第06話 旅立ち(3)

 用意されていた服はベルディータの女性版のような感じだった。
 ハイネックの柔らかい素材の上着に、スパッツのような細身のパンツ。靴は足首くらいまでの長さだったが、ブーツに入るくらいの大きさ。
 それらを着てから、ワンピースのような貫頭衣を上から着込む。その後は長い布で腰に何周か回して留める。そして短い丈の上着を羽織った。

「これが、この世界の一般的な服?」
「はい。そうです」
「ここの服とかなり違うんだね」
「そうですね。ここは春のような暖かさが保たれていますので、以前のような服でも構いませんが、外は季節がありますから」
「今は?」
「今はちょうど春になった頃ですわ」
「そうなんだ」

 どうりで昨日寒いわけだ、と優花は納得した。
 代わりに今着てるのはここでは暑いくらいだ。手をパタパタとさせて顔に少し風を送っていると、深刻そうな表情のテティスが目に入った。

「テティス?」
「はっはい」
「どうしたの?」
「……いえ。ただ、寂しくなる、と」
「え?」
「ユウカ様が出て行かれてしまうと、以前のような宮に戻ってしまうのかと思ったので……そうすると寂しくなってしまうと思ったのです。本当に急な話でしたので……」
「寂しい?」

 テティスの言った意味が分からなくて、優花は首を傾げた。
 優花にすると以前――ヴァレンティーネがいた時のことを知らないため、比べてみたことなどない。漠然と分かっているは、人の目に自分が神として相応しくないと映るに違いないということだけ。
 それなのに、どうして寂しいと思うのだろうと首を傾げる。

「ユウカ様はご存知ないかもしれませんが、前の神様の時はとても静かな宮だったのですよ」
「あー……わたしとファーディナンドさんのやり取りがうるさかったってこと?」

 ここでの生活はだいたいファーディナンドの部屋で過ごしたが、他の人の前にまったく出ないわけではない。
 それに、早くこの状況を何とかしたくて、ファーディナンドに会えばあれこれ騒いでいたのを、しっかり見られていたはずだ。

「そう思う方もいらっしゃると思いますが、若い人たちの中では、お二人のやり取りを面白く思って見てる人も多かったと思います」
「出来たら見てないで助けて欲しかったんだけどな」
「それは無理ですわ。神官長様を相手にあれだけ言える方はいらっしゃいませんもの」
「……は、ははは……」

 無知とは恐ろしいものだ、と今更ながらに優花は感じる。
 押し付けられた役目が役目だったため、ファーディナンド相手に怯んでいられなかったのは確かだが、ああいう人を相手に平気でものを言える人は少ないかもしれない。
 それでなくても、ファーディナンドはこの宮を仕切る神官長という地位にいる。並みの人間がおいそれと意見できるような存在ではないのだ。

「遠巻きに見ているだけでしたし、『力なんかない』とユウカ様は叫んでましたので、その辺りについては失礼ながら失望する者もいましたけど、逆に好意的に見ている者もいたんですよ」
「なるほど……」
「神官長様もなんだかんだいって相手をしていましたし、神様が亡くなったばかりなのに、宮の中は前よりも明るい感じでしたので――」

 もしかしてもしかしなくても結構目立ってたのか、と優花は苦笑するしかない。
 元の世界では周りが派手だったため、優花個人が目立つことはほとんどなかった。知っている人も『 慎一しんいちと幼馴染の』とか『生徒会会計の香坂こうさかと仲がいい』だの、優花の名前の前にそういった形容詞がついていた。
 思わず、やっぱりさっさと旅に出よう、そして帰ってくるときはこっそりと、と心の中で決める。
 でも寂しそうなテティスを見ると、何か悪いことをしているような気持ちになった。

「えと……、わたしは宮からは出るけど、この世界のどこかにはいるし、必要なら戻ってくるよ?」

 空間を渡ることのできる、いや何でもできる力の持ち主が同行するため、戻ってくるよう言われた場合はすぐに戻ってこれるだろう。
 優花が不在の間はファーディナンドが代理を務めてくれるらしいし、代理――ファーディナンドが神官長だということは誰しも知っているので、新たな神と名乗る気はないらしい――では間に合わない時は呼び戻すと言っていた。
 テティスもその辺りは聞いているのか、しばらくしてから静かに頷いた。

「はい。ユウカ様が何をなされるのか分かりませんが、道中お気をつけて」
「うん。テティスも元気でね」

 テティスから他の荷物を受け取り、笑顔で手を振りながら、隣の部屋へと戻る。いずれここに戻るだろうから、さよならを言う気はなかった。
 少し寂しげなテティスを後にして、優花は隣の部屋に移動した。

 

 ***

 

「お待たせしました。……って、ベルさんまた居ないの?」
「ベルディータ様はすでに外で待っております」
「なんで?」
「まあ、この宮ではベルディータ様のことを知る者はいませんので、いきなり出てきた者がユウカ様に同行するのに、抵抗を感じる者もいるかもしれないと心配されたからです」
「あ、なるほど」
「それにユウカ様に少々お話をしておきたいことがありまして」
「話?」

 話といってもお小言ではないらしい。
 ファーディナンドの表情は終始柔らかで、昨日までのファーディナンドとはまったくの別人と言っていいほどの変わりようだ。
 人間、変われば変わるものである。人ではないけれど。

「どういった話ですか?」
「そうですね。まずはベルディータ様のことをお願いしておきたかったのです」
「ベルさんのこと?」
「あの方には一番の重荷を背負わせてしまったので」
「あ……」

 ヴァレンティーネもファーディナンドも苦労していなかったわけではない。でも、二人一緒にいれば心強いだろう。
 でも、ベルディータはずっと一人だったのだ。
 それに気づいて、優花は小さく頷く。

「ヴァレンティーネ様の補佐として仕えることに対して否やはありませんでした。けれど、その間ベルディータ様はお一人で術式解除にあたることになり、ずいぶんと大変な思いをしたと思います。それに……現在のベルディータ様の立場はご存知ですね?」

 ベルディータの立場と聞いて、優花は昨日寝る前のやり取りを思い出す。
 本人は面白がって答えてはいたが、それでも彼なりに思うところがあるだろう。
 それでなくても神の一族としてきた者が、『魔王』などと言われるのはかなり不本意に違いない。
 優花はなんとも言えない表情で頷いた。

「あの方の立場は、あの方を知る者にとっては非常に危険です。それを押してまで貴女についていくことを決めたのです」
「それは……」
「貴女はあの方をそこまで動かした。貴女が側にいることによって、ベルディータ様が救われる気がするのです」
「ちょ……、それは買い被りです!!」

 ちょっと待ってください、とばかりに優花は手を振った。
 そこまで期待されても困る。

「ですが、あの方は一族に迎えたいと思うほど、貴女のことを思っていますよ」
「う……。でも、それはこの世界を守る者としての義務、って考えていたんじゃないんですか?」

 それにお膳立てしたのはあなたのほうでしょうが、と言おうとしたが、それよりも早くファーディナンドのほうが口を開いた。

「そうですね。昨夜、貴女があの部屋に入った時点では、その考えのほうが強かったと思います。けれど今は違うと思いますよ」
「それは……」
「出来れば貴女には拒んで欲しくないのですが、まあ、貴女のお気持ちもありますから、無理にとは言いません。けれど、ベルディータ様のお気持ちを心に留めておくくらいはして欲しいのです」

 静かに話すファーディナンドに、ベルディータの気持ちが本当に本気なのかと少々ツッコミを入れたい気持ちになる。
 たった二日、時間にすれば二十四時間にも満たない。優花にすると異性を好きになるには早すぎる時間だった。

「すぐに答えが出ないのは仕方ないでしょう。けれど、あの方は貴女の支え護ることを決めました。ですから遠慮せず頼ってあげてください。それがあの方にとって一番嬉しく思うことでしょうから」
「……嬉しい?」
「はい。恐らく……誰かと共にいて、話をしたり、色々なことを考えることが。あの方はそういう感情さえ失くしてしまいそうなほど、長い間お一人で居られましたから」

 静かな落ち着いた口調で語っているのに、何故か圧力を感じてしまう。
 いや違う。このような口調でも、周囲の人を従わせるだけの圧力がある。それだけ長い間、その立場で生きてきたからだろう。
 でもそれは、とても寂しい生き方ではないのか。
 ベルディータがそうして生きてきたのは、彼自身からすでに聞いている。
 ファーディナンドも、身近にヴァレンティーネがいたけれど、人の中に埋もれて、自分の感情を殺して生きてきたのだと、なんとなく察することができた。
 いつも誰かに頼って生きてきた優花には、彼らの生き方が想像できない。ただ、ものすごい孤独と戦いながら生きてきたんだろうという、漠然とした思いしか浮かばなかった。

「なんか……すごく寂しいです、ね」
「そうですね」
「ベルさんもファーディナンドさんも、何でも出来るかもしれないけど、そんなの生きてるって言えないような気がする……」

 毎日同じことの繰り返しで、そこに感情を入れる余地もない。
 入れるとしたら、この世界の終わりを憂う気持ちと焦りくらいだろうか。
 想像の域でしかないが、それでも、それは生きているといえるのだろうかと思ってしまう。

「ええ、そうですね。けれど私達はそういう生き方しか出来ませんでした。ですからこれから先、ベルディータ様には楽しいと思えるように、ユウカ様がしてあげて欲しいのですよ」
「わたし、が?」
「ええ」
「む、無理ですよ!」

 絶対無理! とばかりに優花は手をパタパタと振って慌てる。
 けれどファーディナンドは笑みを浮かべるだけだ。

「私は無理だと思う方に頼んだりしませんよ。少なくとも、私も貴女とのやり取りは嫌ではありませんでしたよ。皆と違って、貴女はいつも本気で言ってきましたから」
「う、それは……事が事だったし……」
「私にとって、ヴァレンティーネ様が亡くなったことを、忘れさせてもらえる時でもありました。今だから言えることですが、ね。貴女のことを認めなかったら、絶対に口にすることはなかったでしょうが」
「そこまで買い被らないでくださいってば。わたしはごく普通のどこにでもいる人間ですよ?」

 ヤバイ、どうしよう――と内心冷や汗だらだら状態だ。
 どうやらファーディナンドはなかなか人を認めないが、認めたら全幅の信頼を寄せるらしい。
 その信頼が優花には重く感じる。

「そんな風に、貴女はいつも人と真剣に向き合うのでしょう」
「いや、わたしの場合、本気を出してやっと人並みだから」
「なら、ベルディータ様に対しても、種族が違うからというのを理由にしないで、本気で向かい合って欲しいのです。今はそれだけでもあの方は嬉しく思うでしょう」
「……分かりました」

 ファーディナンドの言いたいことが分かったため、優花はつい頷いてしまった。
 これで拒否できたらかなりの精神力の持ち主かもしれないと思うが、優花はそこまで図太くはなれなかった。
 この辺が神様役を押し付けられてしまった敗因なのだろう。
 無理難題を押し付けた当の本人は何事もなかったかのように、今度は別の話を始めた。

「それともう一つ」
「はい?」
「貴女は魔物を『消す』と言いました」
「はい。言いました」
「なら約束してください」
「何をですか?」
「魔物を決して、『殺さない』と」
「ころ、す?」

 ファーディナンドが何が言いたいのかよく分からず、優花はおうむ返しに呟いた。

 

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