第08話 影響力(7)

 気づいた時には魔物とベルディータたちの間に立っていた。
 手を広げ、周囲には魔物を守るかのように映ったことだろう。
 けれど、そんなことには気づかずに、いきなり胸に衝撃を食らう。その後襲うのは激しい痛み。出血するほどの傷は服をあっという間に赤い色に染めていった。
 同時に背中には右肩から中央にかけて、肉に食い込み裂く痛みを感じた。
 あまりに痛すぎて、声を上げることもできずに、優花はゆらゆらと揺れて今にも倒れそうな状態だった。

「ユウカッ!」
「お姉ちゃん!?」

 ベルディータとエリナの叫び、それと他の人たちの悲鳴。
 痛みと叫びを聞きながら、それよりも衝撃的だったのは、いきなり心に飛び込んできたある記憶だった。

「……っあ、なにっ……!?」

 まるで走馬灯のように、断片的に彼の記憶が優花の中を行き交っていく。
 そして、憎しみに囚われた彼の思いを知る。

『お前を育てたのにどれくらいかかったと思っている? お前は金を稼ぐだけ稼げばいいんだよ』
『そうよ。少しは楽な生活をさせてちょうだい。何のために育てたと思ってるの?』

『もう……駄目みたい、ね……』
『死ぬな! 死なないでくれっ!!』
『ご、めん。ありが……』

『医者なんてのは適当にやっていれば儲かるんだよ。相手が生きるも死ぬも、本人の運次第だ。どうせ、悪かったという証拠なんて見つからないからな』

 一瞬で入り込んできたのは、ネレウスの過去だった。
 こんな風に人の記憶まで見たことはないけれどそうだと思った。彼の心に刺さるような叫びと激しい痛みの中で、意識を失わないように気をつけながら荒い呼吸を繰り返す。自然と目尻に涙が溜まり溢れた。
 歪んだ視界の先に、ベルディータたちが心配そうな顔が見える。
 それに問題のネレウスさえも側に来ていた。

「何故……」

 ネレウス自身から生み出された魔物を、退治するはずの精霊術士の弟子がどうして庇うのか、さぞ不思議に思ったのだろう。
 でもそれと同時に、優花を心配する感情も見え隠れしているのが分かる。
 流れこんできた記憶から、念に自分の弱さに付け込まれてしまったのだろうと。
 それでも優花を心配している表情が残っているのは、完全に良心をなくしていないと思いたかった。

「あなた……も、エリナちゃんと同じように辛いこと、あった……んだね」
「え?」
「でも、その感情に、飲み込まれないで。あなたは、なんで……医者になった、の?」
「……っ、どうしてそれを……!?」

 驚いた表情で尋ねるネレウスに、ベルディータがそれより傷の手当をしなければならない、と言う。
 ベルディータは精霊術の真似をしてそれらしい言葉を紡ぎながら、優花の傷を少しずつ癒していく。精霊術では傷を癒すのに時間がかかってしまう。
 だからベルディータが怪しまれないように力を使うのはこれが精一杯だろう。けれども徐々に痛みが少なくなることで、傷が癒えていくのが分かる。

「あなたは……弟子のためにそこまでするんですか?」

 その光景を見て、ネレウスが不思議な気持ちでベルディータに問う。
 精霊術とは基本的に精霊に力を借りるため、地の力、水の力、風の力、火の力に関するものになる。そのためどれにも属さない治療系統の術は、術者の命を代償に行わなければならない。
 だから、精霊術を使っているのであれば、ベルディータは弟子である優花の傷を癒すのに、自分の命を代償にしている――ということになるのだ。
 もちろんベルディータの力は精霊術とは異なるので、それに当てはまるわけではないが。

「ただの、弟子ではないからな」
「そんな……そんな……」
「お前がどうやって生きてきたのかは私には分からない。けれど、負の感情に流されて己を見失っているように見える」
「……俺は……」
「自分のしたいことを見失うな」

 ネレウスはベルディータの言葉で更に自分を取り戻しつつあるように見えた。
 優花は手を動かしてネレウスの震える手にそっと触れる。
 戻ってきて――と心で願いながら。

「思い、出して。大事な人がいたこと、そして亡くしたこと。あなたはそのとき何を願ったの?」
「大事な……願い……。俺は……俺は自分のような思いをする人が……もっと少なくなれば――と……」
「その気持ちを忘れないで。辛いことも、ある。でも、その気持ちを忘れちゃ駄目……だよ」

 手を触れていると、相手の感情が少しずつ変わって行くのが分かった。
 今までの周りはすべて敵だと思うような感情から、人を傷つけてしまったことの後悔、罪悪感に変わっていく。

「俺は……俺はなんて……なんてことを!?」

 搾り出すような声と共に、地面を両手でドンと叩く。
 ネレウスから憎しみが消えたのか、彼の周囲を渦巻いていた黒い靄が晴れていく。それは彼の頭上で濃い塊を作ったが、周囲にいる人たちはそれに気づかなかった。
 一人気づいたベルディータだけが、術式に戻らずとどまっているそれを、好機とばかりにそっと力を使って消滅させた。
 ベルディータの力に慣れている優花は、その時になって気づく。
 同時に原因である黒い靄が消えたのなら、もう大丈夫だろうと判断した。

「だいじょ……ぶ?」
「ごめんなさいごめんなさい……俺は…俺はなんて取り返しのつかないことをしてしまったんだ……」
「違う、よ。それは全部があなたの意思、じゃないの」
「え……?」

 違うと否定すれば、ネレウスは涙でぐしゃぐしゃになった顔を優花に向けた。
 優花はそんな彼に、痛みを我慢しながら話しかける。

「あなたもエリナちゃんと同じ。悪いものに、憑りつかれて悪いほうに行ってしまったの」
「……俺も……なのか?」
「うん。でももう大丈夫、だよ。あなたは今変わったんだよ。後悔したことで、分かったことでそれは居なくなったから……」

 ネレウスにもう大丈夫だからと告げる。
 その言葉に安堵して、彼は途切れ途切れに何度も「ありがとう」と「すまなかった」を繰り返した。
 きっともう、彼が念に取り込まれることはないだろう。
 気づくと大きかった魔物は、今は半分くらいの大きさになっている。それと同時に、優花は今の状態ならいつもと同じようにすることが出来ると感じた。

「ベルさん、ちょっと放して」
「ユウカ?」

 傷はまだ癒えてない。だから体を動かせば痛みが走った。
 けれど、今のうちに魔物を消してしまわないといけない。やると決めたからには妥協したくない。
 痛いのを我慢して少しだけ体を魔物のほうに捩って、それに手を差し出す。

「おいで」

 周囲は魔物を庇ったことだけでも信じられないのに、更に手を差し出す優花に驚いた。
 そしてその後、慌てて「やめるんだ」と騒ぐが、さすがに割って入る者はいない。魔物は恐ろしいものだと思い込んでいるので、心配しても割り込むことはできないのだ。
 けれど優花は周りの騒ぎなど気にせず、魔物に近づきそっと触れる。

「辛かったね。でももう大丈夫。ゆっくり休んでいいから……」

 静かに言うと、魔物がもたれかかるように優花に近づく。
 周囲の動揺をよそに、魔物は静かに消え去った。

 全て消えたのを見て、優花はそっと「おやすみ」と呟く。
 ネレウスも元に戻り、魔物も消えたため緊張が解ける。
 まだ癒えていない傷の痛みと、出血した赤い血を見て、自分の怪我の酷さがやっと分かり急に怖くなった。
 いきなり傷の酷さを実感して、急に眩暈が襲う。

「ユウカ!」

 慌てるベルディータの声を聞きながら、優花はその場に崩れるように倒れた。

 

 ***

 

 気づくと白い空間だった。
 なんでこんな所にいるんだろう。もしかして自分は死んだのか、と優花は怖い考えに思い至った。

「もしかして……わたし死んじゃった? ここって死後の世界?」

 ぼつりと呟いてみても、なんの返事も返ってこない。
 もしここが死後の世界だとしたら、何にもなくて寂しすぎる、と少しずれたことを考えた。

「普通なら三途の川とか、綺麗なお花畑とか……そういうのがあってもいいと思うんだけど。説明してくれる人もいないのかな? 誰かいませんかー?」

 これが死後の世界だとしても、何もなければ迷う人が絶対いる。
 そう思って優花は周囲を見回してみた。
 それでも周りには何もなく、どうしたものかと考えていると、小さく笑う声が聞こえた。

「誰?」

 目の前に人の気配はない。だから後ろを振り向いてみる。
 するとそこにはファーディナンドと同じような青い色が入ったような銀色の長い髪の男性が目に入る。目には穏やかな優しさが見えるので、優花は緊張するのをやめた。
 じっと相手を観察していると、髪の色はともかく、目鼻立ちがベルディータに似ていることに気づいた。

「えっと……ヴァレンティーネ……さん?」
「はい」
「やっぱり、ヴァレンティーネさんなんですね」
「ええ。この場合、初めましてのほうがいいでしょうか。こうして対面するのは初めてですし」
「あ、そうですね。初めまして、知ってると思いますが優花と言います」
「……ぷっ」

 丁寧にあいさつする優花にヴァレンティーネが小さく吹き出す。

「ヴァレンティーネさん?」
「あ、すみません。私は――いえ、僕はヴァレンティーネと言います」
「僕?」

 ヴァレンティーネの一人称に微かに違和感を感じて、鸚鵡返しに呟く。
 優花の中のイメージでは、ヴァレンティーネの一人称は『私』なのだ。聞いたわけではなかったが、ベルディータもファーディナンドも『私』だし、神様という地位にあったのも含めて、『僕』というのに違和感を感じてしまうらしい。

「あ、一応前は『私』だったんですよ。でも、今は『僕』と言ってます」
「はあ」
「あなたには悪いけど、僕はもう公的な存在ではないから」

 公的な存在――それは多分神様としての役割を指すんだろう。
 ベルディータと同じく、長い長い時を、彼は神として生きてきた。その間は私的なものを入れるのは極力控えていたに違いない。

「そうですか。なら言葉遣いも丁寧じゃなくていいですよ」
「そう? じゃあユウカって呼ばせてもらうね」
「はい。……って、それよりもここってどこなんですか? 死後の世界……ですか?」

 死後の世界という言葉に、ヴァレンティーネがくすっと笑う。

「違うよ。ここはユウカの心の中。前にも似たようなことあったよね?」
「あ、あれって……もしかしてヴァレンティーネさんのせいだったの?」

 あれとはここに来る前の夢の話。
 確かにここと同じ何もない空間だった。

「あーうん。あっちは夢だったけど、それも心の中だから同じかな。あ、現実では意識を失っている状態」
「それって危ないってこと?」

 確か怪我のせいでかなりの大量出血だった気がする。服の胸の部分は赤く染まっていたし、後ろもかなり痛かった。
 ベルディータが治してくれたとしても、流れ出てしまった血は戻せない。となると、貧血状態なんだろうか。

「体については大丈夫だよ。ただ、ちょっと話をしたかったから、ユウカに意識の深い所まで来てもらったんだ。僕たちがいるのはユウカの意識の底にいるから」
「意識の……底?」

 またしても意味が分からない。と優花は首を捻る。
 そんな優花に、本来意識だけだから、こんな風に姿形は必要ないんだけど、と告げる。

「でも姿がないと話づらいでしょ?」
「うん」
「だから生前の姿をとったんだけどね。意識が戻る前に、ユウカと話をしたかったから」

 ヴァレンティーネはそう言うと、優しい笑みを浮かべた。

 

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