第07話 はじめての町(3)

 二人は宿の手続きをすると、先に食事をとることにした。すでにちらほらと食堂には客がいたが、もう少しすると本格的に混むらしい。
 人の少ないうちに食事にしようということになり、窓際の日当たりのいい席に座ってメニューに目を通す。けれど優花には名前だけではどんな料理か分からなかった。
 しばらくメニューと睨めっこをした後、ベルディータに向かってちょっと恥ずかしそうに小声で話す。

「あの……、ベルさん」
「なんだ?」
「わたし、メニュー見てもどんな料理か分からないよ」
「分からない?」
「うん。だって宮にいる時は出てきたものを食べてたから、元がどんなのか分からないの」

 果物などの名前はいくつかテティスに聞いたけれど、果物はあくまでもデザート。
 お腹を満たすためにはメイン料理のメニューを見なければならない。けれど並んだ文字を見ても、煮込んだものとか焼いたものくらいしか分からなかった。

「そ、そうか。ではどんな料理食べたいのだ?」
「えっと、宮で食べてたようなのなら大丈夫だと思うんだけど。字は読めるんだけど、どんなものか分からなくて……」
「分かった」

 宮では肉なども出たが、鶏肉のような割とあっさりとものに、更に味付けなどもさっぱりめが多かった。たいていは野菜をふんだんに使ったものに肉が少量という料理が多い。それと荒い小麦粉で作った固めのパン。米はないのか、主食はパンだった。
 菜食主義ではないので、肉が入っているのは嬉しかったけれど、今思うとあの肉は一体どんな生き物の肉なのだろう、と少し不安になった。
 昔、蛇などの爬虫類の肉は鶏肉に近いと聞いたのを思い出して急に心配になる。

「ベルさん、一つ聞いていい?」
「なんだ」
「宮で出てきた肉って、いったいどんな生き物なの?」
「鳥だ。大きさはこれくらい……だな。卵もとれるため宮でも家畜として飼われている。他にもあるだろうが、大抵はそれだろう」

 ベルディータは親切に口と手で説明してくれた。それを見て大きさや味、卵などから鶏に近いものなのだろうと判断できる。食べていた肉が鶏肉だと分かって、なんとなくほっとした。
 この世界は元の世界と似たものが多いため、理解したり覚えるのは比較的楽だ。
 ベルディータは説明した後、店員を呼んでいくつかの料理を頼んだ。店員はメモを取ると、そのまま厨房のほうへと消える。
 優花は店員を目で追いながら、ぐるりと店内を見渡した。店はベルディータの言うように古くからあるのか、あちこち古びた感じはあるものの、それでも汚いという印象は持たないよう、綺麗に磨いてある。
 ただ、やはり清水鏡宮と比べると、生活レベルは格段に落ちる。
 大理石のようなもので造られた綺麗な宮と比べてはいけないのだろうが――というか、宮が綺麗だからこそ、人はそこに夢を見るのかもしれない、とふとそんな考えが浮かんだ。

(ま、神様の住む場所が汚かったら、誰も神様だと思ってくれないないんだろうけど)

 実際、北の森に一人でいたために魔王などと呼ばれているベルディータ。これが綺麗な所で綺麗な格好をしていれば、誰もそんな風に見ないだろう。
 本人だけでなく周囲の雰囲気も、人に与える影響は違うのだと改めて思い知った感じだ。

「どうした?」
「んー……なんかいろいろ宮と違うんで差を感じていただけ」
「そうか」

 適当に返事をしつつ、もう一度周囲を見ると、女性三人でいる所の話の内容に驚く。後から入ってきた自分たち――特にベルディータに関しての話題らしい。
 男の人なのにすごく綺麗とか、精霊術士のようだけど強いのかとか、そして、あの小さい子とはどういう関係なんだ、とか。
 しかも聞こえるように言っているようにしか思えない声の大きさ。

(分からないわけじゃないけどね。ベルさんは綺麗だし、わたしとは見た目の年齢はかなり離れて見えそうだから気になるかもしれないけど……)

 とはいえ、はっきり聞いてくれたほうがすっきりする、とため息をつきながら思う。

「気になるか?」
「あはは……、まあ」

 心の中での呟きを見透かしたようなベルディータの問いに、優花は引きつった笑みを浮かべる。
 分かっているなら何とかしてくれ、とも思うのだが、それをベルディータに言っても仕方ないだろう。
 なぜかあの声を無視できなくて、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。
 精霊術士とその弟子、精霊術士とその弟子、精霊術士とその弟子……心の中で何度も繰り返す。間違ってもベルディータにされたことを思い出してはいけない。
 そうやって心の平静を保とうとしていると、ベルディータふと立ち上がった。

「ベルさん?」
「食事はまだかかりそうだから、荷物を置いてこようと思ってな」
「は? なんで急に……」
「ユウカも少しは他の人に関わってみるといいだろう」
「え?」

 言うが早いか、ベルディータは優花の分の荷物まで持ってカウンターに向かう。
 追いかけようとしたが、その前に先ほどの女の人たちが、待ち構えていたかのように優花に話しかけてきた。
 なるほど、こうして人と話せという意味か。
 とはいえ急すぎる。

「こんにちは。ねぇ、あの人のこと教えてくれる?」
「どういう関係なのかしら?」
「え? あの、その……」

 優花は二人の迫力に圧されて席に戻るしかなかった。
 困った顔をしていると、残りの一人がさすがに気の毒だと思ったのか、静かに二人を嗜めた。

「そんなに勢いよく迫っちゃ可哀想よ。でも、あなたもあの人もこの辺の人じゃないわよね? ねえ、少し話を聞かせてもらってもいい?」
「あ、えと……」

 話? 話なんて何をすればいいのだろう。
 わたしは異世界人です。地球という所から来ました。でもって神様を押し付けられました。
 それに一緒にいた人は、綺麗だけど現在魔王と呼ばれている人です。

(…………なんて、口が裂けても言えないっ!)

 本当のことを話したら驚かれるか、それとも大嘘つきにされる。
 そのため話しても良さそうな、ベルディータとの関係についてのみ話しはじめた。

「えと……ベルさんは……精霊術士で、えと……わたしは一応弟子になるんだけど……」
「あら、やっぱり精霊術士なのね?」
「危険だけど、今一番いい仕事よね」
「あなたはどれくらい精霊術が使えるの?」

 矢継ぎ早に聞かれ、少しは考えさせる時間を与えてくれ、と切実に思う。
 それでなくても優花の頭はいいとは言えないのに、これだけ早いと言えることだけを怪しまれない程度の内容まで選んで――などというところまで気が回らなくなる。

「えと……あ、わたしは……最近ベルさんの弟子になったばかりだから……術に関してはちょっと……」
「そう。そういえばあなたはどの辺りに住んでるの? あの人もこの辺の人じゃなさそうよね」
「そうよね。それにしても二人とも黒髪なんて珍しいわ。親戚か何か? そうでなければ弟子にしてもらえないでしょう?」
「そうよね。でなければ学び舎に行くしかないもの」
「あ、う……えと……」

 この世界に関して偏った知識しか知らない優花には、あまり細かいことを突っ込まれると返事できなくなってしまう。
 心の中でいなくなったベルディータに文句を言いながら、それらしい話を考える……などと器用な真似はできず、頭の中はパニック寸前だった。

「悪いが、あまり苛めないでやって欲しいんですが」

 口元に手を当てて笑いを堪えているベルディータが、女の人たちの隙間から見えた。
 彼女らもその声に振り返り、慌てて頬を染める。さすがに聞かれているとは思わなかったようだ。

「ベルさん見てないで助けてよ!!」
「ああ、悪かった悪かった」

 ぜんぜん悪びれてない返事が返ってきて、優花の頬がぷっくりと膨らんだ。
 その仕草が更にベルディータの笑いを誘うのだとしても、ふくれっ面の一つもしたくなるのは仕方ないだろう。
 そんな優花を置いておいて、ベルディータは女の人たちに笑みを浮かべて話しかけた。

「私も弟子をとるのは初めてなんですよ。それに彼女を弟子にしたのもつい最近のことなので、精霊術に関してはあまり説明していないんです」
「そうなんですか」
「じゃあ、会ったのはこの近くってことですか?」
「ええ、弟から頼まれて。あと、彼女は結構なお嬢様で、あまり世間のことを知らようなので、知識を広めるためにも旅をと思ったんですよ」
「優しいんですね」

 愛想よく話すベルディータは、自分が会った時――見習い神官の恰好をしていた時よりもよっぽどにこやかだ。
 いつもの偉そうな話し方が消えて、人当たりのいい青年になっている。口調もまったく違う徹底振り。
 けれどもベルディータはほとんど嘘はついていない。ベルディータが精霊術士であるということと、優花がお嬢様だというのを抜かせば、世間知らずなど間違っていない。
 それでも心の中で、この二重人格……とツッコミを入れたくなる優花。
 そんな優花の心境を知ってか知らずか、頼んだ食事が机の上に乗るまで、ベルディータはにこやかに彼女たちと話していた。

 

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