012 見えない鎖(フィデール)

 百代目、ラ・ノーチェ国王は現在二十三歳の独身である。
 彼に対して一番耳にする情報は、“変人”の一言に尽きる。
 それもそうだろう。彼が王位を継いで二年と少し。その間、一度たりとも人の前に姿を現さない。現わさないというのは語弊がある。現わしても、その姿をしっかり見せたことがない。そのため“人嫌いの変人”と言われている。
 変人扱いされて嫌ではないのか、と聞くと、本人はあっさりと「別に。顔が分かってしまえば好き勝手に出歩けないじゃないか」と返してくる。
 実に単純明快な、彼らしい答えだった。

 

 ***

 

「全く、本人を知っているから今まで思いませんでしたが、噂以上の変人だと、たった今つくづく思いましたよ」
「ふふん。今頃気づいたか」
「ええ、今更ながらに貴方との付き合いを後悔したい気分です」

 こちらの嫌味など気にせず、豪胆に笑う。そんな彼の慌てた様子を、今日始めてみた。
 本当の名はサフィーロ=シエン=ノクトゥルノ。現在のラ・ノーチェ国王。
 そしてアスル・アズールとは、ふらふらと出歩くための偽名。

「それで具体的にどうするんですか?」
「ミオに自覚を――なんだが、それが一番大変そうなんだよなぁ。俺も今回ばかりは余り自信がない」
「おや、貴方にしては珍しく弱気ですね」
「あの鈍感娘相手ではな。お前が来る前に少し話をそういう話をしたが、全く話にならん」
「おやおや、それはまた珍しいことですね」

 意外だ。彼がここまで物事を上手く運べない相手が、予言で示された女性とは。
 そういう意味では面白いかもしれない――などと少し不謹慎なことを考えてしまった。

「ただし、面白い意見は聞けたがな」
「成る程。そのあたりがミオさんを気に入った理由ですか」
「そうだな。自分とは違う方向から見る目。それにこの世界の者ではない以上、この世界での常識が通用しない」
「ええ。彼女はこの世界の女性とはあまりにも違う」

 彼の言うように、ミオさんなら違う見方からこの世界を切り崩すかもしれない。
 そう考えると、体が小さく震えた。

「まあ、まず俺はミオのほうに掛かり切りになるだろうが……」
「そう、ですね」
「その間にお前の教育も入れるなければな」
「ハイ? 勉強ならしてたじゃないですか」

 今さら何を学ぶというのか。
 彼とは同じ学び舎で学び、次席だったもののそれなりの成績で卒業した。勉学という点において学ぶことはないはずだ。

「そっちじゃない。お前には王族としての心構えがない。その辺をみっちり教え込まないとな」
「あの、それはどういう……?」
「そのままだ。今のお前は王族ではない。それは臣下の態度だ」

 臣下と言われて言葉に詰まった。そのまま彼を見ることが出来ずに俯いてしまう。

「身分の低い母。肩書だけの第四王位継承権、その割に高い魔力――今の王、王太子にとって邪魔な存在だ。だからお前を臣下のように扱うことで、自分たちの立場を誇示している」
「今さら再確認させてどうするんですか」
「まずは現状把握だ」
「……それで?」

 分かるような分からないような彼の話に、どこにどうツッコミを入れていいものか迷う。
 それに彼の話す内容は、事実は事実だ。でも、だからどうしろというのだろうか。
 私にはそれ以外の態度の取りようなどないのだから。ふう、とため息をつき、空になりかけたグラスを見つめる。

「このままだとお前が王位に就いたとき大変だ、という話だ」

 王という言葉がひどく遠く感じる。
 当たり前だ、そんなことを考えたことがなかったからだ。可能性は乙女の指名のみ。けれど、本来なら自分のことなど知りもしない状況だっただろう。
 酔いも合わせて、彼の言葉を信じることができない。

「私が王……ですか。夢物語のような非現実的な話ですね」
「その非現実的な夢物語を実現させるんだよ。この世界のためにな」
「あなたが非現実的な夢物語を見るのは勝手です。だけど私を付き合わせないでください。私はもっと穏やか夢が見たいんです」
「お前なあ、人の話をちゃんと聞いているか? お前を王にというのは夢でもなんでもないぞ」

 呆れた口調で彼が返す。
 いや、私には十分夢物語の範疇だ。これ以上は聞いてはいけない――という声が、心の奥から聞こえる。気づくと、とっさに耳を押えていた。

「……ったく、深層意識にまでガッチリかけられているな」
「は?」
『カンセラシィオン』

 短い魔法と同時に、目の前で指をパチンと鳴らされてびくっとした。

「な、何をしたんですか!?」
「お前の意識にかけられている“鎖”を一つ解いたんだよ。一度にやることも可能だが、それだとお前の精神に負担が来るからな。徐々にやっていくか」
「くさ……り?」
「小さい時からだな。お前が逆らわないよう、念入りにかけている。力が少ないから細かくいくつもかけてあるが、反対に解くとなると厄介だな」

 そんなことをしなくても、自分はラ・ルース側の人間。国のために尽くす気はある。
 けれどその思いを信じてもらえず、血の繋がった家族に操られていたというのか。いや、そもそもこの扱いでは、家族と認めてもらっていないのだろう。
 客観的に分析している自分がいて、そして、さほど傷ついていない自分に苦笑する。

「そんな魔法をかけられているなんて……。全く馬鹿みたいですね、私は……」

 どこかで気づいていたのだろう。
 信じられない、信じたくないという気持ちより、ああやっぱり……といった諦めの気持ちのほうが大きかった。

「それはお前のせいではないだろう。本来、力に怯えるなど、王族にあってはならないものだ」
「……」
「俺がこの国の王なら、今の王族一同全員処罰の対象に入るな。私利私欲に走りまくっている」
「それは貴方に力があり、そして立場があるから言えるんですよ」
「否定つもりはない。だが、王が王たらねば、何も意味がない。俺は自分のやるべきことをやっている、ただそれだけだ。でなければ“王”などと名乗ることは許されないからな」

 やるべきこと――か。確かに彼の言っているは正しい。
 齢二十一で即位してから二年、ラ・ノーチェは安定し、以前より豊かになっている。たった二年で、だ。だから人の前に姿を現わさぬ王でも支持されるのだろう。
 それに問題の予言さえなければ、この国とも緊張状態に陥ることもなかった。彼にはそれだけの力と手腕がある。だからこそ乙女が加わることで増すラ・ノーチェの力を、この国は恐れたのだから。
 それに比べて父は――国民はともかく、王宮に出入りできる身分の者には王と認められていないだろう。力がないのに王と名乗り、そしてその権力を私欲に使う。そしてそれを利用する者、失望し離れていく者――さまざまだが、真に忠誠を誓っている者が居ないとはっきり言える。
 目を背けていた事実を突き付けられて頭が痛くなる。
 そこに彼は追い討ちをかけてくれるのだ。

「落ち込むのは勝手だが、先ほど言った処罰の対象の中にお前も入っているぞ」
「え? わ、私もですか!?」

 父と兄のことはともかく、面と向かって自分まで言われるとは思わなかった。
 こういってはなんだが、特に私利私欲に走ったことはない。なら、父たちを止められないことを責められているのだろうか。
 目を見開いて彼を凝視する。

「どうして――と聞いていいですか?」

 彼の言いたいことが分からず尋ねると、深いため息で返される。

「本当に分からないのか?」
「シエン?」

 シエンというのは学び舎で呼んでいた彼の名だ。“サフィーロ”という名は嫌だ、“シエン”と呼べと言ったから。
 でもミオさんの前ではなるべく使わないよう気をつけていた。彼女は行動的で、どこから情報を集めてくるか分からないから。

「だから言っただろうが。今のお前は王族じゃなくて臣下だと」
「それは……」
「王が私利私欲に走った場合、臣下が王を諌めるのは難しい。だから同じ王族である者がそれをしなければならない。王族は王ではないが臣下より発言力が強いからだ」
「……」
「お前の兄たちは今の王と同じだ。それを知らない。唯一知っているお前は、王族としてではなく、臣下として言われたことしかしない」
「痛い……言葉ですね」

 父よりも、兄達よりも一歩下がり、接する。それは同じ血に連なるものとしてではなく、一つ下の臣下としてだった。そうして今まできたが、確かに彼の言う通りだ。
 しっかり線を引き、自分は違うのだと言い聞かせて。母のために。自分のために。
 だがそれは間違いだったのだろうか……?

「確かに私の態度は臣下に近いです」
「王たる者は国を守らなければならない、国のために心を砕かなければならない」
「ええ、そうです……」
「そのためには私利私欲に走ってはならない。人の上に立っても、他の者を見下してはならない、また見下されてもならない」
「見下されてはいけない?」
「他にもまだ沢山あるがな。今のお前に必要なのはそこだろう?」

 彼は王となるべくして育てられた者。私などよりよほど覚悟ができているのだ。
 彼の“王”としての心構えを聞いていると、素直にそう思える。

「それにしても、見下されてはいけないなど……私に出来そうにありませんね」
「それをこれから覚えていくんだよ。お前はそれ以外は大丈夫だろう?」
「……はあ」
「“鎖”のこともある。すぐに変えろとは言わん。無理にすれば精神に異常が出る可能性がある。少しずつ解いていくしかあるまい。その間に――」

 どうあっても彼はそのまま進めるつもりらしい。
 が、巻き込まれる身にもなってほしいものだ。
 しかも、無理やり解けば、精神に異常って……物騒なことを平気で言ってくれるものだ。
 さらに具体的な話になり始めたので、すかさず話を逸らす。

「そういえば……ミオさんはどうやってあの姿かたちにしているんでしょう」
「確かに魔法の痕跡は見当たらんな。もしかしたら、それが乙女特有の魔法かもしれん」
「そうですね。そうなるとミオさんはここに来た時から魔法を身に付けていたということでしょうか?」
「分からん。乙女に関してはラ・ノーチェでもあまり記述がないんだ。他よりは知っている、程度だ」
「なら……、聖地に行けば分かるかもしれないですね」

 乙女は代々聖地で大神官を務める。そこになら、乙女の力を知る術があるかもしれない。

「そうだな、その可能性は高い」
「ええ」
「なら、ミオを連れて三人で聖地まで軽く遠足とするか」
「はい!?」
「あそこなら行ったことがある。“転移”の魔法が使えるから、乙女のことを調べるにしても数日で戻ってくることができるだろう」
「それはそうかもしれませんが……」
「ミオにもこの世界を知るいい機会だ」

 ああ、もう決定事項ですか。彼はすでにその気で、自分はそれを変える術を持たない。となると、付き合うという選択肢しかない。
 はー、明日、朝一で予定を変更しなければなりませんね……。
 そして、今夜何度目か分からない深い深いため息をついた。

 

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