お姉ちゃんと別れて、近江さんと2人で落ち着いて話が出来る特別教室へ入った。勝手に使っていいのかな? と思っていると、近江さんから、部室として使ってなければ大丈夫との事。教室に入ってから、適当な所で椅子に座った
「あの、お姉ちゃんの事なんだけど」
「ん?」
「近江さんにきつい言い方をしてごめんなさい」
「いや、特に気にしてないよ。誰だって信じがたい話だと思うしな」
「そうじゃなくて」
昔の事を、近江さんに言ってもいいかな。あんな事を言っても、困らせるだけかもしれないけど、こうやって会うようになれば、お姉ちゃんとも顔を合わすことになるだろうし。
「どうした?」
「あ、あのね。お姉ちゃんがあんな風に警戒するのは、1年くらい前に、わたしがストーカー被害に遭ったせいなの」
「ストーカー?」
近江さんが鸚鵡返しに呟いた言葉に、わたしは「うん」と、首を縦に振った。
「中学3年生の時、同じクラス委員をしてたんだけどね。委員としての仕事で、他の人と一緒にいる機会が多かったせいか、いつの間にか、その人は付き合っているって思い込んじゃって」
「……で?」
「でも、わたしはそんなつもりも無かったから、他の男子とも普通に話をしてたの。そうしたら、その人は自分と付き合っているのにって怒りだして……」
怒ってカッターを振り回していた時を思い出して、思わず自分の左腕を擦った。ここにはその時に傷つけられた痕が、今も薄く残っている。
「話したくないなら、無理に話さなくていいよ」
左腕を押さえている右手にそっと触れて、自分が傷付いたような痛ましい表情を浮かべている。
その後、何かに気付いたように、慌てて距離を取った。
「あっ、済まない。そんな事があったなら、男に触れられるのは怖いだろう?」
「ううん、大丈夫。でも、その人が引っ越しして、この町から居なくなるまでは怖かったの。お姉ちゃんは、そんなわたしを見ているから、近江さんに対しても警戒していたんだと思う」
お姉ちゃんは、わたしにとって、いつだって姉であろうとしてくれる。1つしか違わないのに。
わたしは、そんなお姉ちゃんに迷惑をかけるばかりのに、いつも優しくしてくれる。わたしには、勿体ないお姉ちゃん。
「だから、お姉ちゃんの事を悪く思わないで欲しいの」
「分かった。そもそも彼女に対して、悪い印象はないよ。間違えた俺が悪いんだし。流石に、昔の話をするのは迷ったけど」
「良かった。そう言ってくれて、ありがとう」
何故だろう。近江さんの言う事は素直に心にストンと入る。気を遣って言っているという訳でもないのも分かる。
昔のわたしの事を知ってるから? わたしもこの人の事をどこかで覚えているから? なんとなく、気を遣わなく話す事が出来るって、思える。とても、不思議な気持ちになる。
「あの、聞いてもいい?」
「何を?」
「その、昔の事」
「気になる?」
「うん」
知らない方がいい事もあるって分かってる。でも、この人を見ると不思議な気持ちになる、この感情の源を知りたい。わたしには、前世の記憶がないから。
「簡単になら話すよ」
「簡単に?」
「前世の記憶を持って生まれた俺が言う事じゃないかもしれない。でも、今を生きるのに、過去を引きずるのは良くないから」
「そうなの?」
「人1人の人生だよ。いい事もあれば、悪い事もある。それに、自分で言うのもなんだけど、未練があるから前世の記憶を持って生まれたんだ」
未練――という言葉を聞いて、鼓動が速くなる。前日の『貴女に会うために探していたのに』という言葉を思い出して。それに、近江さんはわたしの事を『婚約者だった』と言った。『結婚した』と言ってない。それって……何かの理由でわたし達は別れてしまった?
でも、近江さんの言葉を信じるのなら、互いに嫌いになって別れたわけじゃないように思えて……。それじゃあ、原因は何?
そう考えると、知るのが少し怖くなる。
「大丈夫か? 顔色が悪い」
「……あ、はい。色々考えてしまって」
「この話はまた今度にしようか」
「いえ、話してください!」
食い気味に言うと、近江さんは苦笑した。
「分かった。簡単に話すよ」
「お願いします」
「あ、その前に」
「はい?」
「名前を呼んで欲しい」
「……はい?」
いきなり⁉ というか、まずその話?
近江遥斗さん……名前で呼んで欲しいってことは、『遥斗さん』って言うの? ちょっとハードルが高すぎない? またもや顔が熱くなって、両手で頬を押さえてしまう。
でも、『遥斗さん』……なんか、しっくりくるのは気のせいかしら? 少し深く息を吸って。
「は、遥斗さん?」
「うん」
遥斗さんは満面の笑みを浮かべた。うわっ、なんか、最初見た時と違って、なんか可愛い。名前を呼んだだけでこんな風な笑みを浮かべるなんて、反則だよ。
「俺も、『理世』って、呼んでいい?」
「う、うん」
「ありがとう。理世」
ああ、もう、余計に顔が熱くなるから止めて欲しい。その笑顔は反則すぎる。
そんな風に思っている所に、頬に添えられた右手を取られて、脳内にはてなマークを浮かべていると、右手を自分のほうに引き寄せて、右手の甲に遥斗さんの唇が触れた。一拍遅れて手の甲に触れた唇の柔らかさを実感すると、ますます頬に熱が集まったのが分かった。
「お、近江さん⁉」
「遥斗だよ」
「は、遥斗さん、恥ずかしいから止めてぇぇっ!」
まるで映画のワンシーンのようなそれは、うっとりするより羞恥心のほうが勝った。
もうっもうっ、絶対からかってるっ‼