第03話 出会い(5)

「そんなに帰りたくないのか?」
「帰りたくない」
「帰りたくないのなら……仕方ないが――」
「いいの!?」

 ベルディータの言葉にガバっと抱きつくようにして問う。
 その勢いにベルディータが軽く後退るのがわかったが、見逃してもらいたいという気持ちのほうが強い。

「このまま見つからなかった、と報告すれば多少の時間は稼げる。ただし――」
「本当!? 見逃してくれるの?」
「話を聞け。ユウカはこの世界のどの地方にも属さない顔立ちだ。すぐに見つかってしまうだろう」

 確かにこの世界は白人の世界という感じだ。肌の色素は薄いが、優花のような色ではない。
 それに黒髪も珍しいような気がする。宮の中では一人も見たことがないのだ。
 目の前の青年は別として。

「う……確かに……」
「しかもその髪――かなり珍しいぞ」

 そう言いながら優花の髪を少しだけ軽く掴む。
 優花の髪は肩くらいまでしかない。
 そのためベルディータの手が近くにあり、優花は恥ずかしくて眼をそらしながらぼやく。

「……ベルさんだって同じ色じゃない」
「だから珍しがられる、と言っているんだ。それにファーディナンドはユウカには何らか力があるのではと考えている。先代の神が直々に呼び出したのだから」
「でも、力なんてないし……」
「あるだろう。先ほど魔物を消した」
「あれは!」
「意図してやったものではないとしても、ユウカに魔物を消す力があるという可能性がある」

 力なんて使ってない、と言いたかった。
 魔物を倒すのなら普通、剣とか魔法とかが必要だろう。
 けれど、優花が望んだわけではないが、魔物を消したことは事実だ。
 命を消したことに対しての罪悪感が押し寄せて、優花は自分の手をじっと見つめた。

「魔物でも……命は、命だよ。殺したくない、よ。たとえそれが皆が怖がるものだって……さっきの子、何にも怖くなかったよ。寂しかった時そばにいてくれて嬉しかったのに……。そんな子でも『魔物』だからって殺さなければいけないの?」
「でもそのおかげで救われる者もいるかもしれん」
「じゃあ、わたしがここに連れてこられたのはそのためなの?」
「さあ、それまでは分らない」
「……」

 ベルディータは力を持っていても神ではない。だから、前の神――ヴァレンティーネが何を考えて優花を呼んだのかまでは分からないだろう。
 でも魔物を殺すために呼ばれたのなら、頑張ることなんてできない。
 この世界で育って、そして魔物に対して恐ろしい思いを抱いているなら別だが、不幸なことに優花にはそのような気持ちはなかった。
 ましてや二回目に見た魔物はとても可愛らしいもの。率先して殺そうとと思えない。

「ベルさんは……もし、わたしがこのまま逃げたら、そのことを報告する?」
「……しなければならないだろうな」
「そう。……じゃあ、このまま戻ったら報告しない?」
「して……欲しくないのか?」
「うん」

 今は少し考える時間が欲しい。
 優花は消すと殺すを同義語と思っている。もしその力があったとしても使いたくない。
 宮に戻ることでベルディータが黙っていてくれるのなら、もうしばらくは神様のふりをしていたほうがいいような気がした。

「分かった。ただし、私が見つけたことは報告しなければならないが、それで構わないか?」
「うん、一応。さっきのを黙っていてくれるなら」
「分かった。ただ、私も少しやることがある。この先に聖水鏡宮に向かう道がある」
「あれ、結構近かったんだ」

 結構歩き回ったはずなのに、結局ぐるぐる回ってしまったのか。
 なんとなく納得いかない顔で、ベルディータの指差した方向を見た。

「そうだな。その道に出るまでは付いていく。が、そのあとは一人で戻ってほしい」
「ベルさんは?」
「言っただろう。やることがある、と。ユウカがちゃんと戻るなら、先ほどのことは口外しないと約束する。ただし――」
「ただし?」

 ベルディータは約束してくれたが、それだけで終わらないようだ。

「ファーディナンドは多分もう知っているだろう」
「なんで!?」

 思わず、ファーディナンドはこの世界のあちこちに目でもあるのかと周囲を見回してしまう。
 その驚き具合にベルディータが苦笑するのが見えて、周りを見回すのをやめる。

「もしかして千里眼!? それとも生き霊? というより噂をすれば影? やめてよ、あの人なら何でもありで怖そうなんだからっ!!」

 優花が微妙に支離滅裂な叫びをあげると、ベルディータは苦笑した。

「近いというか……まあ、ユウカが考えているのとは違うというか。私が力を使ったからな。特殊な力のため、使えば分かってしまう。場所さえ分かれば『視る』くらいわけがないだろう」
「う……それってベルさんのせいじゃ……」
「私が怪我を治さなければどうなっていた?」

 自分のせいだと言われたのが気に入らないのか、ベルディータは優花に向かって不機嫌な顔を向ける。

「それは……ごめんなさい。知らなかったら……」

 優花は、初めてこの世界のことに関してあまりにも知らなさ過ぎると感じた。
 今までファーディナンドが説明する話だけしか聞いていなかったというのもあるが、自分から知ろうとしなかったのが一番の原因だろう。
 それでも今日逃げ出したおかげで収穫はあった、と前向きに考えることにする。

「とりあえず、戻ってからどうするか考える」
「分かった。とはいえ、あまり考えすぎるな」
「そうは言ってもね。魔物でも命は命、だよ。ベルさん。しかもそのためにここに連れてこられたってのが本当なら――」

 それが理由なら優花はこれから先たくさんの魔物を殺さなければならない。
 そう思うと怪我をしたまま放っておいてほしかった、と一瞬だけ考えた。
 死にたくはないけど、殺したくもない。
 どちらも本当の気持ちで、だからこそ気持ちを整理する時間がほしい。

「ファーディナンドさんなら、すぐに言ってきそうだけど……でも、とりあえず少しでもいいから時間が欲しいよ」
「分かった。それにしても珍しい」
「何が?」
「魔物の命さえ惜しむなど……」
「それは……」

 優花はどう返事をしていいか迷い俯いてしまう。
 確かにそう言えるのは、会った魔物が穏やかな性格と可愛らしいものだったから。
 それに日本という元の世界でも治安のいいところにいたため、怖い思いをしたことがない。
 それらがあるから、優花はどんなものでも命だからと言えるのかもしれない。
 悩んでいると、ふと手を取られて驚いて顔をあげる。

「ベルさん、手っ!?」
「なんだ? 迷子にならないようにしてるんだが」
「……あの……聞き忘れたけど、わたしをいくつだと思ってる……わけ?」

 確かに逃げ出して迷子になったが、原因は馬車をよけるためだ。
 それに酷い方向音痴ではない。
 けれどベルディータの言い方が、まるで子供に対するもののように聞こえたから。

「見た目で十歳ちょっと……だと思ったが」
「ちっがーう! わたしは十七! 十七歳なの!」
「……………………それは…………本当なのか? いやでも考え方はしっかりしているかし……いや、でもしかし……」
「なんなのその間は!? 嘘なんてついてない。今年高校二年生! そして少し前に誕生日を迎えて十七歳になったの!」

 確かにこの世界は白人系だろう。
 優花のような黄色人種とは、体の大きさなど見た目はぜんぜん違う。
 面倒を見てくれるテティスのほうが一つ下だと気づいた時も驚いたが、今度は馬鹿にされた感じだ。

「それは悪かった。とはいえ、まるで子ど……いや、ずいぶん若く見えるな」

 優花が睨むと、ベルディータは『子供』という言い方を訂正して『若い』という言葉を使う。
 けれどそれがあからさまに分かるので、訂正されても微妙な気持ちになる。

「ほっといて!」

 もちろんベルディータに悪気がないのも分かるが、善意があるとも思えない。
 ただ単に素直な感想なのだが、それを素直に受け入れられるほど大人でもなかった。

「もう帰る!」

 結局、変える場所はあそこしかないが、これ以上ベルディータにからかわれるのも疲れるため、早々に戻ることにした。
 それに早く帰れば、ファーディナンドのお説教も早く終わり、それだけ休める時間が増えるというものある。
 ベルディータに促されて宮へと続く道まで歩く。思ったより近くて驚いた。

「あれ、こんなに近かったの?」
「ああ、木が鬱蒼としているため分かりづらいが、それほど広い森でもないからな。森には魔物がいる。好きこのんで魔物のいる森を歩く奴はいない。だからあまり気づかれていないが」

 好きこのんで、と言われて優花の顔は赤く染まった。知らなかったとはいえ、かなり無謀なことをしていたらしい。
 そんな優花に、ベルディータは宮の方向は向こうだと指さす。

「あの……いくらわたしだって、あれだけ見えてれば間違わないよ」
「そうか? また森の中を徘徊しても困るだろうから説明したのだが」
「ベルさんの意地悪!」

 べーっと舌を出すと、くく、と笑うベルディータ。
 けれど、あまり嫌味な感じがしないのは気のせいか。おかげで逆に居心地の悪さというか、自分が幼稚な真似をしていると自覚させられる。

「とりあえず戻ればいいんでしょ!」
「ああ、気をつけてな」
「ベルさんこそ、帰り道忘れないようにね!」

 そしてまた、べーっと舌を出した後、優花はベルディータに背を向けて歩き出した。

 

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