扉を開くと中は薄暗かった。
小さな明かりがいくつか灯っているが、天井などは闇に包まれている。どこから天井で、どこまで壁なのか分からない。
優花がドキドキしながら辺りを見回していると、ギィ……と入ってきた扉が閉じられた。
慌てて扉引いてみるが、思いきり力を入れても開かなかった。前の部屋から鍵をかけられたのだ。
(くっそー、やられた……ファーディナンドさんめぇえええぇぇっ!)
この際、言葉遣いが悪くなるのは置いといて、優花は心の中で毒づいた。
恨めしげに閉まった扉を見つめていると、奥のほうからかすかに衣擦れの音が聞こえる。
どうやら先ほどファーディナンドが言っていた『教育係』が待っているようだ。
逃れられないと思うと、ため息がこぼれる。
「いい加減扉に張りついてないで、奥まで来たらどうだ?」
笑いを抑えた、けれど低い声が優花の耳に届く。
しかもばっちり聞き覚えのある声。
「――って、どうしてここにいるわけ!? ベルさん!!」
内心怯えていた分、知り合いだと分かると態度が大きくなる。
そしてこめかみに怒りのマークを貼り付けたような顔で、声のするほうを向いた。
その姿が可笑しいのか、ベルディータはゆったりと座りながら、くっと口端を歪めた。
「私が居てはおかしいか?」
「別にあんまり思わないけど。」
問うベルディータに、あっさりと返す優花。
ベルディータは不思議な力を持っていた。
それにベルディータのような力を持っているのは三人とか言っていたので、かなりの確率で出てくることもわかっていた。
でも、納得はいかない。もやもやした気持ちを抱えつつ、ベルディータを見ると、今はゆったりとした黒衣を纏って寛いでいた。
昼過ぎに会った時の見習いの神官の服装と格好だけでなく雰囲気も違う。
なにやら言いようのない威厳のようなものを感じて、どちらが本物のベルディータなのだろうかと、ふと思う。
「ベルさんっていったい何者なの?」
「なんだと思う?」
「うーん……前の神様に近いところにいる人――って感じかな。変わった力持ってるし」
「変わった、とはなんだ?」
ベルディータの眉尻が少しだけ動く。
優花にしてみると、傷を癒したりとと万能な力といっていい力を持っているように思える。
変わったと言ったのは、視力を良くしたりと一部分だけ変えることが器用だと思ったからだ。
「だって普通の人は持ってないみたいだし、いろんなこと出来ちゃうみたいだし」
「まあ、確かにな。それに当たらずとも遠からず、だな」
「やっぱり。だったらベルさんが神様をすれば問題ないのにさ」
「ユウカはそう思うかもしれないが、私には私の役目がある。だからあれも次の神を――と思ったのだろう」
静かに神の座を否定するベルディータ。
反対に優花は前の神ヴァレンティーネを『あれ』扱いできるベルディータに、もしかして前の神様より強い人なのかも? という考えがよぎる。
「はあ……、本当にベルさんってわかんない人だよね」
「そうか? 知ったら知ったでユウカの反応も面白そうだから、教えてやってもいいが?」
「……性格わるっ。ほんっとうにどういう人なわけ? ベルさんって」
楽しげな笑みを漏らしつつ、ベルディータは優花に座るように促した。
立ったまま話すのもなんだったし、もし力をくれるというのなら、ここはもらうのが筋だろう。
というか、もらってこなければファーディナンドがものすごく怖そうだ。
「とりあえず、ベルさんがどういう人物かは置いとくことにする」
「そうか」
「うん。だって力をもらうほうが先っていうか、わたしは別に力なんて要らないけど、もらえないとファーディナンドさんがやたら怖そうなんだもん」
「そういう理由なのか?」
「そういう理由なの。」
優花はファーディナンドの静かに浮かべる怒りの表情を想像して小さく身震いした。
ファーディナンドはこういう時はガミガミと怒鳴るのではなく、笑顔でぐっさりと相手を攻撃するタイプだと思っている。
(――って、ファーディナンドさんって思いっきり腹黒? よくいう暗黒微笑ってヤツがとっても似合う人?)
優花はいまさらながらそう考えるが、考えなくても腹黒としか言いようがないだろう。
もっともファーディナンドの考えや思いをあれこれ想像できるほど、彼のことを分かっていない。ファーディナンドが感情をあまり出さないこともあるが。
仕事の鬼で時に非情で――でもそれはファーディナンド個人ではなく、神官長という立場からだ。
逆に、ファーディナンドという一人の人として見た時の情報はほとんど知らない。個人としてのファーディナンドを見てみたいと思うし、それを知らなければ好きになることも嫌いになることもない。
ただ分かるのは、何よりもこの世界を優先するという強い思いを持ち、それをするためには自分の感情さえ押し殺してしまうところだろうか。
その姿を見てると、立場に縛られて窮屈だと思う反面、それだけの意思を持って動いていることが羨ましく思う。
それだけの強い思いを、また貫くだけの強さを優花は持っていない。
ファーディナンド個人のことを考えて話が脱線しかけたのに気付き、優花は慌てて現実に戻ろうとした。
確か力をもらうというのが目的だったはずだ。ならどうすればいいのか。
力を得るために特訓するのか。運動神経ないからスパルタは遠慮したいものだが、かといって頭もいい方ではない。
けれど、力って「ください」と言って「どうぞ」と簡単にもらえるものだろうか。
優花は首を傾げながらベルディータに尋ねる。
「で、わたしはどうすればいいの?」
「聞いてないのか?」
「とにかく何が何でも力をもらって来いって言われてるけど」
「……そう、か」
「何か問題でもあるの?」
「いや、その……そうだな……しかし、本当に力を受け取る気でいるのだな?」
考えている優花に、ベルディータは念を押すつもりか、もう一度尋ねた。
その口調にからかうような軽さはなく、優花は息を呑んだ。力が欲しいかと問われると、自分の気持ちを優先するなら、即座に「いらない」と答えるだろう。
優花には野心や野望などというものはない。その力で神様をしていい暮らしをしたいとも思わない。
だから答えは『いらない』。
けれど、置かれた状況を考えると、『いらない』という一言がどうしても言えなかった。
それはこの世界に来てまだ数日だったが、神の祈りを頼りに来る人たちを見ているせいだ。
元の世界と違って、なまじ神と直接会えるシステムのせいか、神に縋る人たちの眼差しを見ると、無力な自分がいたたまれなくなる時がある。
「……うう」
「答えに迷っているようだな」
「……うん。自分だけで答えるなら『いらない』って答えるよ。でもね……」
「神として誰かの役に立ちたいと?」
「役に立ちたいって言うか……宮に来る人たちを騙しているのは辛い、って思う」
優花はまっすぐな瞳でベルディータを見つめた。
その視線には力を手に入れることに対しての優越感がない。そこには迷いと不安しかなかった。
ベルディータはそんな優花の心情を察したのか、柔らかい笑みで優花を見つめた。
「私にしてみると、他の誰かよりユウカに力を与えたいと思う」
「ベルさん?」
「私が力を与えることが出来るのはただ一人だけ。今まで誰に対してもそんな風に思わなかったが、ユウカになら力を与えるのが嫌ではないと思う」
ベルディータの声は優しい。その声から本当にそう思っているのが分かる。
だから余計に迷う。
「よく……わかんない。だってベルさんと話をしたのは今日ほんのちょっとの時間だけだよ」
「ほんの少しの時間でも、心に響くものがあればその人物が印象は強く残る。けれど、長い時間をかけてもただ無為に過ごすだけでは、その人物に対して何の感情は沸かない。私にとってユウカは前者だ」
はっきりとしたベルディータの言葉に、確かにその通りだと思う。
優花自身も同じクラスメイトでも話をする人とほとんど話をしない人では印象の残り方が違う。
それにユウカにとってこの世界で一番印象的なのはベルディータだ。
優花を一人の人間として扱って、普通に会話をしてくれた。他の人たちは違う。
「そう、だね。うん。確かにベルさんの言うとおりだと思う。わたしもここに来てベルさんが一番印象的だから」
「成る程」
「ちょ、なんで楽しそうに笑うわけ? 印象的ってのは別にいい意味だけじゃないんだよ?」
「ほう、ならユウカにとって私はどんな印象だ?」
「うーん。一言で言うなら『変な人』」
「……おい」
今まで優位そうだったベルディータが、優花の『変な人』発言で情けなさそうな顔になる。
その表情を見て、優花はベルディータのことを可愛いなどと感じてしまう。
「はは。ベルさんの今の表情! なんか今度は『可愛い』が加わったよ」
「変な人に続いてかわいいか」
「うん」
「まったく、ユウカといると新鮮な言葉を聞けるものだ。訂正しよう。先ほど私は『ユウカになら力を与えるのが嫌ではないと思う』と言ったが、私の力はユウカに受け取って欲しいと思う――に」
ベルディータは魅惑的な微笑を浮かべながら、そっと優花の手を取った。