第06話 旅立ち(2)

 優花が笑みを浮かべている間も、ファーディナンドは旅に関しての説明をしていく。
 けれど、その説明の半分くらいは優花の中を素通りしていた。おかげでファーディナンドはため息を一つつく。

「きちんと聞いていますか?」
「え? えっと……なんでしたっけ?」
「全く貴女という人は……」
「え? え?」

 呆れ顔で、けれど嫌な感じではない顔をする。以前のような馬鹿にしたような笑みではなく、仕方ないといった苦笑に近い。
 以前なら、話を聞かなかったりすると容赦なく嫌味が出てきたのに、それが全くないのだ。
 あまりの変わりように、優花はぼそりと呟いた。

「なんか……ファーディナンドさんじゃないみたい」
「貴女はつくづく……。お望みなら以前のように戻しますが?」
「あ、いやそれはそれで心臓に悪いんですけど!」
「く……っ」

 半分本気でやめてくれ、といった感じで優花は慌てて拒否する。その態度に今度はファーディナンドが堪えきれず軽く噴き出した。
 昨日からこんな風に笑われることが多いような気がする――と、優花は少し顔をしかめた。

「ファーディナンドさん?」
「なんですか? それにしても、全く貴女は意外な方でしたね」
「うーん……。そう言われてもあまり嬉しくないような……」
「本当ですよ。私は人が嫌いなので、あまり関わりたくないと思ってたんですが――」
「やっぱり。千年前の出来事で?」
「そうですよ。そのせいで我が一族は滅びました。いえ、完全ではないですが、いずれ滅びるでしょう」
「そう、ですね……」

 否定できなかった。
 すでに残り二人しかいなければ、どう足掻いても辿る道は一つしかない。
 ベルディータの話を聞いている以上、彼らが人を嫌っても仕方ないことだと思ってしまう。自分がしたことではないが、人として一括りにした場合、やはり優花は人なのだから、嫌われている中に入ってしまう。
 優花は居心地の悪さを感じて、軽く肩を竦めた。

「そのため、私は人間が嫌いなんですよ」
「分かってます……」
「ですから、貴女に膝を折る気なんて、全くこれっぽっちもありませんでした。例えヴァレンティーネ様が直接呼ばれた方でも、貴女は人間でしたから」
「はあ」

 いっそ小気味いいくらいスパッとものを言うファーディナンドに、優花は苦笑する。
 反対にこの思いの強さは好意的に思えてしまう。これだけの思いを貫くためには、強い意思が必要だ。また、それに見合うだけの意思をファーディナンドはしっかり持っている。
 優花はその強さが羨ましくて、ファーディナンドのことを嫌いになれななかった。

「本当に……。貴女は目の前で嫌いだと言われても動じないのですね」
「まあ、何というか……ファーディナンドさんにはちゃんとした理由もあるし、それでも立場を忘れないのはすごいというか。あ、一応グサッとは来るんですよ! でもまあ本当のことを知ってしまったし、仕方ないかなってのもあるというか……」

 いっそ嫌えたほうが楽なのに、と思ったことがないわけではない。
 けれどやっぱり嫌えないのだから、これはもう仕方ない。

「それでも、わたしはファーディナンドさんのこと嫌いにはなれない……かな。羨ましいって気持ちのほうが強いから」

 ぼそりと吐き出した優花の言葉に、ファーディナンドは目を瞠った。
 まさかそう言われるとは思わなかった、というような表情だ。

「ファーディナンドさん?」
「いえ……そうですか。でも、私は今も人間なんて大嫌いなんですよ」
「分かってます」
「それに貴女ときたら、嫌だと言って騒いでうるさいし、挙句に逃げるし、更にはあの方に平気で意見するし――」
「ええーと……」

 優花の視線がファーディナンドから別の方向に逃げるように泳がせた。
 さすがにここまで言われると、直視できない。

「でも、貴女は貴女なりに考えて、今までとは違う新たな道を探し出した」
「……」
「貴女の努力を認めて、貴女に敬意を払いますよ、――ユウカ様」

 はじめて、苦笑でも冷笑でもないファーディナンドの笑みを見て、優花はドキッとした。
 思わず手で顔を覆いたくなるような眩しさを感じてしまうのは、たぶん気のせいではないだろう。

「ファーディナンドさん……」
「はい?」
「なんか眩しいです。その笑顔」
「……ユウカ様」

 優花の眩しい発言に、ファーディナンドの口元が引くつくのが分かる。
 優花も言ってからしまった、とばかりに後悔した。最近思ったことをつい口にしてしまう癖がついてしまったようだ。
 そうなったのは誰も聞いてくれないから、愚痴をこぼすだけでもと思ったからなのだが、本人を前にしてもポロリと言ってしまうところまで重症化しているらしい。
 少し恥ずかしい思いをしていると、優花の後ろで笑い声が聞こえる。

「二人とも、あまり笑わせないで欲しいのだが。漫才でもしてるのか?」
「ベルさん!」
「ベルディータ様」

 振り向くと、そこには見習い神官の服装でも、ゆったりとした黒衣でもない姿のベルディータが笑いを堪えながら立っていた。
 ハイネックの服に、細身のパンツ、長靴。そして貫頭衣をベルトのような固い素材で絞めた後、長い上着を羽織っている。長い黒髪は後ろで束ねられて、動くのに邪魔にならないようにしていた。
 ここでのギリシャ神話風とはまた違う服装。でも多分これが一般的なここでの服装なのだろう。

「ベルさん、なんか違う人みたい」
「そうか?」
「うん。っていうか、見るたびに別人みたいに見えるよ」
「なるほど。ではこれでは目立たないほうか?」
「うーん……目立たないというと、やっぱり別」

 今は普通の服装で、更に感じる力を抑えているように見えるが、どちらにしろその美貌は隠せない。これでは沢山の人がいる中にいても、すぐに目がいってしまうだろう。
 特に女性の目を引きそうで、その隣に立ちたくないと思ってしまう。
 そこまで考えて、ふとベルディータと優花では、周りの目からどんな風に映るのだろうかと考えた。

(うーん……年が結構離れているように見える……よね? それに兄妹には見えない。なんせ顔が全然似てないしなあ。うーん……ベルさんのほうが美形だから人買いには見えないし。売るならベルさんのほうが絶対お金になりそうだし……うーんうーん)

 物騒なことを考えていると、黙ってしまった優花を不審に思ったのか、ベルディータが訊ねる。

「どうした?」
「あー、なんかベルさんとわたしの関係って、どんな風に見えるのかと……」
「ほう」
「そうですね。旅をしていれば詮索する者もいるでしょうし、その辺りの関係も考えておいたほうが良さそうですね」

 二人の共通点は髪が黒いということだけ。顔立ちは全く違うため、兄妹という設定には無理がある。
 優花はそうだね、と相槌を打つ。

「そうですね、なら精霊術士の師匠と弟子というのはどうですか? 最近では盗賊などのせいで身寄りのない子も増えているそうです。そのため学び舎に行かずに、精霊術士について術を習う者もいるようですよ」

 それはじめて聞いたとばかりに尋ねると、ファーディナンドは簡単に説明してくれた。
 ヴァレンティーネの力が衰えてからは、魔物の数が増えたためか、生活を追われる者がかなりいるという。
 実際は術式が増えていないので魔物の数が増えているわけではない。恐らく、魔物に乗じた盗賊などが増えているらしい。
 どちらにしろ、家族を失った者が多いのは事実だった。

「年齢的に見ても丁度いいくらいじゃないですか? 精霊術士が身寄りのない子を弟子にし保護するというのに、ちょうど当てはまると思いますが」
「そうだね。それなら無理なさそう。……まあ、精霊術はできないけど」

 身寄りのない子――というところで、一体いくつに見られているのか気になったが、聞けばダメージを受けそうなので、そのことに触れなかった。

「まあ、その関係なら特に詮索されることはないだろう」
「ですね。なら、急いでそれらしく見えるよう杖を用意させましょう。ユウカ様のほうも服の用意はできていると思いますので、支度を始めてください」
「あ、はい」

 促されて返事をすると、ファーディナンドは隣の部屋の扉を開けた。
 その奥にはテティスが立っている。

「全てこちらに用意してあります。服の着方についてはテティスに教えてもらってください」
「あ、はい」
「貴女はまだ見習いの精霊術士ということで、杖などは必要ないでしょう。武器になるものはありませんので、道中ではくれぐれもベルディータ様から離れないようにしてください」
「う……分かりました」

 確かに運動神経のない優花にとって、杖も剣も邪魔にしかならない。なら少しでも身軽のほうがいい。
 優花は頷くとテティスの待っている隣の部屋に向かった。

 

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