あの後、なんとか殿下の気持ちを切り替えさせてほっと一息。
しっかし、二十一歳という年にかかわらず、かなり初心なお人だったわ。
でもマリに対する気持ちはちゃんとあるみたいでほっとした――なんて思いながら部屋に戻るため、中庭にある回廊を歩いていた。
この世界は季節があるけど日本よりはっきり移り変わりがない。というより、この国がそうなのかしらね。まだこの世界については勉強中なためよくわからない。
今歩いている中庭は一国の城の庭にふさわしく見事に手入れされている。色とりどりの花が咲いているし、中央には噴水がある。
……なんて見ていると、ラルスさんと目が合った。なんでいるの、と思いつつ、目が合ったので挨拶する。
「こんにちは」
「やあ。ヘルベルト殿下とお茶をしてきたんだって?」
「ずいぶん情報が早いわね」
「そりゃあ、本人から聞いてきたからな」
まあ、ラルスさんは殿下と幼馴染で気安い仲らしいからね。
それにしても情報が早いというか、それを聞いて先回りしてあたしが帰るために通る庭にいるってのが……ね。
どう見ても、殿下にあまり近づくなというけん制でしょうね?
「で、そのためだけに聞いてすぐにここに来たわけ?」
「ん、まあ。殿下が恙なく異界の女性と結婚してくれないと、色々問題が出るからな。俺は殿下の幼馴染だし」
「だから、おまけで付いてきた女がちょっかい出してないか確認しに来た……ってこと?」
単刀直入に聞けば、「まあな」とすんなり答えが返ってくる。
「あなたが気にかけるようなことはないわ。あたしはただ、マリのためになるようにお願いしたら、殿下に直接話をすることになっただけ」
「裏はないと?」
「ないわ」
「どうかな?」
表面上はにこやかに笑っているけど、目はどこか探るような感じ。
ああ、あれだ。日本にきた時に感じたものに似てる。
『ねえねえ、佐藤さんって本当に外国人なの?』
『やっぱり外国人だと顔立ちとか違うのね』
『いいわね、染めなくても綺麗な髪だし、スタイルもいいし……』
褒めながらも、こちらの出方を窺っていたクラスメイト。
母が日本人の義父と結婚して十年以上経った時、義父が日本に戻ることになったので一緒に日本に移り住んだけど、そこであたしは周りから浮いた。
義父が忙しい時間を割いても教えてくれたおかげで、日本語はかなり喋れるようになっていたけど、容姿や体形はどう頑張っても日本人にはなれない。みんなが羨ましいといった髪も体形も背の高さも、どれもアメリカにいた時には普通だったのに。
日本に移ったら普通ではなくなっただけで、そんな風に言われると思っていなかった。半ば珍獣扱い、物珍しさから、あたしの言動は注目された。
でも、あたしはアメリカに住んでてアメリカ人だ。母が日本人の義父と結婚して日本に来たけど、あたしはまだ日本国籍を持ってない。日本に永住するかどうか決めかねてたから申請していなかった。それでなくても日本に来て一年ちょっとだったし、その間の周りの反応が嫌だった。
それは置いといて、そもそも『外国人』なんてもので括るのが可笑しいのに……愚痴っても仕方ないのはわかってるけど、つい愚痴りたくなる。
そんな中で、マリだけが普通に接してくれた。
容姿や体形のことを気に掛けるわけでもなく、でも、日本で生活していく上でよくない行動なんかは、それは止めたほうがいいよ、とさりげなく教えてくれたり。
はっきり言おう。
いくら美形な王族であれ、ポッと出の殿下より、あたしはマリのほうがずーーーっと大事なのだ。
そのマリのためだから話をしただけのこと。
変な邪推されるのははっきり言って気分のいいものじゃない。
と、一言一句そのままに言ってやったら、ラルスさんは驚いた後、大爆笑した。
大らかな性格と同じく、大らかに笑う。
気にするところは心得てるけど、それ以外に自分を持ってる人だと思った。
「なるほど。嬢ちゃんはマリ様第一か」
「そうよ。あたしにとってマリのほうが大事なの。殿下が幸せにしてくれるなら問題ないけど、不幸にしたら叩きのめす」
「……それ、おおっぴらに言うなよ?」
「まあ、言う人は選ぶようにするわ」
「そのほうが賢明だ」
「死んじゃったらマリのこと守れないもんね」
「気にするのはそこか」
「うん」
「まあ、一番はこの若さで死にたいわけでもないし」
「普通はそう言うだろうが」
別にマリ至上主義というわけではないんだけどね。
ここではあたしが頼るものはマリしかない。
頼るというと変かもしれない。心の拠り所――と言った方がいいのかしらね。
この世界、この国に必要なのはマリだけ。そのマリがあたしが同郷ということで、少なからずあたしを頼ってくれる。
そして、あたしも同じ気持ちでマリを頼っている。
そんな気持ちがあるからマリを第一に考えてしまう。
というより、他にない。
あ、あるか。あたしがこの世界で自立していく方法も考えなきゃいけない。
まあ、それはマリが結婚してからでいいのだし……などと考えてると、ラルスさんが微妙な顔をしていた。
「なに?」
「いや、普通ならもっとこう……同じ名前なのだし、自分のほうが! とか思わないのか?」
「別に」
いや、別に殿下が好みじゃないってわけでもないのよ。
しかし黒髪……黒髪にはどうも複雑な思いがあって、それが踏み込むのを邪魔する。なんせ、黒髪で良かったと思った人は、義父とマリくらいだし。
そう思うと、殿下は鑑賞物でいいと思う。
さすがにこれは口にはしなかった。
「それにね、あたしとマリと比べて、どちらが異界の娘っぽいと思う?」
「異界の娘……っぽい?」
「そ。あたし、元の世界ではマリみたいに黒髪で童顔な人たちに囲まれてた。あたしのほうが違っていた。でもここは? あたしはここでの服を着て歩いても誰も何とも思わない。でもマリは? ここで黒髪は目立つわ。って、まあ、今は茶色だけど」
ここまで言うと、あたしはどうも黒髪コンプレックスらしい。
日本に移住してからのせいかね……うーん。
その話を聞いてくれるラルスさんはといえば、ダークブラウンのくるくる天然髪を一つに束ねている。この辺があたしがペラペラ喋るせいかもしれない。
同じだから気にしてなくていいというか……
ああ、なんか重度の黒髪コンプレックスみたいだ。
でも本当にあたしの場合、ヘルガさんと同じ服着て歩いたらほとんどの人が「新しい侍女か?」って思うだろう。
でも、マリは違う。
ここで黒髪なのはヘルベルト殿下とマリだけだ。
マリの髪の毛がまだ茶色の部分を残しているからそれほど目立たないだろうけど、完全に黒髪になったらかなり目を惹くに違いない。
ついでに言うなら、マリの顔立ちも一役買っている。
黒髪黒目とまではいかないけど、黒い髪に顔立ちの違い――整っていないというわけじゃない。けど、他の彫の深い白人系の顔立ちに比べれば、日本人のマリは明らかに違う。
マリはどう見てもこの国にそぐわない顔立ちをしていて、異国――いや、異界から呼び出した少女として通る存在なのよ。