『私の力はユウカに受け取って欲しいと思う』
優しく手を取り、静かに告げる言葉は、とても魅力的に見える。
けれど、優花には、それよりも力を得ることに対する抵抗力のほうが強かった。いつの間にかこくんと喉が鳴る。
力を得ればここに居るのに罪悪感を感じなくなる。堂々と神と名乗り、この異世界キトにおいて自分の立場を確保できる。
けれど。
(でもさ、どう考えても自分がそういうのが苦手なの、嫌ってほどわかっちゃってるんだよねぇ)
いくら魅力的な表情を向けられても、力などいらないという気持ちは変わらない。
というか力を持った自分というのがまったく想像できない。非力でも今の自分に不満が少ないせいかもしれない。
逆に力をもらうということは、今までの自分を否定されたような気になる。身についた分相応という考えが彼女から離れない。
そして自分が分不相応な力を手に入れたのなら、自分が変わってしまいそうで怖い。力を、権力を得て変わってしまう者が多いことは、歴史の授業を受けていればだいたいわかる。
時間が経つにつれ、ファーディナンドの笑みの怖さよりも、自分が変わる怖さのほうが勝った。
優花はベルディータの手の上に乗っていた自分の手を静かに引いた。
「ユウカ?」
断られると思わなかったのか、ベルディータが意外な表情をする。
「わたし……やっぱり、要らない」
「ユウカ」
「だって怖いよ。ベルさんから受け取る力って、神様の代わりをできるくらい大きいんでしょ? そんな力持ったら、わたしどうなっちゃうの? なんか……怖い、よ……」
「怖い?」
優花は自分の腕をぎゅっと握りながら呟いた。
そんな大きな力を自分が上手く、そして正しく使えるのか。間違って自分は偉いんだと過信してしまわないだろうか。そのせいで、誰かを傷つけてしまわないだろうか。
そんなことになったら、『いつでも優しい花でありなさい』と願って母が付けてくれた自分の名を名乗るのに、とても恥ずかしいような気がした。
また、そんなことも分からなくなるほど、奢ってしまう可能性もある。
「なんて言ったらいいのかな。ベルさんは多分、生まれた時から力を持っていたよね?」
「ああ、それがどうしたのだ?」
「それなら、ベルさんは力を持っているベルさんとして生きてきたんだよね。だから変わらない。でも、わたしみたいに何にも力のない人がいきなり力持っちゃったら、自分は偉くなったんだって馬鹿なこと考えちゃうかもしれない」
優花は目の前にいる男に一言だけ「力をください」と言えばもらえる。簡単といえば簡単だろう。
RPGと比較してみれば一目瞭然。普通ならレベル1から始まって、敵を倒して少しずつレベルアップをしていく。アイテムなんかもダンジョンなどを攻略して手に入れる。苦労して手に入れた力だから、自分の力だと胸を張って言えるだろう。
が、この場合はどうなんだろうか。
今の自分の立場と能力を考えると、ちまちまレベルアップして――などとやっている時間はないことは分かってる。無料で力をもらえるなんておいしいことを逃すのは、愚か者のすることだと言われるかもしれない。
そう思っても、優花は今まで生きてきた十七年間の自分に愛着がある。
運動神経が鈍くて、頭がそんなに良くなくても、それでも優花が優花として生きてきた年数は、彼女にとっては重みがあるのだ。
「力を持って、変わることが怖いのか?」
不安な表情を浮かべた優花に、ベルディータは静かに問う。
優花はその問いに素直に頷く。
「多分、ユウカは変わらないだろう」
「ベルさん?」
「己の力を知り、そして自分には過ぎた力だと分かるのなら、過信することは少ないだろう。その力の意味も知らず、ただ求める者とユウカは明らかに違う」
「……そ、かな?」
ベルディータは優花の迷いをきっぱり否定した。
その迷いのない声に、俯いたいて優花は顔を上げてベルディータを見つめる。
その顔に彼の手が触れた。
「言っておくが、今まで私が出逢った人の中で、力に関してそこまで慎重に考えたのはユウカだけだ。他の者は力を持つことの意味を考えず欲するだけの者が多かった」
「……」
「だから……あんなことになったのだがな」
彼の視線は優花にあるものの、どこか遠いところを見ているようだった。
ベルディータの言う『あんなこと』が何故か気になった。
この世界の歴史はある程度覚えた。その中で特に問題になるようなことはなかったはずだ。
それがいつのことか分からないが、まるでベルディータはそれを見てきたかのような口ぶり――
「あんな、こと……って、なに?」
知らずに反芻するように口にすると、彼は現実に戻り、「なんでもない」と首を横に振った。
けれどその表情はどこか辛そうで、何でも無いなんてことはないということが分かる。
だからこそ、彼のことをよく知らない自分が好奇心だけで聞いていいとは思えず、それ以上尋ねることはできなかった。
「話を戻すが、それほど力を得るのが怖いか? 私の力を受け取ってはくれないか? 無理やりこの世界に呼ばれたのだから、やはり帰りたい気持ちが強いのは仕方ないことだし、力を受け取れば、余計に重圧がのしかかるだろう」
今までになく真剣な表情で再度問われて、優花はまたもや言葉に詰まった。
(力を持つことの重圧――要するに『神様』という立場から絶対に逃られなくなる……)
力を持つというのは、そういうことなのだろう。
それでも、と思う。
(それでも『フリ』なんてできない……)
なんの効果もない言葉。募っていく罪悪感。
騙していることと力を持つことと、どちらがより大変なのだろうか、と優花は考え込んでしまう。
「どっちがマシなんだろうね、この場合」
「それは分からん。ただ言えることは、ユウカは今の状態から逃げられないということだけ、か」
「はっきり言うね、ベルさん」
「仕方あるまい。ファーディナンドはヴァレンティーネが呼んだ人物ということで素直に手放すとは思えないし、それに今日のこともある」
「うう……」
それにしても、ファーディナンドはヴァレンティーネのことを、それだけ信じているのだろうということが窺える。そうでなければ、自分などとっくにお払い箱になっている。
今回のこともヴァレンティーネの意思を守るために、優花に力をつけさせる必要があると判断したためだろう。
ファーディナンドの行動はすべて前の神――ヴァレンティーネのためであり、優花のためではない。
「やっぱり要らない」
「ユウカ?」
考えてみれば、優花は突然連れてこられて、無理難題を押し付けられた被害者だ。
しかも今のままでは駄目だと優花自身を否定されてまで、どうして素直に言うことを聞かなければいけないのか。
そう思うと納得がいかない。反対に反発する気持ちのほうが高まる。
「要らない。だって考えてみたら、わたしがここに居るのだって、わたしの意志じゃないし! 悪いけど、ヴァレンティーネさんやファーディナンドさんのために、なんで自分を変えなきゃいけないわけ!?」
「…………まあ、確かにそのとおりだな。そう言われると言い返せない」
素直に同意するベルディータを見て、まるで子供が癇癪を起こしているような気持ちになる。
今、優花の心の中は色々な気持ちが入り乱れ、自分でもどうしていいのか分からなかった。
「わたし、どうすればいいのかなぁ?」
何を選べば良くて、何が悪いのか。
その答えを出すには優花はまだこの世界のことを知らなさ過ぎるし、また、すぐに判断できるほど大人でもなかった。
「ねえ、ベルさん」
「なんだ?」
「どうしてこの世界には魔物なんてのがいるの? それに神様って雲の上の存在じゃないんでしょ。神様は人の願いを聞いてくれるのに、なんで危険な魔物は放置していたの?」
人の願いをちまちま聞くより、人が怖がる魔物を一掃してしまったほうがよほど楽な気がするのに、と思う。
「それについては……」
「なに?」
「ヴァレンティーネの管轄外だからだ」
「は?」
「ユウカの考えている神がどういったものかは分からないが、この世界は別に神――ヴァレンティーネが全てを掌握しているわけではない」
「え? でも普通神様って言うと世界の始まりからいるんじゃないの。ほら、この世界は神様が作ったって……そういうの」
神話や宗教にそれほど詳しいわけではないが、神といえば、世界を作った人物――創造主に近いイメージを持つ。
今まで読まされた本では、そのようなことは書かれていなかったが。
「そうではない。この世界は神も魔物もいなかった。だが、ある時を境に魔物が生まれるようになった。その中で、力を持っていたものが神として立ち、人に希望を与える役目を担うようになったのだ」
「神も、魔物もいない……」
「そうだ」
初めて知るこの世界のことに、優花は少なからず衝撃を受ける。
このあたりに関してはまったく説明されていなかった。
「え、じゃあどうしてヴァレンティーネさんは神様になったの?」
「それは……」
「それは?」
興味深げにベルディータを覗き込む。
けれどそれ以上教えてはくれない。
「それ以上知りたければ、私から力を受け取ること――それが条件だ」
「ちょ、なにそれ!? ここまで引っ張っておいてそれ!? 余計気になるじゃない!」
物語ならクライマックスに差し掛かった途端、待て次号! という感じだ。
しかもこの場合、ただ待つのではなく、ベルディータの条件を飲まなければならない。そうしなければその続きを知ることができないのだ。
「勿体ぶってないで教えてよ!」
「駄目だ」
「なんで!?」
「ユウカには悪いが、事情を知り、その責を背負う気がなければ、気軽に話せるような話ではない、ということだ」
ベルディータの表情は至極まじめで嘘を言っているようには見えなかった。
だからこそ、優花が考えているほど、この世界の裏事情は気軽なことではないことが分かる。
「……結局わたしは、今ここでベルさんから力をもらうか、もらわないで形だけになるか――それしか選択肢がないんだね」
「済まないが……」
否定しないベルディータに、優花はため息をついた。
「…………分かった。もう、腹くくる! 女は度胸!」
「ユ、ユウカ?」
「えと……いろいろ言って時間だけ延ばしちゃったけど、当初の予定通り力をください」
真正面からベルディータを見る。その視線は意を決したものだった。
(それしか選べないのなら……少しくらい役になるようなほうを選んだほうがいいよね?)
結局、断り切れないお人好しだった。
もちろん、優花自身の胃の心配もあったのだろうが。