紅 11

 意識が妙に冴えて眠れない。そう思うと、リナは疲れが残っている体を起こして窓を見やった。
 窓からは丸い月が優しい光を室内に注いでいる。夜を闇一色で染め上げないよう、月が辺りを薄く照らす。その明かりは焼けつく太陽とは違い、優しく包んでくれるイメージを抱いた。

(こんな風に優しい存在になってみたかった。初めてそう思ったのに……。今まで自分は自分の好きなように、誰かのためになど生きたことはない。だけど、初めてその人のために変ってみたいと思った。でももう、それは叶わない……)

 それなのに、なぜ自分はこの状況を甘受しているのか。隣で小さな寝息を立てているガウリイの存在を感じながら、そう思うと、リナの心は酷く痛んだ。
 今の状況はリナにとって本意ではない。ガウリイに魔族の脅しに負けるなと言われ、それでも離れようとしたリナに「もし離れたら、自分の命を絶つ」と言われたため仕方なく、だ。
 そんな馬鹿なこと、と一笑に付して終わりにするはずだった。だけど、ガウリイはいつになく真剣な表情だった。なにより、そんな虚言で相手を脅すような人物でないというのはよく分かっている。
 笑って誤魔化せせる雰囲気ではなかった。
 リナ自身、不思議な確信があった。彼は自分の言葉通り、自分が離れたら、すぐさま自分の腰にある剣でその体を貫き、地を紅く染め上げるだろう、と。
 それは、どれほどの執着か分からない。だけど、それほどの思いがガウリイの中に確実にある。
 リナはガウリイに生きていて欲しいために、ガウリイの脅しに屈するしかなかった。

(でも駄目。こんなことをしていたらガウリイのためにならない)

 リナは毛布をきつく握り締めた。横には静かに眠るガウリイを眺めると、彼の穏やかな顔を見て、やるせなさが募る。
 そっとその頬に触れると、ガウリイが少し身じろいだ。

「あんたを……あんたを見殺しにできるほど、冷酷になれればよかったのにね」
「それができたら、リナじゃないな」

 いきなり返されて驚くと、ガウリイの頬に触れていた手を引っ張られる。小さく声を上げながら、なす術もなくベッドの上に体を押し付けられた。
 ぎしっとベッドの軋む音を聞いて、リナはまた始まるのか、と頭の隅で考えた。

「ガウリイ……起きてたの……」
「ああ。まだ夜が明けるまで間があるな」
「……」

 答えないのを了承と取ったのか、ガウリイはリナを組敷いた。
 ふと窓のほうに目をやると、先ほどの月が優しく二人を照らしていた。

 二人が再会してからすでに五日が経過していた。
 一日目、ガウリイは忍耐強く説得した。自分の命は自分でなんとかするから、ゼロスの言いなりになるな、と。何度諭しても、リナはただ頭を横に振るだけでその日は終わった。
 そして、夜、ガウリイが寝付いたのを見計らって逃げようとしたのを捕まえられた。何を言っても聞こうとしないリナを、ガウリイは力づくで押さえつけた。
 その後は理性の箍が外れたのか、ガウリイはリナをひたすら貪った。夜が明けて、日が高くなる頃解放し、そして止めとばかりに自分の命を盾にした。
 後はもう、ガウリイの望むままだった。
 昼は町に出るものの、その横にはガウリイが必ずいて、夜は一つの部屋、一つのベッドで過ごした。

(こんなことをしていたら、ガウリイとより深く繋がってしまう。それだけは避けなければならないのに。早くガウリイの前から消えなきゃいけないのに……早く、早く……)

 ガウリイの熱を最奥で感じながら、頭の片隅で呪文のように繰り返す。
 けれど、限界が来ると考えることを放棄した。

 

 ***

 

 アゼリア・シティは中規模の町で、朝市などはかなりの賑わいを見せる。そんな中、何かを探して彷徨う一人の女性がいた。
 名前はシルフィール=ネルス=ラーダ。黒いさらりとした長い髪を靡かせながら、辺りを見渡して歩く。
 彼女は一昨日この町に辿りつき、そしてガウリイを、リナを探して歩き回っていた。
 シルフィールが知る以前のリナなら朝市など放っておけないだろう。そして、それを探すガウリイがいるのでは――と考えた。
 それでも二人の姿は見つからず、シルフィールは朝市の終わる頃、仕方なく近くの食堂に入った。

「ガウリイ様……」

 テーブルに肘をつけ、祈るような形で呟く。久しぶりの旅と人探しのために、彼女の顔には疲労が浮かんでいた。それでも彼女の思考を占めるのは、愛しい人だった。
 やっとたどり着いたけれど、連絡をもらってから数日経っている。もしかしたらもう別の町に行ってしまったのかもしれない。不安がシルフィールの脳裏を掠める。
 別の町へと向かわれたら、もうシルフィールには探しようがなかった。目の前にいつの間にかに置かれた料理にも気づかずに、俯いたまま考える。

(あと一日……あと一日探して駄目なら他の町へと行ってみよう。それにしても嫌な予感がしてならないわ。ガウリイ様は大丈夫かしら……)

 焦る気持ちを抑えて顔を上げると、初めて料理に気がつく。シルフィールはスプーンを持ち、冷えかけたスープを掬った。
 ガウリイを探すためにも、倒れている暇はない。シルフィールはゆっくりとスープを口に運んだ。

 

 ***

 

 日が高くなる頃、ある二人組みがアゼリア・シティにたどり着いた。
 二人とも、白いマントを羽織り風に靡かせている。

「やっと着きましたね」
「ああ」
「リナさんたち……本当にいるんでしょうか?」
「さあな。旦那がリナを捕まえられたなら、何か連絡がありそうな気がするんだが……」

 浮かない顔で答えたのは、黒い髪に少し浅黒い肌、目つきの鋭い男――合成獣キメラから人間の姿に戻ったゼルガディス=グレイワーズだった。
 背の低いほうが、被っていたフードを取り払い、ゼルガディスの言葉に不安げな表情になる。黒い髪、青い大きな瞳の年頃の娘。名前はアメリア=ウィル=テスラ=セイルーン。
 かつての、ガウリイとリナの旅の友だった二人だ。彼らはガウリイからの伝言を聞き、急いでアゼリア・シティに向かったのだ。

 リナの出現は二人にとっても驚くべきことだった。
 ガウリイとリナとは別れてからも、ある程度噂は聞こえてきていたし、そのために所在もなんとなくだが分かっていた。それなのに、二年前いきなりリナの消息だけが不明になった。
 そのリナが今になって現れたのだ。
 二人は聞きたいことも含め、こうしてセイルーンから隣国ライゼール帝国のアゼリア・シティまでやってきたのだった。

 

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