早いものでベルディータと旅を始めてもう三ヶ月近くなっていた。三ヶ月と言っても、この世界では一年が十三の月に分かれている。
優花が元いた世界のちょうど月齢と同じ二十八日が一月なる。初春の一の月から十三の月までで、一の月は優花の感覚からすると二月の半ばくらいだろうか。花の蕾が分かり始める頃らしい。旧暦と似ていると思った。
優花がこの世界に来たのは一の月で、一生懸命神様についてお勉強&お仕事をしている頃、世間では新しい年を祝うという祭りがあったとか。
その話を聞いた時、優花自身は祭りらしい祭りがなかったため、ちょっと損した気分になった。
その後、あの頃やたら宮に来る人が多かったのはそのせいか、と考えて、今度はちょっと怒りたい気持ちなった。
世間でのそんな祭りを知らずに宮で過ごし、三の月に入る頃、優花はベルディータと旅に出たのだった。
そして現在は六の月――夏の半ばの月だった。
早いもので、この世界に来てもう半年経とうとしていた。
***
優花の目の前で小柄な魔物の姿が薄れていく。嬉しそうな感情を表しながら、消えていくそれは、何度見ても嬉しいものだった。
現在の優花の仕事――魔物を満足させて消すことだ。
「終わったか」
「うん。ベルさん」
少し離れていた所で見ていたベルディータが近づいてきた。
さすがに夏なのでローブを羽織るのをやめてかなり軽装になっている。それでも杖を持っているので、精霊術士だと見られることが多い。
最近では他人に対するベルディータの口調にようやく慣れてきた優花だったが、二人きりになると普段の口調に戻るため、今は出会った頃の偉そうな喋り方をしていた。
「どうも私が側にいると良くないらしいな」
「近寄ってこないねー。でも、ベルさんも同じように思えばいいんだよ」
「無理だろう」
「あっさり言わないで試してみようよ。特別な力は必要ないんだし」
あっさり断言しないで試してみればいいのに――と思うのだが、ベルディータは試してみたことがない。
優花にしてみれば、自分に特に力があるわけでもなく、ただ彼らの気持ちを受け止めているだけだと思っているので、自分だけでなく他の誰でも出来ることのように思う。
「他の人たちだって十分できることだと思うんだけどねー」
「だから言っただろう。無意識にあれがなんなのか悟っていると。だから拒絶するのだ。自分の悪いところを見たくなくて、な」
「そこが変なんだよね。生きている以上嫌な感情があっても当たり前でしょ?」
「理解はしていても認めたくはないのだろう」
それは分かるけど――と心の中で呟く。
優花はあまりうちに溜め込まず、何かで発散する癖がついているせいか、自分ではどうしようもないほど負の感情を溜め込んでしまうようなことがない。
というより、もともと知能にしろ運動神経にしろ才能に恵まれていないため、まあこんなもんさ、と思うことが多いせいかもしれない。
なまじ才能があると挫折や苦悩を味わった場合、たくさん負の感情を溜め込みそうだ。けれど、それを認めなくては先に進めない。
「でもね、やっぱり自分の中にそういう感情があるんだってこと、認めなくちゃいけないと思うんだよね。臭いものには蓋をしろの考えでいたら、いつまで経っても先に進めないと思うよ」
「そういう風に悟れる優花のほうが一体いくつだと思うが……。十七だと言っていたが本当に十七なのか?」
「は? どういう意味?」
一瞬ベルディータの言いたいことが分からず、優花は首を傾げる。
「そのままの意味だ。妙に悟りの境地にいっているというか。そう考えられるのはよほど年を重ねないと無理だろう」
「失礼な。まだ花盛りの十七歳なんだけど。それにわたしの場合は悟りの境地というより、諦めの境地だし」
年のことを言われると微妙だ。
この世界では年齢相応に見られないのに加え、ベルディータにはこうして本当は年を誤魔化しているんじゃないかとからかわれる。
「見た目はまだ子供みたいだけどな。というか、諦めの境地とはなんだ?」
「……見た目は二十歳そこそこの、でも実年齢は千歳の人に言われたくないよ。諦めの境地は諦めの境地。出来ないって思っちゃったほうが気楽だから」
「ほう……いや、やめておこう」
「……そうだね」
このままいったらあまりに不毛な言い争いになりそうだったため、お互いそれ以上突っ込むのをやめた。
優花もベルディータの言うところの悟りの境地――本人からすると弱い者なりの明るく楽しく生きるための生活術――はあっても、やはり面と向かって言われると反論したくなるのは仕方ない。
ベルディータのほうにすると、人との接触が楽しいのか、自分の正体を知り、遠慮なくものを言える優花には実年齢、精神年齢に合わない発言をする。
おかげで、こういう言葉の揚げ足取りのような言いあいは日常茶飯事だった。
「とりあえずこの辺りにいる魔物はほとんど消えたな」
「そう? ならそろそろ次の所に行く? ちょっと先に村があるって言っていたけど、そこで一休みして」
「そうだな」
「じゃあ、今日はお布団で寝ることが出来るかな」
「宿があればな」
二人は人のいる所から少しだけ離れた森にいることが多い。
魔物が人のいる所に現れる傾向にあるが、人があまりに多い所には出てこないせいで、町を眺めながら野宿することが多い。
今は夏だから寒くて困ることはないが、これから先冬に向かうと、寒くて大変な時もありそうだ。寒いのが嫌いな優花は、それをこれから先の季節を考えるとちょっと憂鬱になる。
「今日こそあったかいご飯にあったかいお布団が欲しい」
「まあ、一番近くは村だから宿があるかどうか不明だがな」
「うーん……でもどこかで泊めてくれないかなあ。お金払うし。それに移動するのにそろそろ食料も買わなきゃならないのもあるし」
「確かにな。店はあるだろうから、そこで聞いてみるとするか」
「そうだね」
村や町などの人が集まる周辺をうろうろしている二人だったが、食事など必要なものを揃えるために町に出ることもある。
そこでベルディータが精霊術士としての仕事を請け負ったりと、何だかんだでとりあえず資金は尽きていない。今回の出費も一日泊まるお金と、必要な食料を買い出しくらいだろう。
荷物の袋に入った金貨が気にならないわけではないけれど、何かの時のためにとっておくのも必要だ。
ベルディータのほうは力で何とかしているらしく、必要最低限の荷物を見て羨ましく思う。
それでも優花の分の荷物もベルディータが持っていてくれるため、普通の旅人よりは少ない。それに最低限旅をしているくらいに見えるようにしている。
その荷物を持って歩き始める二人。
「次に行く所はリグリアという名の村だな」
「リグリア?」
「人口は少ないほうだな。二百人強というところか」
「確かに少ないね」
別に特に少ないわけでもないが、こういう村はあまり発展していないのが実情だ。
最低限の店と、治療院があればマシなほう。
これから良くリグリアという村も似たようなものだろう。
「期待しないほうがいい、かな」
「だろうな」
「残念……」
***
村の中に入ると、旅人――しかも精霊術士――は珍しいのか、村の人は歓迎してくれた。
宿はないものの、村長が快く二人に自分の家に泊まるよう提案してくれて、二人はその申し出に礼を言ってその行為にありがたく甘えた。
けれど、さすがに借りれた部屋は一室のみ。
ベルディータとは最初に一人部屋を一つずつというルールが出来たが、実際は魔物を探していると野宿が多くて、あまりこのルールは意味のないものでもある。
「良かったのか?」
「良かったもなにも、二部屋なんて借りられないでしょ。村長さんの家だけど、どう見てもそんなに広くなさそうだし」
「それはそうだが……」
「そんなに気を遣わなくても。野宿してればほとんど一緒なんだし」
ベルディータは忘れない程度に意思表示をするものの、こういう時はすごく気を遣ってくれる。ありがたい反面、ここまで大事にされると、やはり申し訳なさが先に立ってしまう。
それに、最近では一緒にいることが多いので、彼の姿が見えないとなんとなく落ち着かなくなる。
やっぱりこれは知らない世界を移動しているため、置いてけぼりにされる不安感などがあるんだろうか。
それとも、気持ちが変わりつつあるのだろうか。
「まだ応えられないのに。……でも、傍にいて欲しいって思うのは我が儘……なのかな?」
優花は未だにベルディータに応えていない。
そんな状態で側にいて欲しいなんて、我が儘は言ってはいけないことかもしれない――と心配になりながら尋ねる。
「そういうのは我が儘とは言わない。というか、それは私を喜ばせるだけだぞ」
ベルディータは恐縮している優花の体を引き寄せて軽く抱きしめる。
その温かさに鼓動が早くなるのを感じながら、それでも安心している自分に不思議な気持ちになった。