Step 7 「彼女との違い」

 一月の終わりになると、お店のあちこちでバレンタインコーナーができる。
 明らかに義理と思われるようなものから、普通では買えないような高いものまで品揃えは豊富で、あたしはこれを見に行くのが好きだ。
 もちろん自分のためにも買う。だって、この時じゃなければ買えないようなチョコってのがあるじゃない?

 そんなわけで、休みの日に買い物ついでにバレンタインコーナーを見て回ってる。
 いつもは父ちゃんと近所の兄ちゃん、でもって親友のゼルあたりに義理チョコを渡すんだけど、今回はそれにガウリイが追加された。
 ガウリイは社会人。うん。きっとお返しは他の人より絶対いいに違いない。お返し目当てなのが丸分かりだけど、一応奮発して他より高めのチョコレートを手に取った。うーん……ハートマークのラッピングは義理チョコを渡すのに不向きよね。中身は美味しそうなトリュフだったけど、シンプルなラッピングのものに変更しよう。
 次に手に取ったのは、酒好きなガウリイのためにブランデー入りのヤツ。ま、これならいいだろうということで、あたしはそれに決めた。

 

 ***

 

 今年のバレンタインは平日だった。だから休みの日に会えるかどうか確認のメールを送ると、その前の日曜なら空いているいう返事が返ってくる。
 それならと待ち合わせ先を考えてからメールを送り、当日になるのを待つ。問題はガウリイのアホが約束の時間と場所を忘れないか、だった。まあ携帯持ってるし、電話すればいいか。
 そして、土曜日は明日のためにラッピングされたチョコを小さな紙袋に入れて、万全の用意で待ち望む。もちろん『好き』と伝えるための気持ちの用意じゃない。ホワイトデーに少しでもいいものをという『エビでタイを釣る作戦』のためだ。
 そうこうしてると、携帯から馴染みのある着信音が響く。

「もしもし?」
『あ、オレ』
「どうしたの? 明日駄目になった?」

 駄目ならあたしの『エビでタイを釣る作戦』はどうなるのよ、と思いつつ、携帯を握り締める。

『いや、そういうわけじゃないんだが……』
「じゃあ、なによ?」
『……足、怪我した』
「は?」
『足、怪我して今、松葉杖状態』
「あら~お気の毒サマ」

 あらら、この間フラれたばかりで、今度は怪我かいな。まったくついてない男である。
 とはいえ、声にはちっとも気の毒な気持ちが籠められていないのは仕方ない。半分は自業自得なのだから。

『それでさ』
「はいはい。出歩けないから駄目ってことね」
『いや、そうじゃなくて』
「なに?」
『腹減った。メシ作って……』
「はあ!?」

 聞くと買い物に出かけようとした矢先に、急に飛び出してきて車に轢かれそうになった子を助けたときに足を怪我したらしい。捻ったとか、捻挫したとかよく分からないけど、左足首が痛くて松葉杖を借りたという。
 でもって問題なのが、家にある食料が尽きて買い物に出る矢先、その事故にあい病院に直行。その後は子どもの親が親切に家まで送ってくれたらしい。
 が、玄関に入って気づいたという。家に戻っても食べるものがほとんどない状態だということに。
 アホか、と思うが、まあ大変だったみたいだし、その辺は仕方ない。
 ただ、買い物に行きたくても松葉杖がうまく扱えず、階段が怖いそうな。
 ったく、本当にくらげなんだから! と思いつつも、ガウリイに聞いたマンションに食べ物を目いっぱい持って駆けつけた。

 

 ***

 

 ピンポーンとチャイムを鳴らすと、中から開いてるから「開いてるから入ってくれー」と情けない声が返ってくる。こっちは両手に荷物を抱えているのに、扉が開けられる気配はない。
 まったくしょうがないわね。
 ぶちぶち愚痴をこぼしながら器用に扉を開けて中に入る。靴を足を使って脱いで、はしたないけど荷物のせいで揃えられない靴はそのままに、奥のほうへと入っていった。
 リビングのソファーに寛いでいる――というかお腹が減って力が入らないんだろう。ゴロリと寝転がっている――ガウリイを見ると、すぐに辛辣な言葉を浴びせた。

「ったく、このくらげさんは、本当に馬鹿でドジで間抜けでアホでどうしようもないヤツよね」
「……開口一番がそれか。少しは大丈夫? とかかわいく言ってくれないのか?」

 ガウリイの情けない顔が、更に情けなくなり、あたしは笑いを堪えるのが大変になった。
 なんて言うのかな、ガウリイって苛め甲斐がある?

「大丈夫? なんてかわいく聞いてくれるのは別にいるでしょうが」
「は?」
「彼女と別れたからって他にあてがないわけじゃないでしょう? あたしのザックリ胸に来る言葉を聞きたくなければ、そういう優しい人に来てもらいなさいよ」

 うんうん。だいたいなんであたしを呼び出すかな?
 遊びに行くのに料理を作ったこともあった。それを美味しい美味しいと食べていたのは覚えているけど、それは一回だけのことだ。ガウリイなら他に彼女候補はいそうだし。

「まあ来ちゃったからご飯作ってあげるけど。あ、そだ。とりあえずこれでも食べてないさいよ」

 ぶっきらぼうに言いながら、あたしは『エビでタイを釣る作戦』のためのチョコを、ガウリイに向かって放り投げる。それからキッチンに向かって、持っていたスーパーのレジ袋をどさっとテーブルに置いた。
 その間にガウリイがソファーから手を伸ばしてチョコを取ったのか、ラッピングを剥がすのが聞こえた。
 この部屋のキッチンは対面式になっているので、袋から食材を出すのを止めてガウリイのほうを見ると、嬉しそうに顔を崩したガウリイの顔が目に入った。

「美味そー。ありがとな、リナ」

 純粋に嬉しそうな表情を見て、お返し目当てなのにちょっと後ろめたさを感じてしまう。
 いかんいかん。この笑顔に騙されては駄目だ。あたしは仏頂面でボソッと呟いた。

「……ホワイトデー忘れんじゃないわよ」
「ああ♪」
「だ、だいたいさぁ」

 後ろめたさを隠すように、買ってきた食材を手に取りながら呟く。

「ん?」
「わざわざあたしにマンション教えなくたって、彼女がいるでしょうが」
「いないって。別れたって言っただろ?」
「それは聞いた。でも、ガウリイなら他にも来てくれそうな人いそうじゃない」

 あまりの情けない声に、つい仏心で来ちゃったけど、考えてみれば彼女でもないのに図々しいというか。彼女候補というか、ガウリイに好意を寄せる人にこういうの見られたら、あたしどうすればいいのよ? 「私の彼氏を取らないでちょうだい!」なんて修羅場、やりたくないんだから。

「何も考えずに来ちゃったけど、誰かに見られたら困るんじゃないの?」
「……は?」
「は? じゃないわよ。今はたまたま彼女いないけど、いたら嫌よ。変に勘繰られそうだもの」
「……えーと……考えてなかった」
「ったく、この男は……だからすぐにフラれるようなことになるのよ」
「でもさ、オレ、彼女ができてもこの部屋に呼んだことないけど」

 あまりに意外な言葉を聞いて、持っていた豚肉をテーブルの上に落としてしまった。

「…………はいぃ!?」

 ガウリイって一人暮らしだし、気軽に彼女を連れ込めそうな環境だと思っていたから、これはもう予測範囲外だ。

「リナ、すげえ間抜け顔」
「るさいっ!」

 頭来たからテーブルにあった小麦粉の袋を投げつける。
 足が痛くて避けられないのか、ガウリイの顔面にバフッと音を立ててぶつかった。

「……いてぇ」
「あんたが嘘言うからでしょ!」
「嘘?」
「一人暮らしでその顔で彼女作りまくりな癖に、そんなことあるわけないでしょうが! 実はこの部屋に彼女連れ込みまくりなんじゃないの!?」

 ああもう、花の女子高生に何言わせるんじゃ。ったく。
 もう絶対ここには来ないぞ、と心の中で決意する。別にあたしはガウリイの彼女じゃないけど、ガウリイが誰かと抱き合ったこの部屋にいるのは、なんか居心地悪いというか、なんか嫌だ。
 その後はガウリイを見ずに、豚肉のパッケージを開け始める。

「嘘なんか言ってないって。だいたい家に呼ぶくらいってのは、それなりにかなり仲良くなければ呼ぶ気になんかなれないじゃないか」
「仲良くやってるから彼女なんでしょうが」
「そういう仲良くじゃなくてさー」
「どういう仲良く、よ?」
「んー……ただ付き合うだけじゃなくて、その先まで考えられる人――かなぁ?」
「は?」

 わけ分からん。まあ、男女の仲ってのはあたしには理解できないものかもしれない。
 あたしには、まだ。

「ここに引っ越す前には普通に来てもらってたりしたんだけどさ。リナも知ってるとおり、オレって約束忘れるの多いだろ?」
「そうね。あたしも何回すっぽかされたことか」
「う、まあ……そんな感じで、相手のほうが一方的に怒って、それで終わりになることが多いんだけど……」
「確かに、あたしも知り合ってから何回か聞いた話だわね」
「……耳が痛い」
「事実だからしょうがないでしょ。それより何が言いたいのよ?」

 歯切れの悪い説明に、あたしはちょっと苛々して答える。
 ガウリイは言いにくそうな表情で、でもあたしが怒っていることが分かったのか、ボソッと呟いた。

「別れたはずなのに、いきなり現れるんだよ。でもって彼女ヅラして家に上がりこんで、平然としてるの見ると、な」
「あー……怒ってすっきりして、忘れた頃により戻そう――ってことかな」
「分からんが、こっちにすると一体なんなんだ?? って思うんだ。んで、帰るように言うとまた怒りだす――という感じで手に負えなくてさ。それからかな、この子なら大丈夫って思うような子じゃなきゃ教える気にならないのは。といってもここに引っ越してから二年、いまだに誰もいないけどな」

 約束すっぽかした分、ガウリイのほうも悪いと思う。けれど、自分から切れてフッたはずなのに、また彼女ヅラして来られるのも確かにうんざりする気がする。まあ、どっちもどっちだろうか。
 ……って、あれ。だったらなんであたしには教えたのよ?

「ねえ、ガウリイ?」
「なんだ?」
「だったら、なんであたしにはご飯作りに来てーなんて電話するのよ?」
「あ、えっと……リナなら大丈夫かな、って」
「何が?」
「彼女じゃないし、もしそうだとしてもリナの性格なら、そういうことしなさそうだし」
「ほほう」

 彼女じゃない、ね。
 まあ確かにガウリイの彼女になった覚えはないわ。
 でも、あたしだって誰かと付き合ったら、嫉妬とかありえないわけじゃないと思う。それに、もしあたしが今誰かと付き合っていて、そんな状態で別の男の部屋を一人で訪ねた――なんていったら、別れ話になりかねないんだけど。
 でもガウリイはそんなことこれっぽっちも予想してないみたいで――これって、もしかして完全にオコサマ扱いされてるってこと?
 あたしってば、ガウリイにとっては子どもでそういうことには疎くて(確かにそうだけど)、完全にそういう目で見られてないってこと? あたしなら呼んでも問題にならないって思ってる?
 そう考えると口元がだんだんヒクヒクと引きつってくる。
 別にガウリイにとって女として見られたいわけじゃないけど、ここまで完全に女だと思われてないのもものすごくムカつくんだけど。
 持っていた豚肉をそっと置いて、ガウリイのほうへと向かう。

「リナ?」
「分からないわよ?」
「は?」
「もしかしたら、ガウリイは知らなかっただけで、あたしガウリイのこと、す、好きかも知れないのに?」
「リナ?」

 好きってことを口にするのはちょっと勇気がいるわね。
 でも、ここまでオコサマ扱いされたのに、一矢報いずに終わるなんてあたしの性格が許さない。この間のことも含め、ちょっと驚かせてやろう。
 寝転がっているガウリイに近づき、その前で膝をつくとガウリイの頬に触れる。

「り、な……?」
「あたしだって女なのよ? そういう気持ちがないわけじゃないって、どうして分かってくれないの?」

 自分が女だということを仄めかすような、また、ガウリイに気があるような微妙な言い方をする。
 手をガウリイの頬に添えて静かに顔を近づけると、ガウリイの表情にやっと戸惑いが見えた。

「り……」
「バーカ。んなこと言うと思ったの?」

 添えていた手と反対の手で、ガウリイの鼻を摘んでみせる。きゅうっと力を入れると、ガウリイから「いひゃい」という情けない声が漏れる。
 ふっ、あたしを子ども扱いするからだ。

「ガウリイのバーカ。あんまり人のこと子ども扱いするなら、あたし、このまま帰るからね」
「え!?」
「一応食材は買ってきてやったんだし、自分で作ればぁ?」
「う……すいませんでした……」

 ガウリイが謝ると、あたしはガウリイの鼻を摘んでいた手を思い切り引っ張ってから離す。その後、痛いと鼻を押さえているガウリイを見て満足してから、キッチンへと戻った。
 このときあたしはしてやったりと満足していて、ガウリイがボソッと呟いた一言を聞いていなかった。

「別に子ども扱いしてるわけじゃないのになぁ」

 

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