第06話 旅立ち(1)

 神殿の地下にいる優花には朝が来たのが分からない。それに遅くまで話をしていたせいか、いつもの時間になってもまだ眠り続けていた。
 が、あまり遅くなると、ファーディナンドが怒りそうだと判断したベルディータに起こされる。

「そろそろ起きたほうがいいぞ」
「んー……あさ……?」
「ああ、ゆっくり寝かせてやりたいが、あまり遅くなるとうるさいのがいるからな」

 うるさいの、というのを聞いて、いっぺんに目が覚める。
 それ程までにファーディナンドのお小言は優花に染み付いていた。

「うわーっ今何時!? 早くしなきゃ怒られるー! ご飯間に合わないーっ!!」
「……問題点はそこか?」
「朝食は大事なの! ってか、ベルさん朝ご飯食べない不健康そうなイメージあるよねー。魔王だなんて聞いたせいかな?」
「ふ、不健康……」

 優花は文字通り飛び起きて、ボサボサになった髪を手ぐしで直している。
 ベルディータがさんざん遊んだ後のため、髪の毛が絡んだりと大変だ。何度も手を上下させて、なんとか癖を宥めさせる。
 反対にベルディータは優花に不健康と言われ、軽いダメージを喰らったようだ。

「はー……緊張する。絶対ファーディナンドさんあっちの部屋で待ってるよ」
「多分いるだろうな」

 何だかんだ言ってもファーディナンドの性格をしっかりと把握している。だから彼がどういう行動をしているか、何となく分かってしまう。
 優花は深呼吸した後、「よしっ!」と気合を入れて扉に向かった。
 自分がやろうと思ったこと、それを実行するためにはファーディナンドと話し合わなければならない。それなら早めに話をつけてしまったほうが気持ち的に楽だ。
 扉に手をかけると、鍵は開けられているようで簡単に開いた。

「おはようございます」
「お、オハヨーゴザイマス」

 やっぱりいたか、と思いつつ、思わず緊張してしまう。
 それにしても、いつから扉の前で立っていたのか。

「それでは聞きますが、力はちゃんと頂いたのでしょうね?」
「あ、えっと……あの……」
「……どうも、あまり変わったような気がしませんが?」

 押し付けられた力があるため、多少の変化はあるらしい。けれど、はっきりとした変化ではないようで、ファーディナンドにまじまじと色々な角度から確認されてしまう。
 スカートをぎゅっと握り、なんて言い返していいのか分からずにいると、後ろから笑い声が聞こえた。

「まあ、そんなに苛めるな。力を与えてはいないが、それなりに成果があったぞ」
「ベルディータ様」
「……ベルさん、いるなら見てないで助けてよー」
「意気込んで一人で出ていったのは誰だ」
「う……それは、わたし……」

 やはり口では敵わない。優花は深いため息をついた。
 それと同時に、驚愕した表情で、「どういうことですか?」とファーディナンドがベルディータに尋ねる。

「まず一つ、魔物を術式ごと消す方法が分かった」
「そんなものがあるんですか!?」

 あっさりと言うベルディータに、信じられないといったファーディナンド。
 ファーディナンドがこれだけ感情的なのはかなり珍しいと、優花は二人のやり取りを見ながら思った。
 それにしても、ベルディータの家系は一族の長を担うというのは嘘ではないらしい。あのファーディナンドがベルディータのことを様付けしている。彼が様付け、敬語で話すなど、なんとなく違和感ありまくりで、背中がむずむずするような感じがして落ち着かない。

「ああ、ユウカがやってみせた。ユウカなら魔物が満足いく状態で、なおかつ術式まで綺麗に消せることがわかった」
「……なら、ヴァレンティーネ様はそのために?」
「いや、それは違うが……。まあ、結果的に相乗効果があったというか」
「どういう意味ですか?」
「ベルさん、何か知っているの?」

 優花はベルディータとヴァレンティーネが夜明け前に話したのを知らない。
 そのため話が見えず、首をかしげて尋ねた。

「ユウカの中に、少しだがヴァレンティーネの意識が残っているようだ。ユウカが寝た後それと話をしてな。どうしてユウカを呼んだのか、その説明をしてもらったのだ」
「……はい!?」
「どういうことですか? ただの人間にそんなことが出来るわけが……」

 ただの人間……まあいいけどね――と心の中で呟く優花。
 あくまでファーディナンドにとって、優花は力を持たないただの人間でしかない。
 それにしても自分の中に前の神――ヴァレンティーネの意識があるなんてこれっぽっちも思わなかった。

「本人に言わせると、体を共有というより一部を間借りしていると言っていたな」
「それ、はじめて聞いたよ。というか全然分からないし」
「それについては私もだ。ユウカが寝てから出てきたからな」
「わたしも話してみたかったのにな」
「無理だな。ユウカには悪いことをしたと思っているため、怒られるのが嫌で出てきたくないそうだ」
「怒る? なんで?」

 最初は意味が分からず首を傾げたが、考えてみればここへは無理やり連れてこられたことを思い出す。今は自分にもできることを見つけたため、すぐに気づかなかったが。
 とはいえ、なんで自分だったのか、それは聞いてみたいと思った。
 そんな優花の表情を見て、ベルディータは「そんな感じだから、あいつも欠片でも残れたんだろう」と呟く。
 その言葉に更にわからなくなって、優花は首を傾げた。

「それよりもやりたいことがあるのだろう?」
「あ、そうだった」
「やりたいこととはなんですか?」
「えっと、ですね。魔物を消せるってのが分かったんで、魔物を探しに旅に出たいです!」

 冷たい視線を無視して言いたいことを勢いに任せて言い切った。
 ……が。
 怖い、ひたすら怖い。ああ、あれだ。『アルプスの少女』に出てくるロッテンマイヤーさんに似ているんだ、と優花は改めてファーディナンドを見た。
 主人(?)より強い執事とか教育係とはこんなものだろうか。

「あなたはここがどんな世界か分かって言ってるんですか? ベルディータ様にも反対されたと思いますが?」

 あれ、と優花は思う。
 喜んで外に出してくれると思ったのに、ファーディナンドは優花を心配して反対している。

「……えと、されました」
「それみなさい」
「でも、説得して納得してもらいました!」

 優花は怯まないようにお腹に力を入れて、ファーディナンドに対して意見を言う。
 そのいつになく意思の強い瞳でファーディナンドを見ると、彼の表情も変わった。

「本当ですか? ベルディータ様」
「本当だ。ただし、私も同行するという条件だが」
「…………どうしてそうなったか、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「説明する。が、ユウカは席を外してもらえないか」
「……仕方ありません。ではあなたは朝食をとりに戻ってください」
「えと、いいの?」
「構いません。ただし、納得できなければ旅については許可は出来ませんよ」
「う……はい。わかりました」

 やはり力関係は優花よりファーディナンドのほうが勝っている。
 優花は素直にベルディータに任せることにした。
 自分より上と認めているベルディータに説得してもらうしかないと判断したからだ。

「ベルさんお願いね」
「分かってる」

 念を押してから、優花は廊下に出ていつもいる場所に戻っていった。
 それにしても、すぐにでも放り出してくれると思ったのに、心配しているのかあっさりとはいかなかったなと思った。

 

 ***

 

 その後、二人が何を話したのかはわからない。
 けれど、朝食を終え身支度がすむ頃には、ファーディナンドから呼び出しがあった。

「ユウカ様、どうなさったんですか?」

 普段の予定と違うのに気づいたテティスが、心配そうに優花を見る。
 そういえばテティスにもいろいろ迷惑かけたなあ、などと、今さらながらに思いつつ、心配かけさせないために笑顔で答えた。

「ファーディナンドさんにちょっと用があって。話を聞いてくれる時間ができたら連絡くれるって言っていたから、それじゃないのかな?」
「大丈夫でしょうか?」
「うん。大丈夫だよ。助っ人を頼んであるし」
「助っ人……ですか?」
「大丈夫。ちょっと行ってくるね」

 心配そうなテティスに手をひらひらとさせながら明るく部屋を出ていく。
 向かう先はファーディナンドが仕事をしている部屋。早足でそこまでたどり着き、扉を開ける前に大きく深呼吸する。

「……ふぅ、よし!」

 掛け声をかけてからコンコンと扉を叩く。するとすぐさま「どうぞ」と返事が返ってきた。

「失礼します」

 気合を入れて扉を開けると、そこにベルディータの姿はなく、ファーディナンドだけがいた。

「あれ? ベルさんは?」
「ベルディータ様は別の部屋で支度をなさっています」
「支度?」
「ベルディータ様のお話を聞いて、貴女をここから出すことに了承しましたので――」
「行っていいの!?」
「仕方ありませんね。あの方まで納得されてるんですから」

 仕方なく、とはいえファーディナンドを説得する辺り、ベルディータはいったい何を言ったのだろうか。
 少々気になりはしたが、怖そうだからやめておこうと、本能が押し止めた。

「じゃあ、ほんっとうに行っていいんですね?」
「ええ、旅に関する準備はすでに始めさせています。整いしだい旅に出ても構いませんよ」

 優花はここに来て、ファーディナンドの対応が少し柔らかくなっていることに気づいた。
 ほんの少しだけど、語尾と、そして表情が柔らかい気がする。

「ファーディナンドさん、あの……何かあったんですか?」
「え?」
「いえ、あの、ちょっと雰囲気が変わったような気がして……」
「そう、ですか?」
「はい。なんていうか……優しくなった?」
「まあ、貴女がそう思うならそうなのでしょうね。私は貴女のことを認めましたので。認めたのなら、それなりの態度になるのは当然でしょう」

 ファーディナンドの口から認めるという単語が出てきて、優花は目を瞠った。
 何が何してどうなったのやら、よくわからないが、優花はファーディナンドに認められたらしい。
 それは魔物を消すことが出来たことに対してなのか、ベルディータが過剰に話をしたのかは不明だったが。
 どちらにしろ、ファーディナンドも隠してはいるけれど、優しい部分もあるのだと分かり、優花の顔は自然に綻んだ。

 

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