第04話 長い夜(6)

 一体この部屋に来てからどれくらいの時間が経ったのだろうか――優花は現実逃避に、ふとそんなことを考える。
 窓のないこの部屋は、入ってからずっと蝋燭の明かりのみのため、今何時なのかまったく分からない。
 それにベルディータの口から語られる隠された事実は、優花にとって衝撃的で理解するのにとてつもない時間を要した気もするし、終始ドキドキしっぱなしのため、そんなに時間が経っていないような気もした。

「さて、本題に戻るが、核が力なら対処の方法はあるからいいが、問題は周囲の術式だ。こちらは式の組み換えが激しく、結局、核のほうまで手が出せない状態だ」
「なんでそんなに術式が変わっちゃうの?」
「そうだな。簡単に説明すると、まず一つの術式があるとするだろう?」
「うん」

 ベルディータは優花に分かりやすく説明してくれる。

「その術式が、人の感情を吸い取り変化する。まずここで一回術式が変わる。変わった術式はこの世界で物質化するようになるらしい。これが『魔物』と呼ばれるものになる」
「なるほど」
「ただ存在しているだけなら、その間になんとかすることも可能だろう。だが、人は魔物を恐れ退治する。そうなると実体を失うせいか、そのせいで術式がまた変化するのだ」
「ええと……」
「放っておくと、それはまた感情を吸い取って新たな術式――魔物になる」

 実に嫌そうなベルディータの表情に、優花は絶句してしまった。
 もしかしたら千年近く、ベルディータは何度も変わる術式を前に苛ついていたんだろうか。

「うーん……と、ベルさんにとって魔物退治ってものすごく迷惑なこと?」
「はっきり言うとな。要するに魔物が生まれ退治するまで、合計して三回術式が組み変わるのだ。それに人の感情が違うせいか、今までの術式と変わってしまう。しかも周囲を取り巻く術式は一つだけではない」

 どうも精霊術士や剣士が魔物を殺した場合は、物質化した魔物は消えても術式まで及ばず、別の魔物を生み出すことになるらしい。
 そしてそれは今まであった術式を組み替えることになる。組み変わってしまうと、また解除するために、一から解読しなければならない。けれど複雑化していく術式は解読が難しい。
 実際一つの術式に絞ってみたが、術式解除のために解読している間に、勝手に書き換わってしまい、最初から解読し直さなければならなくなるとか。
 普通なら魔物退治など喜ばれるものだろうに――いや確かに人は喜ぶかもしれないけれど――実際はまったく違うという意外な話を聞いて、感心するしかない。

「ええと……ならヴァレンティーネさんに頼んで、魔物を殺さないよう言ってもらえばよかったんじゃあ?」
「そう言うが、ユウカなら目の前に異形のものがいるのに、恐れなどを抱かないか? 剣など攻撃できる物を持っていれば、それで自分の身を守るために攻撃しようと思わないか?」
「そ、それは……」

 思わない――などと言えない。自分の身を守るために動くのは、生きるための本能と言っていい。むしろ動かないほうが無理だ。
 優花個人の場合は、向かっていくより逃げるほうを選ぶけれど、この場合、個人単位での意見を出しても仕方ない。

「無理な話……だよね」
「魔物を殺すことを禁止すれば、今度は傷つく人が出て不満が募る。人は魔物は人に害なすものだと思っているからな」
「魔物って言葉で見れば、そうかもしれないけど……」

 優花はなんとなく納得いかない。
 昼間見た某万博のマスコットに似ていたのは、優花に害をなそうなどという気持ちは持ち合わせていないようだった。
 それよりも魔物とは知らなかったが、優しく話しかけると嬉しそうな感情が伝わってきたくらいだ。消えていく時も、消えるのが悲しいのではなく、反対に嬉しそうだった。

(……って、嬉しい? 消えちゃうのに嬉しいの? なんで?)

 でもあの時感じた感情は歓喜。決して怒りや、消えることに対しての悲しみはなかった気がする。

(消えることが、嬉しい……の?)

 魔物は人々に恐怖を招く存在。恐怖を増長させる存在。
 それは本当なんだろうかという疑問が膨れ上がるのを感じた。

「うーん……、本当に魔物って人にとって危険な存在なのかな?」
「分からない。分かっているのは、術式が負の感情から魔物を生み出すこと。また、危険があるなしに関わらず、魔物のほうから人に近づいてくる。近づけば人はあの姿形に驚くだろう。力ないものは慌てて逃げるし、力あるものは倒そうとする。実際精霊術士や剣士などが組んで、魔物退治をして生計を立てている」

 淡々と語る内容は、ベルディータからの視点ではなく、人々の視点なのだろう。
 それだけ人が魔物に抱く恐怖は根強いのだと。

「……わたしは逃げるほうかな。でもそんなに悪い存在とは思えないんだけど……。ねえ、ベルさん。もう一回魔物を見てみたいんだけど」
「見たいのか?」
「うん。なんとなく確かめたいことがあるから」

 魔物から伝わってくる感情は必ずしも悪いものではなかった。
 優花はまだ二体の魔物しか見てないからそう思えるのかもしれない。だからもう一度魔物を見て、確認したかった。
 無闇に殺したくはない。だから確認したい。

「確かめたいこと?」
「わたし、魔物が悪い存在だって思えなくて……」
「成る程。いいだろう。私も気になることがある」

 ベルディータは了承すると、ゆったりと寛いでいた体を起こして立ち上がる。その姿は優雅で、確かに高貴な血筋の人だなぁ、などと思ってしまう。
 今のベルディータは、見習い神官の恰好をしていた時のような『普通の人』を演じている雰囲気がなくなっているので、整った顔立ちはそれだけでも人目を引くのに、更に堂々としていて存在感を感じる。
 立つというその仕草だけで、優花も思わず見惚れてしまうのは、仕方ないのかもしれない。

「うわっ!?」

 ぼーっとしているところに、座っていた優花の体にベルディータの腕が回る。
 ひょいっと抱きかかえられて、優花は思わず声を上げてしまった。

「ベ、ベルさん!?」
「魔物のところに行くというのなら、移動しなければならないだろう? 鍵を開けて出ていってもいいが、それよりも空間を移動したほうが早い」
「そ、それは分かるけど……どどどどうしてこうなるの?」

 抗議しようとして顔を上げると、端整な顔がすぐ近くにある。見惚れていたため余計に意識ししてしまった。
 優花はどもりながらなんとか尋ねた。

「人であるユウカが一人で空間を渡れるわけがないだろう。それにしっかり抱えてないと、間違って空間の歪に落としまった――などとなったら笑えないだろう?」
「むぅ……」
「行くぞ」
「ちょっ、ちょっと心の準備が――」

 叫んでいる間にも、空間がぐにゃりと歪む。そして暗い室内から、音のない白い空間に入り込む。そこはただ白いだけでなく、微妙に薄い虹色の光がオーロラのように揺らめいている。
 この世界に来る時に漂った所と似ている、と優花は思う。
 上も下もない、どこへ行けばいいか分からないこの場所では、確かに導き手が必要だ。怖くなって、いつの間にかにベルディータの服を掴む手に力が入る。
 そうこうしているうちに、白い世界はいつの間にかに色を取り戻す。先ほどのぐにゃりとした感覚に目を瞑ると、次の瞬間には暗い森の中にいた。

「ユウカ」
「ん?」
「この少し先に魔物が一体いる」
「本当?」
「ああ。このまま近づくか?」
「えと……」

 このまま、というと先ほどの空間移動でベルディータに抱きしめられたまま、足は宙に浮いている――まるで子供が母親に抱っこされているような状態だ。
 その状態を考えて、慌てて「一人で行く!」と叫んだ。

「一人で行くのは危ないぞ」
「だ、大丈夫! 近づいて危なかったら逃げてくるから!」
「そうか」
「そう! だから下ろしてー!」

 力を使っているのか、ただの体格差、男女の性差の違いか、ベルディータは優花を抱えていても苦に感じていないようだ。
 二人はかなりの身長差があるのだが、今は彼の顔を見下ろすようになっている。
 下から見上げられて恥ずかしくて顔を赤くした優花に、ベルディータは笑いながらトンと優花を地面に下ろした。

「……はぁ」
「危険だと感じたら近づかぬこと。ユウカに害がありそうな場合は、私とてあの魔物を滅ぼすぞ」
「だ、大丈夫だから! 殺しちゃ駄目!!」

 自分なら危なくなった時や、前のように消しそうになった時は逃げればいいのだ。
 だけど魔物を殺したら術式がまた変わってしまうし、それに魔物でも命は命としか思えない。
 それを心配して、優花はベルディータに殺すなと釘を刺して、魔物のいる方向へと向かった。

 

目次