第8話 ズルくても一石二鳥

 盛大な腹いせ――あたしを吸血鬼にしたせいで、極上の血を味わえなくなったからという――とやらはもうすぐ終わるらしい。もう一度、二人の姿を映した時は傷は増えていたけど、周りにいる人たちはほとんど居なくなっていた。
 それに加えて、トリィは吸血鬼になって特別な血でなくなったあたしをどうにかしようというやつはいないだろうと言って、自分の部屋へ戻っていった。
 あたしといえば、飲み終えたカップを片づけた後、パジャマを持って客間に移動。さすがに扉が外れたままの部屋で寝る気はしなかった。
 秋月しゅうげつはまだ戻ってこないようで、ベッドに寝転がってトリィから聞いた話を反芻している。でも、出てくるのはため息ばかりだった。

「これからを、考えろ……かぁ」

 でもさ、あたしまだ十六なんだよね。本当に、本当に何も知らされず、のほほんとただ学校に行って、家では薔薇の手入れをして、そんな生活を送ってたんだよ。
 なのに、急に先を考えろって言われても正直困る。
 秋月は……、もしかしてあたしが悩むのを分かっていたのかな。だからあんな風に接していたのかな。
 だって、あの状態ならどっちだって選べたんだもの。
 秋月の態度に呆れて怒って出ていくことも、流されて秋月の手を取ることも。どっちを選んでも不自然じゃなかった。
 それだけあたしのことを色々考えてくれてた。
 秋月が唯一あたしに対して了承を取らなかったのは、吸血鬼にしたことだけだ。
 それも、トリィの話で納得できた。

『なら、あなたはわたくしたちに血を与えるだけの生き人形として生きたかったの?』

 あたしの質問に、物騒なトリィの質問で返した。
 でも、あたしみたいな人の多くはそんな風に扱われたってことを聞いて戦慄した。
 人でなくなればその血も変わる。だから人のまま生きた。ううん、無理やり生かされた。操られて逃げようとしないよう感情を失くして、ただ吸血鬼に血を与えるだけの存在として。
 そして生きている間、吸血鬼の間でも彼らを取り合い諍いを起こす。喉から手が出るほど欲しいけど、自分のものでないのならその存在は邪魔なだけだから。
 秋月はそういった問題を、あたしを吸血鬼にすることで解消し、あたしに自由をくれた。
 全部、自分の気持ちは綺麗に隠しながら。

 でも、秋月はあたしを使って自分の望みも叶えていた。手間をかけても秋月が最初に望んでいたことは叶っては、いる。
 トリィに言わせると、今の秋月に敵う吸血鬼はいないって言ってたし。
 それを考えると利用されたという気持ちから、秋月に対して評価がマイナスになる。
 でも、もっと簡単な方法だってあったのも事実だったし、あのやり方であたしに危険がなくなったのも事実だった。
 ただ、秋月がどうして気を変えたのか分らない。

「ズルいよなぁ……」

 あたしの安全と、秋月自体の望みと両方を叶えるのって、ズルイって思う。
 怒りのもっていきようが……ないんだもの。

「ズルくても一石二鳥だったろうが」

 秋月の声。
 でも、今度は気配が分かったから、特に驚かない。

「……勝手に入ってくるな」

 ベッドの横にいる秋月に、あたしは見もしないで返す。
 今は、秋月を見たくない。話したくない。だって今は心の整理ってものが全然出来てないんだもん。
 でも秋月はどこ吹く風で。

「ここは俺の家。どこに行こうが俺の勝手」

 あんなに怪我してたのに、今は小さな傷一つないし、服も着替えていて何もなかったかのようにしている。
 こんな風に、今まで何事もなかったように見せてたんだよね。
 ズルイよ。いつも余裕で、人のことなんて考えてないように見せていて、そのくせ、やることはちゃんとやっていて――それを知って、今のあたしは迷走状態。それを知ってるくせに、いつもどおりに振舞う秋月にカチンと来る。

「うるさいな! いくらあんたの家でも、あたしだっている。面倒みるつもりで連れてきたなら人のプライバシーくらい守れ!」

 理不尽な怒りだって十分わかってる。でも、それを抑えて普通に話が出来るほど出来てない。それが悔しくて、半分涙目になりながら起き上がって秋月を睨みつけた。
 けれど、秋月はそれすらも楽しいようで、何かを企んでいるような、そんな危ない笑みを浮かべる。

「ほんっとにお前は飽きないな」
「……」
「選んで正解」

 そんなの知らない。そう思った。でも体は動かなかった。
 秋月がベッドに足を乗せて近づく。それはゆったりとした動作なのに、あたしは金縛りにでもあったかのように少しも動けないでいた。

琴音ことね
「……っ!」

 手が頬に触れて、反射的に目をつむる。
 優しく触れるその手は次第にあたしの顔を包むようになり、顔に温かい息を感じたと思ったら、そのままキスされる。
 一瞬反応したけど、そのまま動けないでいるとすぐに深いものになる。逃げるかのように体は反り、堪えるためにシーツを握りしめる。
 どうしよう? どうしたらいい?
 このまま流されるのが一番楽だってことは何となく分かる。
 でも秋月から離れたいのなら、今ここで突っぱねないと駄目だ。
 ぐらつきかけてたところに突き付けられた真実と選択肢。それがあたしに動揺を与えてる。

 秋月はあたしを利用した。
 でも守ってくれてた。

 これからの自由もくれた。
 でも吸血鬼としてしか生きられない。

 何が良くて何が悪い?
 どういう選択をするのが一番いい?

 頭の中はぐちゃぐちゃで、体は秋月にされるまま。反っていた体は耐えきれなくなって、ベッドの上に落ちた。
 秋月はその上に乗って、あたしの服に手をかけている。器用にパジャマのボタンが外されて、温かいと思った手が肌に触れた時は体が小さく震えた。

「……抵抗しないのかよ?」
「……」
「このままヤっちまうぞ」
「……」

 意地悪く聞かないでよ。あたしの中は今ぐちゃぐちゃなんだから。どうしていいか分からないんだから。
 それなのに、秋月は最後の最後まで、あたしに選ばせようとする。
 あたしに選択肢をくれている。
 違う。残酷にあたしに選択を強いる。

 自分の未来なんだから、自分で選べ――と。

「どうしたらいいかなんて……分からないよ。本当のことを知ってショックだった。自分のこと、秋月のこと……。あたし、どうしたらいい? あたしに選ばせないでよ。迷うよ。このまま流されちゃってもいいの? それとも拒否させるために時間をかけてるの?」
「琴音……」
「分からないよ。秋月の気持ちが分からないよっ!」

 トリィが教えてくれた本当のこと。でもその中に、秋月の気持ちはないんだもの。
 秋月が色々考えていることも分かった。あたしのためにって動いてくれてたことも知った。
 でもあたしに対する気持ちはどこまでが本当なのか、あたしには秋月の表情や行動から読み取ることが出来ない。
 半泣き状態でぐちゃぐちゃになった気持ちを吐き出した。
 すると秋月がはあ、とため息をつく。

「さんざん言ってきただろうが……」
「“愛してる”って? 信じられないよ! だって、いつから? 秋月と最初に会ったのって三歳だよ。普通だったら恋愛対象になんてならないじゃない。ぜったい変! それに秋月の優しさって見た目じゃ本っ当に分からなくて、どこまで本気にしていいか、あたしには分からないよっ!」
「そんなの俺にも分からん」

 あたしが思いの丈をぶつけると、秋月は頭を掻きながらあっさりとした答えを返す。

「…………は?」
「俺にも分からないって言ってるの。だいたい、そんなのきちっと線引きしなきゃいけないことか?」
「だって……」
「なら、お前はどういえば納得するんだ?」
「ええと……」

 答えられなくて思わず口ごもる。
 でも確かにしっかり線を引けるようなことじゃない……のかな?
 気持ちっていつの間にか変わっていることもあるんだし……?

「お前が知りたいのはなんだ? 俺の気持ちか? それならとっくに口にしてる。それでもまだ気にかかることがあるなら、トリィがお前に話した以外のことも話せば気が済むのか? お前の言う答えが出るのか?」

 秋月はあたしの上に乗ったまま、少し苛立った口調で問いかけてくる。

「うー……とりあえず聞きたいことはある」
「なんだ?」
「なんで、あたしの面倒をみる気になったのか」

 気持ちってのは変わるから、十三年の間に秋月の気持ちが変わっても可笑しくない。
 でも、最初の契約内容が、どうしてああなったのか分らない。

「あたしが三歳の時、秋月はあたしを狙ってきたんだよね? なら、どうしてあんな契約にしてあたしの面倒を見てくれたの?」
「そ、それは……」
「トリィも分からないって言ってた。どうして? 何が秋月を変えたの?」

 気になるせいか自然と早口になる。
 逆になんでも話すと言ったはずの秋月のほうがうろたえ始めている。

「秋月?」
「うーん……なんでも話すと言ったが……」
「そんなに話しづらいこと?」
「話しづらいというか……俺にするとあまり話したくないというか、だな。ええと……本当に聞きたいのか?」

 は、初めて見るかもしれない。こんな秋月。
 それほど秋月のうろたえ具合がすごくて、あたしは「聞きたい!」と即答した。

 

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