第08話 影響力(3)

 初めて直面する魔物に対する人々の恐怖。
 優花はベルディータの言うとおり、魔物に関して見る目は難しい問題なんだと実感した。

「結構……奥が深い問題だったんだね」
「ああ。まあ、ユウカはそういった所を見てないからな」
「うん。今になってやっと魔物に対する深刻さってものに直面した気がする、かな?」

 一番最初は見たことのない姿形に驚いたものの、二回目から優花にとって魔物は恐ろしいものではなくなっている。
 それに人の感情から生まれたというのを先に聞いているため、魔物に対して恐怖の感情が持てなかった。

「どちらにしろ、その子がこれ以上憎まなければ、魔物も直接生まれないよね?」
「まあ、そうだな。だが、その医者がいる限り、問題が解決したわけではあるまいが」
「うーん……でも個人的には、その医者にちょっと怖い目にあって欲しいって思っちゃうなー……」
「同感だ」

 神の力が弱まったせいで荒れはじめた世界。そんな中だから、千年前の念も含めて悪い人はどんどん悪くなる。その医者もそのうちの一人だとベルディータは言う。
 が、今はそれをどうこうするより、エリナという少女が危険ではないということを、村人に諭さなければならない。

「ねえ、エリナを助けられないの?」
「お兄さん、精霊術士なんでしょう!?」

 子供たちも心配になって、ベルディータに向かって尋ねる。
 きっとそのことが起こるまで、仲が良かったのだろう。友達を真剣に心配しているのが窺えて、優花は気の毒に思った。
 ベルディータも同じように思ったようだが、こういう場合、どう対応していいのか分からないのかもしれない。
 すでに負の感情によって魔物が出来ていれば、これ以上出来ることはないだろうが、その説明をして納得してもらえるか――説得しても、納得してくれない可能性のほうが高そうだ。
 視覚的に訴えることの出来る何かがあれば、もしかしたら納得してくれるかもしれない、と優花はふっと考えが浮かんだ。

「ねえ、ベルさん。ベルさんは幻覚を見せることってできる?」

 子供たちに聞こえないよう、ベルディータの服を引っ張って顔を近づけてから、ひそひそ声で話しかける。

「あ、ああ。出来るには出来るが……」
「じゃあ、その子を出して、もう一度魔物が出てきたような感じに見せて、でもってそれをベルさんが退治して、もう魔物は出てきませんよーっていうの、駄目かな?」
「は?」

 優花は目に見える形にして、それを退治することで、村人を納得させることが出来ないか、とベルディータになんとか聞こえるくらい小さな声で尋ねる。
 多分、どれだけ言葉で説明しても分かってもらえないだろう。なら、視覚的に訴えるのが一番手っ取り早い、と。

「成る程。悪いものは退治したからもう安全だ、と言うのだな」
「うん、そうそう。あと、魔物が出来そうな何かをたまたま持っていて、それも除去したから大丈夫って感じで」
「そうだな。それなら理解してくれそうだ」

 魔物が生まれる仕組みを知らないため、適当に魔物が生まれた理由をくっつけて、それでそれを除去したからもう大丈夫だと村人に諭せばなんとかなるんじゃないか、という考えからだった。
 魔物が生まれる現実を突きつけるのは、きついような気がするので、こうした嘘も必要だと思う。
 多分、現実を受け入れられないと思ったからこそ、ベルディータたちは千年前の出来事を隠したのだろうから。

「お兄さん?」
「ああ、大丈夫。その子をなんとかしよう」
「本当!?」
「大丈夫なんだね!?」
「任せておけ」

 見通しがついたのか、ベルディータは心配そうな子供の頭にぽんと手を置いて、力強く返事をした。

 

 ***

 

 あの後、村長に話をして、少女――エリナを石牢から出してもらった。
 もちろん、ベルディータの演出と演技で、魔物はもう出ないということを説得した後だ。
 エリナも石牢から出て、ベルディータにありがとうと言って頭を下げた。
 母親の死と石牢での疲労からか、少し痩せていて可哀想だったが、それでも自由になれたことに対して純粋に喜んでいた。
 その姿を見て、優花もベルディータもほっと一息ついた。

「良かったね」
「ああ、ユウカのおかげだな」
「わたしは特に何もしてないよ。したのはベルさんだもん」
「そうかもしれんが、私にはユウカのような考えは思いつかなかったからな」
「そう?」

 ちょっと考えれば思いつきそうなことなのに、と優花は思いながらベルディータを見上げた。

「言ってしまうと、こういったことは少ないが今までなかったわけではない。だがその場合、大抵その者は追い出されるか殺される可能性が高い。魔物が生まれる理由を知らないため、誰もどうしようもないからな」
「……嫌な話だね」
「ああ」

 知らなかったこの世界の一面を見て、優花の心は重くなった。
 きっと、知ってはいたけれど、ヴァレンティーネもファーディナンドも、そしてベルディータもそこまで手が回らなかったのだろう。
 もともと神だのというのは、直接個人のために動くことなどないはずだ。分かっていてもどうにも出来ないもどかしさを、彼らはずっと感じてきたのかもしれない。
 初めて会った夜、ベルディータは自分たちも念に取り込まれてしまっていると言っていたのは、そういったもどかしさに付け込まれてしまうからなのか――。

「早く……早く魔物が全て消えるといいね」
「そうだな。そのためにはユウカに頑張ってもらわねばならないが……」
「うん。頑張るよ。こんなの見たくないもん」

 もっと気軽に考えていた自分が恥ずかしいと思う。
 魔物は、『魔物』と言われるだけのものがあるのだと、初めて分かった気がする。そして、更に頑張ろうと決意を新たにした。

「頑張ってもらえるのはありがたいが、あまり無理するなよ」
「ん。大丈夫。自分の力以上には頑張らないから。ってか、無理だし」
「……ならいいがな」
「ベルさん?」

 何かを含んだような言い方に、優花は気になって尋ねるが、ベルディータは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
 その表情から、自分がまだ知らないこの世界の何かを感じ取る。さすがに一部だけを見て世界全てを計ろうとするのは無理なのかもしれないと優花は判断した。

(難しいよなぁ。わたしの場合、ベルさんとかファーディナンドさんのおかげで人が知らないことを知ってるけど、その分知識が偏ってそうだし。そういえば、わたしこの世界にいきなり放り出されていたら、わたしも魔物は悪いものって思い込んじゃっていたかも……)

 人から与えられる情報の影響力は大きい。
 もし自力で魔物は悪いものではないと分かったとしても、それはきっとこの世界に来てだいぶ経ってからのことになるだろう。その前に怖くて魔物に近づけない可能性のほうが高い。
 しかめっ面をしながらそんなことを思っていると、件の少女――エリナが「どうしたの?」と心配そうに尋ねてくれた。

「あ、なんでもないよ。それより良かったね」
「うん! お兄ちゃんのおかげでこの村にいられるし。……そうすれば、お母さんの側にいられるから!」
「エリナちゃん……」

 いい子なんだと思う。それに母親に対する思いも強い。
 強いからこそ、見放した医者を恨んだのだろうが――

「あたしね、お医者さんになろうと思うの!」
「エリナちゃん?」
「村長のおじさんが『こうけんにん』ってのになってくれるって。だからお母さんみたいな人がふえないように、あたしがお医者さんになるの」
「そう、大変かもしれないけど頑張ってね」
「うん。お医者さんになるには少しのあいだ、ここからはなれなきゃならないけど、お医者さんになったらぜったい戻ってくるの! お姉ちゃんも『せーれーじゅつし』がんばってね」
「あ、はは。うん。頑張るね」

 真剣な表情で語るエリナは優花にとって眩しく思った。
 そして、本当は精霊術士なんて目指していないので、優花は笑って誤魔化した。

 

 ***

 

 夜になって、エリナは村長の家にお世話になるべく、昔使っていた家から必要最低限の荷物を持ってやってきた。ちょうど優花たちが夕食を頂いていた時だった。
 言っていたとおり、今日から村長が面倒を見てくれるらしい。これが普通なんだとベルディータが呟いたのを聞いて、優花はちょっと安心した。

「あ、お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「エリナちゃん」

 嬉しそうに二人を見るエリナに、優花はパタパタと手を振る。
 ベルディータも優しい笑みを浮かべると、エリナは満面の笑みを浮かべた。

「さあさあ、エリナも荷物を置いて一緒にご飯を食べなさい」
「はい、おばさん!」

 村長の奥さんである太った女性が笑顔を浮かべてエリナを促すと、エリナは同じく笑顔で応じて、荷物を置きに部屋へと向かった。
 しばらくしてから手ぶらで戻ってくると、エリナは用意されたシチューに早速手をつけ始める。

「いただきます」
「たくさん食べるのよ」
「はーい」

 楽しそうに話すエリナを見て、村長ももう魔物は出てこないだろうと安心したのか、やっと緊張感がほぐれた感じだ。
 エリナのこれからのことを話したり、二人がこれからどこへ向かうのかなど、話は二転三転していく。そんな感じで、夕食は賑やかなまま終わった。

 

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