第02話 異世界キト(2)

 ファーディナンドに急かされるようにして部屋を出ると、白い服を着た人たちが大勢跪いていて、優花は驚き一歩後ずさった。
 確か宮といったか、神が住まう場所ならば、それに仕える人も多いだろう。でもこういったのを見慣れていない優花には、十分逃げたい要因になる。
 ファーディナンドの影に隠れてなるべく見えないようにしようとするが、反対に彼に引っ張られて前に立たされてしまう。

(これはやーめーてー!)

 嫌な汗が背筋を伝うのが分かる。
 こういう場合の次の展開は――

「神官長様、その方が新しい神なのでしょうか?」

(ああ、やっぱり……)

 身なりから判断してそれなりに高位にいるだろう中年の男性が、一歩踏み出して尋ねる。
 優花は「来たー」と思わず身構えた。逃げたいという気持ちからか、体が少しずつ横に移動するが、ファーディナンドに肩を掴まれて止められてしまう。

「ええ、ヴァレンティーネ様がお隠れになった後、現れたのはこの方です」
「おお、ならば……!」
「では、その方が」

 とたんに期待に満ちた目に変わる。それに合わせて優花の顔が更に引き攣った。
 ファーディナンドに負けて頷いてしまったこととはいえ、神を騙るなど大それたことをする羽目になるとは――また逃げ出したいという気持ちが強くなる。

「ええ。名前は――」

 ここでファーディナンドの言葉が詰まる。
 そういえば、名乗ってなかったような気がする、と改めて気づいた。彼の名前を知っていたので、そのままあのやり取りになってしまったのだ。
 仕方なく優花は自分の名を名乗ることにした。ここで黙っていても、彼らの好奇の目に晒される時間が長くなるだけだと思ったからだ。

「優花です。佐藤さとう優花ゆうか
「サトウユウカ?」
「えと……名前は優花です……」

 苗字と名を続けて口にすれば、それが名前だと勘違いされる。
 優花は改めて名前だけに訂正する。

「分かりました。とはいえ、名乗る必要はありません」
「……えっ!?」

 確かに歓迎されていないのは分かっていたけど、こう露骨にされると、やはりいい気持ちはしない。
 もっともファーディナンドはそんなことを気にしてはいないらしい。すぐに他の人たちほうを向くと先に話を進めた。

「聞こえた者も居るかもしれませんが、彼女の名を口にするのは禁じます。よろしいですね」
「はい、今まで通りに致します」

 と初老の男性が答える。
 名を口にするのを禁ずる、というのはどういう意味だろうか。
 少し考え、神と呼び、無理やり優花にその役に慣れさせるためかもしれない、という一つの答えを見つけうんざりした。

「彼女はヴァレンティーネ様がお呼びになった方。けれど、まだこの世界のことを把握しておりません」
「そうですか……それは、仕方ありません」
「ええ、彼女はこの世界の者ではないようですので。慣れるまで、彼女は私が直接この世界のことを説明いたしましょう」
「かしこまりました。ただ、身の回りのお世話をさせて頂く方はご用意させて頂いてよろしいでしょうか」
「ええ、お願いします」

 いやあの勝手に決めてくれるな、優花は慌てて手を前に出したが、ファーディナンドに一瞥されて手が止まってしまう。
 別にファーディナンドは怒っているわけではないが、感情のこもらない冷たい視線は、優花を怖がらせるのに十分だった。

(こ、怖いよ……。なんでこんな視線なのにみんな平気なの?)

 恐る恐る周囲を見回すと、皆慣れているのか無表情な者のほうが多かった。いや、逆に優花の姿を見て戸惑う者のほうが多いようだ。
 それもそうだろう。ヴァレンティーネの容姿は分からないが、そのあとを継ぐ者がこんな子供だと思うと不安なのだろうかという感情が見える。
 子ども――そう表現できるほど、優花はこの中で幼く見えた。彼らは優花の世界では白人になるだろう。肌も髪も色素の薄く体格もいい。

「テティス」
「はっはい!」

 初老の男性が後ろを向いて声をかけると、ある少女が慌てて跪いていた体を起こした。緑色の目が印象的な整った顔立ち。
 それに亜麻色のゆるやかにカールしている髪を綺麗にまとめているので清楚な感じだ。

「彼女に神様の世話を頼みたいと思います。年齢も近いようですので」
「そうですね、なら、頼みます」

 ファーディナンドは初老の男性が選んだ少女を見て、納得したようだった。

「はい!」
「では、疲れていると思うので、部屋に案内してください。本格的な話は明日にします」
「かしこまりました」

 話が決まったのか、ファーディナンドは優花の肩を掴んでいた手を離し、テティスのほうに押しだした。

「では、神様こちらへどうぞ」
「……」

 “神様”と言われて優花はまた固まった。
 その呼び方をやめて欲しい――と言いたいけれど、この場で言う勇気もなかった。
 テティスは少し戸惑った表情をしながらも、そっと優花の手を取って出口へと導く。
 ここにいて好奇の目で見られるよりは、部屋に入ったほうがゆっくりできそうだと判断すると、あとは導かれるままテティスについていった。

 

 ***

 

 案内された所は優花の家の坪数より広そうな部屋だった。
 白で統一された落ち着いたデザインに、ある一面がガラス張りになっていた。そこから日光が入ってきて明るい。それに外は庭になっていて、花が綺麗な庭園が広がっていた。あのとき見たのと同じ庭だ。

「なんか……無駄に広い。でも庭はきれい」
「そんなことありませんわ。神様もある程度狭い部屋のほうが落ち着くとのことで、それほど広くはしていませんでしたから」
「ある程度、狭い……でこれ? わたしの家全部より広いんだけど。わたしの部屋って言ったら、この敷いてあるのくらいの広さだし」

 座っているソファの下に敷かれているふさふさした毛足のラグを指さした。
 ちなみにソファも大きくて、優花の体は沈んでしまっている。

「まあ、そんな。それじゃあ見習いの部屋より狭いじゃないですか」
「ははは……まあ、確かに日本の家はウサギ小屋とか言われてたけどね。でも物が手に届く範囲にあって便利なんだよ。別に不自由は感じたことなかったし」
「まあ」
「反対にこう広いと落ち着かないよ……」

 室内はシンプルというより無機質に近い感じで、温かみというのが感じられない。生活しているという雰囲気がないのだ。

(まあ“神様”だし。ここでゴロゴロしているっていうイメージのほうがないか……)

 とはいえ無機質すぎて、天蓋つきのベッドも、柔らかい素材でできているソファーも感動は薄れてしまう。

「でも、これからはここが神様がお休みになられる所ですし」
「こ、ここが……?」
「はい。何か足りないようでしたら、神官長様にご相談いたしますが」
「いや、至れり尽くせりだとは思うんだけど……どうも落ち着かないのよね。なんでこんな状況になったのか未だに分からないし」

 呟くように言うと、はあ、と深いため息をつく。
 説明できる人がいたら説明を求めたい。が、多分それに答えてくれる人物はいないだろう。
 分かるのは選んだ本人くらいだろうが、すでに亡き人だ。

「とりあえず何が必要かはこれから出てくると思うけど……一つだけいい?」
「はい、何でございましょう?」
「いやあの……その過剰な敬語と“神様”って呼ぶのをやめてもらいたいんだけど?」
「はい? あの、それは……無理でございます。神官長様の言いつけですので」

 今までの話が正しくて、さらに夢でないのなら、“神”として呼ばれた者に対して気軽に話すことはできないのは分かる。
 でも何も知らない場所で、敬語で線を引かれて接しられると心が休まる暇がない。せめてもう少しだけ砕けた話し方をして欲しいと思う。

「それは分かってる。でも、お願いっ!! わたしここにきて何も分からないの。何で呼ばれたのかも分からないくらいなんだもん。せめて普通に話できる人が欲しいよー……」
「そう仰られましても……」
「うう、ええとテティスさんでしたっけ?」
「そんな、神さまが“さん付け”はやめてください!」
「ならテティスさんもその敬語と呼び方やめてー」

 最後のほうはほとんと叫び声のようになった。どうやら我慢の限界に達したようだ。半泣き状態でテティスを見ると、彼女も困ったように優花を見ている。
 困らせることを言っているのは十分承知している。それでもこれだけは譲れない。
 しばらくの間テティスを見つめていると、彼女は諦めたように小さくため息をついた。

「ならばどうしたらいいのでしょう? 私もこの宮につとめる巫女です。神として呼ばれた方を普通に扱うことはできませんわ」
「う……、ならせめて神様っていうのはやめて」
「では、なんとお呼びになればいいのでしょう?」
「じゃあ名前――優花で」
「………………では、他の者がいない時は、ユウカ様とお呼びいたします」

 ファーディナンドに名前呼びを禁止されたのを思い出し、宮に住むテティスにとって神官長の言いつけを絶対だろう。それなのに、優花の願いを多少なりとも聞いてくれたのだ。
 本当は“様”もやめてほしいと思ったのが、それ以上を望むのは気の毒だろう。

「ごめんね。じゃあそれで。あと、なるべく過剰な敬語はやめてね」
「気を……つけます」
「お願い、ね」

 無理やりテティスを説得させて一息つく。体の力を抜いて、ソファーに体を沈ませた。
 これからどうしようかと思っていると、テティスが笑顔を向ける。

「あの、ユウカ様? お疲れのようなので、一息つけるようにお茶でも用意致しますね」
「あ、うん。ありがとう」

 確かにのどは乾いているし、一息つきたかった。
 だからテティスに素直に礼を言う。それを聞くとテティスはまた笑みを浮かべながら、「はい」と返事をして部屋から出ていった。
 部屋の扉が閉まると、優花はまたため息をつく。
 ファーディナンドの話が本当なら、元の世界に戻る術はない。
 優花自身に何かしらの力があれば自分で戻ることも可能だろうが、残念なことにそんな力などない。
 帰りたいのに帰れないのなら、少しでもここを居心地いいように変えるしかない。一番の望みが叶わないのなら、次で我慢するしかない。

「……って、ああああああ……なんでこうなっちゃったのよぉ一つ 次善策? そんなので我慢できるわけないじゃないのおおおっ!!」

 頭で分かっていてもやはり納得できない。
 叫びながらソファーに横になって頭を抱えていると、扉をたたく音がしたので慌てて体を起こした。
 まだ取り乱した姿を見られたくない程度の理性は残っているらしい。

「失礼します。お茶をお持ちしました」
「あ、ありがとう」

 金色に縁取られた繊細なデザインのトレイに乗っているのは、これまた同じようなデザインのポットとカップ、そしてお菓子が乗っている小皿。
 テティスはそれらを目の前のガラスの机に端に置いた。

「どうぞ」
「ありがとう。あ、テティスも飲まない?」
「いえ、私は……」
「あ、カップが一個しかないのか……」

 優花のために持ってきたので、カップは一つしかない。出来ればゆっくり話をしたいと思ったのだが。
 優花は仕方なくカップを受け取ると、それに口をつけた。

「あ、美味しい」
「本当ですか? 良かったです!」

 差し出されたお茶は紅茶とあまり変わりがないみたいだった。香りも味も紅茶といって差し支えなかった。反対にそれよりも少し赤みが強いかもしれない。
 おいしいと言うと、テティスは笑顔で喜んだ。

「今度は一緒にお茶してね」
「え? あ、は、はい。それよりもこちらのお菓子もどうぞ」
「ありがとう」

 テティスは戸惑いながらも優花の話に付き合ってくれた。
 お互い気を遣いながらの話が続いていく。それでもテティスから聞く話は少しだけこの世界のことを優花に教えてくれた。

「ええ? テティスって同い年なの?」
「え? じゃあユウカ様って十六なんですか?」

 年齢の話になった時、二人とも互いに驚いた。
 優花からするとテティスは女性らしくて、涼子やまどかより大人っぽく見えた。反対に彼女から見れば、優花は背も小さく子供のように見えたに違いない。
 優花が見た範囲では、ここは日本人というより白人が多い世界らしい。

「わたし、テティスのことお姉さんだと思ってた……」
「すみません。てっきりもう少し年下かと……」
「……やっぱり、人種が違うと年って分かんないんだね……」

 肩を落としながら、お茶を一口含む。
 違いを感じて気落ちしているが、落ち着いてきたのか、いきなり睡魔に襲われる。

「あ、あれ……」
「ユウカ様?」
「ててぃすがさんにんいるぅー……」

 テティスを指さしながら、優花はソファーの背もたれにひっくり返る。
 焦点が合わなくなった目は、ソファーに背が触れるのと同時に閉じられた。

 

 ***

 

 急に意識を失った優花が心配で、テティスは顔を近づけた。
 声をかけても返事はなく、すうすうと規則正しい寝息を立てていた。

(薬が効いたのかしら……?)

 ファーディナンドがいきなり見知らぬ地に来て、少し興奮しているようなので、休んでもらうように――との指示があり、お茶には眠りを誘う薬草を入れたのだ。

「ユウカ様……」

 膝を立てて近くでその様子を見ると、やはり自分より年下の子供のように見える。
 話をしていても普通の少女で、なぜ彼女が新しい神に選ばれたのだろうか。
 理由は分からないけど、今この世界を支えるのは彼女しかいない。
 この世界――キトは魔物もいる危険な世界で、そのために人々の希望、そして不安を取り除いてくれる神の存在が必要不可欠なのだ。
 優花がきちんと自分のことを新しい神だと認識しててくれれば、人々の不安はかなり減るだろう。
 少しでも早く自覚して欲しいとテティスは願った。

「眠りましたか」

 背後から声がして、テティスは慌てて振り返った。

「し、神官長様」
「どうやらお茶に入れた眠り薬は効いたようですね」

 優花を覗き込むようにして見るファーディナンドに、テティスは素直に「はい」と頷いた。

「これなら明日の朝までゆっくり眠っているでしょう」
「はい、神官長様」

 ファーディナンドは優花に視線を落とすと、薄く笑みを浮かべる。テティスはそれを、新しい神の登場を喜んでいるのだと思った。
 ファーディナンドはヴァレンティーネに一番近しい存在。だから他の誰よりも喪失感は大きいのだと思う。
 テティスにはその感情を推し量ることはできない。
 けれど、多分ヴァレンティーネが亡くなったのを一番悲しんでいるのは、彼だろうということくらいはわかる。
 でも継ぐ者がいれば、少しは安心できるかもしれない、と、テティスはちらりと優花を見やった。

「さて、明日からは彼女には、この世界のことなどを少しでも早く学んでもらわないと」
「はい」
「私はこれからそのための時間調整を行いますので、後は頼みますよ」
「かしこまりました」

 テティスはファーディナンドに深々とお辞儀をする。
 ファーディナンドはかすかな衣擦れの音をさせながら、優花の部屋から出て行った。

 

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