時には諦めるということは大事だ。
特に優花のように際立った能力を持たないものなら、尚更そういうことが多い。
今回もそのうちの一つなのだ。
だから我慢するしかない。もう一度、優花は心のなかで自分に言い聞かせる。
我慢、我慢、我慢、我慢、がまんがまんがまん……
「……ってぇっ! 思えるわけないじゃん! ベルさん連れて? 目立って困るってば!!」
……やはり人間諦められないこともある。優花は堪えきれずに叫んだ。
冗談じゃない、というのが本音だ。
「そんなに目立つわけないだろうが」
「ベルさん自分の顔をよく見て! 自分がどれだけ存在感あるか分かって!!」
「そう言われてもな」
「ベルさん連れて歩いたら目立ってしょうがないよ。魔物探すどころじゃないよ!」
最初に会った頃のように多少なりとも普通の人として振舞ってくれればいいが、長くなると無理が出てくるだろう。
それに多少普通の人になっても容姿は変わらないのだから、結局は目立つ気がする。
そうなると魔物云々からかけ離れていくわけで――
「ベルさん考え直してよー」
「無理だ」
「あっさり一言で終わらせないで! 再考して!」
「ならユウカも再考するんだな。私にばかり考えを変えさせるな。本来なら、ユウカを一族に入れる予定だったのを待つことにしたのだから」
(一族に入れるってことは、さっきの続きをするってことじゃないかああぁっ!?)
ぶちっと、切れそうになる理性を抑えて、優花は震える声で反論する。
「そう言うけど、結局はベルさんやりたいことやってるじゃない! 待つって何!? あれが先延ばしになっただけってこと!?」
「そういうことになるな。私はその気になったのだから。それにユウカに説得力がないから、私の考えを全て変えることが出来ないだけだろう」
迷いもなく言われて、優花は手を柔らかい布団についてがくり、と深く俯いた。
(か、勝てない……)
だいたい数百年も生きている人物に、口で言いくるめようなどということが無謀なのだ。
その辺は分かってはいるが、納得はできない。
「ユウカが魔物を探してどうするかに関しては、手を出すつもりはない」
「そりゃ分かってるけど……ベルさんはそれ以外ならなんでもやりそうなんだもん!」
「そうでなければ、付いていく意味がないだろうか」
「なら目立つのだけはやめて……」
「そうだな。善処しよう」
少し考えた後、一応頷く。
けれど多分、普通の人の目立つとベルディータの目立つは根本的に違っていると思う。優花は深いため息をついた。
(でもまあ仕方ないのかな。多少は妥協も必要なんだろうし。あーそういえば適当なところで逃げちゃうのも手かなー)
「逃げられると思っているのか?」
上から聞こえる、そしてまさに今自分が考えていたことを言い当てられて、優花はがばっと起き上がった。
その顔は信じられないといった表情をしている。
「なんで考えてることが分かるわけ!?」
「当たり、か。それよりも本気で逃げられると思っているのか」
「あ、いや思ってないけど……って、考えてみればなんでわたしが逃げなければならないんだろう?」
「私に聞くな。ユウカがそう思うからだろう」
「いや、そうなんだけどね」
別に悪いことをしたわけでもないし、ベルディータが悪人というわけでもない。逃げる必要などどこにもない。どうも根っから目立つことがとにかく嫌らしい。
このあたりは、やはりお騒がせな幼馴染のせいだろう。
その幼馴染がいないなら、これ以上目立つ必要もないと思っていたのに、異世界で神という役を押し付けられ、それから逃れるために旅に出ようとしたら、飛び切りの美形に加え、規格外の力の持ち主が同行するという。
とことん目立ちたくないという、自分に染みついているこの考えに苦笑するしかない。
「何を笑っている?」
「えっと自分の性格を自己分析してて。どうも目立つのだけは嫌だなーって思っちゃうんだよね」
「なるほど」
「だから目立つベルさんとは距離をおきたいって思うのかも」
「ほほう」
ベルディータがニヤリと笑う。
その笑みに背筋が寒くなるのを感じながら、優花は少しでも離れようと思った矢先、背中に手が回りぐいっと引っ張られる。
「ベ、ベルさん?」
「逃げられてもすぐに見つける自信はあるが――」
「う……」
「だが、出来ればそんなことはして欲しくないのだがな」
「そ、それは……」
「まあ、時間もどれだけかかるか分からないし、保険はかけておくに限るか」
「ベル……さん?」
引っ張られ抱きしめらていた体は、更にきつく抱きしめられ、顔は上を向けられる。何がされるのか判断して逃げる前に、先ほどと同じように唇を塞がれた。
背中に回った手はあやすように優しく撫でているのに、重なった唇から舌を強引に割り込ませてくる。
これが生理的に嫌悪感を感じるのなら、無理でも抵抗するのだろうが、何故か嫌な感じはしない。痺れるような感覚に、少しずつ硬直していた体の力がなくなっていく。
そして完全に緊張が解れ抵抗できなくなった時に、ふぅっと何かが吹き込まれた気がした。
(な、なに!?)
びっくりしている間にベルディータが離れる。優花の顔を見て、またしてもニヤリと笑った。
優花は自分の唇に震える手をあてる。いきなりキスされて、なんか変なものが体に入った。それはいったい何なのか。
「い、今……なに、した……の?」
「鋭いな。まあ、ちょっとした呪だ」
「呪?」
「魔物を探し終えるのにどれくらいかかるか分からないからな。優花の『時』を止めさせてもらった」
「……はい? と、時を止めた? ……って、なんの??」
優花は意味が分からず、反撃するのも忘れて首を傾げる。
顔を赤く染めて呆然とする姿がおかしいのか、ベルディータはくっと笑う。
「出来ればもう少し大人のほうが良かったがな。しかし途中で変な横槍が入っても困るし、そういうことで優花の『時』を止めたのだ」
「えっと……時を止めたってことは……成長しない?」
「平たく言うとそうだな」
「なんで!? 力なんて要らないって言ったのに!」
力に一度なびきかけた身としては、きつく戒めるためにも、極力関わりたくない。
いらないとはっきり言ったはずなのに、なんでこんなことをするのか。
ムッとしてベルディータを睨みつけた。
というか、悠然としているベルディータを思い切り殴りたい心境に駆られた。思わず手を握り拳に力をこめる。
「そう言うな。これは一時的なものだ」
「一時……的?」
「完全に一族の者になったわけではない。が、ユウカがやろうとしていることは大変なことだ。だから力を使えるわけではないが、時を止めて、肉体的に少々強くしたというわけだ。時を止めれば『死』からは遠くなるからな」
「少々……って、だからって、なんであんなやり方するわけー!?」
説明もなく、しかもあんなやり方でやるな、と恨めしそうな目で見る。
もともと幼なじみに振り回されるような生活だったが、ベルディータにはそれ以上に振り回されている気がする。
もしかして、自分はこうして人に振り回される人生なのだろうか――とちょっとショックを受けた。
「一番効率的だからだ」
「は?」
「相手の肉体に作用するような力は、内側から変えるほうが変えやすい。『婚姻』の意味を考えてみれば分かるだろう」
「……」
(――ちょっと待って!)
そう言いたいのに口は上手く回らず言葉にならない。
実際そういうことをされかかったけれど、どこか遠い感じに考えていた。いや、遠くに追いやろうとしていた。
なのに、ここに来てそんな説明をされると、妙に生々しさを感じて頬は更に赤みを増した。黙ったままベルディータを凝視してしまう。
ベルディータは優花のその顔を見て笑う。
「気づいてなかったのか?」
こくこくこくこく……首を縦に思い切り振る。
というか気づきません、って。と、これまた言葉にできず、首を振るだけ。
首ふり人形と化したまま、嗚呼、さらば平凡な日々――と優花は心の中で涙した。
***
「落ち着いたか?」
しばらく首を縦に振り付けた後、力尽きてがっくり肩を落とした優花。
心配そうなベルディータの声に、優花は力なく頷く。すべての元凶が何を言う? という感じだ。
何もかもベルディータのせいなのに、と思った後、自分があそこで脱走を図らなければ彼と出会うこともなかっただろうというところまで行き着く。
そこまで考えて、全て自分が招いたことなのか――と思うと、更にがくっと来た。
「……なんかもー……立ち直れないかも……」
「おい。旅に出ると意気込んでいたのはどこの誰だ?」
「それはわたしー……だけど……」
「ここで挫けてどうする?」
「だって、ねえ……」
「ユウカが旅に出ないとなると、私はまた一人で術式を相手にしなければならないのか……」
ぼそりと吐き出された言葉に、優花ははっと顔を上げた。
優花が旅をすると決めたのは、ベルディータのためでもあったのだ。
「ちがっ! そうじゃなくて!!」
慌ててベルディータを見ると、ニヤリと笑みを浮かべている。
「ベルさーん……また引っ掛けたね?」
慌ててベルディータを見ると、ニヤリと笑みを浮かべている。
さすが数百年も伊達に生きていない。この辺の駆け引きで、優花は絶対ベルディータに勝てないだろう。
今度は別の意味で優花は顔が赤くなった。
「別に引っ掛けてはいない。ただユウカが旅に出ないならそうなるということだ。力も受け取らない、旅にも出ない、となるとな」
「うううう……そりゃそうだけど……」
一人でいるのは寂しいと思う。
特にベルディータは人と違い、そのために数百年もの間一人で術式に向かい合っていた。
「駄目だよ。一人じゃ寂しいよ……」
「ユウカ」
「目立つことは我慢するから、一人でいるなんて言わないで」
まだ出逢ったばかりだから、ベルディータのことをそんな風には見られない。
でも、一緒にいたいと思う。
優花自身、一人の人間として扱ってくれるベルディータの存在は大きい。
「一人でいいなんて思わないでよ。寂しすぎるよ」
「まあ、確かにそうだな。だが、正確には一人ではないがな」
「……は?」
「いや、一人では何かと面倒なため、人形がいるし、何より数日に一回は数人の人が訪れるからな」
「はい!?」
初めて聞く話に、今度は目が点になる。
優花の想像では黙々と一人、術式を前にするベルディータの姿しか想像できない。
というか、今までそんな感じに話していたのに、どうやら本当は違うようだ。
(それにしても数人で訪れる?)
嫌な予感がひしひしと心の中を満たしていくのは気のせいか。
優花は思い切って不安を払拭するために尋ねた。
「あの……それって、どういう人たち?」
「いや、何故か人があそこのことを知っていてな」
「うん」
「数人でやって来るのだ。ただ、やはり術式のこともあり、あまり暴れられても長居されても困るのだが……」
ベルディータは眉間にしわを寄せながら苦々しく呟く。
が。
「………………え?」
優花はちょっと嫌な予感に駆られる。
(長居はともかく暴れる?)
そういえばベルディータのいる場所は北の森――なんかこう、陰気なイメージがありそうだ。しかも問題の術式があるのだから、土地的にも荒廃していそうなイメージで。
質問して余計に不安が増大する。
もしかしてもしかしたら……いや、でもまさか……と否定しつつ、優花は恐る恐るもう一度尋ねた。
「ね、ねえベルさん」
「なんだ?」
「それってもしかして……その人たち甲冑とかいろいろ装備つけて……る?」
「ああ、そんなのばかりだな。人の家を訪ねるのに、まったくもって無粋というか――」
少し嫌そうに言うベルディータ。
でも家……と言えるレベルじゃない気がする。
不安が増す中で、だんだん語尾が弱くなりながらも質問を続ける。
「んでもって、剣士が剣なんかを抜き放っていて……」
「ああ」
「精霊術士っぽい人が杖掲げていたり……」
「そういう者ばかりだな。何故ああも無粋な連中ばかりなのか……」
「……でもって……怖い顔でベルさん睨んで、『とうとう見つけたぞ!』とか『覚悟しろ、この魔王め!!』とかって言われない?」
「ああ、何故かそう言われる。まあ、名乗ってないため名前を知らないのは仕方ないが、どうして決めるつけるのか……」
「…………」
あっさり頷くベルディータに、優花の肩が震える。
「分かってるくせに……」
「ん? なんだ?」
分かっているだろうに、面白がって返事をする彼に、優花は堪えきれずに大声で叫んだ。
「神様の一族が面白がって『魔王』なんかやってないでえええええっ!!」
根競べは優花の負けだった。