クロクスに言わせると、優花は他の人と違って魔物を生み出したエリナを偏見の目で見てないと言う。
それならベルディータも同じだろうと思ったので聞いてみた。
クロクスの答えはベルディータの持つ雰囲気が苦手とのこと。
ベルディータは厳密には人じゃない。クロクスのことをかなり鋭い観察眼を持ってるようだ。
「ユウカさんはさ、エリナのこと本当に普通の子として見てるよね」
「だって普通の子でしょ?」
最初の頃は牢に入れられたから心配したけど、今は普通の状態に戻っている。
まだ気持ちの整理が出来てないところもあるだろうに、それでもそれを見せないように振る舞っているのを見ると、逆に年齢より大人びているかもしれない――などと全く別のことを考えていた。
「だからさ……、魔物を生み出したんだよ?」
「それは……大事なお母さんが亡くなって悲しかったからでしょ?」
「そうだけど……」
「それって誰かを大事に思える気持ちがあるってことだよ。悪いことじゃないと思うけど」
「言い切るんだね。ユウカさん」
クロクスは半分呆れながら優花を見た。
誰かを大事に思えるから、その大事な人を失った時により辛い思いをするのだと思ってる。
そうなるには愛情という正の感情があるからそうなるのであって、だからそれが必ずしも悪いとは思わない。
「そういうことも思えずに、ただ自分の欲だけを考えている人なら問題だと思うけど。でもエリナちゃんはそうじゃないでしょ?」
「……うん。まあ」
優花の発言には迷いがない。
誰かに肯定されること――それが何よりも大事だということが分かっている。
自分が今までそうされてきたから、その気持ちが良く分かるのだ。肯定して欲しい時、誰かがそういってくれると救われると思っている。
でも、その迷いのなさは、エリナにとってはとても大事なことだった。
「やっぱりお姉ちゃん好き」
もう一度ぎゅっと抱きつかれて、優花も慣れないながら抱き返す。
「うん。わたしもエリナちゃんのこと好きだよ」
妹がいて懐いてくれたらこんな感じなんだろう。
優花は一人っ子だったため、兄弟がいたらこんな子が欲しいと思う。可愛くて可愛くて構いたい心境になる。
「こういう妹が欲しい」
「あたしもお姉ちゃんみたいなお姉ちゃん欲しいなぁ。でも、出てっちゃうんだよね」
「……うん。ごめんね」
立ち止まることは出来ないから、と自分に言い聞かせようとする。
こういうやり取りは懐かしくて、そのままそれに戻りたいけれど。
(そういえば、もう半年くらい経ってるんだよね。こっちに来てから……)
髪も肩までだったのに、いつの間にかに背中にかかるようになっていた。時を止められていても、そういったところはある程度変化するようだ。
ただし、成長期も過ぎてしまったので、それ以外にあまり変化はない。
早いようで長かった半年は、それでも確実に魔物の数を減らしているらしい。ベルディータが周囲の術式がだいぶ減ったと言っていたのを思い出す。
でも、まだ終わりではない。
「一緒にはいられないけど、エリナちゃんのことは絶対忘れないよ」
「うん! ありがとう!」
今まで出会った人たちは優花にとっても大事なことを教えてくれるから、忘れなるなんで出来ないだろう。
すぐに会えるわけではないけど、目を瞑れば思い出せる。
いつか思い出にできる時が来る。
***
問題の医者はネレウスと言った。他の村出身で、このあたりの領主が治める町で医者としての技術を学んだらしい。
医者とは、薬草の調合から簡単な回復の精霊魔法まで、覚えるものはかなり幅広い。特に症状を見て薬草を選ぶというのが難しいらしい。初心者の医者は病気を間違うことなどもあるようだ。
考えてみれば、優花のいた世界のように色んな検査をする機械などない。見た目で判断しなければならないのだから、細かな観察力が必要とされるだろう。
ベルディータが言うには、医者になるにはその目が必要だと言う。
そこまでしてなった医者なのに、どうしてこれから先を棒にふるような真似が出来るのか――優花には納得できなかった。
そして、彼を引き渡す日がやってくる。
領主から派遣されたのは二人だった。制服と思われる堅苦しい服装で、事務的なやり取りを村長とベルディータ相手にする。
その後は村長がネレウスを連れてきて、彼らは鎖で両手を繋がれたネレウスに対して「馬鹿なことをしたものだな」と冷たい目で見た。
確かにそのとおりだけど、何も言わなくてもいいじゃないかと思う。
優花はそのやり取りを隅のほうで見ていると、エリナが服の袖を引っ張った。
「あの人、もう戻ってこないよね?」
「エリナちゃん?」
「憎んじゃいけないって思うけど、あの人見るとお母さんの顔が浮かんで……」
健気だと思う。今も、優花の袖をきゅっと握って我慢しているのだというのが分かる。
本当なら今だって彼の前に立って文句を言いたいだろうに。
「そうだね、でも、無理に我慢しなくてもいいんだよ」
「え?」
「あのね、人の感情はどうしようもない時もあると思うの。そういう時は無理しなくてもいいって、わたしはそう思うよ」
「お姉ちゃん……?」
「無理に抑え込んでも仕方ないの。でもずっとその気持ちが続くわけじゃない。それにね、近くに心配してくれる人がいるでしょ。クロクス君とか」
ちらっとクロクスのほうを見ると、なぜ二人していきなりこちらを見るんだ、といった表情をしていた。
「うん」
「そういった人に聞いてもらったり、その人の「こうしたらいいよ」っていう話を聞いたり……そうしているうちに、きっと落ち着いてくると思うよ」
「そう、かなぁ」
「時間はかかると思うけど……悩んだりするのは、それは自分にとって大事ことなんじゃじゃないのかな?」
今まで自分がそうしてきたことが最善かどうかは分からない。
でも、自分が悔しい時、情けないと思った時、誰かに聞いてもらったり、心配してもらったりすることで進んで来たと思うから。
それにその都度そうやって解決していくことで、後に溜め込まないようにもしていた。
「お母さんが亡くなってしまったんだもの。すごく悲しいよね。だから時間はかかると思う。でも、きっと大丈夫だよ。エリナちゃんはもう前を向いているよね?」
「え?」
「お医者さんになるんだって言ったじゃない。前を向いている人は……たぶん過去だけに囚われることはないと思うから」
過去だけを見ているのなら問題だけど、将来を考える気持ちがあるなら大丈夫じゃないのか。
少なくともエリナの目標は決まっている。医者として勉強が始まれば、思い悩む暇もなくなってくる。
「そうだと……いいな」
「エリナちゃんなら大丈夫だよ」
にっこりと笑みを浮かべて言うと、エリナは嬉しそうに頷いた。
いずれエリナは自分の気持ちにけりをつける日が来るだろう。
そう思っていると、そうは思ってない人物が先ほどの会話で気づいたのか、こちらを見ている。
問題のネレウスだ。
「お前……お前のせいで俺はっ!!」
エリナを見て叫ぶネレウスは、鎖で両手を繋がれているので、すぐには向かって来ないが、今にも襲ってきそうな勢いを感じる。
それと同時に、優花には彼の周りに黒い靄のようなものが見えた気がした。
(あれ? なんだろ……?)
気になって目を擦ってみるが、ネレウスの周りだけ靄がかかって見づらいのだ。
優花が眉をひそめると、いつの間にかに隣にいたベルディータが話しかけた。
「あれが見えるのか?」
「……聞くってことは、ベルさんも見えるんだね」
「ああ。あれが言っていた怨念だ。やはりあの医者は憑りつかれていたらしいな」
「あれが……」
この世界を蝕む要因の一つ。それを見て優花は自然と唾を飲み込んだ。
あれは駄目だと、実感したからだ。魔物と違って、あれは説得することが出来ない。あれは人の言うことなど聞かない。
あれはただ人の負の感情を暴走させるだけのもの――
「ベルさん……」
「分かってる」
分かっていてもどうしようもない。
せめてあれが人と分離できればどうにかなるのだが……、とベルディータが呟く。
でも、あれを人から切り離すのは難しい、とも。
「お前さえいなければ――っ!!」
そこまで言うと、ネレウスと優花たちの間に陽炎のようにゆらゆらと歪みが生じる。
なんだろうと思っていると、それは徐々に形を作っていく。
その様に見入っていると、そこには魔物――まるで熊のように黒く大きく、そして凶暴な――が生まれ出でていた。
「……ひっ、魔物だー!!」
「また魔物が!?」
村長および、派遣されてきた二人、そしてエリナたちが騒ぐ。
派遣されてきた二人はともかく、エリナたちは魔物の誕生を見るのはこれで二度目だろう。
「魔物……」
こんな風に魔物は生まれるんだ――と、どこか遠い感じで魔物を見る優花。
それにしてもいつもの魔物と違い、それから感じる感情は憎悪以外ない。
(いつもと違う? なんで?)
いつもなら、そういった感情を持ちながらも、どこかで救われたいという気持ちも持っていた。
けれど、目の前の魔物からはそういった感情は見つけられない。
「どう、して……?」
「まだ生み出されたばかりだからだろう。あの医者の影響を受けている」
意味が分からず、ベルディータに「どういうこと?」と尋ねていた。
「人がいるとどうしても魔物はその感情に影響される。今目の前にいる魔物は、いつもユウカが消している魔物のように救いを求める気持ちより、憎悪のほうが強い」
「憎悪のほうが……強い?」
「ああなると、とりあえず殺すしかないな。あのままでは周囲に被害を与える」
「ころ……す?」
(殺す? あの魔物を?)
確かに優花もあれをいつものようにすることが出来ないような気がする。あんな風に荒れ狂っている魔物を見るのは初めてだ。
でも、ここでベルディータに魔物を殺させたら、旅の始めにファーディナンドと交わした約束は破られることになる。
いや違う。たぶんファーディナンドはこれを見越して言ったのだろう。
(でも、それならどうすればいい?)
頭の中でぐるぐる思考がめぐる。
魔物を殺したくない。
でも、殺さなければあの魔物は収まらない。
その二つが争っている間に、ベルディータは手に力を生み出していた。
「ベルさん!?」
「言っただろう。ああなってしまったら『殺す』しかない、と」
手に宿る光は小さなものだけど、ベルディータの力だ。魔物を殺すのに十分だろう。
それに魔物もネレウスの感情を汲み取って、その怒りをエリナと精霊術士であるベルディータに向かう。
(殺さなきゃ……駄目なの!?)
そう思うものの、気づくと優花は力を解き放ったベルディータと魔物の間に立っていた。
「駄目!」
「ユウカッ!?」
放った力は戻すことが出来ない。
力は魔物に届く前に優花に胸に当たり、それと同時に魔物の爪が背中に食い込む。
痛みで視界が真っ赤に染まった気がした。