CALL 2

「だああああっ!! 気色わりいいいいいぃぃっっ!!」

 ルークの叫び声と共に、オレは今日もげしっと思い切り蹴られた。

「なんだ、ルークか」

 だけどそんなこと全然関係ない。
 昨日あれだけ口をすっぱくして約束を取り付けたんだ。今日はあの少女に会える。そう思うと自然に顔がほころんだ。

「ガウリイさん……今日はどうしたんですか?」

 ミリーナが不思議そうに尋ねた。

「どういう意味だ?」
「にへらにへら笑いやがって気色わりいんだよっ!!  昨日と百八十度違うぞっ!!!」
「え、へへへ…そうかなぁ」

 ああ、いかん。どうしても顔がにやける。

「やめろおおおおおっ!! 気色わりいいいいぃぃ!!」

 どがっ、といまだにニヤニヤしているオレに、ルークの一撃がオレの顔に見事に決まった。
 でも、こちらがどんな態度でいても、どちらにしろ蹴られるんだな。

「ててて……」

 左頬に青あざを作りつつ、それでもオレは約束の時間のため、彼女との待ち合わせの場所に向かった。
 それにしてもルークのヤツは手加減なしだよなぁ。オレが笑っていたっていいじゃないか。
 そう思いつつ、またしても彼女のことを考えるとにやけてしまう。名前さえ知らない。だけど会いたくて会いたくてたまらない少女。
 その彼女ともうすぐ会える。いくら彼女にたかられようとそれでも構わない。少しでもそばにいたい。

「ガウリイ!」

 その彼女が待ち合わせの場所で手を振ってこちらを見てる。

「……っ!」

 彼女の名を呼べないもどかしさに、ともすれば喉からでかかる彼女の名前。だけど、つっかえて喉以上からでてこない。

「ガウリイどーしたの?」

 オレの青く染まった頬を見て指を指して彼女が問う。

「ん。ちょっと。それより会いたかった……」

 小さな彼女の腰をさらい腕の中に閉じ込める。

「ちょ……」

 彼女が抗議の声をあげるがこの際それは一切無視。彼女に触れたところに熱を感じ、夢ではないと実感する。

「ガウリイ……」

 か細い声を出す少女を、少し放して見下ろすと頬を赤く染め困った表情でオレを見る。

「会いたかったよ……」

 オレは本当の気持ちを彼女に伝える。
 本当は言葉だけでは足りないんだ。
 だけど、その先は彼女にとってはまだまだ順応性がないらしく彼女のことを考えるとその先へは進めない。
 それでも彼女を放したくはないために自然に腕に力がこもった。

「なんで……」
「ん?」
「なんで、そんな風に思うのよ?」

 彼女はポツリと呟くようにオレに尋ねた。

「そんなのわからん。だけど……会いたくて会いたくてたまらなくなる。ずっとずっと側にいたい」

 その言葉とともに更に腕に力がこもる。

「ちょ……苦しいってばっ! それより、それ冷やしたほうがいいんじゃないの?」

 彼女がオレの束縛からやっと手を出して、右手をオレの頬に添える。オレが痛くないように、そっと優しく。

「ん。でもそんなに痛くないし……。それより、今日は何食いに行くんだ?」

 彼女にとってオレは財布だと分かっている。だけどそれを理解していても会いたいんだ。
 だから、彼女と会えるなら散財は覚悟している。

「……」
「なあ」
「今日は……のんびり歩きましょ。天気いいし」
「歩く?」
「そ。こんなに天気いいんだもん。ね?」

 にっこり笑いながらそう言った彼女の言葉にオレは嬉しくなる。
 これってただの財布だと思われているわけじゃない……よな? そうでなきゃ、こんな風に付き合ってくれるわけがないよな?

「ああ」

 オレはその言葉に安堵し、やっと彼女を解放した。

「とりあえず、どこにも行かないわ」

 そう言ってオレの腕に細い彼女の腕が絡んでくる。
 う……嬉しい――そう思いながら、オレは彼女と一緒に歩き始めた。

 しばらくしてふと思った。
 オレは彼女の歩くペースを知っている?
 彼女が大変じゃないように、また自分も疲れないようなペースで街の中を歩いていく。
 その間彼女の興味は尽きることがない。だけど、この前みたいに、あれ買って、これ買ってという言葉は出なかった。
 そしてオレたちは街の中をあちこち歩いては、ショーウィンドーに飾ってあるものに対していろいろと感想を言ったりして楽しんだ。
 これってデートだよなぁ。
 オレは幸せに浸りながら彼女と街を歩いた。

「なあ、また明日も会えるよな」

 日も暮れて別れ際、彼女に念を押す。

「……うん」
「ホントだな? ホントに会えるんだな?」
「また……来るわ。大学の側で待ってる」

 ポツリと漏らした言葉にオレはうれしくなる。彼女のオレに対する気遣いでこうも一喜一憂するとはな。

「うん。楽しみにしてる」

 そう言いながら彼女の頬を両手で挟み上を上げさせて、その柔らかい小さな唇に口付ける。慣れない彼女を気遣い、触れては離れまた触れる……そんなキスを繰り返す。
 そして少しずつ深くしていく。ゆっくりと唇を開け舌を侵入させ、しめった柔らかい口内をゆっくりとなめ回した。彼女のオレの袖を掴む手に力がこもる。

「ぅん、ガウリ……」

 唇を離して見つめると潤んだ瞳でオレを見上げる彼女。

「ガウリ……あたし……」
「どした?」
「ううん…なんでもない……」

 何かを言いかけ途中でやめる。気にならないわけではなかったが、無理矢理聞き出すのもためらわれ、オレはそれ以上あえて聞くことはなかった。

「とりあえず……帰るわ」
「あ、ああ」

 帰るという彼女の言葉に、オレは名残惜しそうに彼女を離した。

「今日は楽しかった。またね」
「ああ、オレも楽しかった。また明日」

 互いにあいさつを交わし、その後少女は振り返って走って去っていった。
 オレは一人残されて、彼女が去った後、とてつもなく虚無感に襲われる。先ほどの幸せが嘘のように思えてくる。
 だけど、また明日会えると思うとその虚無感も少しだけ収まった。
 それだけオレは彼女を必要としているんだろうか?

 そうして、オレは彼女と大学が終わった後は毎日二人で過ごした。
 彼女と会っている間の幸福感と、彼女に会えないでいる間の空虚感の狭間で。
 約束の期限は目の前に迫っていた。

 

 ***

 

 いつまにか別れの時には彼女にキスをする習慣がついた。
 彼女も慣れないながらも必死で応えようとする。その姿が愛しい。

「……ふぅ」

 満足して唇を離せば真っ赤に染まった頬に潤んだ瞳が目に入る。そんな様子を見ると純粋に愛しいと思う気持ちしかなくなる。
 だけどオレはいつまで経っても彼女の名前を思い出せなかった。
 すでにあの約束の日は明日になってしまったが、それでももう会えなくなることはないと思った。
 彼女の言う『約束』には間に合わないが徐々に思い出すか、降参して教えてもらえばいいと思っていたから。

「明日……約束の日ね」

 そんな思いを察したかのように、彼女がぽつりと呟く。

「ああ、そうだな」
「ぜったい……思い出してね……ガウリイ」

 そう言って切なそうにオレを見詰める彼女。
 何でそんなにこだわるんだろう?
 分からないけど、彼女の真剣な表情に、オレは「ああ」と答えていた。
 彼女の『思い出して』という言葉を聞くと、胸の奥がざわざわする。しっかりしろ、とオレに向かって叫んでいる、もう一人の自分がいるようだった。

「それじゃ……あたし帰る」

 すでに日も暮れて、辺りは暗くなっている。
 ここで離したくないと思うのはオレのわがままなのか。彼女には彼女の生活があるだろう。そんな中オレにこうして付き合ってくれてるのだ。

「ああ。また明日……いつもの場所で」

 名残惜しいが、それでも彼女との別れの言葉を紡いた。

「ん……また明日……」

 そう言って、彼女はオレに背を向けて走って去っていってしまった。
 彼女が消えると途端に虚無感に襲われる。それほど彼女との時間は楽しくて、それだけオレは彼女を必要としているのだと実感した。
 だが、明日になるまで彼女に会えるわけもなく、オレは仕方なしに自分の家に向けて歩き始めた。

 少し歩いた頃、目の前に黒衣をまとった、地面につきそうなほど長い金髪の女性が目に入る。
 はっきりいってすごい美人だ。オレだって男だからそりゃあ美人とくれば目がいく。だけど彼女に勝るものはオレの中になかった。
 そんな風に思いながら、その女性のすぐ隣を通り過ぎようとする。
 すると……。

「モタモタしてると大切なものを永遠に無くすわよ」

 件の女性から不意に声をかけられた。
 『大切なもの』という言葉に、ドクンと心臓が大きく跳ねた気がした。

「あの……」
「あなたは思い出せなければ、大切なもの全てを失うわ。覚悟することね。そう、明日……」

 その女性の言葉に、さらに冷や汗が出る。
 明日は彼女との約束の日だ。
 そして、今オレが大切だと思うのは彼女しかない。

「頑張りなさい。ガウリイ=ガブリエフ。彼女のためにも……ね。これは『約束』だから――」

 それだけ言うとその女性はすっとオレの側を通り過ぎ……すぐに闇にとけて消えていってしまった。
 あとには訳の分からないオレだけが残った。

 その日、オレはあの女性の言うことが気になって眠ることができなかった。
 大切なものをなくす?
 今オレにとって大切なものは彼女以外ほかにない。その彼女が消えるというのか?
 だが、今のオレには考えても訳の分からないことばかりで、彼女の名前をも思い出せず、かといって眠れるわけでもなくただ時が過ぎていった。

 

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