第06話 旅立ち(4)

『魔物を殺さないで欲しい』

 そう言ったファーディナンドの真意を、そして、『消す』と『殺す』の違いを考えて、優花は術式のことを思い出した。

「えっと……『消す』なら術式ごと消せるけど、何か別の方法で魔物を『殺した』場合、術式が変わっちゃうんですよね? というと、何があっても魔物を『殺さない』で、術式をこれ以上変えないように……ってことですか?」

 もちろん魔物とて生き物。優花としても殺すことはしたくない。
 消すと決めたのは、魔物が消えていくとき嬉しそうだったからだ。

「そうですね。そのままの意味です。まあ、貴女の場合、『消す』というより『昇華』と言ったほうがしっくりくるかも知れませんね」
「昇華、ですか。でも、どうしてか聞いていいですか?」
「魔物を殺すことで逃げ道を作って欲しくないのですよ」
「逃げ道?」

 意味がわからず、優花は首を傾げる。そうしながらも一応自分で考えてみる。
 魔物を殺した場合、術式が変わる。そして、また別の場所で魔物が生まれる。けれど、優花が魔物を消した場合、術式から何から全てが消える。

(やっぱり術式をこれ以上変えないように? でもなんか違うような……)

 疑問に思っていると、ファーディナンドのほうから口を開く。

「中には貴女でも恐ろしく思う魔物もいるかもしれないでしょう。そうした場合、ベルディータ様のお力で魔物を殺し、新たに生まれ変わった魔物を相手にするということも可能です」
「そういえば、そういうのもあるんですね」
「ええ、でもそうすると今までと変わりません。それに魔物を探す旅も長引くでしょう」
「あ、そっか……」

 ベルディータの力ならあっさりと魔物を殺すことは出来る。
 けれどそれでは術式が変わるだけで、別の場所に新たな魔物として存在することになり、今度はそれを探さなければならない。
 そんなことを繰り返せば、時間ばかりかかるだろう。

「確かに」
「貴女は魔物を受け入れ術式ごと消すという方法を見つけた。けれど、今ここでその方法は他の者には通じないのです。魔物は忌むべきもので、殺さなくてはならないというのが今の考え方ですから」
「そうですね……」

 旅の間は昨夜のように二人きりではいられない。
 他の人もいるかもしれないところで、優花の『魔物を殺さない』というのは簡単に受け入れられるものではないだろう。
 負の感情を抱えた魔物。
 それを殺して、新たな負の感情を元に生まれる新たな魔物。そんな負の連鎖反応から解き放ってあげたいと思ったのだから、頑張るしかない。

「そう言いながら、それでも私は貴女には自分の思いを貫いて欲しいと思うのですが。――理想かもしれませんが、ね」
「そう、ですね。理想かもしれない。でも、わたし魔物でも殺したくないから。ベルさんにも殺して欲しくないから」
「ええ、その気持ちを大事になさってください」
「はい。頑張ります」

 気持ちを新たにしてファーディナンドを見つめると、彼は非常に満足した笑みを浮かべた。

「それでは道中お気をつけて。いってらっしゃいませ、ユウカ様」

 深々と頭を下げるファーディナンドに、優花は「行ってきます」と返事をして、ベルディータの待つ宮の外に向かった。
 宮から出るのは、誰にも咎められることはなかった。
 服装が普通のもののためか、外部から来た人だと判断されたらしい。門番の人にも「お気をつけて」などと言われてしまう。

「ま、いっか」

 下手に止められても困るし、それに顔が知られているというのもなんとなく嫌だ。
 幸いにも優花が新しい神だと知っているのは、宮の内部にいるごく僅かの人間だけだった。

 

 ***

 

 宮から出ると深呼吸を一つしてから、力強く一歩を踏み出す。しばらく一人で歩くと、優花を見て立っている人物を見つけた。

「ベルさん!」

 先ほどの服装に加えて、長い杖と大きめの袋を持っている。見るたびに全く違う服装と雰囲気だが、それでもその顔は忘れられるものではない。
 優花は走ってベルディータに近づいた。

「遅かったな」
「ちょっとファーディナンドさんと話をしていて」
「話?」
「魔物についての話を聞いただけ」

 案の定、聞いてくるベルディータに、優花はすぐに返す。
 話の内容は後半はともかく、前半については本人に知られるのは恥ずかしかった。
 そのため、魔物について説明を受けていたとだけ、簡潔に返したのだが……。

「ほう」
「な、なに?」
「いや、あっさり答えるから、聞かれては困ることだろうと思ってな」
「う……。どうしてわかるわけ?」
「答えを用意していたかのようだからな」

 はっきりと断言するベルディータに、優花はこれ以上何も言えない。違うともそうとも言えない以上、黙るしかなかった。
 それにしてもどうしてベルディータには、自分の考えが分かってしまうのか。
 その辺りは実は問いかけられた時の優花の表情で分かりすぎるのだが、その辺りの指摘はしてもらえないため、優花は『亀の甲より年の功』という考えに落ち着いた。
 それなら仕方ないと諦めることができる。

「まあ、問い詰めたりはしない。おおよその見当はつくからな」
「う……。なら最初から聞かないでよ」
「下手に隠そうとするからだろう。だいたい私は旅の間の関係に対して納得してないため不機嫌だぞ」
「不機嫌って偉そうに言わないでよ。えと、旅の関係って……精霊術士の師匠と弟子のどこが悪いの? わたしが思いついたものよりよっぽどいいと思うけど」

 自分が考えたものより一番しっくりくるような気がするのに、どうして気に入らないのか。
 優花は理解できずにいると、ベルディータが深いため息をついた。

「先に質問していいか? ユウカは一体どういう関係を考えたというのだ?」
「ええと……まず兄妹――は顔が似てないから無理だよね。んで、次に考えたのが人買い」
「……誰が、だ?」
「ベルさん。でもベルさんのほうが綺麗だから、売るとしたらベルさんのほうがお金になるなーとか……って、ベルさん?」

 言い訳するように早口で喋っていると、ベルディータが杖に両手をついて深く頭を下げているのが目に入った。しかも深い深いため息付きで。
 やはり『人買い』などと言われたのがショックなんだろうか、と考えたけど、まあ、言ってしまったものは仕方ないと開きなおる。
 最近こんな感じばかりだと思ったが、どうもベルディータ相手には口が滑ってしまうらしい。
「ベルさん?」と再度声をかけると、ベルディータは眉間にしわを寄せながら、優花にぼそりと呟いた。

「お前は……ユウカと私の間に昨夜なにがあったか覚えてないのか?」
「昨夜……って、なんだっけ?」
「都合よく忘れるな。私から力をもらうといって来ただろうが」
「あー! そうそう、ファーディナンドさんと二人して騙したんだよね!」
「だま……とにかくその時のことを思い出せ」

 優花にすれば騙されたという気持ちのほうが強い。だからそう返したのだが、ベルディータは気に入らないらしい。
 仕方なく昨夜のことを思い出し――途中で恥ずかしくなって思い出すことを放棄する。
 そして耳まで赤く染めたまま、ベルディータに向かって、

「あの……あれってただ単に適当に力をやっちゃえーって、ことじゃなかったの?」
「確かに最初のうちはそんな感じだったが、最後のほうは違うと言ったはずだが?」
「え? 何か言っていたっけ……?」

 そらとぼける優花。出来ればあの時のことは思い出したくない。
 美形に押し倒されるわ、その人物が魔王と呼ばれている人だと分かるわ――とにかく刺激が強すぎて記憶から削除したい内容だった。
 夢だ夢。大体、あれはその場の勢いってやつだろう、なにせ、あの場がそういう予定だったのだから。
 でも今は普通に戻っている。だから、ベルディータの気持ちも落ち着いているだろうと思っていたのだが――表情から冗談だという気が読み取れなかった。
 優花の口元が思わず引きつる。

「う、嘘……だよ、ね? 本気じゃない……よね?」
「嘘ではない」

 縋るような目で見るけれど、ベルディータは顔をしかめてすぐさま否定する。
 いや、断言されても信じられないんだけど――そう言おうとした矢先、ベルディータの手が優花に伸びてくる。

「ベ……」

 目を瞠り、名を呼ぼうとしたのに、両頬に触れた手の熱さにとまどう。
 そのまま動けないでいると、優花の体はベルディータの腕の中にすっぽりと収まってしまった。

「ベル……さん?」

 どうしていいのかわからず、ベルディータの名を呼ぶと、拘束している腕の力が強まって、優花はさらに困惑する。
 それからしばらくするとベルディータは、優花が苦しくない程度の強さに戻して上から覆い被さるように抱きしめた。

「ベルさん?」
「ユウカ、確かに私はユウカがあの部屋に来るまで、それも一つの手だと思っていた」
「う、ん……」
「他に手が見つからなかったからな」

 ベルディータの声は少し自嘲するような声音だった。
 確かにある意味有効な手だろう。ベルディータの力は減るが、優花が力を持てば神として存在できる。人は希望を失くさなくて済むだろう。
 ただし、その場合は互いの感情はないも同然だろう。多少の好意はあっても、強く望むほどの想いはなかったはずだ。
 そんな考えが優花の中にも浮かんできて、その場合は幸せは程遠いんだろうな、とぼんやりと考えた。

「だが、ユウカの考えを聞いて思い直した」
「うん、それは良かったんだけど」
「だが、同時に、力に抗うユウカを好ましく思った」
「……っ!?」
「今は本気でそう思っている」

 要約すると――しなくても、最初はこの世界のために仕方なくだったのが、今では優花のことを気に入って、一族なかまにしてしまおうという気になっているということだろう。
 どこをどうしたらそんな気になるのか、優花にはどれだけ考えても答えが見えなかった。
 ただ、ベルディータは本気で、そんな彼から逃れるのは無謀に近いのではないか――と漠然と思った。

「ほかに……」

 他にそういった人はいなかったのか――と、言外に訊ねると、ベルディータは苦笑するだけだった。

「居たらこんな風にユウカに迫ったりしないだろうが」
「そ、だね……」

 真面目なベルディータのことだ。愛する人がいたら、いくらこの世界のためとはいえ、優花を選ぶこともないだろう。
 いや、それ以前に、すでにその女性が隣に立っているはずだ。
 それでもベルディータは優花を選んだ。これはもう、変えようのない事実だった。
 それだけ、彼らはひとりの人を生涯思い続ける。

「なんで、わたし……なの……」

 問いかけに似た、ただの独り言が口からこぼれる。
 優花にしてみれば、容姿、立場、力――色々な面において並(体力などは並以下)としか言いようがない。
 そんな自分がいいというのだ。

「さあ、何でだろうな。こういった感情は素直に答えられるものではないだろう?」
「……」
「ただ、私はユウカに対して本気になったことだけは確かだ。それに非力なままでいると言い張ったユウカをそばで護りたい」
「う……」

 飾ることをせずストレートに来る言葉に、優花は上手くかわすことが出来ない。
 おろおろしているうちに、抱きしめているだけでは飽き足らなくなったのか、ベルディータは優花の額に頬に唇で触れていく。

「ひゃっ」
「こういう事に慣れていないのだな?」
「慣れてるわけないでしょ! わたしはまだ誰とも付き合ったことなんてないんだし!」
「ほう、なら好都合だ」

 優花の言葉にベルディータが嬉しそうに笑う。
 そうこうしているうちに、顔を挟んでいた手でまれ触れていた唇が、とうとう優花の唇に重なる。濃厚なものではなかったが、何度も繰りかえされるそれに、優花の顔はさらに熱を帯びた。

「耳まで真っ赤になった」
「……っ!!」

 からかうように言うため、更に恥ずかしくなる。頬の熱も増したような気がした。

「だって、ベルさんがっ! そんなことする、からっ!」
「だから言っただろう。納得してない、と」
「だからって、なんでこんなことされなきゃならないの!?」
「私が望んでいる関係だからだ」
「ちょっ……もう一回言うけど! どーして昨日会ったばかりで、そんなに早くそーゆー展開に持っていけるのっ!?」

 しれっと悪びれずに言うベルディータに信じられない、とばかりに叫ぶ。
 恋をしたことはないけど、そんな風に急激にくるものではないような気がして。

「別に時間など関係ないだろう?」
「あるよ! ってか、なんで長寿なのにそんなに即決なの!? ぜったい間違ってるってば! もうちょっとゆっくり考えようよ!! ベルさんなら軽く百年くらい余裕で考える時間あるでしょ!?」

 あまりの展開の速さについていけず、優花は半分パニック状態になった。
 ベルディータはそんな優花を抱きしめて、宥めるように背中を軽く撫でる。
 最初の頃は暴れていたが、次第に大人しくなってくると、耳元で囁くような低い声がして体に緊張が走る。

「時間は関係ないと昨夜言ったはずだ。それに、ユウカの意思を尊重しているからここまでにしているのだが?」
「ここまでって……」
「口付け……までか? とりあえず」
「う……」
「望むならその先も私は構わない」
「の、望んでないーっ!!」

 お願いだからやめてください、といった心境だ。
 それなのにベルディータはくすくすと笑うばかりで、優花の心境を察してくれない。
 いや、察しているのだろうが、それがまた面白いのか変える気配はなかった。

「まあ、言霊による誓約が効いている今はこれ以上は無理だがな」
「だったらもう放してー!」
「放して欲しければ旅の関係をもう少し考慮するように」
「う……それは……精霊術士の師匠と弟子、で……」
「それでは変わりないだろう」
「えと、他に……他には……」

 口ではもごもご言いながら、それでも、それ以上何がある? とばかりにベルディータを睨みつける。
 けれどいくら睨んでも効き目はないらしく、意地悪そうな笑みは変わらない。

「恋人」
「はい?」
「師匠と弟子兼恋人ならいい」
「ちょ……なに言って……!」
「嫌だというのならこのまま引き返すか?」
「う、それは……」

 ベルディータはこんなに綺麗な顔をしているのに、自分の恋人などと胸を張って言えるわけがない。絶対に信じられないといった否定の言葉が返ってくるに決まっている。
 それに自分の気持ちもまだ定まっているわけではない。
 そう思うのに、完全にベルディータのペースに填まってしまったらしく、他にいい案が見つからず、優花は渋面を作った。

「なら最後の妥協案だ」
「なに?」
「師匠と弟子、兼、その弟子に求愛中ということにしておこう。確かに会ってすぐに気に入ったから、弟子にして傍において口説いているってのは嘘ではないし?」
「さっきとあんまり変わらないんじゃ……」
「そう言うならこの旅は考えさせてもらうとするか」

 ベルディータが行かないということは、事実上、旅ができないということだ。
 下手にファーディナンドに認められた分、彼は優花の身の安全が保証されなければ宮から出してくれないだろう。
 おそらくそれらを知っていて言っているのだが、こうなると優花には妥協案で手を打つという選択しか残されていなかった。

「ベルさんの……」
「ん?」
「ベルさんのいぢわるうううぅぅっ!!」

 半分涙目で叫んでもベルディータは動じなかった。

「意地悪でもなんでもないと思うが?」
「ぜったい意地悪だってば!」
「事実を言ったまでだ。そうでもしなければ、ユウカは私の気持ちなど考えはしないだろう」
「そ、それは……」

 確かにそのとおりだった。人の感情には敏感なほうだけど、恋愛に関してはよくわからない。
 誰が誰を思っているというのが分かっても、恋心というものは恋をしたことのない優花には分からなかった。
 それに今はするべきことがあるから、そちらを優先することになる。
 そうなると、自然に分からないことは後回しするに決まっている。

「別に今すぐ答えが欲しいわけではない」
「それは……」
「だが、私の気持ちを忘れないで欲しい」
「ベルさんの気持ち……?」
「ああ、一人でいるのは寂しいと言ったのはユウカだ。そして、私はその気持ちを思い出しつつある。だから側にいて欲しいと思うし、そのためにもユウカが忘れないようにしたいと思っている」

 先ほどのようにからかう調子ではなく、真面目に言われると、優花は頷くしかなかった。
 一人でいるのは寂しいと言ったのは優花自身だったし、ベルディータにもそんな気持ちになってほしくないと思うから。

「……うん。でも、ベルさんの気持ちには応えられないかもしれない……よ?」
「構わない。気持ちは変わるものだから、気長に口説くことにする」
「う……ちょっと怖そう」
「気のせいだ」

 世界中を巡るにはまだ時間がある。その間にゆっくり考えることにしよう、と開き直る。ベルディータの言うとおり、気持ちは変わるものだから。
 優花は少し頬を染めながら「手加減して」と呟く。
 ベルディータは笑みを浮かべながら、優花の手を取った。

 こうして、見た目精霊術士の師匠と弟子――本当は魔王と呼ばれる者と、強制的に神の座を譲り渡された少女の旅が始まる。
 目指す場所は、宮から一番近い町・トゥーレ。

 

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