道すがら、優花は優花なりに考えていた。
魔物といえど生き物を殺したくはない。でもそのことを黙って宮にいた場合、人の懇願する感情に対面していかなければならない。
ならどうすればいいのか。
「あ、ベルさんの言っていた『精霊術』ってのを覚えれ、ば少しはなんとかなるかな?」
精霊たちの力を借りて行う魔法――精霊術。
その中でも攻撃系のものもではなく、人の役に立ちそうなものを選んで覚えれば、勉強する範囲も少なくなるだろうと考える。
もちろんそんなことあるはずがない。精霊たちの力を借りるための言葉を覚えるのはどれも同じだが、きちんと理解してからでないと、大きな力は使えない。
けれど今の優花にはそれが分るわけもなく、優花は自分のするべきことは精霊術を学ぶこと、と決めた。
そういった意味では逃げ出したことも少しは役に立ったと思った。
けれど今からこってりと絞られることを考えると、キリキリと胃が痛くなる。自然とお腹の上に手がいく。
てくてく歩いて、宮への入口に辿り着いた。そこで宮を警護している者に呼び止められる。
「汚い格好をして聖水鏡宮に近づくとは何者だ!?」
「は?」
汚い、と聞いて、優花は下を見て自分の服装を目にする。
怪我はベルディータに治してもらったものの、服に関しては汚れたままだった。確かに汚い、と思う。これなら怪しい者として咎められても仕方ない。
それに優花の存在はあまり知られていない。神というものは神殿の奥深くにいるというのが当たり前で、こんな恰好でうろつくわけがないのだ。
警護の者に足止めを食らっていると、心配そうな表情のテティスが走ってくるのが見える。
「ユウカ様!!」
「これは、テティス様。いったいどうされ――」
「何をしているのです!? ユウカ様に対して! ユウカ様は新しい神様ですのよ!?」
「え? か、神様!?」
新しい神だと聞いて青ざめる警護の者。
もちろん彼らには土で汚れた優花が神など、とてもじゃないけど思えないだろう。当の本人そう思っているくらいなのだから仕方ない。
けれどそんなことは眼中にないようで、テティスは優花に向かって声を荒げた。
「ユウカ様! いくらこの世界に興味をもたれたとしても、お一人で出ていかれるなんて無謀です!」
「は? 興味……?」
興味をもった、というテティスの言い回しに、優花は首をかしげた。
その後、さすがに『嫌だから逃げた』というのは体裁が悪いのだろう。
ファーディナンドあたりが事実を捻じ曲げたのだと判断する。
「さあ、ユウカ様。まずはその格好をなんとかしなければ」
「あ、そうだね」
「こちらへどうぞ。まずは湯浴みを。その後で神官長様からお話があるそうです」
「う、…………はい。」
優花は返事しながら、嫌味と馬鹿にした雰囲気を含んだ『お説教』を聞かされるのかと思ってうんざりした。
どうも見ているとファーディナンドは極度の人嫌いらしいことが窺える。神官長という立場にありながら、他の神官と話をするのも用以外で会話をしているのを見たことがない。
優花の神様教育も、この世界のこととか他の人でも分かりそうなことはその人たちにやらせて、ここは、というところだけファーディナンドが説明するといった具合だ。
(でも、ファーディナンドさんって人と話すの嫌いなくせに、嫌味だけは舌に油を塗ったように滑らかに出るんだよね。不思議だ……)
優花はテティスのあとを追いながら、あとで来るファーディナンドのお説教に対して、今から心の準備を始めていた。
***
湯浴みが終わると、新しい服を身につける。
優花が身につけるのは、他の神官と同様白い色が多い。
大きめの白い布は一枚だが体に合うように加工されていて、それを体につけたあと、胸の下から腰までを細い紐で編むように巻いていく。
その後に同じく白い梳けるほど薄い布をヴェールのように肩からかけ、最初に編みこんだ細紐に絡ませながら膝あたりまでを下の布に重ねるようにする。
これが優花のいつもの神様としての服装だったが、今日用意された服は少々違っていた。
もっと簡単に着られる、少し夜着に近いもの。
いつもの服装は細紐を編みこむのに結構時間がかかる。すでに日も暮れているし、神様業も今日はないせいか、と思いつつ、優花は楽なその服を黙って身につけた。
「ユウカ様。時間が時間ですので、先に食事を摂られてからで構わないとのことです」
頃合いを見計らったように言うテティスに、お説教が先延ばしになったのを喜ぶべきか、これから先のことを考えながら、胃に悪い食事をとることを嘆くべきか考えてしまった。
しかし、胃のほうは空腹を訴えている。
ファーディナンドのお説教と称した嫌味を空腹を我慢しなが聞くほうが嫌だと即座に判断。素直に食事の支度をしてある部屋に向かった。
ここの料理は元の世界での洋風な料理が多かったが、基本的には神に仕える者が住む場所だけあって、野菜中心のあっさりした味付けが多い。
そのため優花は特に和食が恋しくなることもなかった。反対に料理は美味しいほうだ。
食事の時が一番いい時だと思う。
けれど、そんな楽しいひと時は終わりを告げ、優花は忍耐を迫られる時が訪れた。
優花はまるで鉛でもついたかのように重い足で、のろのろとテティスについていく。
テティスは明かりを持ちながら、通常では行かない地下へと優花を導いた。
(ここって……はじめに来た所と同じような感じ?)
大理石のような白い壁から、だんだんむき出しのざらざらした青い石に変わった廊下を歩いていく。
お説教のためだけにこんな場所に連れてくるなんて、一体なんなんだろう? という疑問が浮かんだ。
(も、もしかして、ここで不要だからってスパッと切り捨てられたりして……)
ありえそうで怖い。ものすごく怖い。
優花は背筋に震えるものが走るのを感じた。
このまま振り返って逃げたい心境が百パーセントに達しようとしていたところに、テティスが急に振り返った。
「ユウカ様、こちらにお通しするよう言われたので、どうぞ中に」
「え? テティスは?」
「ユウカ様おひとりで、とのことですので」
「…………は、はぁい……」
テティスに返す声が震える。
(うわー、一人にしてからお説教ですかい。しかもちょっとやそっとじゃ逃げられないようなところで? まったく嫌みったらしいよ、ファーディナンドさん!!)
優花は心の中で愚痴ると、テティスが手をかざしている扉の取っ手を握った。
厚みのある扉は重く、力を入れるとギイィと軋む音とともにゆっくりと開かれる。
中をそっと見渡すと、ファーディナンドが一人中央に立っていた。
「お待ちしていました。どうぞ中へ入りなさい」
「は、はい……」
優花はファーディナンドの静かな声を聞いて、嵐の前の静けさの気分を味わった。
(余計怖いです! ファーディナンドさん!)
背筋に振るえが走り、頬に冷や汗が伝う。
ただいま逃げ出したい心境二百パーセント。ゲージを思い切り振り切っている状態だ。けれどここまで来て逃げられるわけがない。
我慢我慢、何を言われてもひたすら我慢――そう心に念じる。
「何の用でしょうか?」
「なんの、とは、あなたが一番ご存知かと思いますが?」
「う……それは……」
我慢しようにも、ファーディナンドを前にすると緊張する。
そのため声が裏返り、我慢という言葉がどこかへ吹き飛び、背中に冷や汗が伝う。
困った顔をすると、珍しくファーディナンドは僅かに微笑を浮かべた。
普通の状態の時に見れば、綺麗な顔をしているため思わずうっとりと見惚れそうな顔。
けれど今の優花にはその笑みがより怖さを演出しているように見える。背筋につーっと嫌な汗が伝う。
「まあ、いいでしょう。あなたが出ていって、それなりに収穫はありましたから」
「はい!?」
「いえ、こちらのことです。結果良かったとはいえ、あなたには自覚というものが足りません。なので、もう一人教育係を増やすことにしました」
「ええ!?」
「今からその方に会ってもらいます」
「い、今からですか?」
湯浴みをして食事をして、もう夜といえる時間だ。
それなのに、その人に会ってこれからお勉強なのだろうか。そうなると、寝るのは深夜に近い状態になる。
しかしファーディナンドはもちろんという感じで頷き、優花ははーっと深いため息をついた。
「まあ、教育というより、その方から力を頂くことが目的ですが」
「はい? 力!?」
「そうです。今ならあの方は上機嫌なので、あなたが大人しくしていれば力を分けて頂くことが出来ます」
「はあ……」
「あなたは何をしてでも力をもらってくること。何もしないで終わったら――分かっていますね?」
「はっはいいいぃっ!!」
(分かってます。分かってますからその怖い笑顔を止めてください!)
硬直しながら心の中でそう叫ぶほど、ファーディナンドの笑みは恐ろしかった。
もらえるならなにをしてでももらってこなければ、明日にはお払い箱決定だ。
ただ放り出されるだけならいいけど、事実を知っているから――と、あっさりこっそり抹殺なんてされたらたまったものじゃない。
優花は恐ろしくて首を縦に振り続けた。
(でも、そんな簡単に力をもらえるもんなのかな?)
優花は抜け出した時に会ったベルディータの力と話を思い出した。
力を持つものは少ない。現在使えるのは二人。でもって、たいていの人は『精霊術』を使う。
(ということは、力をくれる人はベルさんかもう一人の人……?)
優花は首を傾げつつ、ファーディナンドが示す奥の扉に手をかけた。