おなかすいた。
おなかすいた。
おなか、すいた。
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ああ、なんか考えているのが馬鹿らしくなってきた。分かってる。この空腹がなんなのか。
どれだけご飯を食べても満足しない。
どれだけお茶を飲んでものどが潤わない。
当然だ。だって、ほしいのは別のものなんだから。
あたしが欲しいのはたぶん“血”だ。吸血鬼になって(されて)から数ヶ月。よくもったほうだと思う。
でも、少しずつ渇きを覚えて、今はそればかり考えるようになっていた。
***
「秋月にでも頼みなさいよ。そんな顔を見ていると、わたくしまで辛気臭くなってくるわ」
「…………ひどい。」
呆れ半分、冷たさ半分。そんな感じの顔をしたトリィがこちらを見る。
ティーカップを片手に優雅にソファーに座っている彼女は、あたしの十六の誕生日の翌日以降、この家に居座っている。
あたしの保護者の幼なじみ――否、保護者から格上げになったのだから、元保護者というべきか。
……なんてつらつら他のことを考えて誤魔化そうとしても、この飢えは消えない。
「だからそんな顔していないで、さっさと秋月のところに行ってきなさいよ」
「だって、借りを作りそうだから……イヤ」
「借りって……」
秋月の性格を知っているあたしとしては、出来れば借りは作りたくない。
邪悪な、そう、まさに邪悪なという表現が的確な笑みを浮かべて、何を要求されるか分からない。
「そうは言うけど、琴音は他の人から血をもらうなんてこと出来るの?」
「う……それは……」
無理、だよね。だって今まで普通に人として生きてきたから。
体が頑丈になったことはよく分かるけど、それ以外にどんな力があるのか分からない。それより、まず人を襲うという行為自体が無理だと思う。
「無理でしょう?」
「うう……そんなにはっきり言わなくても」
「でも事実ですもの」
「他人事のように言わないで! ってか、別にトリィの血でもいいんじゃないの!?」
「嫌よ。もったいない」
「さいですか。」
即答だった。
涼しい顔してさらりと言うのは最初のころとまったく変わらない。
「それに、琴音にそう言われたら断るようにって、秋月から言われてるの」
「あのヤロ……」
「悪いわね」
「じゃあ、ウェンからもらう!」
そうだよ、この家にはもう一人いるじゃないか。これまた秋月の幼なじみの吸血鬼が。
人間、望みを捨てちゃあいけないよね!
「それやったら、ウェンが秋月に殺されるわよ」
「はい!?」
なんでそんな話に!? と思ってトリィを見れば、トリィは平然とした顔で。
「ウェンは秋月にとって仲間だけど、大事なものに手を出されて黙っているとは思えないわ。いっぺん死んでこい、って言われて、ウェンはお星様になりそうね」
加えて「それはそれで面白そうね」などと物騒なことを口にしながらくすくすと笑う。
「楽しそうに言わないで! それに別に手を出されるわけじゃなく……あたしのほうが血をもらうんだから、その表現はちょっと違うと思う!」
「別に変わらないわ。秋月にとって、琴音の“はじめて”が他の人ってのが許せないんだと思うわ」
「ちょ……なんなのよ、その独占欲丸出しは!?」
「そんなの前からでしょう」
またもやさらりと受け流される。
それにしてもトリィもウェンも駄目となると、やはり秋月しかいないわけで。
でも、吸血って……なんか見た目やらしいじゃないか。血を吸うには相手の首筋に口を付けるんだもん。それって相手がものすごく近くにいるってことだよね。
それに頼む相手がなまじそういう人相手だから、過剰反応するってのは分かってるんだけど。でも背に腹は変えられないと言うし。
いや、待て待て待て。そこで悪魔に魂を売ってどうする?
ぜったい後々まで響くに違いない。そんな恐ろしい真似はぜったいにできない。
ああ、でも我慢してもこの渇きは消えないわけだし……
駄目っ! 弱気になっちゃ駄目!
頭をふるふると振って弱気になった気持ちを振り払っていると。
「琴音、百面相はやめてくれるかしら。面白いから紅茶を噴き出しそうになるわ」
「あのね……」
どこまでもマイペースなトリィにはあ、とため息をつく。
そういやこの家にいるのは本当にマイペースなヤツばかりだよね。
そんなの相手にまともな話をしようと思うのが無理なわけで……ここは一発あたしもみんなを見倣ってみようか。
ふらりと立ち上がりながら、心の中で何かが切れる音がした。
「琴音、どうしたの?」
「病院」
「え?」
「病院行ってくる」
「病院って……別に怪我もしていないし、病気でもないじゃない。それは秋月から血をもらえば済むことでしょう?」
「秋月からもらうなんて、そんな悪魔に魂を売るような真似するくらいなら、病院行って輸血してもらう!」
ぐっとこぶしを握り締めて叫ぶ。
そうだよ、その手があるじゃない。病院なら輸血用の血液が色々あるんだから、まさにより取り見取りってヤツよね。
この時点ですでにまともな考え方だとはまったく気づいていなかった――と、もう少し先のあたしは思ったけど、今はそんな余裕はない。
「何言っているの!? 何もないのに輸血なんてしてもらえるわけないでしょう!」
「じゃあ怪我する!」
「馬鹿言わないで頂戴。それじゃあ血をもらう以上に失うわよ」
「う……」
そうか。多少の怪我の場合は治療して終わってしまう。
しかもこの体は頑丈で、なかなか酷い怪我はしないし、怪我をしてもすぐに治ってしまう。となると、輸血してもらうのは無理。
でも秋月からもらうのは嫌。
うーん。
うーん。
うーん。
数秒考えた後、思いついたのは。
「輸血パック強奪!」
輸血パックのままなら、ある程度もらってくれば当分困ることはない。
もちろんこんな考えは間違っているけど、そこまでの余裕はなく、自分ではナイスアイデア、なんて思っていたりする。
「ちょ……琴音?」
逆にトリィはカップを手荒にテーブルに置くと立ち上がって止めようとする。
でもそれより先に、後ろから声が聞こえた。
「お前はアホか。なに血迷ってる」
聞きなれた声に振り返ろうとした瞬間、首の後ろに衝撃を感じる。
目の前が真っ暗になった。
***
次に気づくと秋月の部屋にいた。しかも一番危惧するような危険な場所で。
……これが一番嫌だったのになぁ……とぼやいてももう遅い。この状況で逃げられるなんて甘い考えはない。
「輸血パック強奪とは……本当に飽きないヤツだな」
寝かされていたため、上から見下ろすように面白そうな顔をしている秋月が見える。黙っていればかなりの美形……なんだけど、いかんせん性格が悪すぎる。
とはいえ、その性格が悪いのを選んでしまう自分もなんとも言えないけど。
まあ、この辺は刷り込みなのだろう。
どちらにしろ一言返さないと気がすまない性格なので、打てば響くように反応してしまう。それがさらに相手を面白がらせていると分かっていても。
「目が覚めたばかりの相手に対して、開口一番がそれっ!?」
「当たり前だ。トチ狂うのにも程がある」
「トチ……」
確かにいい選択とはいえなかったけど……それだけ切羽詰っていたんだってば。
今まで普通に人間してたんだから、いろいろ抵抗ってもんがあるんだよ。
それに相手は秋月。小さい頃からのあれこれを知られていて、しかも向こうの性格もよく分かっている。だから余計に躊躇いが出るんだよぉ。
でも馬鹿なことを言っていたという自覚はあるので、言い返すことはできない。黙ったままいると、秋月が小さくため息をつくのが聞こえた。
「ちゃんとお前に説明してなかった俺も悪いけどな」
そう言いながら横になっていたあたしの体を起こして同じ目線にさせる。
「秋月?」
「ほら、手」
「は?」
短く言うと秋月はあたしの手を取って自分の首筋に持っていった。触れたところからとくんとくんと脈打つのを感じる。
これ……頚動脈? ここから血をもらうってこと?
となると、あたしはここに噛み付(ちょっと違う)かなければいけないのかな。
「少し楽になっただろう?」
どうしていいのか迷っていると、秋月が少し心配そうな顔で尋ねた。
楽になったって……何が? どうも頭がついていかず理解できない。
でも気づくと感じていたあの感覚――のどが渇くような、お腹が空いたような、そのためにふらりとくる目眩のようなのが消えている。
「ど、して……? 血、吸ってないのに……」
信じられないと思う反面、秋月に触れている手から何か暖かいものを感じる。
そしてそれがあの感覚を薄れさせていく。
「あのな、俺たちは吸血鬼って言われてるけど、なにも直接血を採らなければいけないわけじゃない」
「…………は?」
なんですか、それ?
「いちいち相手の首筋に噛み付いていたら非効率的だろうが」
「そりゃまあ……」
「俺たちが必要なのは人に宿る生命力だ。それを得るのに一番効率がいいのが血だっただけだ。だけど血を直接もらうってのはなかなか難しい。だから別の方法が考えられたってわけだ」
ううむ。となると、“吸血鬼”という言葉が当てはまらなくなるじゃないか、などと思いつつ、次に考えた手が、相手に触れて生命力を奪うってことかと考える。
しかし、こうなると真剣に悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
なまじ血を吸われた経験があるので身構えていたんだけど……って、あれ? じゃあ、なんであの時は血を吸われたんだろう?
「どうした?」
考え込んだあたしに秋月が覗き込むようにして尋ねる。うう、顔が近いよ……と思いつつ、素直に疑問を口にする。
だって黙っているほうが、秋月の興味をそそるのは分かりきっているから。
「いや、それならなんで誕生日のときは思い切り血を吸われたのかな、って」
「ああ、それは」
「それは?」
「仲間にするために決まってるだろうが」
「は?」
何がどう違うんだろう、と思っていると、続けて説明が来る。
「あのな、食事としてなら血――生命力をもらうだけでいい。だけど仲間にするならその血を混ぜなければいけない。分かるか?」
食事……うん、たしかに食事なんだろうけどさ。ずいぶんな言い草だよね。
でもトリィも初対面の時に言っていたっけ。所詮吸血鬼にとって人間ってそんなものなのかな?
ええと、話がそれた。
確かウェンも仲間にするには体組織を変えるから命を落としかねない危険なことだって言っていた。だから血を吸ってあたしと秋月の血を近くしたんだと。吸血鬼化するためになるべく負担にならないように。
「ああ、なるほど……」
やっと血を吸われた理由に納得できた。
でもってこれからは秋月に頼らなくてもなんとかなるとも。学校に行ったときに友だちと遊ぶふりをしてこっそりちょっとずつ頂く――という手を使えば。
なんて邪道なことを考えていると。
「納得できたならお礼でもしてもらおうかな」
「はい!?」
お、お礼!?
い、嫌な予感が思い切り……急に背筋が寒くなるのが分かる。
「そうだな、今回はこちらにも不備があったし、とりあえずキス一つで良しとしてやろう」
偉そうに言われて「ハイ、そうですか。分かりました」なんて言えるわけがない。
でもこのまま黙っているとどうなるかも予想がつく。ぜったい、あたしからする気がないなら~とか言って秋月のほうから迫ってくることは間違いない。
別にキスははじめてじゃないけど、自分からするとなると別だ。
となると……
「う、そ……じゃあ、ちょっと恥ずかしいから、目、瞑ってくれる……かな?」
言うだけでも顔が熱くなるっ!
恥ずかしいのを我慢しながら言うと、秋月はちょっとだけ意外そうな顔をする。
たぶん、あれこれ理由を付けて断ろうとするんだろうと思っていたんだろうな。だけどすぐに頷いたから驚いたんだ。
すぐに大人しく目を閉じけど。
しかし、目を閉じても綺麗な顔は綺麗だな。日にあまり当たらないから、男の癖に綺麗な肌してるし、睫毛なんかやっぱり長いのが、ここからでもよく分かる。
……なんか普通の顔の自分としては、ちょっとムカムカとしてくる。
だから。
「隙あり!」
手のひらで思い切り秋月の顔をバチンと叩く。
叩くのと同時に思い切り押したから、秋月はそのまま後ろへ倒れる。
「やーい、引っかかってんの!」
思ったことをすぐに行動に出してまうこの性格は問題だけど、やっぱり秋月の思い通りの展開になるのも嫌だ。
だからあたしは捨てゼリフを一言残して、急いでこの部屋から逃げ出した。
結局甘いのは無理ということで、ひたすらそういうところは省く羽目になりました;
(甘いというかそういうシーンというか…)
こんな感じで攻防戦を繰り広げているので、なかなか甘い雰囲気にはならなさそうです。
2008.11.30 ひろね