夕食後もそのまま談笑を続け、ある程度遅くなってから二人は部屋に戻ることになった。
小さな村では毎日お風呂は無理らしく、もらった桶一杯のお湯でそれぞれ体を清めた後、二人は借りた部屋の扉を閉めた。
「はー、なんか慌しい一日だったね」
「まあ、こんなもんだろう」
「うーん、まあ、今までが平和過ぎたのかな。魔物を探していたわりには……」
今日一日で知った魔物に対する人の思い。
今まで人のいない所で魔物を消していたので、人があれほど魔物を恐れているとは思わなかった。
優花にしてみれば、魔物は大人しくて外見はともかく可愛いと思っていた。
けれど、人にはやっぱり恐れられる存在で――まあ、人がどう見ようと、自分の見る目は変わらないから置いておこう、と結局、優花は自分の考えを大事にすることにした。
そこまで考えて、優花はベッドにぽふっと倒れこんだ。
「とりあえず疲れたー」
「こら。まだ完全に終わったわけではないんだぞ」
「あー、まあそうだけど、あれはわたしには関係ないし」
「おい」
「しーらない」
完全に、というのは、問題の医者をなんとかするために二、三日滞在しなければならなくなったことだ。
この世界は変わったことに国という国がない。それぞれ領地を治める領主はいるが、どの町からどの村まで、という感じで、互いの境界線が結構アバウトだ。
普通だったら領地争いとかしそうだなーと優花は思ったが、その辺については問題ないらしい。
どこの村をどこの領主が治めるかというのは、ヴァレンティーネ――要するに神から直接指示されるらしく、それを無視するというのは神に逆らうことに繋がるという。
さすがに神様に逆らうような真似をするような者はおらず、領地に関しての争いはほとんどないという。
まあ、争いがないというのは良いことなので、優花はそのまま納得した。
自分にその役目が回ってきていることに気づかないまま。
話を戻して、こういった小さな村は医者や教師などを、その村を治める領主から派遣してもらうことになっている。そのため、問題が生じた時は領主に報告し、調査してからその問題を解決する。
今回の場合、精霊術士であるベルディータがいるため、報告するだけですぐに話が通るらしい。
が、一応形だけの確認というのがあって、調査員と新しい医者が来て話をするまでの間、ベルディータに居てもらわないと困ると、村長に足止めされることになったのだった。
精霊術士と名乗った手前、しがらみで断ることはできない。
「弟子のわたしには関係ないことだもん」
「……確かに、弟子はこの場合関係ないだろう」
「でしょ?」
「本当に精霊術士の師匠と弟子の関係なら――な」
お気楽に考えて寝転んでいた優花の顔に、明かりが遮られて影ができる。
もちろん影を作ったのは同じ部屋にいるベルディータしかいない。
運悪く――というか自分からだが――ベッドに寝転がった状態だった。それに下は柔らかな布団。上にはベルディータ。左右は彼の腕が伸びていて、逃げる場所はどこにもない。
(……って、この状況はもしかして……?)
旅のはじめに言ったように、ベルディータは忘れない程度にこうして優花に対して行動する。
普段は軽口を叩き合う仲から、いきなり異性だと突きつけられるので、かなり心臓に悪い状態に一気に追い込まれる。
しかも毎回毎回いきなり切り替わるから、数ヶ月経った今でもなかなか慣れない。
(この落差は本当にやめて欲しいんだけどな。かといってずーっとこんな感じでも困るんだけど……でも、言ったら絶対こっちのほうだけになりそうだし)
現実逃避にベルディータから視線を逸らし、あれこれ考えてみるが、それがベルディータにとって気に入らないことが分からないようだ。
いきなり鼻をつままれて、優花は「ぶひゃ」と変な声を上げた。
「考え事をできるほど余裕が出来たようだな?」
「いや、それはその……要するに現実逃避ってやつで……」
「ほほう、この期に及んでまだ現実逃避するつもりか?」
「うん。したいしたい。現実逃避大好き。後ろ向きバンザーイ♪」
この状況から逃げられるなら、いくらでも現実逃避してやるぞ、と優花は真面目に頷いた。
真面目にこくこくと首を縦に振る優花に、ベルディータは堪えきれず噴き出した。
「くっ……相変わらずこういうことは苦手みたいだな」
「そう簡単に変わらないの!」
即答すると更に笑われて、優花は頬を膨らませた。
「知ってるくせに、そうやって意地悪するんだから」
「意地悪ではないぞ」
「意地悪だよ。前に言ったじゃない。わたしの居た所は家族とでも気軽に触れ合ったりしないんだもん」
小さい頃なら抱っこなどあったが、今の状況とは違う。
日本ではスキンシップは少ない。誰か付き合っている人が居れば別だろうが、優花にはまだ特定の誰かが居なかった。
幼馴染の慎一とでさえ、何かなければ手を繋ぐということもないくらい、人と触れ合う機会は意外と少なかった。
「まあそれは聞いた」
「覚えているなら分かってよ。その……こういうのはなんか苦手なんだよぅ……」
ベルディータのような触れ方は、優花にとって初めてで、ドキドキしすぎてとにかく心臓に悪い。
しかも、こんな所に来なければ、こんな立場になれなければ、こんな美形に求愛されるなど絶対にありえないと思ってしまう。
(だいたい、なんでわたしみたいに十人並みの顔の、ごくごくフツーの人間相手にその気になるのよーっ!? うう、せめてもう少し普通の人がいいよぉ)
思わず心の中で悲鳴をあげる優花。
優花とて誰かと付き合ったり結婚したり……などということを全く考えないわけではない。いつか自然に隣にいる人ができて、その人とそういうことを考えるのだろうと思っていた。
その相手にいつ巡り会うかは分からないけれど、たぶん自分の容姿や性格にあった人だろうと漠然と考えていた。
なのに。
現実はそこら辺にいる綺麗なお姉さんより、よっぽど綺麗な男だった。
しかも、ただの人ではなく、すごい力を持っていて、尚且つやたら長生きをしている人。
こうなると、自分の気持ちがまだ分からないことも含めて、現実逃避の一つや二つくらいしたくなるのは仕方ないじゃないか、と優花は叫びたい。
(……って、いっても見逃してはくれないんだよね)
近づいてくる顔、そして触れる唇。
ここにたどり着くまで往生際悪く騒ぐけれど、キスは少しだけ慣れた気がする――軽く思考を乱されながらも、そんなことを考えた。
ベルディータもそれ以上のことをしてくることはないので、とりあえずキスさえ終わればほっと一息つく感じだ。
「……っぁ」
終わった後は力が抜けて脱力状態。ぼーっと視点のあわない状態でぼんやりとベルディータを見ると、満足そうな笑みを浮かべている。
その笑みを見ると釈然としない気持ちになるのだった。
「……ベルさん、そろそろどいてよ」
「嫌だと言ったら?」
「心臓に悪い。そろそろ限界」
余裕の笑みに、眉をひそめながら即答する。
けれど、無理やり退かしたくても優花にはその力がないので、ベルディータがその気になってくれるのを待つしかなかった。
我慢して待つこと数秒。
ベルディータは優花の頬を数回撫でたあと、ゆっくりと口を開いた。
「私がユウカの側にいるのは、ユウカを守るためだ」
「……それは……分かってる、つもりだけど……」
面と向かって言われるとものすごく恥ずかしい。眉間に寄っていたしわがなくなり、頬が熱くなる。
けれど、何を今さら言うのだろうか。
「表面上は精霊術士の師匠と弟子だ。世間一般では師匠が弟子を守るのは当然だろう」
「うん。そうみたいだね」
「だが、私は精霊術士ではないぞ?」
「分かってるよ」
「そしてユウカは弟子ではない」
「だから分かってるってば」
何を今さら再確認することがあるのだろうか。
優花はなかなか自分の上から退かないベルディータに、少し苛立った口調で答えた。
「私がユウカを守るのは保護者として守るためじゃない。ユウカがユウカのまま欲しいから、傷一つつけたくないからだ」
「う……」
まさに直球。ここまではっきり言われると固まる以外何もできない。
優花は硬直したままベルディータを見つめるしかなかった。
どうしようかと迷っていると、いきなりバターンと豪快に扉が開く。
「おねーちゃん、おにーちゃん! 一緒に……」
扉を開けたのはエリナだった。
一緒に寝ようと思ったのか、持っていた枕をボトッと落とす。
そして、硬直すること数秒、突然我に返って、いきなり叫びだした。
「ごっごめんなさいいっ! お邪魔しましたー!」
「あ、エリナちゃん!?」
時すでに遅し。エリナは扉を思い切り閉めて、バタバタと走り去っていった。
それにしてもエリナは確か九歳のはず。それなのに、この状態がどういうことか知っていたのだろうか――と優花は疑問に思う。
「ご、誤解された……の、かな?」
「だろうな。別に誤解ではないため構わないが」
「誤解でしょう!? そういう関係じゃないもん!」
「なら今すぐそういう関係にしようか」
「結構ですううううぅぅっ!!」
一難さってまた一難。
そして更に前途多難。
朝食時に村長さんにそういう関係でしたか、と爽やかに言われた優花は、飲もうとしていた果汁百パーセントのジュースを思い切り噴き出した。
(やっぱり誤解してるー!!)