

 困るんじゃないの? と言おうとした瞬間。

「それなら大丈夫。俺、そっくりじゃん。逆にシェルにとってはいいことはあると思うけど?」
「いいこと?」
「そー。夜呼ばれはしないけど、昼間こっそり密会するほどの仲! なんてなれば、今の噂はなくなると思うけどな」
「それはそうだろうけど、逆に今度は妬みとか満載の噂話に切り替わるでしょうね。今は『綺麗だけど王には相手にされない可哀想な人』みたいだけれど」

 今はまだ、多少の同情が混じっている。
 けれど、セランの言った状況になれば、それこそ何を言われるか分かったものじゃないわ。
 それにそうなると口だけでは終わらないような気がするし、なにより――

「それに、どこが、よ? そんな噂、すぐ王の耳にだって入るわ。そしたら待っているのは身の破滅よ」

 それに私は今の噂話は嫌だけれど、だからといって偽ってまで体裁を考える気はないもの。
 それよりも。

「それよりも、誰かに子供でも出来てくれればいいのに……」

 私がここへ来てすでに二ヶ月以上。
 その間に新しい令嬢たちが数人入ってきた。その間、王は精力的というか、頻繁に呼び出して相手をさせている。
 けれどその間、誰かが懐妊した、などという話は一向に聞かない。
 これで誰かに子供でも出来れば、その人が正妃になる可能性もでる。そうすれば、少なくともこれ以上後宮に人が増える可能性も低くなるのに。

「無理だと思う」
「どうして?」
「出来ないようにしてるからさ」
「……は?」

 出来ないようにしてる? なんでよ、王ともなれば血を繋ぐのは義務でしょうに。
 理解できずに黙っていると、セランは苦笑しながら。

「まだどこか信用できないでいるみたいだからな」
「誰が?」
「王が」
「王が?」
「そ。子供が出来ればその女性の身内が力をつける。王はそれを恐れているのさ。だからおいそれと子供を作るような真似はしない。形だけさ」

 なるほど……確かにそれは分かるわ。
 それにしても、かなり疑り深いわね。王が即位してから四年『残酷王』の名は貴族なら、王に近ければ近いほど身をもって知っている。
 それなのに未だに自分を狙う輩がいるかもしれない、と気をつけているというのかしら?
 だとしたら、後宮の女性を自分の場所に呼び出すのも、そういった対策なのかしら。王の寝所に何かを持ち込むのは大変そうだもの。
 ああ、そうなると本当に厄介だわ。どうすれば――

「だから、シェルのようなのは一番厄介」
「……は?」

 王のことを考えていると、セランが急に面白そうな声でまるで歌うように言う。
 その意味が分からずにいると。

「あんたは頭がいい。あのモナーク・ムーアが内心舌を巻くほどにな」
「だから?」
「頭のいい女はあれこれ考える。それに」
「それに?」

 切れ切れに、こちらの反応を楽しみつつ言うセラン。
 こういうのが一番嫌い。相手の反応を見ながら、けれど決して重要なことは言ってくれない。
 だけど、それが王が私を近づかせない理由なら、私は是非とも知りたい。だからセランが語るのを静かに待った。急かすような真似をすると、逆に勘ぐられる。
 すると、しばらくしてからその気になったのか、やっと鍵になる台詞を吐いた。

「あんたは貴族の中では低めの家柄だけど、後見人がバレリー候だからだ」

 

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