ふう……一人の青年はため息を一ついて、仕事のひと休みに入った。
彼の名はガウリイ=ガブリエフ。そしてここはサイラーグという街である。
ここは二年前に破壊にあって以降、あちこちでいまだに復興が見られている。そんな場所では肉体労働をこなす彼のような存在は貴重で、あちこちで必要とされた。汗を流し働くことを彼は望んでいた。
そして休憩時間になり、一息ついたところだった。
「お疲れさまです。ガウリイ様」
そういって青年――ガウリイに近づいた女性が一人。
黒い瞳、背中まである黒髪の清楚な美人だった。彼女はここサイラーグで巫女兼医者を務めている、シルフィール=ネルスラーダという女性である。
彼女はガウリイがひと休みしたところにすかさず冷たい飲み物を差し出した。
彼と彼女はこの街サイラーグの復興になくてはないくらいの人で、彼らはサイラーグ復興に力を入れながら、二年間一緒に生活をしている。
「ああ、ありがとう」
カップを受け取ると、のどが渇いていたのか一気に飲み干した。
「ガウリイ様、疲れてはいませんか?」
「いや、それより今日はあともう少しやってしまいたいから、帰りは遅くなるかな?」
「はい。お待ちしています」
二人はいつものやりとりをした。
にっこりと微笑んで受け答えをするシルフィールは、ガウリイが疲れて帰ると、家に明かりを灯して待っていてくれる。
ガウリイはそれに安らぎを感じていた。
二人は一緒に暮らしていた。
「いつも大変ですね。ガウリイ様」
「いや、体を動かしている方が調子がいいよ」
二人の付き合いはかなり長く、お互いによく知っている。それにシルフィールがガウリイに好意を寄せている点から、サイラーグの人達から見るとなぜ結婚しないのかという意見が多かった。
二人は二年間一緒に住んではいたが、結婚だけはしていなかった。
ガウリイ自身、まめに面倒を見てくれるシルフィールの存在はありがたかったが、彼女に対しては恋愛感情よりも、家族に対するような気持ちのほうが強い。
また、優しく、また見た目は儚いのに芯はしっかりしている。そしてどこまでも広い心は、聖母というのがいたらこんな感じだろうと思わせる。
実際、彼女を聖母のごとく崇める輩は多く、そんな存在からはガウリイは煙たがられていることをシルフィールは知らない。
「さて、仕事に戻るか」
「はい。頑張ってくださいね」
「シルフィールもがんばれよ」
「はい」
二人の会話には甘さが感じられない。ただ仲間という概念しかない。
シルフィールにはかすかに期待が混じるが、ガウリイはそれに気づかない振りをしていた。
そのためか、『結婚』という言葉も出ずに、この二年間ただ二人で時を重ねていった。
***
「お帰りなさいませ。ガウリイ様」
「ああ、ただいま」
ガウリイの仕事は肉体労働専門のため、家に帰る頃にはへとへとになっている。
それをシルフィールはいつも暖かく迎えた。
「夕食の用意ができてますわ」
「ああ、悪いが先に汗を流してくるよ」
にっこりと微笑むシルフィールに、ガウリイは答えると着替えを持ち出ていった。
まだ、復興途中なので水は貴重だ。なるべく使わないよう気をつけている。そのため、ガウリイは井戸で一杯だけ水を汲み、その水で布を濡らし体にまとわりつく汗を流した。
ふう……と、ガウリイからため息が漏れた。
(まただ……)
彼は昔とあまりにも違う生活のためか、いまだに慣れないところがあるのか、気がつくとため息をこぼしている。すでに二年も経っているのに。
昔は傭兵の仕事や、命に関わるような危険な旅を彼はよくしていた。だが、それを楽しんでいるところもあった。
そのためかもしれない。平和だが、平凡な生活に疲労感を感じてしまうのは――
彼はこのままただ時を重ねていくのを恐がってもいた。いつしか、飛び立つことも忘れ、羽を休めるだけになるのを。
(でももう旅をする気にはなれない。それにこの街の復興にも手を貸さなければ。こんなオレでも必要としてくれる人がいるんだ)
ガウリイはすでに街の復興の主要人物になっている。そんな彼を、あてのない旅に出すことは街の人々が嫌がった。
だが――
(なぜ、オレはこの道を選んだんだろう。自分自身で選んだはずの未来なのに、どうしてなのか分からない……)
ガウリイは拭われることのない違和感にため息をつく。今ここにいるのも不自然に感じてならなかった。
それは彼の中で凝りになり、胸に残る――
「ガウリイ様? まだですか?」
シルフィールが背後からかけた声により現実に引き戻された。
自分がそんなに考えていたのかと驚いた後、慌てて彼女に返事をした。
「ああ、今行く」
ガウリイはもう少しだけ体をタオルで擦った後、水を上からかけた。顔を振るってまとわり付く水滴を落としながら。
考えるのはやめよう。自分は考えるの得意じゃない――ガウリイはそう思い、手早く体を拭き部屋に戻った。
「お、すごいな」
シルフィールは料理も上手で、いつもよく食べるガウリイのためにたくさんの料理を作ってくれる。今日もテーブルに所狭しと料理が並べられていた。
獣油に照らされた料理の数々は、お腹の空ききったガウリイの胃を十分に刺激した。
「ええ。今日は隣のレティさんから作りすぎたからって、ポトフを頂いたんです。そのため、今日使うはずだったお肉を別のものに代えたので、一品増えたんですよ」
そう言われると、ちょうど二皿野菜たくさんで香料が効いているポトフが湯気を立てていた。
さしずめシチューでも作るつもりだったのだろう。その肉は香草焼き替わったようだった。
「そっか、会ったらオレも礼を言っとくよ。それじゃあ、いただきます」
肉体労働のためにすききった胃袋を満たすため、ガウリイは夢中になって料理を平らげていった。向き合って座るシルフィールはマイペースに料理を口に運んでいく。
シルフィールの作る料理はおいしく、疲れたガウリイの胃袋を満たしていく。
しばらくの間話すことより食べることに専念し、あらかた料理が片付き、空になった皿の数が多くなった頃、シルフィールはガウリイに声をかけた。
「あ、ガウリイ様。荷物の用意が出来てますから」
「ああ、すまないな」
ガウリイは口に入っていた料理を飲み込んだ後口を開いた。
明日、ガウリイは久しぶりに旅に出ることになった。行き先はセイルーン。
久しぶりにこの間アメリアから連絡があったのだ。しかも内容が、『ゼルガディスが人間になって現れた』という衝撃的な内容だった。
ガウリイはすぐさまセイルーンに行って確かめようと思ったのだった。
人間に戻ること――それは親友であるゼルガディスの悲願だったから。
その願いが叶ったというのなら会いたかった。祝いの言葉くらい直接言ってやりたいとガウリイは思った。
シルフィールも行きたいと言ったが、シルフィールの方こそ街の復興になくてはならない人のため、サイラーグから離れることは出来なかった。
そのため今回セイルーンまではガウリイ一人で行くことになったのだ。
「わたくしも行きたかったんですけど……」
「すまないな。シルフィールはここで必要な人材だからな」
久しぶりに友に会いたいという気持ちは二人とも同じだった。
けど、仕事のためいけないシルフィールにガウリイは言付けを頼まれた。
「では、明日は早いのでそろそろお休みになられたほうが――」
「ああ、じゃあ先に休むよ」
気遣うシルフィールに、ガウリイは素直に従い床についた。
***
次の日、旅立ちに相応しく爽快な空だった。
朝、早々に出発するために朝食を取った後すぐに荷物を取った。昔使っていた防具を身につける。ガウリイは身が引き締まった気がした。
(なんか、昔に戻ったみたいだな)
心が高揚していくのが分かる。同時に感覚も冴えわたり、いつもより体が軽く感じた。
逆に、シルフィールは心配そうな顔をしていた。
「じゃ、行ってくるよ……と、シルフィール、どうしたんだ?」
「いえ、あの……何か嫌な予感がするので……気をつけてくださいね」
「ああ、シルフィールのカンは当たるからな。気をつけるよ」
にっこり笑って返した。出かけに心配はかけさせたくない。
というより、ガウリイにはシルフィールのそんな予感は気にならないほど気分が良かった。
「では、行ってらっしゃいませ」
「じゃ。すぐ帰ってくるよ」
ガウリイはシルフィールとの短いやり取りをしてから、セイルーンに向けて歩き始めた。
その先に彼自身の運命が待っていることも知らずに――