天気は心を映す鏡なのか、今日の空はリナの複雑な心と同じで曇天だった。厚い雲が空を覆い、いつ雨が降ってもおかしくない微妙な空模様。
部屋の窓から空を眺めながら、リナは今日はどうしようかと考えた。本当ならゼフィーリアに向けて旅立つはずだったが、雲行きはとっても怪しい。
天候も、ふってわいた人間関係も。
「あーあ、なんで急にこんなことになったのかしらねぇ」
リナは窓の桟に手をかけて、空を仰ぎながら呟いた。
リナ自身、ガウリイに対する想いが少なからずある。だから、ガウリイからの告白は嬉しいものだった。
だけど時が悪い。あんな時、あんな状態で言われても嬉しさは半減だ。
しかも人並みくらいには憧れていた初めてのキスも、気持ちを伝え合う前に、ものすごく酒臭い中でする羽目になった。
そうしてふつふつと怒りが湧くと同時に、キスをしたという恥ずかしさも込み上げてくる。
「あああ……もう! いったいどうすればいいのよっ!?」
普通に、なんて無理だ。モテるガウリイならいざ知らず、異性からの告白なんて滅多にない。
そのリナに、告白そしてキスなどという二段攻撃を受けて、普通の態度などできるわけがなかった。
しかも今は、あのいかにも怪しいガウリイの旧友がいるのだ。
いや待てよ。反対に相棒よりも上の関係になったのなら、少し……いや、かなり恥ずかしいけれど、「ガウリイはあたしのものよ!」と言って追い払えるかもしれない。
恥ずかしがり屋のリナにすれば、かなりの高等テクニックだが、一度言い切ってしまえはあの怪しい男を振り払えるかもしれないと思った。
(うん、それがいい)
大きく頷くと、リナは意を決した。
と、同時に扉がノックされて、のんきに「起きてるかー」という声が聞こえる。決意を固めようとした時に声をかけられて、リナは心臓が飛び出そうなほどびっくりした。
しばらく落ち着かせて、やっと扉を開けて「起きてるわよ」と答える。
ガウリイを見ると、多少酒臭さが残るものの、いたって普通の表情だ。どちらかというと昨日よりすっきりした感じに見える。
「お……おはよ……」
「おはよう。メシ食いに行くんだろ?」
「うん……」
リナは恥ずかしくて少し俯き加減で、でもガウリイの様子を確認するように上目遣いで見る。そこには以前と変わらないガウリイがいて、なんとなくおかしく思った。
いくらリナでも、「好きだ」と告白したのに何も変わらないなんてことがあるだろうか?
気を遣っているのかもしれないけど、まるきり以前と同じなら、告白する意味なんてないのではないか?
そこで、リナはとあることを思い出し、恐る恐る尋ねた。
「ねえ、ガウリイ。昨日のことなんだけど……」
「あ、ああ。悪かった。あいつら早くどこかやったほうがいいと思ったから」
「どっかって……」
何気に酷いことを言っていると思いつつ、ガウリイは出ていく時の話で、帰ってきた後の話をしているんじゃないと気づく。
「だってなあ、あんな疫病神に後付きまとわれたんじゃたまったもんじゃないぞ。それに……」
「それに?」
「あ、いや……」
「とにかく、よく覚えてないが、はっきり言い切ってきたはずだから、もう大丈夫だ」
ガウリイの『よく覚えてない』というセリフで、リナの心にぴしっと亀裂が走った。
ガウリイは見た目は酔ったように見えないけれど、実はしっかり酔っていて、しかも記憶が何もないという時があることを。
(――ままま……まさか……)
夜、ものすごく酒臭かったガウリイ。そして、いつものガウリイらしからぬ行動――突発的な告白。
なのに、今目の前のガウリイは、夜中にリナの部屋を訪ねたことを口にしない。
いや、口にしないというより、二人の仲は何も進展していない、といった雰囲気だ。
いくら色事に疎いリナとて、告白して、しかもキスまでしたのに何も変わらないなどおかしい、と感じた。
「あ、あんた……そういえば、いつ、どうやって帰ってきたの?」
慎重に、自分からは決して夜中のことを出さずにガウリイに問う。声は心なしか震え、顔色も悪い。
けれどガウリイはそれに気づかず、後頭部に手をやりながら明後日の方向を見ながら、「んー」などと呟いている。
そして数十秒後、ガウリイは考えるのを放棄して、リナに簡潔に言った。
言ってはならない一言を。
「あー、良く分からんが、とにかく朝起きたら宿で寝てたから大丈夫だ」
明るい声で邪気のない笑顔を浮かべて答えるガウリイに、リナの怒りはコンマ一秒で頂点に達した。
「……くぉんの馬鹿ガウリイ!! いい年して記憶がなくなるほど飲むなっつーの! しかもあんな時間に乙女の部屋を訪れたばかりか、ぐだぐだ訳の分からない言い訳はするわ、ああああ、挙句に……挙句に………くうううぅぅっっあ、あんなことしてええっ!! ……もう……もう、こんな体力バカの脳みそヨーグルト男なんか知らないっ!!」
耳まで真っ赤にして、一気にガウリイに捲くし立てた。
***
鬼の形相とはこのことか――と思わずにはいられないほどリナの形相は恐ろしかった。
同時にあまりに早口で捲くし立てられたため、ガウリイはリナの言ったことをほとんど理解できなかった。それでも烈火のごとく怒り狂っているリナに、もう一度言ってくれと言う勇気はなかった。
仕方なくリナの怒りの元がなんなのかを考えようとするが、思い当たる節はない。
黙っているとリナのほうが痺れを切らしたのか。
「もうガウリイなんか知らないっ! くらげの面倒もここまでよ!!」
トドメにもう一発大声をお見舞いされる。
その後、リナはどすどすと足を踏み鳴らして階下へと降りていった。
ガウリイはただ呆然として、廊下に立ち尽くすし、リナが消えていくのを見るしかなかった。
***
一階の食堂にいる時間もすでに一時間半が経過しようとしていた。いい加減、食堂のおばさんに白い目で見られつつ、どこで切り上げようかと考え始めていた頃だ。
もとい、そう思ったのはヒューだけで、アルベルトはまったく気にしてない。それでも暇になったのか、だらんと両手を下にたらしてだらしなく座っている。
そんな時だった。
「もうガウリイなんか知らない!」
聞いたことのある少女の甲高い声が響き、やっと出番だと二人は感じた。
すぐに小柄な体には似あわないドスンドスンという音とともに階下へと降りてくるのを見て、アルベルトはひらひらと手を振った。
途端に少女の顔が真っ赤に染まる。それを見て、アルベルトは首尾は上々、といった顔をした。
もちろんここまで引っ掻き回したのは彼本人だ。
ガウリイの性格と、連れの少女を垣間見た様子では、少し突けば揉めるだろうことはすぐに予想できた。まだ互いの心を打ち明けてない二人には、つけるいる隙などいくらでもある。
「やあ、おはよう」
少女――リナは一直線に彼らに向かうと、空いている席にどかっと腰を下ろした。
「挨拶もなしかい?」
「挨拶……ね。で、あんたたちガウリイに何したの?」
「別に。普通に飲んだだけだよ。ね? ヒュー」
「ああ。ガウリイもよく飲んだてたな」
自分たちが飲ませたことは置いといて、あたかもガウリイが自分からかぱかぱ飲んだように言う二人。
明るく話す二人にリナの眉がぴくぴくと上下したのをみて、アルベルトは心の中で笑った。
「それよりもお腹空いてるだろう? 今日は機嫌がいいんだ。奢ってあげるよ」
「へえええぇ!? 奢ってくれるなんて太っ腹ねぇ。じゃ、遠慮なくいただくわ」
にこやかなアルベルトにリナもニヤリと笑みを浮かべて、テーブルの上にあったメニューに手を伸ばした。
***
その頃――三階の廊下でいまだに佇む影が一つ。
それはものすごく悲壮な顔をして、肩を下げて壁と向かい合っている。
「いったいオレは……」
リナの言ったことはだいぶ時間がかかったあと、なんとか理解できた。どうやら、飲んだ後リナの部屋を訪れて、なにやらぐだぐだと言い訳したという。けれどリナの言った『あんなこと』が分からない。
しかも『くらげの面倒はここまで』とまで言われてしまった。
悲しいかな、ガウリイは自分は飲みすぎると記憶が飛ぶということを知っていた。だからその記憶の飛んだ時に、リナが怒髪点をつくような馬鹿なことをしたんだということは、ガウリイにも推測できた。
けれど、それがなんなのかは分からない。
ガウリイ自身は朝起きた時、妙にすっきりしていたのだが、それは何かの間違いだったのだろうか。いやいや、リナも最初は普通に話しをしていたっけ。
と、いろいろ考えてみるがまったく見当つかなかった。
「オレはいったい何をしたんだよぉ~っ! ぜったいあの悪魔のせいだあああぁっ!!」
自分のしたことが分からないガウリイは、元凶であるアルベルトを思いだし、痛々しい叫び声を上げた。