ここに来る前に見た光景を思い出しながら、優花はベルディータに自信満々な表情を向ける。
「この世界って、わたしがいた世界――地球よりだいぶ小さいみたいだし。時間はかかるけど、地道にいけばなんとかなると思うんだよねー。完全には無理だろうけど、魔物の数も減るだろうし」
「はあ!?」
「……ぷはっ。ベルさんの今の顔! 本当にベルさんってギャップがあるから面白いよねー」
優花のあまりにぶっ飛んだ発想に、ベルディータは彼らしくない素っ頓狂な声を上げた。
ベルディータのきれいな顔が崩れるのは結構面白い。
優花はそんなことを思いながら、くすくすと笑う。
「面白いではない! どうしてそういう発想になるんだ!?」
「だからさっき言ったとおりだよ。人の気持ちを変えるのは難しいけど、魔物のほうは術式ごと消せることが分かったんだもん。宮で神様してるよりよっぽど世界の役に立てるよ?」
この世界に車のような乗り物はない。あるのは馬に似た動物に直接乗るか、馬車のようなものになる。それに魔物を探すとなると、人気のないところを歩かなければならない。
その旅が困難なことは優花でも分かった。でも役立たずでいるより少しでも出来ることをしたい。
それに、魔物のことを可哀想だと思ってしまった。それはただ単に同情なのかもしれない。
いや、同類相哀れむ――という言葉が一番しっくりくるかもしれない。魔物が抱えている感情は、優花も持っている。だからこそ放っておけない。自分でもなんとか出来るのなら、宮で大人しくしているよりずっといい。
「この世界は魔物だけではないんだぞ! 人々の心も荒れ果てている。慣れない者が旅をするなど危険すぎる!」
「そうかもしれないけど、あそこにいるより役に立つと思うよ?」
「思うだけでは駄目だ! 確かにユウカのやり方なら術式を綺麗に消せるだろう。だが――」
「反対しても駄目。もう決めたから」
「ユウカッ!」
聞く耳持たない、とばかりに優花は自分の耳を塞ぎ、ベルディータから視線を移した。
優花は自分にできないと分かったら人を頼りにするけれど、自分でできる範囲なら自分だけで解決しようと頑張る気質だ。今回もそれが遺憾なく発揮されたようで、旅の大変さはどこかへ置いて、魔物たちのことだけを考えていた。
「言っておくがユウカの運動神経では、次の魔物に出会う前に身包み剥がされて人身売買のやつらに売られるのがオチだぞ」
「う……。どうして人が頑張ろうと思っているのに、そういう風に言うわけ!?」
「事実だからだ。昼間のことを忘れたのか? 大体、宮への一本道をどうして逸れて森で迷うんだ。そんなユウカを一人で出せるわけがないだろう」
「……ううう」
こうきっぱり言われると、優花は黙るしかない。満足に旅が出来そうにない自分の運動神経が恨めしい。
かといって怯む訳にはいかない。旅をしてでも魔物と対峙していこうと思ったのは、一人で術式解除にかかっているベルディータのためにもなるのだ。
なにより今のままでは何も変わらない。
優花はベルディータを睨むようにして。
「で・も! 魔物が消えれば術式だって消えるんでしょ? だったらベルさんだって楽になるじゃない!」
「確かにそうだが、かといってユウカを危険な目にあわせられるわけないだろう?」
「まだ危険かどうか分からないじゃない!」
「私のほうがユウカよりこの世界のことを知っているから言っているのだ!」
「あーもう! ベルさんの石頭!!」
「なんだと!?」
お互い一歩も譲らず、視線を逸らさずに睨み合う。
ベルディータの話は確かに事実だ。何百年も生き、この世界を見てきたからこそ現実というものをよく知っている。
反対に優花の言うことは理想でしかない。何百年と変わらない世の中を見てきたベルディータにすれば、自分の言うことは甘っちょろい夢のようなものだろう。
けれどここで引くわけにはいかない。せっかく自分に出来そうなことを見つけたのだ。
「いいもん! 明日にはファーディナンドさんに言って旅の支度してもらうから!」
「おい?」
「ファーディナンドさんなら現実主義だし人嫌いだから、魔物を消す方法があるって言えば、喜んであそこから放り出してくれるもん!」
こうなると意地だ。旅に対しての不安は大いにある。この世界の常識を知らない分、余計悪いだろう。また、優花の身体能力では、そこらへんにいる人と変わりはない。
それでも、いや、だからこそ清水鏡宮で神様を演じているのが嫌なのだ。他に出来ることがあるのに、それをしないでどうする、と思う。
「一人で勝手に決めるな!」
「ベルさんには関係ないじゃん! ベルさんはベルさんで一人で術式解除に励んでよね!」
「私に向ってよく言えたものだな?」
「ふんっだ。いくらベルさんがかーなーりー年上だって、今のわたしは神様。立場的にはわたしのほうが上!!」
「おいこら。あれほど神は嫌だと言っていたのによく言うな!?」
二人のやり取りは、子供のケンカ、ここに極まれり――といった感じだ。
「偉そうな人相手にはなりふり構っていられません~」
「偉そうなとはなんだ? その嫌そうな目つきはなんだ!?」
「ベルさん。やたら偉そう」
「それだけの実力はあるつもりだが?」
「ふーん。でもさっき言ったようにわたしのほうが立場は上だから」
「実力が伴ってないがな」
「……うっ」
痛いところを突かれて少し言葉に詰まる。
力の差だけはどうしようもない。種族さえも違うのだから、溝が埋まることはないだろう。
「と、とにかく! さっき言ったことはぜええっったい実行するから!!」
「おいっ!?」
「もうこれ以上聞かな――っしゅん!」
不毛なやり取りを続けようとした時、冷たい風が吹き抜ける。そのせいで薄い夜着しか着ていない優花は、思わずくしゃみをした。
寒さを感じて軽く身震いする。温めるために軽く腕を擦れば、寒さで鳥肌まで立っていた。
ベルディータとの言い合いで、頭に血が昇っていて、そこが寒い場所だということをすっかり忘れていたようだ。
「――とにかく、このままではユウカが風邪を引く。いったん宮に戻ろう」
「あ、うん……」
出鼻をくじかれたようで、優花はそれ以上言うのをやめ、大人しくベルディータに従う。それに旅に出ようというのに、風邪なんか引いていられない。
来た時と同じようにベルディータに抱えられて空間を移動する。その間ベルディータは一切口をきかず、優花は居心地悪く感じた。
自分がそれだけのことを勢いだけで口走ってしまったことを、今はほんの少し後悔した。もちろん後悔だけで、言ったことに対しては実行する気満々なのだが。
再びぐにゃりと空間が歪むのを感じ、元の部屋に戻った。
よく見ると、燭台のろうそくがあまり減っていない。ということは、それほど長い間外にいなかったらしい。
結構長い間いたと思ったのにな、と思いながら、優花はベルディータから離れようとする。
「ありがと、ベルさん」
先ほどの言い合いで、居心地の悪くなった場所から少しでも早く離れたくて、一言だけ短く言ってその手を振り払おうとする。
けれどもその手は優花を抱きしめたまま離れず、ベルディータはそのまま奥のほうへと歩きだした。
「ベ、ベルさん!?」
訝しげにベルディータを見ると、そこには感情が見えないような、反対に深すぎて判断しかねるような不思議な表情を浮かべている。
なんだろう、と思っていると急に体が降下して、その後は背中に柔らかいものを感じた。
「ベ……」
言葉は最後まで出なかった。
ベルディータの端正な顔が近づいてくると思っていると、いつの間にかに視界ギリギリにベルディータの顔。焦点が合わないほど近づいて驚いていると、次は唇に柔らかいものが触れた。
最初は何が起きたのか分からなかった。
先ほどまでこれからのことに対してベルディータとやり合って、不機嫌にさせたのは分かっている。
それなのに部屋に戻った途端、ベルディータの顔が限りなく近づいたと思ったら、唇を塞がれていたのだ。
(なななな……なんなのおおぉっ!?)
びっくりして慌てて引き離そうともがくが、反対に更にきつく抱きしめられてその抵抗も封じられてしまう。
それに対して不快なものはなかったけれど、それよりも何よりも、なんでこんなことになったのかが分からない。
体を強張らせたまま、固く口を引き結んでいると、ベルディータの唇がゆっくりと離れる。
「……ベ、ベルさん……今の……は!?」
何が起こったのか理解した途端、優花の顔は瞬間で真っ赤に染まった。