「大丈夫ですか? お水でも貰ってきましょうか?」
部屋に入って長椅子に座ると、ふう、とため息をつく。するとスサナが心配そうに尋ねた。
最初の頃では信じられないほど、スサナは献身的に尽くしてくれる。そんな彼女を道連れになんて出来なかった。
「そうね、水を貰うふりをして、あなたは逃げなさい」
それを聞いてスサナは驚いた顔をする。
「シェル様……何を言われるのですか?」
「逃げなさい、と言ったの。私が逃げたら大事になるけど、あなただけなら上手くすれば出られるわ。水を貰うふりをして出て、それから女官の服に着替えなさい。あなただとを分かる人は少ないわ」
貴族の娘ならともかく、その侍女まで把握していると思えないから。
だから、女官が着ているものに着替えれば、スサナだと気づく人は少ないに違いない。
「ですが、私がいなくなったらシェル様は……」
「別にあなたがいてもいなくても、罰を受けるのに変わりはないわ」
思ったよりスサナは真面目らしい。
こんなことに手を貸すのだから、もう少し要領がいいと思っていたけれど……だからこそ、逆に庇いたくなる。
「それに利用しようとした相手を気遣う必要なんてなくてよ?」
「シェル様……」
「私はあなたを利用しようとした。分かっているでしょう?」
彼女にとっては、利用しようとしている人物が、バレリー候から私に変わっただけのこと。
それは彼女も分かっている。しばらくした後、スサナは小さく「はい」と小さく答えた。
「だったら無理に私に付き合う必要はないわ。逃げられるなら逃げなさい。あなたにはお姉さんが待っているのでしょう?」
お姉さん、と言ったらスサナはピクリと反応する。
けれど。
「はい、ですが姉の心配はもうしていません」
「どうして?」
「シェル様が、きちんと援助してくださったからです」
「それは……ただ単に、そういう約束だっただけよ」
私は彼女のお姉さんが亡くなるまで面倒を見るよう指示した。それは私とスサナがいなくなっても続くように、とも。
でもそれはバレリー候より私の方がいいのだと、信用させるためのもの。
「はい。ですが、シェル様はきちんと約束を守ってくださいました。私がいなくても姉には十分な薬と体調を診てくれる人がいます。まったく心配がないといえば嘘になりますが、それでも大丈夫だと思っています」
「だから約束でしょう?」
「ええ、ですから私もこうして最後までシェル様に付いていくんです」
「……馬鹿ね。でも、ありがとう……」
こんな私を信じてくれて。
本当に、揃いも揃って不器用で人ばかりだわ。目の前にいるスサナ、黙って知らないふりをしているルイス様。
そして、父殺しの汚名を着て自分の気持ちを殺しても国を、玉座を守る王。
あなたの本当の気持ちはどこにあるのかしら……ねえ、エイラート?
***
疑問が解決する前に、宰相が扉を開けて入ってくる。部屋の用意ができたので、移るようにと。
その頃にはスサナも私も落ち着いていて、震えることなく立ち上がった。そしてまた宰相の後を付いていく。
行き着いたのは後宮の中でも奥のほうだった。罪人を閉じ込めるにしては立派な扉。
それに手をかけてあけると、中に入るように言われる。中は今までいた部屋より広く、そして調度品などは古いものの立派なものばかりで――
「なっ、なんなの、この無駄に広くて豪華な部屋はっ!?」
思わず叫んでしまう。
本当になんなのだろう。最後に少しだけいい思いでもさせてくれるとでも言うのかしら?
スサナもわけが分からないようで、周囲を見回している。
「ここは代々王妃となった方が住んでいた部屋よ。そういえば分かるかしら?」
くすくす、と笑いながら少し高めの声が後ろから聞こえる。
「チェティーネ様。どういう意味ですか?」
「そのままよ。未来の王妃様?」
笑顔で答えられて、返す言葉もない。
間の抜けた顔をしていると、チェティーネ様はスサナにお茶を頼むと、長椅子に座るように促す。
説明をして欲しかったので仕方なく座ると、チェティーネ様も私の横に座った。緩やかな動作に、さわやかな花の香りがかすかに漂う。彼女に似合った清楚な香り。
「まずはご懐妊おめでとう、と言わせていただくわ」
「はあ、ありが……って、なんで知ってるんですかっ!?」
「ふふふ、みんな知っているわ」
含み笑い、と言えるような笑みをしつつ、チェティーネ様は私が退席した後のことを説明してくれた。
昨夜のあれは芝居だったと。怪我の一つもないと、それらしく見えないため、バレリー候を騙せないだろうと判断し、王のほうから挑発したのだと言った。だから私の罪は不問だと。
なんか……私が考えを踏まえた上での行動に腹が立つわね。
けれど、いくら挑発したとはいえ、王に刃を向けたということには変わりない。極刑とまでいかなくても、何かしらの罰を、という流れになったのだが……王がその場で、私の妊娠を告げたらしい。
「今の所、陛下にはほかに御子がいらっしゃらない。だからあなたに罪を着せるわけにもいかない、ってわけ」
「そんな、横暴な……」
「たぶん、陛下は狙ってやったんでしょうね。あなたが罪に問われないように」
「……え?」
一瞬信じられなかったけれど、でも、お父様を殺した犯人を捕まえていたことといい、こちらが妊娠しているかも、と気づいた頃を見計らっていたような感じ。それらを考えれば、辻褄は合う。
でも、私にそこまでする意味がない。意味がない――と、思うの。
「こうなるなら、私も少しあなたを苛めておけばよかったわ。本当に、陛下はあなたのことがお好きなのね」
「はい?」
あ、あの、本当に話が良く見えないんですが……って、思わず敬語になってしまうわ。
「ふふ、わけが分からないって顔してるわ」
ええ、もちろんですとも。と、また敬語になりつつ、言葉にはならないので心の中だけで答える。
「話を聞かされたのは昨日だったんだけれど……。話の内容を聞いていたらさすがに頭にきてしまったわ」
「はあ……」
ここでチェティーネ様の話を要約してみると……。
四年前にあらかた問題あるのはどうにかできたけれど、国内の安定を図るためにはまだ時間がかかる。それに一番問題のバレリー候の動向も気になる。
けれど、王にはまだ跡継ぎはおろか妃もいない。そのために次から次へと貴族の娘が後宮へと送られてくる。新しい王にご機嫌を取るためと、あわよくば権力のおこぼれに預かるために。
チェティーネ様もその一人だったと。
運よく気に入られ、寵姫と呼ばれるようになったものの、懐妊の兆しはまったく見えない。
当たり前だ。以前『セラン』が言ったように、出来ないようにしていたから。その内容をポソポソと小さい声で言われた時、こちらの方が顔が熱くなってしまったわ。
あの馬鹿男っ!
……っていけないいけない、怒りはとりあえず置いておいて話を戻す。
寵愛というのは一時的なもの。その寵がある間に、その立場を確固たるものにしなければならない。焦りながらも、それを悟られたくなくて、物分りのいい女性を演じていたという。
でも、チェティーネ様は基本的に人がいいのだと思うけど。必要以上に演じなくても。
「私が気に入られた理由を知っていて?」
「いいえ」
「私があなたに一番似ていなかったから――ですって」
「はい?」
理解しかけてたのに、またもや理解不能になる。そんな私を見て、チェティーネ様は少しだけしてやったりといった顔になる。
ええと、もしかして私は遊ばれているのかしら?
「別にそういうわけじゃなくてよ。でも、シェル様って意外と顔に出やすいのね。前は控えめにしていたから分からなかったけれど」
「意外なことに出くわしてばかりですから。慣れる前に次から次へとこれでもかと披露されるんで、さすがに免疫ができないというか……」
半分敬語交じりに答えると、チェティーネ様はまたくすり、と笑う。
意外と人が悪いのかもしれない、と頭の中にあるチェティーネ様の情報を書きかえた。