「元の世界に戻れないのも分かってるけど、普通の生活できるなら文句言わないから、早く次の神様見つけて欲しいんだよね」
優花にしてみると、ファーディナンドに少しでも早く優花より相応しい人を見つけてもらわなければ困る。
「そうは言うが……前の神が選んだのがお前だろう?」
「う……。そうは言っても、何を基準にしたのかぜんっぜん分からないんだけどなぁ」
「確かにな。見るからに何も力がない感じだし」
「あっさり認めるならベルさん代わってよ。ほんっとに」
力を持っていない優花より、持っているベルディータのほうがいいだろう。
優花が目にしたのは傷を癒す力、そして視力を良くする力――二つとも体に働きかけるものだ。
でもそれ以外にもいろいろと使えるんだろうと思う。
けれど、優花は他の神官が力を使う場面に出くわしたことがない。巫女として選ばれて入ったテティスも、力は使えないと言っていた。
それに比べると、ベルディータは一体どんな存在なのか。
「ねえ、ベルさんって本当に見習い神官なの?」
「いきなりどうしたんだ?」
「だって、わたし他の人が力使ってるの見たことないよ。テティスも出来ないって言っていたし。それにファーディナンドさんでさえ使ったの見たことないもん」
「まあ、普通は力などないからな。せいぜい言霊を使って精霊たちに力を借りる『精霊術』を使えるくらいだ」
「精霊術?」
聞きなれない言葉を聴いて、優花は首を傾げた。
この世界のことについてはファーディナンドに叩き込まれたはずなのに、今まで一度も聞いたことがなかった。
「ああ、自然にある力を借りるもので、精神力や個人の能力差はあるが、ある程度のものなら言葉さえ覚えれば使えるものもあるからな」
「あーいわゆる『魔道士』とかっての? この場合だと……『精霊術士』かな」
「そうだ。この世界では『精霊術』を教える所もある。覚えた力はたいてい魔物狩りに使われるがな。というか、それが教えてもらう見返りになっている」
「へえ」
初めて知るこの世界のあり方に、優花は身を乗り出して聞いた。
ファーディナンドからは魔物がいて人々の生活を脅かしていること。そんな生活の中で神様の存在が拠り所になっていること。
そういった話しか聞いてないため、民間にそんな組織があるなんて思わなかった。
「それって奨学金みたいなもんだよね」
「奨学金?」
「うん。普通はお金なんだけどね。勉強するためにお金を貸してくれて、卒業して働き出したら返すって感じだったかな。出世払いみたいなの」
「ほう。そんなやり方もあるんだな」
「うん。それを使って働く、ってわけじゃないけど、そういった制度は向こうの世界にもあるんだよ。わたしもあのままあ日本にいたら、大学行くために奨学金受けようって思ってたし」
優花は話の流れで自分のことを話した後、あまり裕福でない家を思い出して胸が痛くなった。
帰れないのは分かってる。でも分かっているといって、割り切れるものじゃない。
優花は足の上に乗せていた手に力をこめた。
「すまない。それなのにこちらの事情でお前を巻き込んでしまったな」
俯いていたところに、ふわりと頭を撫でられる。
(なんでだろ、なんでこの人はわたしが悲しいなって思う時、口にするより先に優しくしてくれるのかな)
元の世界に戻れなくても、両親の元に帰れなくても、それでもこんな風に優しくしてくれる人がいるとほっとした。
「ベルさん、優しいね」
「そうか? そう言われたことなどほとんどないが」
「優しいよ、ベルさんは。それにちゃんとわたしを見てくれてるもん」
ここに連れてこられた目的のせいもあるが、やはり皆どこかよそよそしい。
遠慮なく言ってくるファーディナンドは冷たく、彼の思うように動けばどうでもいいという感じだ。
でもベルディータは違う。優花のことをちゃんと見てくれるし、過大な期待もしていない。
(ん? わたしのことを力がないってわかっても気にしないで、でもってベルさんは力を使えて……ベルさんってわたしよりもよっぽど神様に向いているんじゃない?)
今頃になってそんなことに気づく。
「あ、あのね、巻き込んで悪いとか、可哀想だと思うなら、わたしの代わりに神様やってくれない、かな?」
「……は?」
唐突過ぎたのか、ベルディータは少しの沈黙のあと、嫌そうな顔でそれだけ答える。
「だから神様。ベルさん力持ってるし、見た目も綺麗だし、偉そうだし。ほら、結構神様似合ってない?」
「……そういう理由からなのか?」
「だって、わたしの中ではベルさんが一番で、次にファーディナンドさんが合ってると思うけど。神様なんていえば、劇でいったら主役だよね。凡人のわたしがそんな大役をやるより、ベルさんのほうが絶対似合ってるよ」
今まで逃げたいと思っていた。
でも、代わりがいるなら相応しい人に代わってもらえばいいじゃないか、という考えに変わる。
「きれいだし、立っているだけでも十分って感じ? ついでに口調も偉そうだから、ぜったい上に立つ人って感じだし」
どうにかして押し付けたいと思う優花だが、言っていることはかなり失礼だったりする。
そのためベルディータの表情がますます険しくなってくる。
「……何やら褒められている気がしないのだが」
「うーん……一応きれいとか言ってるから褒めてる……のかな? でもベルさん、その話し方はちょっと偉そうだよ?」
その偉そうなベルディータに、平気で失礼なことを言っているのに気づいていない。
「ユウカもはっきり言うな。見た目と大違いだ」
「う……、なんか言っちゃうだよね、ベルさんには。なんでだろう?」
ベルディータの話し方は身分が上の人というイメージだ。
でもファーディナンドから聞いた話ではこの世界は国がないため、王族というものがないという。
もちろんある程度の範囲を管理する領主はいるらしいが、神の元、きちんと管理するために存在するらしい。神から領主へ、そして人々への伝達などのため。
となると、ベルディータは貴族ではなく、領主の息子なのだろうか。
もし領主かその息子だとしても、新しい神である優花に対してなら口調ももう少し改めそうな気がするのだが。
(うーん……もしかして大事に育てられたけど、そういったことは教えてもらってないのかなあ?)
優花にするとベルディータは気を遣わなくてもいい相手だと認識したため、ついポロリと出てしまうのだが、ベルディータは違うようだ。
「それよりベルさんのその話し方。それって注意してくれる人、側にいなかったの?」
「居ないな。昔から私に意見をするような者はほとんど居なかったし、今では……誰も居なくなった」
「それって、金持ちの家のお坊ちゃんだったけど、家が没落して一人になった。でも、その力を買われて神官見習いになったってこと?」
優花はそんな想像をしつつ、ベルディータに尋ねたが、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
優花はその笑みに居心地の悪さを感じながら、「意見してくれる人を大事にしたほうがいいよ」と軽く付け足した。
「そうだな」
「ベルさんって、なまじ力を持ってるから悪いのかもね」
「どういう意味だ?」
「力持ってるから、何でも出来るから、だから誰かを頼るってことしてないんじゃないの?」
「……」
「わたしは情けないほど非力だから、一人じゃ絶対生きてけないの、よく分かってる。だから人に頼むのは普通だし」
本当なら偉そうに言うような話ではないだろう。
けれど優花はうんうん、と頭を軽く上下させながら悪びれずに話す。
「普通……普通ならそこは偉そうに言うことではないんじゃないのか? 頼ることが悪いとは言わないが、自分でできることまで頼るのは問題だ」
「そりゃね、なんでもやってもらったら問題だけど、一応自分で出来るかどうか考えてからにしてるよ」
それに全部やってもらうんじゃなくて、手伝ってもらっているんだよ、と付け足す。
「自分を知るのも大事なことだと思ってる。自分の力を知れば、足りないところを補う方法が見えてくるじゃない?」
優花にとって足りないところを補ってくれたのは、幼馴染の慎一と友達である涼子とまどかだった。
もちろん、補ってもらっているばかりじゃなくて、自分も何かしらの形で返していると思っている。でなければずっと側にいてくれはしないだろう。
そういった人との繋がりをベルディータも持ったほうがいいと思った。
「それに誰かと話をするだけでも、いろんな感情とか考えが出てくるじゃない?」
「そうかも知れんが、反対に余計な争いも生むことになるぞ。誰かと比較して己を卑下する者も出るし、そのために力を求める者も出るしな」
極論を言われて優花は呆れるしかない。
「うわ、ベルさんって結構考え方後ろ向きなの? 確かにそういうところもあるけど、いいことだって十分あると思うよ。一人で悩んでいたら堂々巡りだし、怒りを感じたら怒ればいいんだし、溜め込むのって体に良くないよ」
基本的に楽観的な生き方をする優花にすると、ベルディータの生き方は重苦しく感じる。
そのため、優花は思いつく――というより、普段自分がしていることを話した。
少しは気持ちが軽くなってくれるといいな、と思いつつ。
「そうかもしれんが……と、私は人生相談のために来たのではなかったが」
「あ、そうだね。わたしもベルさんの人生相談をしてる場合じゃなかったっけ」
いつの間にか話が逸れに逸れているのにやっと気づいた。
偉そうに説教などして、いきなり恥ずかしくなった。照れているのを隠すために乾いた笑いで誤魔化す。
それと同時に、ベルディータとの気軽な会話も終わりを告げ始めたのが分かった。
清水鏡宮に戻れば、優花は神として、ベルディータは見習い神官として顔を合わせる時はほとんどないだろう。
そう思うと、また寂しさがこみ上げてきた。
(はあ、結局出戻りかぁ。ファーディナンドさんに、それみたことかって冷笑されそう)
されそう、じゃなくて確実にされるんだろう。それを想像して深いため息をつく。
「キィ?」
「ん?」
聞き覚えのある声(?)がして、優花はふと声の方向に目をやると、先ほどの緑色の丸い生き物がいた。
優花を見上げるようにしている仕草が可愛らしい。
「あ、さっきの……」
「おい、それは……」
「うわー、まだ帰ってなかったの? 早く帰らないと駄目だよ」
「おい……」
ベルディータが何か言いかけていたが、優花はまったく気にせずに、そのキィキィ鳴く生き物に話しかける。
すると、緑色のそれは、優花に小さな花を一輪差し出した。
「って、え? これ、わたしにくれるの?」
「キィ」
「わあ、ありがとう!」
「キィキィ。」
元気を出して、とでも言っているのだろうか、優花はそれがとっても嬉しかった。
花どころかそれまで一緒に抱き上げて、ぎゅうっと抱きしめる。
それは嬉しそうにキィキィと鳴いたあと、その姿は急にすーっと薄くなって優花の腕の中から消えてしまった。
「え? ど、どこ行ちゃったの??」
「消えたな」
「どういうこと?」
自分の腕の中で消えてしまった小さな生き物。
なにがなんだか分からなくて、優花は悲しそうな表情でベルディータを見つめた。
彼は一つため息をつくと、優花にとって爆弾発言をしてくれる。
「言っておくが、今ユウカが抱きかかえていたのは魔物だ」
「……は?」
「だから、魔物、だ」
魔物、と言う単語を思いっきり強調されて、優花は頭を抱える。
(……ま……ま、もの、まものまものまもの……)
『まもの』という単語で思いつくのは『魔物』のみ。
他の可能性を考えても思い浮かばず、優花の顔は青ざめた。
けれどあれは優花に害を与えるようなものではなくて、反対に懐っこい感じで、ぜったいに悪い子に見えない。
「本当に魔物なの? だってあんなに可愛かったし、懐っこいし、ぜったいベルさんの間違いだよ!!」
「間違いではない。現実を受け入れられないからといって、私が間違っていることにするな」
「う……、でもでも……」
「魔物はそれぞれ一種一匹のみの存在。あれと同じものをこの世界で見つけることはないだろう」
「え? 魔物って普通ドラゴンとか、ゾンビとか、スケルトンさんとか、スライム君とか……ああいう感じに決まってるんじゃないの?」
優花は思いつく魔物と呼ばれる存在を思い出しながら尋ねると、ベルディータは首を横に振った。
「違うな。ここにはユウカの言ったようなものは存在しない。ドラゴンとやらも、ゾンビとやらもいったいどんな姿かたちをしているか分からん」
「じゃあ、魔物って……」
何をもって魔物と言うのか、魔物の定義が分からなくなって優花は首を傾げた。
優花の知るファンタジーでは、魔物というのはいかにも、という外見か、もしくは力の強いものはやたら綺麗だったり。
どちらにしろ共通しているのは、人間に対して敵とか、人には敵にさえならないほど強くて、人間は玩具扱いとか。
どちらにしろ、人間とは決して共存できない関係にある。
けれど、先ほどの子はどれにも当てはまらず、とても優花に悪意をもって近づいたとは思えなかった。しかも消える最後は喜んでいるように見えた。
ぐるぐると思考を巡らせていると、ベルディータが答えの見つからない優花に代わって説明してくれる。
「この世界の魔物は人の感情から生まれる。特に憎悪、憤怒、悲哀、寂寥……そういったものからな」
「え?」
「だからその人個人の思いやその強さによって、さまざまな形態をとるのだ」
「人が……魔物を生み出す……?」
「そうだ。ファーディナンドに聞かなかったのか?」
「うん。……あ! でも、人々が不安になっているから、神様はぜったいに必要なんだって……って、じゃあ、神様が必要なのはそのせい?」
「そうだ」
人々のそういった感情から生まれるのだとしたら、彼らを導く強い光がなければ、不安という感情が増して、魔物が増えるということだろうか。
それならば形だけでもいい、神という人々の拠りどころが必要だというのはわかる。
けれど、拠り所にしていた神が何の力もない者だと分かった時のほうが、絶望が強いような気がする、と思うのだが…。
「でもそれって、本当にいいこと? 確かに心の拠り所になるかもしれないけど、ばれた場合にはそれだけ絶望と憎悪を呼ぶんじゃいのかな」
「そうだな。だからファーディナンドが頑張っているんだろう」
「でも……」
納得いかない、とばかりに優花は顔をしかめた。
ベルディータは苦笑しながら。
「仕方ない。この世界はそういう所なのだ。ずっと前から――」
「ベルさん…」
「だが、お前は……」
「なに?」
「いや、なんでもない。日も暮れてきた。そろそろ戻ろう」
でも、ベルディータの言葉に空を見上げると、いつの間にかに木々の合間から見える色が水色から薄い紫色へと変化している。
日が暮れてしまえば、この辺りは闇に包まれ、魔物なども横行するだろう。
「戻らなきゃ……駄目、なんだよね」
帰りたくないのは今も同じ。
けれど戻らなくてはいけないのだと、ため息混じりに呟いた。