第7話 あなたのそばに。

 再び天界。
 ここは光に近いというけれど、地面に草木もあり人界とほとんど変わらない。人界よりも淡い光に包まれたこの場所は、逆に温かくて居心地が良かった。
 マリアベールはのんびりとお茶をして時間を過ごすのは、ここに来てからの日常になっていた。
 レースのテーブルクロスの上には白い陶器でできた薄いカップとお皿が一対ずつ、皿の上には赤い実が沢山乗ったタルトと生クリーム。そのタルトを一口食べた後、マリアベールは嬉しそうに。

「んーっ、美味しいですー」
「そうですか?」
「はい、いつも美味しいケーキで嬉しいです」
「それは良かった」

 これもまたいつものやり取りになっている。
 マリアベールはいつの間にか天界での生活に慣れていた。ここにいる人たちは優しくて、マリアベールに敵意を持つ人がいない。
 おかげで彼女は人界にいた頃と変わることがなかった。

「そういえば、今年の大祭にはユリア様は初めて出られるんですか?」

 タルトを口にしていたせいで途切れた会話を、今度は質問でつなぐ。

「いえ、以前一度行ったことがあるんですよ」
「え、そうなんですか?」

 五年に一度の祭りは人界においてマリアベールの故郷である柱の国で行われる。その時は各国の使者はもちろん、天界、地界の人々も彼女の国で迎えいれる。
 マリアベールは姉のことも考えて公的な場所にはあまり顔を出していない。けれど五年に一度の祭りは別だった。小さい頃から出席している。

「じゃあ、もしかして私のこと見たことあったり……なんて?」
「ええ、実はあるんですよ」

 ユリアはいつもと違って悪戯を企んでいるような、そんな含みのある笑顔を浮かべた。
 けれど、顔を見ているというのであれば、今回の話があっても可笑しくはない。
 ――が。

「あ、でもお姉さまは出席していなかったはず。なのになんで……」

 祭りは数日かけて行われ、王宮から下町まで祭りのためにあちこちの人が集い騒ぐ。
 同時に初日と最終日には天界・地界の支配者、人界の各国の使者のために、中心にある柱の国の王宮での祝宴が開かれる。その祝宴にマリアベールは出席したが、クレアトールは出席していなかったはずだ。
 マリアベールに話があるのが分かるが、同時にクレアトールにもあるのが分からない。
 加えてどうしてどちらか――という曖昧な話だったのか。

「あの、お聞きしてもいいですか?」
「なんですか」
「あの……」

 先ほど考えた内容なら、マリアベールが選ばれたことは理解できるが、姉のクレアトールまで話があるか分からない。
 けれどそれを聞いてどうするのか?
 すでに二人ともそれぞれの界に来てしまっている。聞いて後悔するだけなら、聞かない方がいいのかもしれない、と思うとなかなか言葉が出てこない。

「なぜ、貴女と貴女のお姉さんに今回の話がいったのか、ですか?」
「……う、はい。どうしても気になるんです」
「そうですね」

 ユリアはカップに口をつけて少し間をおいた。
 それは話そうか迷っているようにとれて、マリアベールは追及していいものか迷った。
 本音としては聞きたい。けれど、無理に聞きださなければならないことなのか。カップを揺らして中のお茶が動く様を見ながら、マリアベールは静かに待った。

「まあこちらも色々ありまして。少しずつ説明していこうと思ってはいるんですが――とりあえず貴女のお姉さんのことは心配ありませんよ」
「はぁ、だといいんですが……」

 大好きな姉だが、気が強くて納得いかなければルシファーにもくってかかりそうな感じがして、急に心配になった。
 マリアベールにはルシファーがどういう人か分からない。
 ユリアのように人がよさそうな感じなのに、肝心な所ははぐらかして教えてくれない人だとしたら、クレアトールが最も嫌がる相手だ。

(お姉さま、本当に大丈夫かしら……ああ、そういえばこの話を聞いた時も、お父様に食い下がっていたわ。同じように“ルシファー”様にしていたら……)

 カップを持ったまま考え込み、だんだん不安になってそれが表情に出てしまう。
 その様子がおかしかったのか、ユリアに笑われてしまった。

「ユリア様……ちょっと酷いです」

 マリアベールは笑うユリアに口を尖らせて目で抗議する。
 けれどユリアの笑いは止まらない。それでもマリアベールに悪いと思ったのか、口元を押さえて隠すようにされた。

「……すみませんでした。本当にお姉さんが心配なんですね」
「もちろんです! だって私、お姉さまのことがとても大好きなんですもの。だけどお姉さまは気が強くて、だからそのせいでルシファー様の不興を買ったら――と思ったら心配で心配で……」

 マリアベールは少し青ざめた顔の頬を手で押さえた。
 ユリアはクレアトールの気の強さを知らないから他人事のように言えるのだ、とマリアベールは心の中で毒づく。

「本当に大丈夫ですよ」
「そうでしょうか」
「ええ、なにせこの話を持ちかけたのは向こうからですから」
「…………え?」

(向こうから話を持ちかけた?)

 話というのは縁談だろう。
 けれどその意味が分からなくて、マリアベールは首を傾げる。

「私も貴女に嫌われるのは御免ですから話しますが……。今回貴女方に同時に縁談を――という話になったのは、地界のルシファー殿から話を持ち出したのですよ」
「どうして――?」
「それは……今度の大祭の時に直接訊ねてみるといいですよ。私が話すより納得できるでしょう」
「そうかもしれませんが……」

 こういう時、マリアベールはユリアははぐらかしの名人だと感じる。
 ただ優しいだけではない。年の功なのか性格なのか分からないけれど、話しづらいことは笑顔と納得してしまいそうな言葉で躱してしまう。
 おかげでまた、聞きたいことも聞けないまま終わるのだ。

「ずるいです」
「そう言われても……」
「だって、お姉さまのことを全然教えてくださらないんですもの。ルシファー様のことも」
「貴女がお姉さんのことを心配するのは分かります。けれど、少しは私のことも考えてくれますか?」
「それは……」

 いつの間にかに手を取られていることに、マリアベールは驚き、そして鼓動が速くなった。
 最近こうして触れると妙に落ち着かない気持ちになる。不快なものではないけれど、ユリアの顔を真っ直ぐに見ることが出来ずに俯いてしまう。

「マリアベール」
「あっ、はい!」
「少し歩きませんか?」
「はい……」

 ユリアはマリアベールと話をするときには“貴女”という。だから名前を呼ばれることはほとんどなかった。
 それなのに手を取られた上、さらに名前を呼ばれると、マリアベールは頷くだけで精一杯だった。
 ユリアに導かれるまま椅子から立ち上がり、花が咲き誇る庭園を歩く。手が触れている所が妙に熱く感じた。

「マリアベール」
「はい?」
「貴女のお姉さんは本当に大丈夫です。安心してください」
「……はい」

 念押しするからには本当に大丈夫なんだろう――マリアベールはそう納得しようとした。
 それにユリアははぐらかしはするが、嘘はついたことがない。

「それと、貴女が天界に来てくれて嬉しかった」
「ユリア……様」

 含みのない笑顔は、落ち着かないマリアベールの心をさらに慌てさせた。

「ずっと、私と共にいてくれますか?」

 ユリアの言葉を聞いて、一拍置いて、それから「はい」と答える。
 マリアベールは分かった気がした。この落ち着かない気持ちがなんなのかが。
 側にいると落ち着かないのに、居ないと寂しい。それはユリアにしか反応しない。

(いつの間にか、好きになってたのね)

 マリアベールは目を閉じて、ここに来てからのことを思い出していた。
 ユリアは特に何をしたわけでもなかった。静かにいつも笑顔で接してくれただけ。
 けれど、いつの間にかにマリアベールの心の中に居座っていた。

「あの……私のことはマリア、と呼んでください」
「マリア……?」
「はい。それに、私の方こそユリア様のお側に居させてください。私、ユリア様のことが好きです」

 ずっと側にいたい。
 その想いを込めて、マリアベールはユリアを見つめ返した。

 

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