異世界に来て数日。
生活は悪くない。大国の王宮ってことで、食べ物はいいし、寝る部屋もふかふかのお布団がある。
フィデールが住んでる離宮から出なければ、余り人と会うこともなく、詮索されることもない。
それにフィデールは最高祭司だけあって、離宮には大量の魔法に関しての本や、この世界の歴史についての本が豊富だ。
フィデールが何かと忙しく走り回っている間、暇だった私はそれらを片っ端から読み始めた。幸い話すだけでなく、ミミズがのたくったような文字も読めてしまうから良かったというか、意外というか。
おかげでこの世界のこととか、この国の状況とかがだんだん分かってきた。
「……さん、ミオさん?」
本に熱中していると、どこからか声が聞こえる。
何度か呼ばれてやっと気づき、顔を上げると数時間ぶりのフィデールの顔。
「かなり呼んだんですが」
「あーうん。私、本を読み出すと周囲のことを忘れちゃうんだ。ごめんごめん」
「そうですか。でも一息つきませんか?」
「そうだね。って、もうこんな時間なんだ」
「ええ。お腹すいてませんか?」
「すいてる」
時計を見るともうお昼過ぎ。本を読み出してから、すでに三時間以上経っているようだ。
この世界は元の世界と時間とかほとんど変わらない。だからボロが出ないようにするのはけっこう楽だったりする。
違うのは生活水準がちょっと低いこと。
なんせ電気とかないのだ。科学とかより、魔法のほうが発達しているせいで。でも反対に魔法でちょちょい、って出来ることもある。なんか面白いよね。
***
フィデールに促されて他の部屋に向かうと、ほかほかと湯気の立っているスープや、野菜とお肉をたくさん使った炒め物、パスタ、と美味しそうな香りが漂う。
ここに来てから前のようにひもじい思いをしないだけいい。前はバイト代が入る前なんて、お金がなくて最低限の物しか食べられなかったしな。
歌を歌えばお腹がすくのに、口に入れられるのは水ばかり――なんて悲しいこともあったなぁ。
昔を思い出すけど、それよりも食欲が勝る。
「いただきまーす」
フォークをもって宣言すると、私はまずパスタに向かう。
今日はあっさりトマトベースのパスタ。ピリッと辛味が効いていて、まるでアラビアータのよう。
うーん、美味しー。
美味しいものを食べると自然に笑顔になる。
「ミオさんは本当に美味しそうに食べるんですね」
「だって美味しいじゃない」
「そうですか?」
「そうだよ。フィデールって舌肥えてるんだね。この美味しさがわからないなんてもったいない」
「まあ、特別美味しいかと聞かれるとわかりませんが、普通だと思います」
「やっぱり舌肥えてるよ」
この美味しい料理が日々の食事じゃ、不味いものを食べたことないんだろうね。王子だし。
悪いとは言わないけど、食べることの楽しみは半減しそう。
いっぺん水だけの生活をしてみれば、どれだけ美味しいものを食べているか分かると思うけど。まあ、そこまで私が口に出すことじゃないし。
「あ、それよりもさ、私、町に出てみたいんだけど」
「町ですか?」
「うん、そう。なんせ一年もずっとここに居るとしたら飽きるし。どうせ来たなら異世界を堪能しないと」
「た……まあ、ここは離宮ですし、小さい門が近いので、そこから出入りはできますよ」
「お、ラッキー♪」
「その時はこれを持っていってくださいね」
「はい?」
差し出されたのは何かの紋章のようなペンダント。
「これはラ・ルース王家の紋章です。これを持っていれば、大抵の場所は通ることが出来ますよ」
「なるほど。それは便利だね。ならお借りします♪」
素直に受け取って首にかける。首にかけるにはちょっと大きいけど、失くさないようにとの配慮。
それと同時にこちらの硬貨をいくつか出してくれる。
「それとお金です。何か欲しいと思ったら遠慮なく使ってください」
「あ、何から何まですみませんねぇ」
「いえ、こちらの勝手で呼び出したのですから。それにしてもミオさんは美味しいと言って食べてますが、もう少し食べたほうがいいのではないですか?」
「はい?」
「かなり細い、ですよね? 病気には罹っていませんか? 病気でしたら薬師を呼びますが……」
「なっ、ないです! いたって健康です!!」
うわー、ヤバイ。ここに来る前はお金がないから、ほぼダイエットに近いものがあったし。胸はほとんどないから女とは思われないけど、でも男にしたら細すぎるらしい。これはちょっと服の下に厚手の布でも巻くしかないかな。
ここでの服装は長袖のTシャツのようなものに――でもメリヤス地みたいに伸縮が少ない――ゆったりとしたズボンを太い腰に巻く布で固定するのが普通。
フィデールなんかは王族だからその上に豪華な上着を着てるんだけど、私は面倒臭いしこの建物の中にしかいなかったから、それだけしか着てなかったんだけど……どうやらガリガリに痩せている少年(or 青年?)に思われているようだ。
なんか悔しいから、今度から面倒臭くてもゆったりとした上着を着て誤魔化そう。
「だいじょーぶです。いたって健康。どこも異常なし。ご飯は美味しいしストレスはないし、生活は元の世界より優雅だから」
なんせ働いて生活費を稼がなくてはいけないという重圧がないし。
唯一必要性があるのは魔法かな? このままでは数ヶ月先にはバレてしまうため、魔法でなんとかしようという考えにいたった。魔法に関する本は必要性もあるけど、新しいことで面白い。
必要性といえば、“姿替え”という姿を変化させる魔法があるという。それを使って、更に固定させるなら、あるアイテムが必要なのだ。でもってアイテムがなければ魔法の維持は難しそうだった。
たぶんフィデールの研究部屋なら、そのアイテムもありそうだけど、使ったら変に思われる可能性が高い。
そのために町に出て、その材料が欲しかったんだ。そういったお店は普通にあるみたいだし。
「ならいいですけどね」
「問題ないない。フィデールは気を遣いすぎ。私は平気」
「……ミオさんはどこでも生きていけそうな逞しさですね」
「任せてちょうだいな。雑草みたいな生き方してたし、どこでも私は私さ。今更お上品には出来ないけどね」
間違って呼び出した後ろめたさがあるのか、フィデールはかなり私に気を遣っている。
でもさっき言ったように、私にしては優雅な生活なんだよね。ちょっと生活に疲れて現実逃避したかったから、ちょうどいい気分転換だ。
ただ、歌えないのが残念だけど。最近、声、思い切り出してないなぁ。
***
フィデールが言っていたとおり、離れの近くには小さな門があった。
どうやら離宮の持ち主――フィデールのためのものらしい。彼が出入りするのと、魔法に関する物を売りに来る人とか、そういった人のためのもの。同じように通行用にあのペンダントを持っている。
門番はそれを見せると問題なく通してくれた。
「さて、と。軍資金もあるし、とりあえずは町の様子を見てきますか」
慌てて必要なアイテムを買おうとしても、いくらするのか分からないから、ここは一つリサーチも兼ねて町を散策することを選ぶ。
夕飯までに帰ればいいとして、四時間くらいはあるかな? 十分町をふらふらできる時間だ。
鼻歌を歌いながら町の中を歩く。あれだ。テレビとかで見た外国のバザール。屋台が道の両脇に所狭しと並んで、あちこちから威勢のいい掛け声が響いている。
その活気に圧されながら、きょろきょろしながらも、人にぶつからないように気をつけて歩く。
もうなんていうか……すごいの一言。人の熱気でふらふらしてしまいそうだ。熱気にやられながらひたすら歩くこと数分。
そろそろ新鮮な空気が欲しいと思う頃、視界が開けた。どうやら町の中央まで辿りついたらしい。広場になっていて真ん中は噴水に近い池。人はそこそこいるものの、それでもさっきの人通りより少なかった。
ふーっと一息つくと、どこからか笛の音が聞こえてきた。少し高い音は、それに合わせて声を出したら気持ちよさそうだ。
きょろきょろと周囲を見回すと、椅子に腰掛けて座っている黒髪の青年が目に入る。
おや? 黒は高貴の証――だっけ? がなんでこんなところに?
疑問に思うものの、曲調を聞いていると聞いたことのある曲だ。フィデールの所でいくつか聞いたうちの一つ。
歌詞は……こんなだったっけかな?
――何処から来たまいし 玉の乙女
黒い髪を風に靡かせ――
……って、おお、これって有名な“玉の乙女”の曲じゃん。
歌詞を思い出すより先に歌いたいという気持ちのほうが先だったから、気がつくと思い切り声に出して歌っていた。
やばいなあ、注目されてる。笛を吹いている人もこちらをちらっと見たけど、そのまま演奏続けてるし。
ええい、やっぱり歌っちゃえ。