いつかどこかで。2

 男は楽屋にたどり着くと、いきなり「出て行け」と言われたじろいだ。
 けれど、それは決して男に向けたものではなかった。

「いい加減にして! あたしはあんたと付き合う気がない、って何回言えば、あんたのその腐った頭は理解できるわけ!?」

 少女の甲高い声が響き渡る。
 男はその声を聞いて、ああこういう声なんだな、と変なところで感心していた。
 それにしても、少女は誰に対してそのようなことを口にしたのか。そう思っていると、その後少女の話をまったく聞いてない返事が少女に返ってくる。

「何回言われても僕は諦めないよ。僕と付き合えばこんな店で踊り子なんてしなくて済むんだ。君は豪華で贅沢な暮らしができるんだよ」
「あたしは今の仕事が好きなの。勝手に決め付けないでくれる!?」
「そんなつれないセリフで僕の気を惹こうとしている君は素敵だ」
「惹いてないわよ!」

 話が噛み合っていない――男はそう思った。いや、どう見ても噛み合っている思える人はいないだろう。
 楽屋の中にいる男が一方的に少女に熱を上げ、熱い求婚をしているようだ。
 そして、少女はそれにうんざりしている。

「でも、いい加減僕にも我慢の限界があるよ。リナ」
「ちょ……近づかないでよっ!! ここのルールを知らないわけじゃないでしょ!」
「ルール? そんなもん」

 男はハッと笑った。

「僕がその気になればこんな店潰せるんだよ? 分かっているのかい? この店のルール以前に、この地に住むなら僕がルールなんだよ。僕は領主である父の息子だからね」
「……っ、サイテー!」

 どうやら少女はかなり気が強いらしい。
 そんな彼女が楽屋にまで入られても強く出れないのは、相手が領主の息子のせいだからだろう。
 そうなると自分が出て行けば更にややこしくするような気がする。どうしたものかと戸惑っていると、リナの悲鳴が上がった。

「……痛っ。いやっ! これ以上触ったら舌噛んで死んでやるわよ!!」

 何かが落ちて壊れるような派手な音。
 どう考えても、領主の息子が力づくで彼女をものにしようとしているのが分かる。
 男は慌てて「やめろ!」と楽屋に入っていった。

「なんだ、お前は?」

 領主の息子は怪訝そうな顔をして男を見た。
 男は男で、彼女が手を掴まれ、壁際に押し付けられているのを見て、ぷつんと何かが切れる音がした。

「なんだじゃないだろう! お前のやっていることは最低だっ!!」

 男は大声で怒鳴ると、いつまでも彼女を放さない領主の息子を思い切り殴りつけた。
 息子は勢いよく吹き飛び、派手な音を立てて転がった。
 そして、何とか起き上がろうとした時に、目の前に剣先を突きつけられて「ひいぃっ!?」と悲鳴を上げた。

「さっきから聞いていれば……領主の息子だからといって、やっていいことと悪いことがあるだろうがっ!!」
「く……」
「二度とここへ来るなっ!!」
「くそっ! 覚えてろっ!!」

 男の鋭い視線に恐怖して、領主の息子は慌てて楽屋を後にした。
 戻ってこないのを確認すると、男は剣を鞘に納める。
 一部始終を見守っていた彼女は、突然現れた男に対して礼を言わなければ、と震える声で声をかけた。

「あの……ありがとう。アイツずっと付きまとっていて大変だったから……」
「いや、つい出てしまって……。大丈夫か?」
「うん、平気。悪かったわね。楽屋にまで来るほど気に入った人がいたのに、こんなところに出くわすなんて、ね」

 気丈に振舞おうとするものの、震えているのが男の目から見ても分かった。
 こんな状態のリナに男が訪ねてきたといってら、さらに怖がらせてしまう気がしたが、他に行くところもないので、男は素直に答えた。

「あ、いや、オレはお前さんを尋ねて来たんだが……」
「はい?」

 リナはきょとんとした表情をで、男を指差した後、自分を指差した。
 男は肯定の意味で頭を縦に振った。
 リナはその顔を凝視した後、とても珍しいものを見たような表情になる。

「………物好きがここにもいたわ」
「お前さん……開口一番がそれか?」
「だってアイツは少女好みなの。で、アイツ以外に声をかけられたことのないあたしにしてみれば、あんたの趣味を疑ってもおかしくないでしょう?」
「趣味って……」

 歯に衣着せぬ彼女の物言いに絶句する。ここまで言いたい放題言うような性格だったとは。
 だけど、男は彼女の瞳の印象が目に焼きついた。
 会ってもっと見たい。声を聞いてみたい――そう思うのは、彼女とそういう関係になりたいのだろうか、と男は考え直した。
 だが、もし彼女が気に入ってくれてそうなったとしても、それはもっと先のことだと思いなおす。

「オレはただ、お前さんの目がすごく印象的で。それにショーでは踊りだけだったから、声を聞きたいなあとか、なんていうのかな、とにかく、お前さんのことが気になったとしか言えないんだが」
「なにそれ? じゃあ、あんたはあたしに対してヨコシマな考えはないってこと? たとえばさっきのヤツ、あれは大人の人を相手にする度胸がないから、まだ女として未熟な子に手を出しているって聞いたんだけど……そういうのとは違うの?」

 リナは先ほどの男にかなり辟易させられていたのだろう。うんざりとした表情で男に質問した。
 けれど、リナが女として未熟というのは微妙だ。
 確かにそういう方面では本人が言うように経験はなさそうだが、この性格は並みの男じゃ御し得ないと思う。

「違う。もしそうだとしても、今はまだそういう気持ちがない」
「よく分からないわ」
「オレもだ」

 自分でも分からない感情を、相手に理解してもらおうなどと思っていない。
 男はリナの呆れた返答に素直に頷いた。

「なにそれ?」
「だってなぁ、なんていうか、お前さん強烈過ぎてさ。とにかく今は話をしたいとか、舞台と客席じゃなくてもう少し近づきたいとか……なんとなく、このまま終わりにしたくないって思ったから」
「まあ、よく分からないけど……あの男みたいに押し倒したりしないなら、話ぐらいしてあげるわ。助けてくれたお礼に」

 リナは褒められて照れて頬をほんのり染めながら、椅子を指差した。

「サンキュ」
「そういえば、あんたの名前は?」
「あ、オレ、ガウリイってんだ。よろしくな、リナ」
「ガウリイ、ね。なんか飲む? って香茶しかないけどね」
「ありがとう。あ、これ……ちょっとさっきのでヨレちゃったけど。それとお菓子も」
「……ありがとう」

 リナは花とお菓子を受け取ると、嬉しそうな表情になった。
 今までこんな風に花など貰ったことなどなかったため、その小さな花束はとても価値のあるものに見えた。
 この店でリナは一人で踊るほど舞姫として腕があったが、まだ幼く、更に領主の息子に目をつけれたため、リナに言い寄る男は他にいなかった。だから花束を貰うというのはリナにとって初めての経験だ。そして、それがこんなに嬉しくなるものだと、初めて知った。
 リナは貰った花束をテーブルに置いて、そのまま香茶を入れた。しばらく蒸すと香茶のいい香りが室内を満たしていく。
 充分茶葉が開いたあたりで、二つのカップに注ぎ、残りのお菓子のことを思いだして、あわせてそれをガウリイに差し出した。

「はい」
「サンキュ」

 ガウリイはカップに口を口をつけると一口香茶を口に含んだ。カップの中には赤い液体が揺らめいている。まるでリナの瞳だとガウリイは思った。
 それから夜が更けるまで、二人は楽しい会話を繰り広げた。
 リナはここで育ち舞姫として生活していることを。ガウリイは傭兵として生活し、そしてあちこちを旅して歩いていることを。どちらの話もお互いに新鮮で、片方が話す時にはもう片方は聞き漏らすまいと耳を傾ける。

「そういえば、リナが踊った踊りって、少女が恋を知っていくっていうのだって聞いたけど、誰か好きな人がいるのか?」

 話をしている間にふと浮かんだ疑問。
 男嫌いとか、変な男に付きまとわれてうんざりしているという割りに、踊りの途中で変化するシーンは何かに焦がれているように見えた。

「う……あんたそういう気はないって言ったくせに、そういうこと聞くの?」
「いや、ここに来る前にお前さんは男嫌いだって聞いたから。それなのによく恋の踊りなんて踊れるなあ、と」
「はは……そういう意味ね。そうね……」

 リナはいったん話を区切ると、机の引き出しから紙切れを取り出した。

「綺麗でしょう。ゼフィーリアのブドウ畑と空を描いた絵ですって。まあ、他の人が見ればただの田園風景じゃないかって言うと思うけど、あたし、この絵が好きなの」
「うん。いい絵だと思う」

 田園風景は、傭兵をしているガウリイにもあまり縁のないものだった。
 そののどかな風景は、傭兵をする前の子どものころを思い出させて、少し懐かしんだ。

「ママから聞いてるんだけど、あたしをここに置いていった人、ゼフィーリアの人だって言っていたわ。そのせいかしら、この絵にすごく惹かれるの」
「そっか」
「ゼフィーリアに行ってみたいっていう気持ちが、あたしにそんな風に躍らせているのかも知れない。それだけこの絵に強い思いを感じるの」

 リナはそう言うとその絵をぎゅっと胸の上で抱きしめる。
 目を瞑り、遠い地に思いをはせるその表情は、確かにあの踊りの時に見た表情だった。
 ガウリイは、なるほど、それならあの踊りが生々しい感じがしないのは当たり前だ、と思う。

「行って……みたいか?」
「ええ。でもあたしには店があるもの。ここまで育ててくれたママに恩はあるし、それに――」
「それに?」
「今のあたしには旅をするだけの強さがないの。客から聞く話だと、盗賊とかいろいろ危険なんですってね」
「そうだな。女の子の一人旅は何かと危険だし」
「だから諦めてしまうのよね。でも……いつか故郷に行ってみたいって思うわ」

 リナは持っている絵を見つめながら、それでも夢を捨てきれないと言う。
 リナの思いは強くて、ガウリイは何とかしてやりたいと思うが、自分もただの傭兵で一人の少女を何とかしてやる力もない。つれて歩くことはできるだろう。けれど、彼が傭兵を続ける限り、彼女を危険に晒す可能性が高いのだ。
 ガウリイはなんとなく罪悪感を抱えつつ、ガウリイが知る限りのゼフィーリアやその周辺の話をリナに語った。
 そして、二人はいつの間にか眠くなったのか、そのまま楽屋で一夜を明かしたのだった。

 

目次