――なによ、それっ!? あたしはっ……あんたがずっと姉ちゃんを……っ!
――帰ってよ……あんたなんて嫌い、なんだから…………に、なるん、だから……
辛くて辛くて、今にも泣き出しそうなのを堪えているリナの顔。
こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
リナには笑って欲しいのに。
でも、結局は傷つけてしまった。
リナは、全て知っていたのだ。
寝付かれない夜を過ごし、眠い目を擦りながら朝一番で熱いシャワーを浴びた。
今日は朝一で同じ会社の悪友と呼べるルークに買い物に付き合ってくれと頼まれているため、眠くても朝寝坊はできなかった。
ルークは割と時間にうるさい。約束した時間までに行かなければ、時間を守れと熱く語られることだろう。口調は悪いが、情があって割と几帳面な性格。でも、見た目(口調含む)と性格が反対で損するタイプだ。
適当な服を着て、オレは自分の家から出た。
***
約束の場所はデパートの一階入口。
ヤロー二人で買い物なんて色気も何もない話だが、ルークに言わせると、「他の女に頼んで、もし万が一その場面をミリーナに見られたらどうするんだ!!」ということらしい。
ミリーナというのは、やはり同じ会社で入った時からルークの熱烈ラブコールを受けている女性だ。ついでに言うと完全にルークの片思いだ。
それなのにルークはアピールをすることをやめない。今日もミリーナへのプレゼントを買いたいということで、オレが指名されたのだった。
「よお、時間通りだな」
「当たり前だ。遅れたらお前に何言われることか……」
「当然だ。遅くなれば、ミリーナへのプレゼントを探すのが遅くなるじゃないか!」
「問題はそこかよ」
「当然だ!」
ルークはミリーナと出会ってから全てがこんな感じで、ミリーナを中心に回っている感じだ。そこまで一途に思えるルークが羨ましいと思う。
ルークは店員に顰蹙を買いながら、大声で「これがミリーナに似合いそうだ」「いや、こっちのほうがミリーナの合っているかもしれない」などと騒ぎつつ、あれこれと物色をした。
結局プレゼントは雪の結晶を象ったものに、小さなダイヤモンドがついているネックレスを選んだ。結構な金額だろうが、ルークはミリーナに似合ういいものが見つかったと喜んでいる。
オレのほうは四葉のクローバーを象った、ペリドットとプラチナのネックレスを見つけて、リナに卒業祝いとお詫びを兼ねてそれを購入した。
お互い買い物が終わった頃には十二時近かったため、そのままデパートに入っているファミリーレストランに入る。いくつか料理を注文した後、窓の外を見ながらぼんやり待っていると、ルークが何気なくリナの話題を出した。
「そういえば、あいつ店を開いたんだってな」
「あいつ……?」
「チビだよ。チビガキ」
「あ、ああ……リナか」
「そう。ミリーナもあいつを知っているからな。この間ミリーナを誘って行ってきた」
「そうか」
「まあ、共通の話題だからな」
ルークとオレは同期で、ミリーナが一つ下だけれど、オレたちは皆ルナさんに仕事を教わったため、ルナさんの家にもお邪魔したことが何度かあった。そのため、ルナさんの妹であるリナを知っている。
ルークとリナはお互い口の悪さから、会えば悪口の言い合いを繰り返すという、実に不毛な仲だった。反対にミリーナとは割りと仲がよく、本などの話題で盛り上がっていた。
「で、どうだった」
「ま、チビにしては美味いものを作るな。まあ、ルナさんとこにお邪魔している時もそうだったけど、腕に磨きがかかったというか」
「確かに」
リナの淹れたコーヒーは美味かったし、最初に食べたドリアとピラフとサンドイッチも美味かった。
そういえばルナさんはなんでもできるけど料理は苦手で、ルナさんの家に行くと、決まってルナさんがリナに「みんなに何か作りなさい」と言っては、リナが冷蔵庫にあるものでいろいろ作って、みんなにご馳走していた。
「それに変わったよな」
「え?」
「ホラ、俺は関係なかったけど、お前がチビと別れてからなーんか行きづらくて、結局ルナさんの家には行かなくなっただろう?」
「あ、ああ……」
確かにリナと別れてから、オレはどんな顔をしてリナに会えばいいのかわからなくて、そのままリナの家から足が遠のいた。
すると、今まで一緒に来ていたルーク達も同じように行かなくなって、いつの間にかあの家に寄りつかなくなったのだ。
「だから俺が知っているチビは高校生のままだったけど……少しだけ落ち着いて女らしさも出てきてたよな。きっとあれは誰かと付き合ってるぜ」
冷やかし半分で言うルークに、返事をしようとして出てこなかった。
『付き合っている人がいる』
――としたら、居るのだろう。あんなのを現実に見ては認めざるをえない。
……って、またなんかムカムカしてきた。
「おい」
「ん?」
「眉間にしわ寄ってるぞ」
「……」
確かに気がつくと顔が強張っているのが自分でも分かった。
オレは頭をがしがしとやったり、眉の間を指で揉んでみるが、どうも眉間のしわがうまく取れない。
「お前、自分がなんについてイラついているのか分かってるのか?」
「……え?」
「ってか、お前自分で誰が好きだと思っているんだ?」
「誰が好き……? ……って、それは――」
もちろんルナさんだ、と口に出そうとした瞬間、ルークのほうが先に話し始める。
「お前らが別れた理由くらい分からないわけないだろうが。……ってぇのは嘘だが。ミリーナがなんとなくそうじゃないかって言っていたからな。別れた理由は、お前があいつとルナさんの間で揺れていたせいだろう?」
「う……」
「口ごもるってことは、その通りだってことか。ったく、お前は自分で自分の心をなーんも分かってねえってことか」
ルークは左手で頬杖を突きながら、意味深な言葉でからかうように言う。
それにしても自分の心?
出会った時からルナさんに対して惹かれた。これは思いの強さはあれど、昔から変わらない。
じゃあ、リナは? もし好きじゃないなら、なんで付き合った?
合わないカップルなら一年だって長い時間だ。だけど全然面倒だと思わず、楽しく過ごせたのはどうしてだ?
別れを切り出された時、リナの辛い顔を見てどう思った?
また自分は別れることに対してどう思った?
あの時、オレは……本当は、別れたく……なかった?
「どうした?」
「あ、ああ……なんかすごい新発見した気分なんだが……」
「何をだよ」
「オレ、リナのことが好きだったみたいだ……」
「はあ?」
「しかも、本当は別れたくなんてなかったんだ」
呟くオレに、ルークは今まで見たことがないほど呆れてものが言えない――といった表情をする。その後気を取り直すために、冷えた水が入ったコップに口をつけて落ち着こうとしているのが窺える。
いや、落ち着きたいのはオレのほうだ。
「はー……本当に天然記念物に指定されてもおかしくないくらいの鈍さだな」
「そう言われても……」
「第三者の俺から見ても、お前たちはお互い好きだって気持ちが見えてたのになぁ」
「………………えええっ!?」
ちょ……オレたちって、他人から見てそんな風に見えてたのか!?
「……気づいてなかったのかよ。大体お前だってあいつが我が儘言ってもかわいいなぁ、って感じで甘えさせていたし。その顔が信じられないほど優しくて、女だったら思わず惚れちまいそうなほど甘い表情だったし」
「オレ、そんな顔してたのか?」
「ああ。それにあいつだってお前に対しては変な遠慮してなかっただろ。なんて言うか、お互い言いたいことを言える関係なんだ、って思ってたが」
ちょっと……いや、かなりびっくりしたぞ。それってルークにでさえ分かってしまうほど顔や態度に出ていたってことだよな?
確かにリナといるのは楽しかったから、笑っている時のほうが多いには多かったけど。
……ってか、リナの我が儘もそんな風に見ていたのか、オレは。
だけど。
「なあ、恋って胸がキュンとするようなものじゃないのか? 相手のことを考えたらドキドキしてたまらなくなったり」
「お前はいつの時代の少女マンガのヒロインだよ!」
オレは思っていたことを口にすると、ルークから容赦ないツッコミが入る。
もちろん手までつけるのを忘れない。律儀な奴だ。
「そうじゃないのか!? だってオレ、リナといるとすごく楽しいとは思ったけど、ドキドキはしなかったし」
「だから、どこの夢見るオトメかよ!? おまえは!」
「だってオレ、リナといる時より、ルナさんといる時のほうがこう……ドキドキして……だからオレはルナさんのことが――」
オレは自分の胸を押さえながら、当時の自分の気持ちを思い出してルークに話した。
ルークはそんなオレの様子を見て、いったん頭をがしがしとやった後、呆れた目つきと口調でオレの疑問に答えてくれた。
「あー……それはルナさんがある意味怖いから緊張している、ってのもあるんじゃないか?」
「え……?」
「ルナさんは女性として完璧に近くて憧れるのも分かるが、ルナさんは俺たちの上司だ。だから言ってしまえば俺たちより上の立場だよな」
「……」
「だからルナさんが前にいると緊張して、それをそんな風に勘違いしたんじゃないのか? まあ、ルナさんは綺麗だから、惹きつけられるしなー。その二つを足した状態じゃね?」
ルークにそう言われて、オレは口元を押さえて何かを叫びたい気持ちになるのをなんとか堪える。
意外なことに気づいたというか、気づかされたというか――そのために頭がこれ以上ないほどパニックしている。
ルークの言うとおり、ルナさんを一目見て惹かれた。そして、その気持ちと、上司だという気持ちからルナさんの前になるとと、なんとなく緊張もしていた。
反対にリナの場合は側にいると楽しくて、元気を分けてもらえるような感じで。
だからドキドキするのとはちょっと違ったんだ。でも、すごく居心地がよかった。オレが、オレでいられるところ――という感じで。
「分かったか?」
ルークの言葉にこくりと頷く。
ははは……なんとも情けない。オレは緊張しているのと恋のドキドキする感じを間違えていたってのか。それだけリナの側が居心地良くて、その雰囲気が当たり前になっていたのか――
あれ?
でもお互い好きだって気持ちが周りに分かるほど思ってたってことは、リナもオレのことが好きだったってことだよな。
それなら、なんでリナは別れようなんて言ったんだ?
「なら、なんでリナはいきなり別れようなんて言ったんだろう……」
「お前……馬鹿だと思っていたけど、やっぱり本当に馬鹿だよな」
「おひ……いくらなんでもそれは酷いだろう」
「馬鹿だから馬鹿だと言ったんだ」
しみじみ言われた後、更にご丁寧にダメ押しされて、オレはテーブルに突っ伏した。
今日は立ち直れないほどダメージを受けまくっているような気がする。
「お前が勘違いしていたように、チビだって勘違いしている可能性は高いな。あの頃、お前らが仲がいいのは分かっていたが、それでもお前の目はルナさんを追っていたからな」
そう言われると反論できない。
それでなくてもオレは、今の今までルナさんのことを想っているのだと勘違いしていたのだから。
「別れを切り出した時、あいつはどんな感じだった?」
「どんなって……今にも泣き出しそうなのを堪えている顔してた」
「……そうさせたのが自分だって自覚があるから、素直に別れたのか? だいたいお前が勘違いしているから、チビは変に気を遣っちゃったんじゃないのか?」
「それは……それに、ただ別れたいって言うから……」
語尾がだんだん弱くなっていくのを自覚しながら、この後ルークが大げさな表情をするだろうことが窺える。
案の定、ルークは額に手をやりながら、深い深いため息をついた。
「はあ……お前なぁ、別れを切り出すのに辛くなけりゃ、そんな顔するわけないだろ? その場合は、相手のことを思っているのに、何かの理由で別れなければならないって考えないのかよ?」
「……それは……」
「あいつにしてみれば、そんなのは嫌だって言って欲しかったんだよ! お前がするべきだったのは、本当にあいつのことが好きなら、抱きしめて好きだから別れたくないって言うことだったんだろうが」
「――っ」
――あの時、他にどんな方法があったって言うんだ?
それは、ずっと自分に言い聞かせてきた言葉。
リナのことは好きだったけれど、一緒にいたらまたあんな顔をさせそうだった。
でも、オレだってリナのことが嫌いになったわけじゃない。
それにリナと付き合っている時、リナが突然別れを切り出すまで、ルナさんに対する気持ちよりリナに対する気持ちのほうが勝っていたんだ。
あのままリナと付き合っていれば、ルナさんへの思いはなくなっていったかもしれない。
いや、あの時だって、思いはあっても、それは憧れとか尊敬とか、そういったものだったような気がする。今思うと……だけど。
でもそれは、自分でも全部言い訳にしか聞こえなくて、でもって、そのためにリナに辛い思いをさせたのが自分でも許せなくて。
だから、リナが別れを切り出した時、頷くしかなかった。
どんな気持ちであれ、ルナさんに対する思いが消えないうちは、リナを傷つけるだけだと思ったから。
でもそれは間違いだったんだろうか――?
「オレ……間違った、のか」
「思いっきりな!」
「……」
「ってか、あれだけ付き合っていて、好きだって自覚がないなんてなぁ」
「……」
「それに……」
ルークが言いかけたところで頼んでいた料理がやっと届いた。
美味しそうな匂いに、湯気を立てているハンバーグ定食は食欲を誘ったのか、ルークは話すのをやめて食べることに専念した。
そのためオレも仕方なく同じように食べる。
けれどそれは味を感じなくて、まるで砂を食べているような気持ちだった