第07話 はじめての町(5)

 ヘレナは驚いた顔をしながら呟いた。

「本当に人は見かけによらないわね。でもそうなると本当に師弟関係なのかしら?」
「どういう意味ですか」
「だって十七……なんでしょう? なら、あの人は弟子というより、伴侶にって考えても可笑しくない年じゃない」
「は?」

 伴侶と言われて、一瞬きょとんとする優花。
 日本でなら、彼氏、恋人、結婚相手――などと呼ばれる人のことか、とやっと思い至る。
 けれど、その言葉を理解する前に、ヘレナが畳み掛けるように続けた。

「あら、十七じゃ結婚適齢期に入った頃じゃないの。本当にお嬢様なのね。世間では十六から二十四歳くらいまでが一番いい年でしょう。今は精霊術士っていうだけで憧れる人も多いし、あなたは違うの?」
「けっ……こんてきれいき……あ、あこ、がれ……」

 伴侶に続いて、結婚適齢期――今までの優花にとって、まったく縁のない言葉だった。思わず鸚鵡おうむ返しに呟いてしまう。
 優花にすると、元いた世界では恋愛などはともかく、結婚などまだまだ先の話にしか思えない。
 確かに優花の年なら法的に結婚をすることは可能だ。
 けれど、優花にすると大学に行って、どこかに就職して、そういうことをしてから結婚するならしたいと思っていた。それに結婚適齢期というものがまったく違う。

「あなた、顔立ちは幼いけど、体はちゃんと女性だもの。あの人だってそういう気持ちがあるかもしれないわよ?」
「えっと……」

 冷や汗なのか、湯の熱さによる汗なのか分からないが、つーっと頬を一筋の水滴が伝う。
 ベルディータははっきりと優花のことを好きだと言った。それを思い出して、言葉に詰まった。
 すると、ヘレナが「心当たりある?」と尋ねる。思わずそれにこくんと頷いてしまう。

「あらやっぱり。あの人、あなたのこと見る目はすごく優しいもの。でも手を出して来ないんじゃ、あなたのこと大切に思っているのかしらね」
「でも、いまいちピンと来ないんだけど。ベルさんと会ったのは本当につい最近だから……」
「そういうのって会ってからの時間なんて関係ないわ。いいと思えばいいのよ。代わりに駄目だと思ったら駄目ね」
「ベルさんもそう言ってた。でも……」
「急すぎて、あの人のそういう気持ちに困ってる?」

 ヘレナに問われて、優花は素直に頷く。
 人に面と向かって好きと言われたのも初めてだし、あの感情を受ける身としては戸惑ってしまう。

「困る……。だって自分の気持ちが分からないから……」
「本当にお嬢様なのね。でも傍にいられるのが嫌じゃないんでしょう?」
「うん」
「なら、いつかそういう目で見れるようになるかもしれないわね。あなたのそんな状態が分かっていれば、あの人も急かしはしないでしょうし」
「そうかな。でも一方的にしてもらうのって悪い気がして……」

 町を歩いている間も、何も知らない優花に細かなところまで気を配ってくれていたのを知っている。
 それが優花にはベルディータにはしてもらうばかりのようで、相手の好意を利用しているように思えてならないのだ。

「気のせいよ。気のせい」

 パタパタと手を振るヘレナに、優花は少しだけ首を傾げる。

「ヘレナさん?」
「あなた気にしすぎよ。相手がそうしたいからしてるだけ。嫌だと思ったらそんなことしないし、されたからって必ず相手を好きにならなければいけないわけじゃないわよ」
「……分かっては、いるつもりなんだけど」

 口では分かっていると言う優花に呆れるヘレナ。
 一つため息をついてから。

「ぜんぜん分かってないわよ。そりゃ好意に好意で返すのはいいことだと思うけど、恋愛に関する好意だけはそうはいかないわ。だいたい相手が自分のことを思ってくれているからって、義務感で相手に応えてもその人に失礼よ」

 ヘレナにきっぱりと言われ、優花はうーんと唸りながら、「それって、やっぱりベルさんに……失礼になるかな?」と考えはじめる。

「そ、迷っているならまだ答えなくてもいいと思うわよ。相手に対する嫌悪感がないなら一緒にいても問題ないし、気持ちだって変わるかもしれないんだから」
「そう、かな」

 気持ちは変わる――ベルディータも言った言葉だ。
 確かに会って二日しか経ってないのに、自分の気持ちを理解するのは、まだ早すぎるのかもしれない。
 ベルディータは待つと言ってくれた。それを信じて、自分自身でしっかりとした答えを見つけたほうがいい。

「なんとなく、ちょっと吹っ切れた気がする」
「そう。良かったわ」
「ヘレナさんって大人ですね。わたし、まだそんな風に考えられない」
「まあ、これでも何人かと付き合ったし。というか、あなたのほうが信じられないほど純朴だわ。いったいどういう育ち方をしたのよ?」
「えと……」

 そりゃ、確かに元の世界でも遅いほうかもしれないけれど、そこまで言われるとダメージが大きい。
 まるでギャグ漫画のように大きな石が頭に降ってきた――あんな感じだ。

「でもねえ、さすがに今のままだとあなた、いき遅れるわよ」
「いきっ!?」
「それかあの人のほうが我慢できなくなるか……」
「は?」
「だって、あなたの身体、十分大人じゃない。出るとこ出てるし。顔との差が大きいから、見たら驚いて理性が飛ぶかもね」
「ふ、不安になるようなこと言わないでくださいっ!!」

 せっかく安心しかけたのに、これではまた逆戻りではないか。まるで出口のない迷宮をぐるぐるしているような気持ちになってきて、優花は深くため息をついた。
 それを見てさすがに気の毒だと思ったのか、ヘレナは別の話を振ってくれて、そのまま他愛のない話をした。
 それでも風呂好きなヘレナに付き合っているとのぼせそうだったのは、優花はある程度のところで話を切り上げて、お風呂から出ることにする。

「それじゃあ、わたしはこれで」
「ええ、付き合わせてしまって悪かったわね」
「いえ、楽しかったです」

 いつまで入っているんだろうと疑問に思わないでもなかったけれど、優花は限界を感じてヘレナより先に上がった。
 脱衣所で体の余分な水分を取り、ゆったりとした部屋着を着込む。そのまま荷物をまとめて部屋に向かった。

 だいぶ話し込んでいたようで、ベルディータのほうが先に部屋に戻っているだろう。というより待っているに違いない。
 先ほどのヘレナとの会話のせいで、二人きりの部屋を想像して、ちょっと緊張した。
 ベルディータのまっすぐな想いは、会ってすぐなのに迷いがない。これがからかわれているのだとしたら、こんなに迷わないし困らないと思う。
 人をからかうのもいい加減にしろと、それだけで終わりにできる。けれど、ベルディータの自分に対する想いが真っ直ぐ入ってくるために、優花はどう応えていいのか困ってしまうのだ。
 こういう時は人の感情に敏感なのも考えものだと思ってしまう。
 そんな悩みを抱えつつ、優花は部屋の扉を開けた。

「遅かったな」
「え、あ、うん。お昼に会った人にばったり会っちゃって。ちょっと話し込んじゃった」
「そうか。のぼせてないか? 頬が少し赤い」
「うん、のぼせたかも。話に夢中になっちゃって。ちょっとベッドに寝転がっていい?」
「ああ」

 ベルディータが返事すると、優花は近いほうのベッドにごろんと寝転がった。少し眩暈がするので目を瞑る。
 まだ冷たいシーツが心地よかったが、温まった体のせいですぐにシーツの冷たさを感じなくなってしまう。シーツの冷たさを求めてもそもそと動いていると、冷たいものが額に触れた。
 柔らかいのに冷たくて、びっくりして目を開けるとベルディータが覗き込んでいた。

「ベルさん?」
「少しは気持ちいいか?」
「あ、うん……」

 額に触れているのはベルディータの手のひらだった。
 力で冷たくして、優花の火照りを取ってくれようとしたらしい。手のひらというより、冷たい柔らかいものに触れているようだ。
 それが火照った肌の熱が収まると少しずつ移動していく。肌を滑るそれはくすぐったいようなものを感じながらも、その冷たさは心地よくて黙って受け入れた。

「少し……」
「ん?」
「少し心配した。戻ってくるのが遅かったからな」
「……ごめん。昼間の人に会って話し込んじゃったの。気づいたらのぼせちゃってて、慌てて出たんだけど」

 それだけではなかったが、心配そうなベルディータを見ると何も言えなくなった。
 多分、言わないほうが傷つけないことだってあるはずだ。

「そうか、ならいいが。……それにしても、同じ部屋がそれほど嫌なら、二部屋借りれば良かったのだ」
「もしかして………怒ってる?」
「……当たり前だ」
「ベルさん?」

 見上げれば怒っているような口調とは反対に、少しふて腐れたような表情をしているのが見える。
 優花と視線が合うと、すっと逸らしてしまう。その様子はまるで拗ねているようだ。

「えと……でもさ、二人部屋に一人で泊まるのってお金もったいないじゃない」
「それはそうだが、そういう問題ではないだろう」
「それに二人部屋に一人で寝るなんて寂しいと思わない?」
「……。だが……」
「お金は節約しなきゃ。いつ必要になるか分からないもん」
「そうかもしれんが、私としては別の部屋のほうが良かったがな」

 ふて腐れた表情のまま、ベルディータは小さく呟いた。
 その意味が分からず、優花は「どうして?」と問いかける。言ってしまえば二人部屋などチャンスだろうに。
 まあ、行動に出られても困るのだけど。

「最初、ユウカが嫌がっただろうが。私とて別の部屋のほうが良さそうだったため、二部屋頼むはずだった」
「そりゃ、ちゃんと聞いてなかったから勢いで二部屋って言っちゃったけど……なんで拘るわけ?」
「ユウカに嫌がられたくないからだ」

 先ほどのふて腐れた表情から、真面目な表情へと変化していく。
 その変わりように、優花は目を見開いた。

「昨日のことで分かっていると思うが、人とイクシオンの差は長寿であることと、独自の力を使えることだけだ」
「うん。それは分かるよ」
「それ以外には人となんら変わることはない」
「うん」
「誰かを愛しく思うことも、触れたいと思う気持ちも、たぶん人と変わらないだろう」
「……そう、だね……」

 そうなのだ。長寿と力――その違いだけで後は人と変わらない。
 たった、それだけの違い。
 反対に違いがそれだけということは、はっきりいえば生活――ひいては生殖行為などが同じということなのだ。そして、それに伴う感情も。
 だから優花も同じ部屋になることを躊躇った。
 なにしろ昨日会ったばかりのなのに、何故か気に入られて求愛されているのだから、やはり同じ部屋というのは不安を感じないでもない。昨夜のように押し倒されたらどうしようという心配があった。

「近くにいればそういう気持ちにもなる。だが、ユウカにすればそれは困ることなのだろう?」
「う、ん……」
「私とてユウカを困らせたいわけではないし、嫌われたいわけでもない」
「だから別の部屋に?」

 答えないまま、困ったような表情をする。
 もしかして宮から出た後、あれだけ騒いだから、気にしていたのだろうかと心配になった。

「ええと……別にベルさんのことが嫌いってわけじゃなくて……ただ、わたしそういう風に誰かのことを思ったことなくて……だから、ええと……。とにかくベルさんのことが嫌いじゃないよ」
「……」
「ただ、嫌いじゃないけど、そういう意味で好きかも分からないの」

 昨夜のようなことをされても、素直に応じることはできない。
 そんな風に思うのは、やはりまだベルディータのことを異性として好きとは思っていないんだと感じる。でも普通に側にいる、触れるということに対して嫌な気持ちはない。
 優花には人として、というのと、異性としての境界線が分からなかった。

「――分かっている。急がないと言ったのは私だ。ただ……」
「ただ?」
「ユウカにすれば、私の手を取るということは得るものもあるが、捨てなければならないものもあるだろう。そしてユウカは捨てなければならないものを、捨てたくないと言った」

 確かにその通りだ。ベルディータを受け入れるということは、長寿で力の使える彼と同じものになるということ。
 今の気持ちのままでは、それごと全てを受け入れるのは不可能に近い。うっかり流されてしまうと、きっと後悔する。
 多分それはベルディータにとっても、優花自身にとっても辛いことに違いない。

「そう、だね。だから、曖昧な気持ちのまま、ベルさんに返事は出来ないよ」
「私も後でユウカが後悔するような真似はしたくない。だから、今度からユウカが困らないよう、一部屋ずつということにしよう。部屋を頼むたびにあんな態度を取られると、こちらとしても悲しいものがある」
「う……ごめんなさい」
「今の私にはユウカに怯えられるのが一番嫌だからな」
「ごめん……」

 真っ直ぐな想いに応えられないもどかしさ。
 それでも、嘘をついてまで『好き』と応えることはできない。
 それは相手を傷つける事だと分かっているから。
 ベルディータの冷たい手のひらを感じながら、人の気持ちの難しさも感じていた。

 

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